第20話 熊さんに出会った
暗闇が街を包み、人の気配がなくなったレスリーの港に一隻の作業艇が近づく。
この世界には存在しないディーゼルエンジン音を響かせたそれは手紙で記された通りの桟橋に横付けする。
「レジーナ、こんな時に言うのもなんだけど......」
ユルゲン達を待っている間、作業艇に乗っていた守は隣にいるレジーナに話しかける。
「助けてくれてありがとう」
「...何を言ってるの? 私は下僕が勝手な行動をとっているのを注意しただけよ」
守にお礼を言われる筋合いはなかったのだが、彼の素直な物言いは少々もどかしさを感じさせてしまう。
「でも君のおかげで俺は苦しみから解放されたよ」
「今は通訳に努めなさい、そろそろ来るはずよ」
彼女としては祖国のために当然のことをしたまでであり、守のために動いたわけではない。 しかしながら、通訳として働いてもらっている手前、彼女なりに守のことを気にしていた節もある。
ここで問題なのは自身の中に浮かび上がってきたその迷いに対し、レジーナが素直になれないという点であろう。
「本当に来るんだろな?」
「彼は約束を破る男ではない」
守達の会話をよそに、疑心暗鬼から懐疑的な物言いをする安藤に対しフィリアはそう答える。
ホンタン王国のクルスリー王妃とは自身の息子であり、戦死した先代に代わりまだ13歳のホンタン王国国王を支えつつも身分を問わずに優秀な者を取り立てることから国民の信頼は厚く、賢母として知られている。
流動的な物事に対しても冷静な判断力を有することから政治の裏舞台で暗躍していたため、開戦派や革命主義者を中心として彼女の命を狙う者が多く、表立った公務には出てこないことで知られている。
フィリアでさえ会ったことのない相手であっただけに内心は只ならぬ緊張感で張り詰めていた。
『隊長、王妃と見られる一行がこちらに来ます』
物陰に隠れ、暗視ゴーグルで付近を警戒していた安藤の部下の言葉を合図にレジーナと立花は作業艇の中から桟橋に移動する。
しばらくして、ユルゲンに案内される形で港の奥からフードを深く被った2人の人影が姿を現し、レジーナ達の前まで近づくと一斉にフードを脱いで顔を見せる。
「お初にお目にかかります、ビエント王国王女、レジーナ・フォン・ムーニスです。 隣にいるのは日本国外交交渉団の一員である立花健一殿です」
「立花です、本日はこちらの招きにお越しいただきありがとうございます」
片手を胸に当て、片膝をついてしゃがみ込む一同に対し、熊耳を持つ身長180センチほどの女性は口を開く。
「ホンタン王国王妃クルスリー・デ・ベルトです。 本来ならこのような形でお会いしたくありませんが、ご存知のように最近この国では帝国の間諜だけでなく革命主義者の動きが活発となっております。 まだ息子も幼いため私が亡くなればこの国は我が物と考えている不届き者が後を絶ちません」
王妃は女性に似合わぬ巨漢であり、フードを被れば男にも見える気がする相手であるものの、目鼻顔立ちは人間そのものであり、それは立花でさえ見とれてしまうほどの美貌であった。
彼女の隣には護衛として2メートル近い身長であり、熊耳を持ち大きな傷の残る片方の目には眼帯を当て、巨大なクレイモアを背中に背負う熊顔をした男の姿もあった。
「隣にいるのはレスリー出稼ぎ労働者組合会長のベアティです。 私の従兄弟で無骨な男ですが戦争中は海軍突撃師団の一員として活躍した元軍人であり、襲われた村には彼の家族もいたので同行を求めました」
紹介を受けたベアティは無言で頭を下げる。
歴戦の戦士故に只ならぬ気配を醸し出していることから安藤は一瞬、警戒心を抱いてしまう。
「これから「ゆきかぜ」へとご案内します」
警戒心を抱く安藤を尻目に立花は王妃一行を作業艇への移乗を勧める。
一行を乗せたあと、艇長の判断で作業艇はけたたましいエンジン音を上げながら港外へと突き走る。
「何て早さなの!?」
漕ぎ手を必要とせずに10ノット近い速力を出す作業艇の性能に王妃一行は舌を巻いてしまう。
練習艦隊に所属することを前提とした「ゆきかぜ」には実習員の移動の都合から「はたかぜ」型と違い、内火艇より大型の11メートル作業艇を搭載している。
速力7ノット25名の人員しか載せられない内火艇と違って作業艇には45人もの人員を搭載でき、高い馬力を持つことから護衛艦以外の艦艇では器材運搬や魚雷揚収といった特殊な作業にも重宝されている。
王妃一行は作業艇の性能に驚きつつも程なくして目の前に現れた「ゆきかぜ」を目にした瞬間、言葉を失ってしまう。
「このような大きな艦を目にするとは」
この世界における軍船の多くが全長100mを超えることはない。 帝国の所有している最大級の戦列艦であっても全長120mほどしかないため、全長150m以上の「ゆきかぜ」は未知の存在であった。
「ようこそ「ゆきかぜ」へ、私は艦長の森村です」
「副長の綾里です」
王妃を出迎えるべく整列した乗員の服装は白一色の清楚なものであり、下っ端であっても微動だにしない整列ぶりは高度に訓練された軍人であることが伺える。
「練度は高いみたいね」
国王を影から支えている立場柄、軍事にも精通している王妃の目から見ても「ゆきかぜ」乗員の立ち振る舞いや艦内の清潔さには感銘の言葉を漏らす。
産業革命を迎えた帝国海軍であっても下っ端の水兵となると服装の乱れや振る舞いの粗暴さが目立つ。 その理由としては、徴兵制で無理やり徴用された挙句に徴兵官のさじ加減で人気のない水兵に回されたことに起因する。
人気の無い背景としては長い航海において真水の節約を徹底させられ、不衛生な環境に置かれた挙句にウジの混じった硬い乾パンや虫食いの野菜、塩漬けのしょっぱい肉を食べさせられるからだ。
不衛生な環境と栄養不足な食事によって水兵の士気は低く、士官はアルコールを振舞って彼らの士気を維持しなければならない有様だ。
これが皇帝直属クラスになると話が違ってくるのだが、少なくとも王妃の知る帝国艦隊の多くがこのような有様であった。
「私が日本国外交使節団代表の緒方です。 本日はご足労いただきありがとうございます」
公室で出迎えた緒方の隣にはミーナと双子の姉妹の姿があり、彼女達は初めて会う王妃を前にして緊張感で身を強ばらせていた。
しかし、ベアティの姿を見た途端に3人の表情は一気にほころんでしまう。
「「お父ちゃん!!」」
双子の姉妹に抱きつかれ、さすがの彼も顔をほころばせてしまう。
「村が帝国軍に襲われた時、この艦の人達が助けてくれたんだよお」
「この人達がいなかったらアタシ達犯された挙句殺されてたかもしんない」
娘達が涙ながらに話す悲劇を聞き、ベアティの顔は帝国に対する怒りをにじませ始める。
しかし、王妃はそんな彼をなだめながら緒方の勧めに従って席に着くよう指示する。
「ベアティの家族の証言なら間違いないでしょう。 帝国軍の悪行を防いでいただき感謝します」
「私達は彼らの行為を海賊行為として認知したまでです」
「この艦にしろ、乗員の姿にしろ貴国は素晴らしき技術と人材に溢れていることが分かりました。 是非とも我ら連合王国と国交を結んでもらいたいですね」
「その件ですが、こちらの提案を受け入れてからでよろしいでしょうか?」
守の通訳を介し、緒方はこれまでの経緯と日本政府の目的について話し始める。
「拉致被害者ですか...恐らく帝国に港を解放しているビエント王国なら関わってるに違いありません」
「心当たりがおありなので?」
「ええ、先日から沖合を通る帝国軍の竜騎士隊の母船が目撃されております。 恐らく彼らの手によって攫われたのでしょう」
「その船はどこに?」
「ビエント王国に潜ませた間諜の情報によるとそれはビエント王国に入港したそうです」
駐留大使が追い出されて以降、王妃は独自のルートでビエント王国内に間諜を潜り込ませており、幾つか興味深い情報を緒方に提供してくれた。
ビエント王国内には現在、数多くの帝国軍の軍船が停泊しており上陸戦を想定した大部隊が駐留している。 しかし、外交特権を盾に好き勝手し放題の兵士達によって国民からの評判は最悪で国王に対する不満をあらわにしている者も多い。
彼等は積極的に他国の間諜に対し帝国軍の情報を渡すようになり、最近手に入れた情報によると海の先にある新天地に攻め込む用意をしているとのことだ。
「その新天地とはまさか......」
「恐らく貴男方の国である日本のことでしょう」
正直言ってそれは緒方の予想しうる中では最悪の展開であった。
拉致被害者の一件や先日の帝国軍の行動から薄々と感じていることであったが、既に艦隊を編成して侵攻作戦を企てていることには焦りを禁じえない。
「確認されている艦隊は2つ、いずれも連合王国敗戦の決定打となった去年のレバント海戦に参加しなかった艦隊です」
「私どもが先日出会ったピラット艦隊の他にですか?」
「ええ、その名はトラロック艦隊。 本来なら連合王国本土上陸戦を想定して設立された「海鷲団」と呼ばれる揚陸部隊を有しております」
「規模は?」
「3層の砲列甲板を設けて100門近い大砲を有する戦列艦12、2層の砲列甲板と70門の大砲を持つ準戦列艦28、20門の大砲を持つ揚陸支援船10、400人もの上陸部隊を運搬できる輸送船30、こちらの調査では1万人以上の上陸兵員を確認しております」
「たった1ヶ月程でこれだけの戦力を揃えているとは」
予想を超える帝国軍の展開の速さ。 この時代の文明規模にそぐわない動きに緒方は疑問を抱いてしまう。
「もしや貴男方はこれをご存知ないのですか?」
そう言って王妃が取り出したのはソフトボールほどの大きさの水晶玉であった。
「それは?」
「やはり存じてませんか。「アゲリアクリスタル」と申しまして材質はガラスですが、魔法を封じることによって遠く離れた場所に文字を送ることが可能となっております」
簡単に説明するならFAXと同じ物と考えて良い。 相手に伝えたい内容を文章にしたため、この水晶を書類の上に置いて詠唱を呟くことにより遠く離れた水晶にその文章を映し出すことができるのだ。
動画を送ることができないが、貴重な伝達手段として帝国と連合王国双方で重宝されている代物だという。
「日本にはこれよりも遥かに優れた通信手段があるのでは?」
身を震わせる緒方を尻目にフィリアはそっと口を開く。
彼女達にとって日頃から慣れ親しんでいるこの通信手段よりも日本で目にした声や動画を送れる携帯端末の方が驚きであったからだ。
(これが魔法の力だというのか)
同じ技術レベルであった頃の地球における通信手段は主に伝令や狼煙、伝書鳩や腕木通信、旗流信号などが中心であったが、それらは総じて伝達時間が遅いことから突発的な事態に関しては対応しづらい。 しかし、この世界では魔法の力でどんな場所でもリアルタイムで離れた場所に情報を送れるため、短期間で大軍を展開できるようになっている。
「これは急がなければなりませんね」
「国民を救った恩人として私の権限で出来るだけ貴男方に協力しましょう」
「ありがとうございます」
王妃が予想以上に協力的であったために大きな混乱もなく、会談はお互いが納得のいく形で収束することになる。
「ご協力感謝します」
「私も良き友人に出会えたと感じております」
緒方と王妃は固い握手を交わし、お互いの方針を確かめ合う。
(うまくいったわね......)
予想以上の結果に満足し、レジーナは二人の姿を眺めつつほくそ笑んでしまう。
その隣では普段は見せない彼女の不気味な反応に寒気を感じる守の姿があった。
(レジーナは一体何を考えてるんだ......)
穏やかな会談の中で守だけはレジーナの企みに薄々と気づくことになる。
その日は夜も遅かったことから王妃一行は尾形の勧めもあって「ゆきかぜ」に宿泊することにする。
「紹介するわ、私達のお父ちゃんよ」
「かつては「血染めの豪腕」と呼ばれた戦士だったから「精霊の使者」である健と気が合うと思うの」
格納庫内において三上の目の前には双子姉妹の紹介を受ける形で佇むベアティの姿があった。
お父さんとして紹介を受けつつも三上を見る彼の目は明らかに血走っていた。
「フィリアさん、何で猫娘のお父さんが熊男なんですか?」
「彼女の母親が猫族だからな。 私も噂に聞いた程度だが二人の両親は戦場で知り合ったらしい」
「えええ!?」
「驚くことはないぞ? 獣人族は男女区別なく前線に行くからな。 言っておくがベアティ殿と今は亡きパートナーであるコーシカ殿はかつて「血染めの夫婦」として帝国軍から恐れられたらしいからな」
その言葉を聞いた瞬間、三上の背筋は一瞬で凍りついてしまう。
目の前にいるベアティは怒りに身を震わせつつも娘がいる手前、なんとか押さえ込んでいるのが明らかであり、時折グルルと唸り声を上げている。
三上はベアティが背中に背負う2メートル近い長さのクレイモアがいつ自分に向けられるのか怖くて仕方がない。
「た、隊長、どうしよう......」
彼はガタガタと身を震わせながらフィリアの隣に立つ広澤に助けを求める。
突然のお義父さんの来訪に驚き、一人では心細いと同行を頼んだ相手であったが、広澤は肩をすくめて口を開く。
「大丈夫だ、あれを出せ」
「あ、あれですか?」
「ああ、あれを渡せば大丈夫だから」
広澤の勧めに従い、三上は差し出された紙袋の中からあるものを取り出す。
「娘さん達とお付き合いさせて頂いております三上健です、つまらないものですが皆さんでどうぞ!!」
自衛隊名物の「擊マン」をベアティの前に差し出す。 その行為に初めのうちは訳が分からずじっと眺めていたベアティであったが、フィリアの通訳でそれが日本人なりの挨拶であることを理解する。
獣人族は全体的に甘党であることから中身が甘いお饅頭と聞いた途端、ベアティとその娘達は表情をほころばせてしまう。
三上は箱の包みを開け、中身を見せた途端に甘い香りが漂い始め、親子の食欲を誘う。
「美味しそうなお菓子......」
「お父ちゃんも一緒に食べようよ」
勧められるがままに一同がそれを口に入れた瞬間、ベアティの表情が一気に険しくなる。
「あ、当たり引いたみたい」
「隊長!?」
広澤の言うとおり、この甘い饅頭の中には数個の激辛唐辛子入りの「当たり」が混じっている。
唐辛子の辛さに唸り、ベアティは涙ながらに鼻を抑えてしまう。
「グルルルル......」
怒りが一気に湧き上がったベアティは愛用のクレイモアを握り締め、三上に対する殺意をみなぎらせる。
「血染めの豪腕」を前にして最早これまでと感じた彼は命を惜しみ、ある行動をとる。
「娘さん達を僕にください!!」
それは日本人らしき見事な土下座であった。 相手が異世界の住人なのでその意味を知っているのか不明だが、三上はベアティが一切の言い訳が通じる相手でないことを悟った故の苦肉の策としてこれに賭けたのである。
彼の覚悟を感じ取ったのか抜き出されたクレイモアは彼の頭上でピタッと止まり、先端部分を甲板上に置いてしまう。
「お父ちゃんが認めてくれた」
「良かったね!!」
双子姉妹は三上に駆け寄り、喜びの声をかける。 しかし、広澤の目には彼が腰を抜かして動けなくなったことが明らかであった。
ベアティは彼に背を向けると黙って立ち去ろうとする。
「た、助かった~」
三上は助かったことを実感し、安堵のため息を漏らす。
しかし、ベアティは別れ際、フィリアに向かってゴソゴソと何かを伝えたあと自身の部屋へと向かう。
「三上、誠に申しにくいんだが」
「な、何ですか?」
「ベアティ殿は君をまだ認めてはいないそうで「今回は娘に免じて許してやるが次回は無いと思え」とおっしゃってるぞ」
「えええええ!?」
双子姉妹の間に立ちふさがる巨大な壁の存在を実感し、三上はそのまま項垂れてしまう。
ベアティはこのままビエント王国まで同行することが決まっている手前、今までのようなニャンニャン、モフモフ、プニプニが出来無くなるかもしれない。
絶望に打ちひしがれる三上であったが、格納庫にあるヘリの影ではそんな彼を眺める蒼井の姿があった。
「あいつも成長したな」
親しくなったミーナとともに上司としてことの行き末を見守っていた彼にとって三上の決意は喜ばしいことであり、心底応援したいことでもあった。
「ねえねえ、アイス食べようよ~」
「ああ、そうだったな、じゃあちょっと買いに行くか」
ミーナに急かされ、部下の成長を喜びつつも蒼井はアイスを買うために食堂へと足を運ぶ。
彼女はレジーナの正体を知った際、当初は自身の非礼を恐れてビクビクしていたのだが、レジーナ自身が許しの言葉をくれたのもあって落ち着きを取り戻し、今は蒼井と一緒に過ごすことが多くなっている。 搭乗員や飛行科の面々からもマスコットのように可愛がられており、日中は搭乗員待機室で過ごすようになっている。
ミーナに手を引かれて食堂に向かう蒼井の姿は傍から見ると親子のようにも感じられる光景であった。
次話についてですが、番外編を掲載します。
レジーナ達が普段どういった感じで艦内を過ごしているのか特集するつもりです。




