第10話 使節団
連合王国会議開催から十日後、「ゆきかぜ」の停泊するバラディ沖の上空を巨大な機影が姿を現す。 人々は初めて見るその大きな機体を前にして巨大ドラゴンの来襲と勘違いをして逃げ出そうとするも、沖合にいる護衛艦が一切の反撃を行わず、と列員として桟橋で居並ぶ隊員達が微動だにしないことから味方であることを実感し、胸を撫で下ろす。
「あまりにも大きいのでドラゴンだと勘違いしました」
先程まで剣を抜いて応戦しようとする素振りを見せていた近衛隊長のマルスとユルゲンが冷や汗と共に言葉を漏らす。 突然来訪した救難飛行艇であるUS-2は巨体に似合わぬ慎重さで綺麗に着水するとともに、エンジン音を響かせながら使節団のいる桟橋へと近づいてくる。
「急な話で申し訳ありませんが、使節団の皆様はこの機体に乗って頂くことになります」
岡田に勧められるがまま、使節団のメンバーは恐る恐る機内へと足を運ぶ。 巨大で壮観な外見であったものの、機内は殺風景で幾つかの簡単な作りの座席以外に目立った特徴は見られない。
「元々が救難用として設計されている手前、乗り心地は良くありませんが日本までの間、万全の体制で送迎させて頂きます」
搭乗員の言葉に従い、使節団の面々は渋々ながらもお互いが向かい合う形で座席に座り、シートベルトを締めてもらう。
「グルルルル」
「こ、こ、こちらへどうぞ」
巨体のため、只一人シートベルトを締められなかったベアティは冷や汗を流す搭乗員の勧めに従って、片隅にあるコンテナの中へと入っていく。 そこは四方が頑丈な作りになっているため両手両足で踏ん張りが効くようになっており、顔の位置には覗き窓があって機内の様子が見れるようになっている。
しかし、外から見ると元々別の目的のために用意されていた物であったようで、覗き窓の下には「猛獣注意」のシールが貼られたままになっていた。
「ぷぷぷ、お義父さん、乗り心地は悪いかもしれませんが我慢してください」
「グルルルル」
自らがどういった状況に置かれているのか理解できていないためか、窓越しに笑いを堪えている三上を前にしてベアティは怪訝に感じるも静かに了承する。
「バレたら殺されるな」
「バレなきゃいいんすよ」
日本語で交わされる広澤の冷ややかなツッコミを受け流し、三上はそそくさと外に出て見送りに来ていた猫耳娘達のもとへと行く。
先日終結した会議の決議によってホンタン王国とフランメ王国双方の了承を得たこともあり、レジーナを女王とする新政権を正式にビエント王国新政権として認め、三大国を主軸とする使節団の派遣が決定された。 矢継ぎ早に準備が進められる矢先、エリアゼロを通過した護衛艦から一通の電報が発信される。
当初は護衛艦に便乗して日本に向かう予定だったところを、日本政府は連絡便をよこすのですぐに来て欲しいと申し立てて来た。 それを聞いた連合王国要人達はそれだけ日本政府側が焦っていると受け取り、足早にアゲリアクリスタルを通じて本国との調整を行い、なし崩し的に会議の参加者の中から日本政府と繋がりのあるレジーナを代表とする使節団を組織して日本に向かう運びとなった。
「気いつけて行くんだぞ」
三上が出たあと、広澤はレジーナの隣に座る守に声をかける。
「すみません、巻き込んでしまって」
「まあ、日本側の通訳が俺とお前しかいないからしゃあないだろ」
「先輩がいなかったら俺、生きてなかったかもしれないです」
「......勘違いするな、俺は教育係としてお前が道を踏み外すのを防ぎたかっただけだ。 それよりも気をつけろ、そろそろアメリカさんが口を挟んでくる頃合だ」
「え...」
広澤は背後に座る立花を警戒しつつ、そっと言葉を続ける。
「航空機をよこしたってことは政府の連中、使節団を乗せた「ゆきかぜ」が米軍によって拿捕されるのを恐れたのかもしれねえ」
「そんな...考えすぎじゃ?」
「俺は今までお前に色々と知恵を授けてやったろ? どうも今回はそれがあっちゃ困るって上が判断したみたいだ」
「上って...先輩、あなた何者なんですか?」
「残念だが今はまだ言えない。 だけどもしもの時はこないだ渡した手帳を頼りにしてくれ」
二人の会話から分かるとおり、今回の件に際してあとから向かうことになっている「ゆきかぜ」に広澤は乗り込まない。 彼は王国に残留する部隊ともに現地の連絡役として滞在することになったのだ。
日本国内では外務省や文部科学省の専門家を交えて言語解読がある程度進んでいたものの、守以外の日本人である程度の意思疎通を図れる者は彼しかいない手前、残留組である緒方のもとで通訳をする必要があったというのが表向きの理由で、広澤の言葉から察するに何かしらの陰謀が伺える。
「男らしくレジーナちゃんを守ってやるんだぞ」
「はい」
広澤と守はお互いの拳を当てて決意を確認し合う。 隠し事があるにしてもこの二人は兄弟分でもある手前、仲が良い事には変わりはない。
「それはそうとフィリアさん、さっきから機嫌悪そうですけど...」
護衛としてレジーナと共に再び日本に行くことになったフィリアであったが、広澤と同行できないことに不満があるのか先程から苛立ちを露わにしている。
「なあ、そろそろ機嫌を直してくれないか?」
「......」
普段から公私混同を避けてきた彼女がこのような態度をとること事態珍しい。 恐らくターニャの存在が彼女に少なからず動揺を与えてるのかもしれない。
「俺はお前一筋だから安心しろよ」
「...その言葉嘘じゃないだろうな?」
広澤の言葉に反応し、フィリアは顔を正面に見据えて口を開く。
「ああ、嘘じゃない。 俺は約束を守る男だ」
「......」
機嫌が治ったのか、フィリアは広澤の後頭部に腕を回して顔を寄せるとともに唇を奪ってしまう。
「約束だからね」
「ああ」
「......」
向かいの席で熱い空気を醸し出す二人を尻目に、レジーナは守の耳元でため息をついてしまう。
「いつの間にか色気づいちゃって...」
「なら俺達も何かする?」
「うっさい!!」
レジーナに胸を思いっきり殴りつけられ、守は息苦しさから咳き込んでしまう。
「ゴホ、ゴホ、ゴホ...なんだよもう......」
「こんなとこで出来るわけないじゃない!!」
「だからって殴らなくても...」
「サカリのついた犬みたいなこと言うからよ。 パシリから恋人扱いしてもらえるだけありがたく思いなさい」
「お二人は仲がよろしいようで」
夫婦漫才をする守とレジーナを見てエーディロットが微笑みをこぼす。 彼女は表向きの立場に置いてはビエント王国側の使節団のメンバーとして同行することになっており、その一方でアルメアは混乱の残る国内情勢安定化のために宰相としてビエント王国に残留することになっている。
「守は私と契りを結んだパートナーです」
「純血を大事にするエルフにしては珍しいですね」
「いえいえ、私めが国を救いたいが幼い一心で一方的に契りを結んでしまいまして、ほとんど成り行きに近いです」
連合王国全体で崇められている相手である手前、エーディロットとの会話においてはレジーナであっても敬語を使っている。
「しかし、あなたはそんな彼を愛してるのでしょう?」
「......はい、彼がいなければ今の私はいなかったと思います」
顔を赤くしつつも、レジーナは本心を口にする。
「私も亡くなった夫とは三千年近く連れ添いましたが、覚えていることといえば喧嘩のことばかりでしたよ」
エーディロットの脳裏に夫との思い出が蘇る。
「また、散らかしおって!!」
「人前に出るのなら服を忘れるな!!」
「服を脱ぎ散らかすな!!」
「また道に迷ったのか!!」
「何だこの料理は!?」
「何回家を燃やしたら気が済むんだ? 近所の精霊に怒られる身にもなってくれ!!」
この言葉から察するにおっとり者の彼女に夫は散々苦労したことが伺える。 三千年近い彼の苦労をエーディロットは良い思い出と片付けてるあたり、彼の苦労は報われてはいないだろう。
「喧嘩ばかりでも夫婦は良いものですよ」
「ふふふ、エーディロット様って意外と普通の生活をされてたんですね」
「ええ、私も自身が信仰の対象になるとは夢にも思いませんでしたよ」
出会ったばかりの頃はアルメアと違い、レジーナは初めて会うエーディロットに対して近寄りがたい印象があった。 しかし、雪風の仲介もあった影響で彼女が自分たちと変わらぬ生活スタイルをしていることに気づき、徐々にではあったがこうして言葉を交わすようにはなってきた。
「守様、日本という国はどういった場所ですか」
エーディロットと賑やかな会話をするレジーナの隣では呼吸を整えた守に対し、隣に座るヒストリアが手帳片手に問いただす姿があった。
「どういった国って言ってもなあ...」
「せめて天皇陛下のことを教えていただければいいのですが」
「そうは言っても......」
広澤と違い、守の学力は正直言って低い。 天皇という存在自体、高校生程度の知識しかなく日本国憲法第1条に記されている「象徴」としか説明ができない。
「象徴とは絶対君主のことを指すんですか?」
「いや、その天皇陛下は政治に口出しできないんだ」
「では総理大臣が天皇陛下をいらないと言えば無くせるのですか?」
「いや、その、憲法を変えないとそれは無理」
「では憲法はどうやって変えられるんですか?」
「それはその...選挙だよ、国民の過半数の賛成が必要だよ」
「その言いぶりだと他国ではそのような事例があったと?」
「う、それはその...」
守は知らないのだが、国民の選挙によって国王がいなくなった事例は確かに存在する。
代表的な事例で言うならばイタリア王室が良い例だろう。
1946年6月、第二次世界大戦において枢軸国側についたムッソリーニを独裁を後押ししていた影響で国民の国王不信が増大したことにより「王政の是非を問う国民投票」で賛成54%の僅差で王制廃止が決定されたのだ。 しかし、近年は多くの資料や証言をもとにした歴史家の検証によって、ソ連の力が増大していた世界情勢の中でムッソリーニの存在はイタリアにとって重要であり、ドイツと同盟を結んだのもやむを得なかったと見直されつつある。 寧ろ清廉潔白で家族愛が深くて汚職を嫌い、ナチスのユダヤ人迫害にも疑問を抱いていたことも発表され、彼は決して愚かな政治家でなかったと再評価されることになっている。
現在、故郷には銅像がありその子孫もまた政界で活躍していることを考えるのなら、当時の国民が一部のメディアに踊らされた挙げ句の浅はかな考えで物事を判断していたことが伺える。
「国民の選挙であっても一部の先導者に踊らされれば悪い結果になるのでは?」
「俺に言われても分からないから先輩に聞いてみたら...」
ヒストリアの言葉はある意味的を射ているところがある。 守は気づいていなかったが、彼女には政治家としての才能も秘めているようであった。
守が広澤に救いを求めようとして視線を移すと、彼はフィリアとの別れを済ませて機外に出て行ったことに気づいてしまう。
「結局あの人って何者なんだ?」
広澤の後ろ姿を眺めつつ、守は言葉を漏らす。
その一方では報告書に目を通す立花の姿があり、隣では彼の顔を横目でチラチラと気にするジルの姿があった。
「どうぞ」
彼女は覚えたばかりの日本語を使って立花に水の入ったペットボトルを渡すも、彼は何も言わずに受け取って会釈するだけであった。 生まれながらにして女性を虜にする顔を持ち、今まで多くの女性ターゲットの心を掴んで情報を引き出すことを生業にしていた立花であったが、ジルのような十代前半の幼い少女を手篭めにするほど落ちぶれてはいない。
女心に敏感な手前、ジルが自分に好意を抱いていたことなどお見通しであったが、彼女にそこまでの価値はないと早くから見切りをつけている。
「ハ~」
立花に相手にされないながらも、ジルは胸の高鳴りを抑えきれずため息をついてしまう。
全員が乗り切れない手前、この機内にはレジーナのお供としてフィリアとジル、ヒストリアが乗り込み、他のメンバーは「ゆきかぜ」に乗り込んで日本に向かうことになっている。 日本側としては岡田と立花、情報保全隊の福島と保安庁の牧村、通訳として守が乗り込み、この他にはクルスリー王妃とベアティ、ラーヴァと連合王国会議に参加していた10人の要人とそのお供が乗り込んでいる。
「まもなく出発しますので皆様方、機体の揺れにご注意ください」
機長の声を合図に機体はエンジン音と波しぶきを立てながらに海面を滑空し、しばらくしてからフワリと浮き上がる。 初めての感覚に機内から驚きの声が漏れつつも、窓から見える光景を前にしてはしゃぐ者の姿もあった。
「レジーナ、あそこ」
「みんな...」
守の指さした先には「グラント号」と横付けをした「ゆきかぜ」の姿があり、甲板上では自衛艦旗を振り回す者や帽子を取って帽振れをする乗員達の姿があり、彼らに混じってピョンピョン跳ねる雪風の姿もあった。
「あのアマ!!」
「ゆきかぜ」を見て感激していたレジーナと違い、フィリアの目は「グラント号」にいるターニャに釘付けとなっている。 彼女がこちらに見えるように部下に広げさせていた大きな布にフィリアに宛てたであろうメッセージが書かれていたのだ。
『彼は貰った』
舌を出してアッカンベーをするターニャの姿を前にしてフィリアは怒りが抑えきれずに歯を食いしばる。
様々な思惑と想いを乗せつつ、一同を乗せたUS-2はエリアゼロに向けて真っ直ぐ飛行する。 初めて行われる本格的な外交交渉......日本政府の狙いはどうであれ、只一つ分かることはこれは連合王国の未来を担う歴史的な出来事でもあることに違いない。




