第5話 天才少女
前回の話が好評だったのでその続きを投稿します
罐=「かま」と呼びましてボイラー本体(燃焼室含む)のことを指します。
フランメ王国の新型船は「いずも」に同行していた「ゆきかぜ」によって曳航され、日付の変わった現在はビエント王国首都バラディ沖合において錨を下ろしている。
「こるらあ!! 何やってるんだ!?」
「父ちゃん!?」
船長の怒鳴り声とともに振り出された拳骨を受けて少女は身を悶えて甲板上を転がってしまう。
「いった~い!?」
「大事な会談中だというのに何やってやがる!!」
「だって気になるじゃんかよ、あんな大きな船がどうやって動いてるのか」
少女は船長に黙って「いずも」に向かおうとしてたのだ。
さっきまで彼女の周囲には同行しようとしていた仲間の姿もあったが、彼らは船長の形相を前にして恐怖心からか少女を置いてけぼりにして一目散に散らばってしまう。
「だからって無断で行こうとするな!!」
「アタシ達が持ってきた道具じゃ修理できないんだよ!!」
彼女の言うとおり、機械室の被害は甚大で船体のひずみや高圧蒸気による影響で蒸気菅には複数の亀裂が走っているだけでは無かった。 あの時、応急処置のために罐の火を消さずに蒸気バルブを閉めた途端に本体に取り付けていた安全弁が吹き出してしまい、彼女達は命からがら避難する羽目になった。
しかも、その影響で無事だった他の罐の燃焼調整ができなくなり、蒸気圧力が上昇し続けた挙句に連鎖的に安全弁が吹き出してしまうという悪循環に陥る。
蒸気が抜けきったあとの機械室の惨状を前にして少女は狼狽し、自力で何とかしようと知恵を振り絞った挙句、仲間と一緒に今回の暴挙に踏み切ろうとしたのである。
「あの惨状は俺であっても防ぎようがなかった、お前のせいじゃねえ」
「......」
涙を滲ませてじっと下を向く娘を前にして船長は罪悪感を抱いてしまう。
慣熟訓練もせずに急いで出港した手前、修理用機材も満足に置いておらず手持ちの資材では応急処置もままならない有様に少女は苛立ちが隠せなかった。
一応、機関が故障した時に備えてこの船にはマストも備えており、他の船と同じく帆走も可能なのだが生憎と肝心の帆は以前、試験航海をした際に排煙による熱と石炭による火の粉によって燃えてしまったために、母港で降ろしてしまっている。
正直言って今回の事態は自分に責任があると船長は痛感していた。
「安心しろ、陛下が修理に必要な人材を呼んできてくれるそうだ」
「え? それ本当なのか?」
「ああ、昨日のうちにレジーナ王女に頼んだところ、王女の友人がこっちに来てくれるってことだ」
「友人ってまさかあの船の連中のことなのか?」
「そうらしい。 何でも異なる世界から来たらしいが腕は確からしい」
既に船長はラーヴァを通じて海上自衛隊の協力を申し出ていた。
フランメ王国の職人にとって他国の人間に技術支援を要請することは最も屈辱的な行為とされているものの、彼には愛する娘のためにいくらでも泥をかぶる覚悟があった。
「今回の修理には俺は一切口を挟まねえ。 お前が主体で修理をしろ」
「父ちゃん......」
その言葉とともに少女は父親に抱きつき泣き声を上げてしまう。 久しぶりに見た娘の泣き顔を前にして船長は無言で彼女の頭を撫でるのであった。
数時間後、レジーナの要請を受けて「ゆきかぜ」から出発した一隻の作業艇が新型船に横付けし、中から作業服姿の隊員達が乗船してきた。
「「ゆきかぜ」機関長の武田です。 レジーナ王女の依頼を受けて機関部の調査に参りました」
「「グラント号」船長のダバン・クロードだ、隣にいるこいつはこの船の機関長の...」
「ターニャ・クロードだ!!」
同行してきたエリスティナの通訳を介し、お互い簡単な自己紹介をするも武田の顔は十代中頃であろう小柄な少女が機関長をやっていることに驚きを隠せなかった。
「もしや親子ですか?」
「ええ、ションベンくせえガキですが宜しく頼んます」
「父ちゃん、余計なこと言うなよ!!」
「うるせえ、黙ってろ!!」
ギャーギャーと言い合う親子を前にして武田は呆気にとられてしまう。 一応、報告を受けた限りではこの船はこの本格的な蒸気機関を搭載した新型船という話を聞いていたものの、その管理をしているのは自分の娘よりも若い子供であったことが受け入れられなかったのだ。
古来から機関科員というものは能力云々以上に五感を駆使した長年の経験に大きく左右される世界である。 しかしながら武田自身、入隊時から長年ガスタービンを専門としてきた手前、今や海上自衛隊においては失われた技術に等しい蒸気機関に関してはシロートであった。
「機関長、取りあえず機械室を見せてもらえませんかね?」
「あ、ああ、そうだな」
立ち尽くしていた機関長に広澤が声をかける。 なぜ彼がここにいるのかと言うと、武田自身が専門外の分野であった手前、かつて蒸気タービン艦に乗艦したことのある者を中心に声をかけたところ、広澤の名前が上がったからである。
かつて、彼は横須賀を母港とするに最後の蒸気タービン艦「しらね」に乗り込んでいた経験があり、蒸気員達から一通りの教育を受けてきたことがあったのだ。
我に返った武田は親子ゲンカを仲裁するとともに、ターニャの案内で機械室の調査に向かうことにする。
「これは何だ......」
機械室を見て広澤は言葉を失ってしまう。 蒸気機関のことを多少知っている手前、彼はこの世界の技術レベルならば煙管ボイラーによるレシプロ機関(わかりやすく言うならSLと同じ)を想像していたのだが、目の前にあるものは高圧蒸気を生み出せる水管ボイラーであった。
純度の高い水を使用できるようにするために復水器が装備されている上、極め付きは駆動方式が蒸気タービンであったことには同行してきた機関科員達も驚きを隠せていない。
「何だ、初めて見るのか?」
「信じられん!!」
興奮のあまり、広澤はターニャの肩を掴むと同時に口を開く。
「こいつは俺達がつい最近まで使っていた機関とほとんど一緒だぞ!?」
「え、そうなのか?」
「ああ、こいつを作ったやつはとんでもない天才だ!! 一体誰が作ったんだ!!」
突然褒められて機嫌をよくしたのかターニャは鼻をすすりながら口を開く。
「あたしだよ」
「...え!?」
「いやあ、こんなに褒めてくれるなんて思わなかったなあ...」
「いずも」を有する異世界の国の機関科員に褒められたことに嬉しさを感じ、頬を染めて照れつつもターニャは腕を後ろに組んで罐のそばに近づく。
「元々この罐自体は父ちゃんが設計したんだ。 陛下の命令でそれを船に積んだのはいいんだけど今までの罐と違って水の管理が難しくてすぐに壊れちゃうもんだから色々考えるようになったのがキッカケなんだ~」
「まさかこのスクリュー推進やタービン機関、減速機やスラスト軸受も君の発明なのか!?」
「その言葉の意味はよく分かんないけど、罐以外はあたしの発明だよ」
その言葉を前にして広澤は信じられないという顔つきで硬直してしまう。
幾多のエンジニア達が数世代を経て確立させた蒸気タービン理論をこの常識離れした10代の少女が僅か数年で達成させたことが信じられなかったのだ。 しかしながら、自衛官である以前に一介のエンジニアであることを誇りとしていた手前、彼はターニャの発明に重大な欠陥があることに気付いていた。
「......確かにアイデアは素晴らしいけど罐焚きとして大事なところが抜けてるな」
「え!?」
「さっき今回の原因は冶金技術だけでなく安全弁の作動状態が悪かったって言ったよな? 一定圧力以上で金属板が破れることにしたみたいだけど、腐食によって強度が低下して規定圧力以下で破れちまってる。 こういうのは腐食に左右されにくいバネ式を採用すべきだよ」
「なるほど、だから圧力が高くもないのに罐が吹いちまったんだ......」
昔、自動制御装置のなかった頃は燃焼調整の失敗による弊害で蒸気が罐の強度以上の圧力になって本体が爆発するという事故は珍しくなかった。 それ故にボイラー運転中は2人以上の技師をつけて内1人を取扱主任者として一切の工具を持たせずに他の者を取扱者として作業を指示させる体制をとるようになり、それが現在のボイラー技師制度の下地となる。
経験不問で講習と試験さえ受ければ2級ボイラー技士にはなれるものの、取扱主任者となる1級ボイラー技士には試験の他に2年以上の現場経験が求められる。
現在は自動制御装置と小型ボイラーの登場によって1人で運転監視にあたり、一定条件以下では2級でも取扱主任者になれるものの、日本国内にある一定規模以上の大型ボイラーは法律により年一回、ボイラー協会によって選任された(1級ボイラー技師以上の資格を有する者)検査官の検査を受けねばならない。
同様に帝国においてボイラーの爆発事故は珍しいことではなく、フランメ王国においても試作型のボイラーが爆発して死者が出たことからターニャの父は薄い金属板を利用した安全弁を開発し、事故の未然防止に繋げていた。
この功績が高く評価され、彼はプロジェクトリーダーを務めるきっかけになったのだが、これは罐に入った水を加熱して蒸気を取り出す丸ボイラーなどとは違い、枝分かれになった配管の中に通した水を加熱することで蒸気を生み出す水管ボイラーには不向きであった。
「これまでのことを纏めるのなら、やっぱり水が悪いな。 水管ボイラーは丸ボイラーよりも厳密な水管理が要求されている手前、一生懸命管理してるのはわかるけど薬品とか使用してないだろ?」
「う、うん。 薬品とか入れて効果があるもんなのか?」
「ああ、不純物を沈下させてブロー(配管内にあるボイラー水を放出すること)する方法もあるし、薬品の成分で皮膜を生み出して配管を防蝕する方法もあるしな。 うまくいけば30年近く持たせることもできるんだが、この腐食の進行具合じゃ数年位維持できればいい方だ」
「そんな...」
「要は罐焚きに必要なのは1にも2にも水管理っつうこと。 いくら小手先の技術が優れていてもまともな水管理ができてなきゃ壊れるぞってことだよ」
「......」
痛いところを疲れ、ターニャは言葉が出なくなってしまう。
経験則から海水をボイラー水として使用できないことを知っている手前、彼女は蒸気を水に戻すという理論を確立したことにより実用的な蒸気船を生み出せたことに天狗になっていた。
しかし、いざ走らせてみると予想だにしないトラブルに苛まれ、その原因の大元が水管理の不備であったことに恥ずかしさを覚えてしまう。
そんなターニャの気持ちとは裏腹に、広澤は罐を前にして座り込むとともに口を開く。
「しかしまあ、安全装置がしっかりしているおかげで罐が爆発せずに済んだわけだからな。 吹き出した蒸気の行き着く先が燃焼室だったのが興味深い...蒸気で消火して空焚きを防止できるようにするなんてよく考えたな」
「......あたしの母ちゃん、罐の爆発事故で死んじゃったんだ」
「え...」
「10年前、母ちゃんは父ちゃんと一緒にこの罐の試作型を作り上げたんだけど、運転試験中に燃焼調整がうまくいかなくなって爆発して...」
「そうか、親父さんの手の火傷痕ってその時のものか」
「やっぱり気づいてたんだ...それ以降、父ちゃんは安全弁や精度の高い圧力計の開発に尽力してね、アタシもその背中を見ていくうちにいつしか父ちゃんと母ちゃんが二人で誓った夢を叶えたくなったんだ」
「夢?」
「一切の風に左右されない蒸気船で世界一周することだよ!!」
広澤と楽しそうに語り合う娘の姿を遠巻きに見守っていたダバン。 ターニャは母親が亡くなって以降、彼女の跡を継ごうとして強引に職場についていくなどして自力で数々の理論を生み出してきたものの、最近は己の技術に対して慢心する傾向も見られるようになっていた。
自分の警告も素直に受け入れずに勝手な行動を引き起こす彼女はいつか母親と同じように事故で亡くなるのではないか...そんな不安を一途に感じていたものの、広澤のアドバイスを素直に受け入れている姿を見ていると自然に心が休まってしまう。
「同じ畑ゆえに繋がるところがあるんですね」
「え?」
エリスティナの通訳を介し、武田がそっと声をかけてきた。
「私も同じような年頃の娘がいるんですが、どうも最近は生意気でいうことを聞かんのですわ」
「儂もです、誰に似たのやら...」
「こうも考えられませんか? 若い頃の自分の生き写しだと」
武田の言葉を受けてダバンはふと、広澤とターニャの姿を若い頃の自分と妻の姿とで重ね合わせてしまう。
夢の機関を搭載した船を作ることに夢中になっていた日々。 愛する人と何度となく論議し、試行錯誤を繰り返した毎日は彼にとって最も充実した日々であり、今の自分を支えている原動力となっている。 ダバンは意を決して武田に振り返るとともにある決意を伝えることにする。
「あ奴は独身ですか?」
「え、まあ、一応独身ですが...」
「武田殿、あなたにお願いしたいことがあります」
「あの、彼はその......」
通訳を介している手前、タイムラグが生じている。 武田がフィリアの件を口にする前にダバンは頭を深々く下げるとともに口を開く。
「あ奴を婿に下され!!」
言葉が通じていなかったものの強面のダバンを前にして武田は断ることができず、首を縦に振ってしまうのであった。




