第17話 選択
海賊被害から早三日。 復興の目星がついたと見た森村は緒方と牧村との相談を経て、ひとまず容疑者を引き渡す必要性からホンタン王国有数の貿易都市であるレスリーに向かうことにする。
「左、帽振れ」
真っ白な制服に身を包み、甲板上に並ぶ乗員達は海岸線に並ぶ住民達に向かって制帽を振る。
彼らに答えるかのように手を振る住民達の中には人間でありながらも見ず知らずの自分達の命を救ってくれた「ゆきかぜ」の乗員達に対し感謝の言葉を叫び、中には寂しさのあまり涙する者もいた。
帝国軍の悪行を成敗しただけでなく、乗員達は被害にあった家屋の修復や怪我人の介抱、食糧の支援をした上に亡くなった人々の埋葬を手伝ってくれた。
たった3日間の支援であったが、見返りを求めぬ彼らの行為に住民達の心は感謝の気持ちで一杯であった。
「寂しくなるなあ」
「はい」
漁村が視界から見えなくなった途端に森村は綾里に言葉を漏らす。 支援の甲斐もあって住民達と乗員の関係は極めて良好であり、今日の出発を伝えた際には誰もが離れて欲しくないと引き止めてくれた。
昨日の夜には住民達の手によってささやかな送別会が催され、招待された森村の手に村の子供達から感謝の花束が贈呈されたりもしている。
「お客様はどうかね」
「家族に会えることを楽しみにしています」
森村はレスリーまで同行することになった住民達に話題を切り替える。 彼はレスリーまでの航海において、3名の住民達の同行を許可していた。
フィリアの情報によるとレスリーはホンタン王国で一番の貿易都市であることから首都の王宮に準ずる離宮が存在しており、荷降ろし作業などの労働力として付近の村から多くの出稼ぎ労働者達が集まっている人口密集地であることが分かっている。
離宮には彼女と顔見知りの役人がおり、労働者達の中には同行することになった双子の姉妹であるニケとミケの父親がいる。
双方のネットワークを通じて森村はエリアゼロの件についてホンタン王国とも協力関係になろうと考えたのである。
「双子の姉妹はともかくとしてあの女の子は必要ないのでは?」
綾里の言う女の子とはオディオを捉えた少女のことであった。 唯一の家族であった村長を失った彼女は送別会の際、森村に直談判をして同行を願い出したのである。 彼女の目的が分からなかったために森村は当初、同行を断ったものの身内のいない彼女がこの村で生きていくのが難しいと言って双子の姉妹が間に入り、自分達が面倒を見るという条件で乗艦を許すことになった。
「どの道ミーナちゃんを引き取るにあたって親父さんの許可が必要らしい」
「王女にしろミーナちゃんにしろ艦長は少女に優しすぎませんか?」
綾里の冷たい言葉に対し、森村は背筋をこわばらせてしまう。 彼女の目には森村のことが幼児性愛者と同列であるように映っており、明らかに内心で彼のことを軽蔑している。
結婚まで約束しておきながら捨てられてしまった過去を持つ彼女にとって森村の行為は偽善であると断定していた。
「またあなたが下手なことをすれば私は今度こそ息の根を止めますからね」
その言葉を聞いた途端、森村の額から焦りの表情が浮かんでしまう。
周囲の乗員達は冷たい空気を醸し出す2人の姿に対し、寒気を感じつつも見て見ぬふりをして持ち場に専念していた。
「隊長、お久しぶりっす!!」
「まさかお前も来てたとはな」
広澤の目の前には同行することになった猫耳娘達を両脇に抱える三上の姿があった。
実はこの二人、3曹昇任時の同期であり教育隊の初任海曹課程では同じ班に所属していた。
船乗りと航空士という世界の異なる二人であったが、同じ志向を持つ同士として仲が良く広澤の方が入隊期別が早かったこともあって三上は広澤のことを隊長と渾名している。
「夢が叶って良かったな」
「はい、最高です!!」
両脇の猫耳娘達から猫なで声で甘えられ、三上は満面の笑みを見せる。
エルフスキーの広澤と違い、三上は重度のケモノスキーであり、一緒に行った防衛省主催の合コンではカップリングが成立した女性に対して猫耳を付けてくれと懇願し、蹴り飛ばされた過去がある。
「いなければ作るしかないと言って猫を飼い始めた時はドン引きしたけどな」
「その猫、先日別れた彼女に連れてかれました」
(こいつ、何をやろうとしたんだ?)
オタクであることを自覚している広澤も三上の前では常人になってしまう。
フィリアと一緒に尋問した捕虜達は一様に三上の恐ろしさを口にしていた。 彼は大好きな猫耳娘を襲う彼らに対し、恐ろしい雄叫びと共に機関銃で追い回して一生忘れられないような恐怖心を植え付け、オタクの怒りを見せつけていた。
同じ世界にいる仲間であっても広澤は三上ほどオタクの世界に身を準ずる気はない。
「隊長こそどうなんです? エルフスキーなんだから一人ぐらいゲットしました?」
「俺か? まあ、そうだな......」
痛いところを突かれたために返答に困って頬をポリポリと掻き、広澤は言葉を考える。 王女の護衛兵であるフィリアとデキていることは政治的都合も配慮して内緒にしている手前、相手が三上であっても話せることではなかった。
「いない」
「嘘だあ、あんなに可愛いエルフちゃん達がいる中で誰もゲットしてないなんてありえないっすよ」
「子供には興味ないからな」
「ダークエルフの人がいましたよね?」
「う!?」
広澤の好みをよく知る手前、三上は得意げな顔をして口を開く。
「やっぱりデキてたんスね」
「誰にも言うなよ」
「分かってますって、俺達は同志なんですから。 あと、ついでにお願いがあるんですが...」
「何だ?」
「この娘達とゆっくり過ごせる部屋を知ってますか?」
「...303士官寝室なら俺のワッチ中に限って好きに過ごせるぞ」
「ありがとうございます」
三上はそう答えるとともに双子の姉妹を両脇で抱きかかえ、イチャイチャし始める。
その日の夜、広澤の協力もあって三上はその部屋で双子姉妹とニャーニャーと親交を深める事になる。
「姫様、お食事をお持ちしました」
「...いらない」
ジルの視線の先にはベッドの中でうずくまるレジーナの姿があった。
村から戻って以降、彼女はあまりのショックに精神を病んでしまい、一切の面会を謝絶して閉じこもってしまったのだ。
「お身体に触りますよ」
「......教えて、父は臆病者だったの?」
「いえ、そんなことはありません」
「だったら何であんなこと言われたの!?」
ジルは言葉を詰まらせてしまう。 今まで王族の一員として誰よりも誇り高く、絶対の自信を誇っていた彼女が無垢の少女であるミーナの言葉にショックを受けるなど彼女の性格をよく知るジルにとって信じられることでは無かった。
そんなジルの背後から唐突にフィリアが現れて口を開く。
「姫様、守殿がお会いしたいと」
「......断って」
「待てよ!!」
フィリアの制止を振り切って守は強引に寝室へと入る。
「親父が非難されたからって何だよ、散々俺に自慢してたじゃなかったのか?」
「うるさい......」
「ざけんな、この野郎!!」
守はレジーナがうずくまる布団を強引に剥ぎ取ると同時に彼女の肩を掴んで口を開く。
「俺を散々罵倒していたお前はどこに行った? 王家の誇りってのはそんなちっぽけなもんだって言うのか!?」
初めてレジーナに見せる守の態度にジルは慌てて仲裁に入ろうとするもフィリアに止められてしまう。
「このままにしなさい」
「でも!?」
「今の姫様を救えるのは守殿だけだ」
フィリアはそう言うとジルの手を引いて寝室から出る。 以前の彼女なら守の行為を真っ先に止めていたはずだが、広澤との付き合いを経て考えを変えていた。
彼女自身、レジーナの父親を殺したという罪の意識から精神が崩壊寸前であったところを広澤によって救われた。 自分と同じようにレジーナに今必要なのは家臣からの助言ではなく愛する者の励ましだと考えた結果、守とレジーナを二人っきりにすることと決意したのである。
「また俺を罵ってみろよなあ、無力だってバカにしろよ」
「どうせ私も無力よ、どの道王位継承権もない私はどこかの有力貴族の后になる運命だったわ」
「継承権がない? 女だからか?」
守の疑問に対し、レジーナは顔を反らせて口を開く。
「私は妾の子よ」
「妾?」
「ええ、父と公式上の母の間には子供は生まれなかった。 私達エルフは子供が生まれにくい体質の上、王族は魔力を継承する都合から一夫一妻を基本としているの。 しかし、父は護衛として仕えてくれた一人の兵士と恋仲になり、その結果彼女は私を身ごもってしまったのよ」
レジーナが何不自由なく暮らしてきたお嬢様と思ってきただけにその言葉は守にとって衝撃的であった。
「私が皇帝の側室になることになったのも所詮は厄介払いよ。 現国王である私の叔父は敗戦の要因となった父を持つ娘を差し出せば面子が立つと考えてるのよ」
「...君はそれで良いのか?」
「私に何ができるって言うの? 同盟交渉にも失敗したんだしね」
「く...」
「もうほっといて頂戴」
守はそれ以上かける言葉が見つからず、一人部屋を出ることにする。
「畜生!!」
己の無力さを痛感し、通路の壁に拳を叩きつけて怒りを露にする。 結局彼に出来ることは何も無く、励ますことすらままならなかった。 このままでは本当にレジーナとは何も無かったことにされて離れ離れになる。
彼女と同じ精霊の血を引くはずが無力な一介の通訳で終わってしまうなど認めたくはなかった。
「おやおや、どうしました?」
「あなたは?」
振り返ると誰もいなかったはずの通路の角にスーツ姿の男性の姿があった。 落ち着いた立ち振る舞いでありながら、穏やかな笑みを見せるその姿は女性だけでなく男性である守にとっても親しみが持てる。
「外務省の立花だ。 君に頼みがあって声をかけたんだけど」
「頼み?」
「ちょっとここでは話しにくいんだけどね」
立花は守を自身の部屋へと案内する。
室内には緒方と牧村の姿もあり、二人は守の姿を見ると待ってたかのように用意した椅子に座らせる。
「よく来てくれたね、私は総理から特命大使を命ぜられた緒方だ。 君のことは報告書で読ませてもらったよ」
「はあ...」
「今まで私達の通訳はフィリアさんに担当してもらったんだが今回はどうしても君の協力が必要になってね」
外務省職員である緒方とレジーナが会話する際には秘密保持の目的もあってフィリアが通訳を担当している。 本来ならレジーナが日本語を覚えてくれれば手っ取り早いのだが守と話をする際、彼が日本語を口にしているつもりでも彼女の耳には母国語で通じてしまうため、勉強にはならないのだ。
しかしながら、広澤との交流を経て短期間で日本語をマスターしたフィリアの方が凄いという事実もある。
「牧村君と共に先日海賊行為を行った容疑者の取り調べをしたくてね。 ほら、彼等はフィリアさんのようなエルフを軽蔑してるから中々証言しようとしないんだ」
「本当はフィリアさんに聞かれたくないからじゃ?」
「...君は勘が鋭いね」
広澤から一通りの教育を受けている手前、守は即座に緒方達の目的に見当がついた。
彼等はレジーナ達に知られたくない情報を聞き出そうとしているのだ。 レジーナには情報公開することを約束していたにも関わらず、日本政府はエリアゼロに関する一切の情報を明かしていない。
ドラゴンの一件も未だに未確認生物であり、どこから来たのか分からないと言い張ってる有様だ。
守の勘を評価しつつも緒方は足元にある鞄の中から一枚の封筒を取り出す。
「この中に入っている書類を見れば君は二度と普通の生活が出来なくなる。 その覚悟は出来てるかい?」
突然の行為に驚き、守の脳裏に迷いが生じてしまう。 緒方の手にある書類は恐らく国家機密に属するものであろう。 自衛官にとってそれを触れることは生涯に渡って口を閉ざすことが義務付けられており、口外すれば罪に問われるだけならまだしも、この世から消されてしまう可能性もあると広澤から教えられたことがある守にとって極限の選択であった。
そんな守の迷いを感じ取ったのか立花は彼の耳元に悪魔のような囁きを口にする。
「協力すれば王女の力にもなれるかもしれないよ」
「レジーナの?」
「ああ、今の君は誰よりも無力だ。 ここで彼女に良いところを見せればきっと君を見直すはずだよ」
「分かるんですか?」
「ああ、僕はねこの見た目の良さを利用して今まで様々な女性と関係を持ってきた。 女心なら誰よりも理解しているつもりだよ」
「彼女に危害を加えないと約束してくれますか?」
守の言葉に対し、立花は笑顔を見せて口を開く。
「ああ、約束しよう」
愛する人のため、守は悪魔の誘惑に負けて禁断の果実を掴むことになる。