第9話 似た者同士
連合王国会議期間中、湾内にはフランメ王国のお召し艦である「グラント号」と横付けをする「ゆきかぜ」の姿があった。
損傷した機関の修理を目的に「ゆきかぜ」からは幾つもの電源用のケーブルが展張され、それらは機関科に属する応急工作員や電気員の指示によって甲板上に這わされている。 そんな中、グラント号機械室ではまばゆい溶接光とともに配管を修理する広澤の姿があった。
「うし、ここはもういい他をあたってくれ」
「はい」
後輩に新たな指示を送るとともに彼は新しい亀裂箇所に溶接棒を当てる。
その光景を前にして先程まで黙って遮光ガラス越しに溶接を眺めていたターニャが口を挟む。
「ちょっとやらせてもらえないか?」
「ん、興味が湧いたか?」
「良いじゃないか、責任は持つからさあ」
「いいだろう、お手なみ拝見と行くか」
ターニャは広澤から渡されたホルダー(溶接棒を挟む取っ手)の握り手部分を持ち、慣れないながらも溶接を行うもすぐに先端部分がくっ付いて離れなくなってしまう。
通電状態が続いたため溶接棒は徐々に赤く染まっていき、彼女は慌てて力任せに引き離そうとするも溶接棒は離れる気配がない。
「あ、あ...」
「落ち着け、棒をホルダーから離すんだ」
広澤はターニャの右手を抑えるとともに軽く握りしめてホルダーから溶接棒を離させる。
「うう、難しい」
「こいつは中々慣れないもんさ」
「そ、そうか...」
そう答えつつも不意に手を握られていたことに気づき、ターニャは胸を高鳴らせて言葉を濁してしまう。 先日は国王であるラーヴァからの命令で、なし崩し的に彼のもとに差し出されたものの特に手を出すどころか、寧ろこうして素直に技術指導をしてくれる彼の姿は今まで見てきた男達とは一線を画するものがあった。
「どうした?」
「いや、なんでもないってば!!」
頬を染めていることを悟られたくないためか、ターニャは遮光ガラスのついた保護面体で顔を隠す。
そんな彼女を前にして広澤は変な奴だと思いつつもくっついてしまった溶接棒を叩き落とす。
「いっぺん加熱した溶接棒は皮膜が劣化しちまうから使わないほうがいいぞ」
皮膜を塗りつけた溶接棒を使用した溶接は一般的に皮膜アーク溶接と言われている。 これは電気溶接の一種で空気中では流れることのない電流を、無理矢理流れさせることによって眩い光(紫外線)と共に鉄をも溶かす熱を生み出すという現象を利用した溶接方法である。
「溶接っつうのをする中で一番の敵は空気中の酸素だ。 何故なら鉄を溶ける温度まで熱すると化学反応で空気中にある酸素を取り込んでしまって酸化って現象を生み出してしまうのさ」
「酸化? どういうことだ?」
「簡単に言うなら鉄が酸素と混ざり合ってしまって脆くなっちまうんだ。 この溶接棒には石灰石等を主成分とするフラックスと呼ばれる皮膜が塗ってあってな、溶接の熱によって不活性ガスに変異して空気中の酸素を遮断すると共に安定した電流を維持し、スラグ(溶接部の上にかさぶたのように被るカバーのようなもの)を生成して溶接部の酸化と急冷を防いでくれるのさ」
「確かに、こいつで繋げた部分って強度が高いもんな」
ターニャが先端の尖ったハンマーでスラグを叩くと光り輝く綺麗なビード(溶接部に見られる波目の模様のこと)が姿を現す。
「電気溶接には材料の素材や厚さに応じた適正電流と、適度なアーク長(大まかに言うならば材料と溶接棒先端部との距離...棒の太さに応じた距離、4ミリの棒なら4ミリといった具合)、適切な運棒角度と運棒速度の4つが基本だな」
「うう、アタシらとは段違いの技術力だ...」
発電機が実用化されていない手前、フランメ王国の溶接技術は精々ガス溶接止まりで鋳物の補修程度に使われている有様であった。 それ故にターニャの先進的なアイデアに冶金技術が追いついていないという悪循環に陥っており、今なお本国では工房の親方衆を中心に研究に没頭しているのだが満足な成果は見い出せていない。
「しかしまあ、このパイプはよく考えて作られてるな。 もしかして鉄板を曲げて高温に熱してくっつけたあとに火を消した炉内で放置したか灰に突っ込んだろ?」
「よく分かったな?」
「鍛造の基本理論だ。 原始的な方法だと熱した鉄を藁の中に突っ込んで燃やし、そこで生まれた灰を使う方法があるがな」
「アタシの国には毎日のように火山が噴火して灰が積もる地域があるからそこから運んでもらってるんだ」
「ほう、そりゃ珍しいな」
カンカンに熱した鉄は水に突っ込むと冷えると共に結晶の繋がりが強くなり固くなる(これを「焼入れ」と言う)。 しかし、それだけでは固いだけで折れやすいという脆い素材になるという欠点があるため、粘りを持たせることを目的に空気に触れない形でゆっくりと冷やす工程が必要になる。
それこそが広澤の言う「焼きなまし」と呼ばれる工程であった。
この二人、同じ世界にいるためかこの手の話題は話し始めたら尽きることはない。
「裕吾と話してると楽しいな」
「そういや、ターニャの国には錬金術師っているか?」
「何それ?」
「別の物質から金を作ろうとしている人のことを言うんだが?」
「そんなことするくらいなら掘ってた方が良いぞ」
「......え? 金取れるの?」
「アタシの国は鉱物資源が豊富で金も結構取れるんだ」
広澤は衝撃的な事実に気付いてしまった。 中世ヨーロッパでは早くから付近の金が枯渇し、国内の需要を日本をはじめとした海外からの輸入に頼っていた。 そんな中、金を作り出して大儲けを企んでいた人々が出現し、彼らの試行錯誤の研究による副産物によって新たな合金や精錬度の高い金属を発見し、冶金技術を向上させることになる。
しかし、フランメ王国では金が多量に産出されるため、錬金術師という職業は存在し得なかったのである。 それ故に優れた鍛造技術を持ちながらも、その他の分野が未発達であった影響で原動機や機械設備に関する技術の発展が阻害されていた節があった。
それは正に幕末の欧米と徳川幕府との関係に酷似している。
「アタシの国ならともかく、ビエント王国で流通している通貨の多くが銀貨だから交易に使いづらいんだよなあ」
実は、ビエント王国では金より産出量の少ない銀の方が価値が高い。 精霊信仰において使われる神具の多くが銀製であったことと硬貨にも使われていることから、すべての銀山は国の直轄運営とされているだけあって日本との価値観には隔たりがあった。
「金細工も活発なんだ~」
ターニャはそう言いながら首にかけていたネックレスを見せる。 純度の高い金を加工し、模様を打ち込んだそれは広澤の目から見ても高価な代物であることが明らかであった。
「ま、まさか、それはみんな持ってるって言うんじゃないだろうな?」
「え? ああ、金は錆びずにずっと輝きを保つから女はみんな10歳になると魔除けとして親から与えられるぞ」
「参ったなこりゃ...」
今では耳にしなくなった金本位主義。 かつて金が世界経済の主軸となってきた背景には古今東西、どの地域においても貴重なものとして取り扱われ、国際共通通貨として機能してきた背景があった。
江戸時代中期頃、採掘量の減少と輸出による海外流出によって日本国内の金の在庫が少なくなったことを受けて徳川幕府は小判に含まれる金の含有率を落とすことによって貨幣の流通を維持させようとした。 しかし、含有率の落ちた小判はそれに応じて価値を減少させてしまい、インフレを引き起こして庶民の生活を圧迫してしまう。
しかしながら、連合王国では金を通貨として扱っておらず、単なる女性向け装飾品として扱われているなら話は別である。
因みに日本における現在の金価格の相場は1gにつき4600円程に対し、銀は65円(2014年初頭)で70倍近い差がある。
「この国、日本の足を引っ張るばかりじゃないみたいだな」
「何を言ってるんだ?」
身を震わせながら口を開く広澤に対し、ターニャは理解できずに首をかしげてしまうのであった。
昼時になり、作業を中断させた二人は汗だくになりながらも甲板に上がる。 他の乗員達が昼食をとるために戻ろうとする中、「ゆきかぜ」甲板上から広澤に声をかける者がいた。
「裕吾~お昼作ったから一緒に食べよ~♡」
広澤の姿を見つけて元気そうに片手を振るフィリアの手元にはお弁当箱が握られていた。
「こいつは手作りか?」
「へへ~ん、自信作だぞ」
グラント号の甲板上に座り、広澤はフィリアからサンドイッチを受け取って口に運ぶ。
「うん、イケる」
ツナとマヨネーズが絡みあいつつ、マスタードが少し効いた好みの味に彼は感銘の言葉を漏らす。 剣の鍛錬だけでなくフィリアには料理の心得があり、今回はエリスティナを通じる形で調理室を間借りしてサンドイッチを作ってきたのだ。 褒められたことに嬉しさを見せつつ、フィリアはカップに注いだ麦茶を手渡す。
「フィリアはいい嫁になるな」
「も~褒めたって何も出ないんだからな~」
「じー」
広澤がフィリアと仲睦まじくする一方ではターニャが面白くなさそうな顔をして卵サンドを頬張る。 この三日で分かったことの一つに、広澤には恋人がおり自分には一切の好意を感じてくれないことであった。
あの時、父親の勝手な計らいと国王の命を受けて嫌々ながらも真新しいドレスに袖を通し、火傷やマメのあとを隠すかのように王国特産の装飾品をあしらい、精一杯のおめかしをして嫁入りをさせられた筈が、広澤は自分に可愛いと言ってくれることもなく変わらぬ対応をしてきた。
その上、目の前で他の女とイチャイチャされればこちらだって腹立だしくなってくる。 いや、よくよく考えるのなら広澤が悪いわけではなく強引に嫁入りをさせた国王と勝手に自分を売り込んだ父親に責任があるに違いないかもしれないが。
「どうした?」
「なんでもない!!」
広澤のことは正直言って師匠の類しか思ってない。 そう自分に言い聞かせたつもりであったが、それに納得できない自分がいるのも事実だ。
うやむやな気持ちをごまかそうとサンドイッチを口に突っ込むも、息苦しさを感じて咳き込んでしまう。
「こらこら、一気に食べたら喉が詰まるぞ」
ターニャはフィリアから渡された麦茶を受け取ると一気に飲み干して深呼吸をする。
「なあ、あんたはアタシのことどう思ってるんだ?」
「どうって?」
「愛する男が他の女と仕事をしてるんだ、焦りとかないのか?」
「だからって断る訳にはいかないだろ? そのおかげでフランメ王国が味方してくれたんだしな」
大人としての意見を言う彼女を前にしてターニャは何も言えなくなってしまう。 元々フィリアはレジーナの命令で広澤に近づいたという過去があった。 あの頃はどうしようもなく、投げやりな感情を持っていたものの、彼の優しさに触れたことによって生きる目的を見い出せたこともあり、ターニャの立場にはヤキモチというよりも哀れみを感じてくれているようだった。
「お前も昔の私と一緒だ、気にすることはないさ」
「アンタ、いい人だな」
フィリアの言葉に感銘し、心を許し始めたターニャであったが突然腹痛に襲われ、顔を真っ青にしてしまう。
「う、は、腹が......」
「おやおや、どうした?」
「べ、便所!!」
お腹を抑えつつ、ターニャは広澤がいる前ではしたない声を上げてトイレへと走っていく。
「どうしたんだあいつ?」
「卵が苦手だったかもしれないな」
心配する広澤をよそにフィリアはほくそ笑む。 心なしか彼女のお尻には悪魔のような尻尾が生えている。
実は大人の対応をしておきながら、フィリアは内心ではターニャに嫉妬していた。 それ故にお昼のこの時間を独占したいがためにターニャに渡した麦茶にセラピア印の下剤を仕込んでいたのである。
「それはそうと、口元に付いてるぞ?」
「ん、ああ、すまん」
「子供みたいなことして~」
広澤の口元に付いたマヨネーズをフィリアは指で優しく拭う。 仲睦まじいその姿はまさに新婚夫婦そのものであり、あまりの熱い空気に周囲の人々が近づけない有様であった。
会議の合間であったが、フィリアは広澤との幸せな時間を独占することになる。
「あの女...仕込みやがったな」
トイレで唸りつつ、ターニャは罠にはめられたことに気付く。 勝手に決められたとはいえ、広澤に好意がなかったとは言えない。 彼女はフィリアが自分を受け入れてくれたと勘違いしていたことに悔しさと怒りを燃焼させていく。
「おい、大丈夫か?」
「あ、父ちゃん」
フラフラとした足取りでトイレから出たターニャを父親であるダバンが声をかけてきた。 自身が勝手に話を進めたとはいえ、彼は娘の動向が気になってたため物陰から先程までのやり取りを全て見ていた。 フィリアが下剤を仕込んでいたことには気づいていなかったが......
「くそ、何てガードが硬いんだ......」
「やっぱり諦めるか?」
ダバン自身、広澤にフィリアという恋人がいることを知らずに話を進めていたことに今更ながら負い目があった。 ラーヴァはそのような事情を気にもせずに自国の新兵器開発のための礎となるのなら、これほど名誉なことはないと言っていたが、娘のことを想うならこれ以上このような茶番に巻き込むべきでないと彼は考え始めていた。
しかし、ターニャは歯を食いしばって勢いよく壁を叩くと同時に口を開く。
「絶対奪い取ってやるからな......」
「...心配する必要はないか」
父親の心配をよそにターニャはフィリアに対する敵対心を漲らせ、彼女から広澤を奪うことを決意するのであった。




