第11話 契り
「昨夜、オリエンタル号の船霊ちゃんがやって来てねえ~「助けてくれたお礼です」って言ってたくさんのお酒を持ってきてくれたのよ」
頬を赤く染めてご機嫌になっている雪風の隣では彼女に渡されたワイングラスを手にするレジーナの姿があった。
「あの力があれば帝国だって倒せるのに!!」
「頑張ったのにねえ」
ワインを一気飲みして愚痴を吐くレジーナのグラスに雪風は新しいワインを注ぐ。
室内には彼女達の他に浦賀の姿もあり、彼女は二人の話を黙って聞きながらチビチビと日本酒を口に含んでいる。
先日のドラゴンの一件から一夜明け、現在は事件調査のため晴海の岸壁にオリエンタル号が横付けされており、レジーナが会談をしている最中に雪風と浦賀はこの部屋でオリエンタル号の船霊と顔を合わせていたのである。
彼女は終始、自身を救ってくれた雪風に対する感謝の言葉を述べていたが、原因であるドラゴンを運び込んでしまった浦賀は内心で罪悪感を抱き、彼女に謝罪の言葉を述べる。
しかしながら、彼女は浦賀の謝罪を聞き詳しい内情を知りつつも主砲を持たない浦賀の現状に理解を示し、仕方が無かったことだと言ってお土産で持ってきた日本酒を振る舞ってくれたのである。
「初めて会うけど良い子だったわね」
「はい」
浦賀は自身の不始末を助けてくれた雪風に感謝の気持ちを抱く。
同じ横須賀の船越地区を拠点とするこの二人の仲は良く、同じく古株である千代田を交えて時折機会があれば3人でこの特別公室で酒を酌み交わすことがある。 破天荒で明るい性格である雪風と違い、浦賀は面倒見の良い大人しいお姉さん的な性格であったが、彼女は掃海母艦という艦種であることから幼い掃海艇達の世話役に回ることが多く、悩みを一人で抱えがちになってしまうために雪風と飲むときには自然と自身の悩みを口にすることが多い。
「あの狸親父め!!」
「あの人の頭はオリンピックのことしかないのよ」
「くそお、今日は飲むわよ!!」
「こういうときは飲んで忘れるが一番よ」
レジーナは雪風に励まされながら松坂に対する悪態を吐き続ける。
そんな二人の姿を見た浦賀は不意に頬をほころばせてしまう。 雪風は横須賀において幼い艦魂達の相談役になることが多く、幼い外見に似合わず親分肌を匂わせることが多い。
ミサイル護衛艦としてプライドの高い霧島や旗風ではこうはいかないため、漂流していたレジーナ達を「ゆきかぜ」が救ったのはある意味幸運だったのかもしれない。
(姉さんがいればこの子は安心ね)
レジーナを励ます雪風を眺めつつ浦賀は母のような眼差しを送っていたが、隣に座る守から声をかけられてしまう。
「あのう、艦魂って民間船にも存在しているんですか?」
乗員である守は艦内飲酒が禁止されている手前、オレンジジュースを片手に艦魂について問いかける。
「正しくは船霊と言いますよ、古来から日本の船乗りには航海の無事を祈る船霊信仰の影響があってその影響からか官民問わずに日本の船の多くは船名や出身地に馴染みある神社から御札をもらって神棚を設ける習慣があります。 それにより八百万の神々から御神体を分祀されたと認知され私達のような船霊が生まれることになるんです」
「ということは船霊があるのって日本の船だけですか?」
「そういうことです。 現に私も多くの外国船を見てきましたが、船霊がいたのが日本船籍の船だけでしたね」
「ということはレジーナが言う精霊って雪風達のような艦魂と同じ存在なんですか?」
「それはさすがに分かりませんね。 それでしたらこの世に生を受けてから20年程度の私よりも三笠様に聞かれた方が良いかもしれません」
「三笠様? まさか......」
「三笠公園に保存されている戦艦三笠の艦魂ですよ」
浦賀から教えられた船霊のルーツ。 それに伴う精霊と船霊の関係。
解明されていない謎は多かったが、雪風のような船霊達は古来から多くの船乗り達を見守り続け、時には苦しむ彼らに対し手を差し伸べたりもしてきた。
レジーナの言う精霊もまた、彼女達と同じような存在かもしれない。
まだ見ぬ異世界に対し、自身の考えを巡らす守であったが突然背後からレジーナに抱きしめられたことにより急激に心拍数を上げてしまう。
「守う、飲んでないじゃない!!」
「真面目ぶっちゃって~」
彼女は酔っ払った影響からか服装は乱れ、頬は赤く染まっており、雪風に至っては守の頭をペチペチと叩いて訳の分からないことを口にしている。
フィリアと違ってレジーナの胸は貧相であったが、シャツの隙間からは日本政府から支給された彼女の下着が見えており、守は反射的に視線をそらしてしまう。
「私に発情したの?」
守の行為が気になったのかレジーナは彼の襟首を掴んで顔を近づける。
「め、滅相もございません」
「嘘おっしゃい、この童貞が!!」
「えええええ!?」
つい最近までその言葉の意味を知らなかったはずだが、彼女は守の頬に手をかざして舐めるかのように胸元まで摩る。 突然の誘惑行為に彼は顔を赤くしてしまうもレジーナはその反応を楽しみつつ舌を出して自身の唇を舐めた後、口を開く。
「私の体に興味があるんでしょ?」
「違う、俺はただ......」
「......こんな無力な男と契りを結ぶなんて!!」
レジーナは突然怒りを露わにし、守に罵声を浴びせる。 彼女自身、つい最近まで王族として支配階級に君臨していた筈が、異世界において下っ端の兵士を頼らざるを得ない事態に陥ったことに対する不満があり、同盟締結の交渉が失敗に終わったことに対しても内心では守の責任だと思っていたのである。
「あのう、さっきから気になってたんだけど「契り」って何?」
「まだ分かってないの!? このうすらトンカチが!!」
レジーナはそう言いながら部屋のテーブルに足を乗せて立ち上がり、腕を組んで守を見下ろす。
「王女である私が教えて差し上げるわ!!」
そう言うと彼女は腕を組んで「契り」の内容について語り始める。
守とレジーナの間に結ばれた契りとは本来、王族や神官をはじめとした高位魔法使いが自身の後継者と認めた子供に対して行うものであり、通常はお互いの手を握り合って詠唱と共に古から伝わる記憶の伝授を行う行為であったが、希に子供に恵まれなかったことから血縁者以外の者と契りを結ぶことがある。
それこそがレジーナが守に対し行なった行為であり、連合王国の法律によって同性なら姉妹として認知され、異性なら夫婦とされてしまう厄介なものであった。
「てことは俺とレジーナって夫婦......」
「うるさい!!」
「ぎゃふん!?」
テーブルの上から強烈な踵落としを頭に喰らい、痛みに悶絶した守は背中から床の上に倒れ込んでしまう。 その直後、レジーナは守の体の上に飛び降り、彼が咳き込むのもお構いなしに襟首を掴んでアルコールの匂いを嗅かせながら口を開く。
「あんたなんかと夫婦と認めたくないわ!! 本国に戻った暁には法律を変えて離婚してやるんだから!!」
さすがの守もこの時ばかりはレジーナに好意を抱いた自分の行いを後悔してしまう。
守がレジーナに攻め寄られている一方で、首相である松坂の訪問を終えた森村は市ヶ谷からの呼び出しを受けて先日訪れたばかりの会議室に顔を出すと集まった幕僚達の中に鳴瀬の姿があったことに気付いてしまう。
「森村、そこに座れ」
森村の姿を見た鳴瀬は向かいの席に彼を座らせ、今回呼び出した理由について語り始める。
「一通りのことは総理から聞いてると思うが改めて言おう。 お前の「ゆきかぜ」に11護隊の「やまゆき」を加えた派遣艦隊が組織されることが今朝の緊急閣議で承諾された」
「随分早い決定で」
「総理はドラゴンの危険性を恐れてるのさ。 考えてみろ、10トンもの重さのある生き物が何キロも飛び立てるなんて生物学的におかしいじゃないか?」
「まあ」
「王女の話から推測するに魔法の力で自身の体重にかかる重力をコントロールしてるかもしれん」
「まさか!!」
「ドラゴンは自分の体重を軽く出来る、これが兵器技術に転用されたら恐ろしいことになるぞ」
現在の科学では未だに実現されていない重力コントロールも魔法の力があれば可能となってしまう。 それの意味する結末は森村にとって容易に想像できることであった。
「今まで発展途上国が核開発に成功したところで先進国にとって大きな脅威となり得なかった。 なぜなら開発した代物が大きすぎて弾道ミサイルに積めなかったからな」
核開発の基本技術は既に世界中に広まっており、材料であるウラニウムやプルトニウムさえあれば最悪どの国でも作ることが出来る。 しかしながら、弾道ミサイルに積めるほど小型化する技術力は主要核保有国において門外不出とされており、中国と北朝鮮のように仲が良いとされている国であっても譲渡されることはない。
そんなことをすれば世界大戦の火ぶたが切られることが目に見えているからだ。
「北朝鮮が開発した大型核爆弾が弾道ミサイルに載せられてしまうな」
「ああ、このままドラゴンがあちこちに飛び立てば少なからず連中の手に渡ってしまう恐れがある。 現に偵察衛星の情報だと北朝鮮の軍港で妙な動きがあるって話だし、中国や韓国、ロシアの軍港でも怪しい動きをしている。 だからこそ総理はすぐにでもあれを無くしてしまいたいって思ってるのさ」
「なるほど、すぐに帰れって言ってた割には豪華な贈り物を送った背景にはそんな裏があったのか」
森村のとんでもない提案があっさり通ったのも、鳴瀬の尽力だけでなくドラゴンに危機感を抱く松坂の何が何でも手段を選ばず、すぐに始末しろという鶴の一声があったためである。
鳴瀬はドラゴンの生体サンプルを確保しようと動き始める隣国の艦隊を近づけさせないために異世界への入口付近の海域には現在、イージス艦と潜水艦が急行していることを森村に伝える。
魔法の力というものはファンタジー世界であこがれのものとされているが、実際のところ重力コントロールが出来るだけで簡単なミサイル技術さえあれば核弾頭ミサイルが開発可能になるという軍事面で恐ろしい結果を生み出してしまう恐れがあった。
「こんなに早く編成されたのも現政権がそれだけ魔法の脅威にビビってるのさ。 総理は事態を重く見たアメリカが介入する前に始末をつけるつもりだろう」
「アメリカ側は何と?」
「協力を要請してきているが、総理は領海にそれがあることを理由に自衛隊だけで決着をつけるつもりだ」
「何でまた?」
「アメリカが介入すれば訳の分からない理由をつけて王女の世界はメチャクチャにされてしまうぞ。 イラク戦争が良い例だ、我が国の総理は臆病で身の保身のみを考えているように見えるかもしれないが、実際はまともな思考をしてやがる」
「当然の考えだな」
「ああ、だからこそお前達には向こうの世界に行き、こちらの世界とを繋ぐ扉の謎を解明して異なる世界同士の繋がりを断って貰いたいって訳だ」
「希望に沿えるか分からないが善処するよ」
相手が護衛艦隊司令であるに関わらず、同期に対するタメ口口調で話す森村の行為に他の幕僚達の頭に青筋が見え始めるも、鳴瀬は注意することなく言葉を続ける。
「この艦隊は俺の直属となっている手前、司令クラスの人間は乗艦しないがくれぐれも勝手なことをするなよ」
「ああ」
その後、幕僚達と共に「やまゆき」艦長を交えての行動計画の打ち合わせがなされ、細かな問題点などで意見が酌み交わされることになる。
(あいつを行かせるのには反対だが、今回の任務であいつ以上の適役は思いつかん。 何事もなければいいが......)
会議を終え、一人部屋に残った鳴瀬は今回の派遣計画に一途の不安を感じてしまう。 関係者を限定したかった手前、鳴瀬は森村に派遣艦隊を任せることに不安を感じていたものの、出世に興味のない彼なら早まった行動は決して取らないと信じることにした。
(まあ、彼女がうまくあいつの暴走を抑えてくれればいいがな)
鳴瀬は所属部隊の都合で今回の行動会議に参加できなかった女性の姿を思い浮かべる。 幹部の人事は護衛艦隊司令の意向で好きにいじる事はできないのだが、彼女の存在こそが森村の行動を抑える鍵になるだろうと彼は考えるのであった。
1週間後......
「艦長、まもなく新しい副長が来られます」
「あ、ああ」
母港である横須賀に戻った「ゆきかぜ」の艦長室において北上の言葉を受けた森村は苦々しくも士官室へと向かう。
横須賀に帰港した際に届いた一通の電報。 その内容を見た瞬間、彼は市ヶ谷で見た鳴瀬の顔を思い出してしまう。
(あいつめ、わざと黙ってやがったな)
かつての同期に対する文句を浮かべつつも北上に案内される形で森村の前に一人の女性幹部自衛官が姿を現す。
「2等海佐 綾里玲子、平成29年9月15日付 護衛艦「ゆきかぜ」乗り組みを命ぜられて護衛艦「やまぎり」からただ今着任しました、よろしくお願いします!!」
副長として目の前に現れた彼女は、階級の割には若く見えており身長160センチ超えで細身の体型でありながら胸は張り、腰のくびれがはっきりしていることから日頃から体を鍛え上げられていることが覗える。
黒く長い髪を団子状に纏め、日本人にしては顔の彫りが深く大きな瞳を持つ美人であることから周囲にいた男性幹部達は生唾を飲み込んでしまう。
「お久しぶりです、森村1佐...私が実習幹部の頃以来ですね」
「あ、ああ」
最後に会った頃から変わらぬ彼女の姿を見て森村は驚きの余り言葉を濁してしまう。
「まだ若輩者で至らぬ点が御座いますが、ご指導の程よろしくお願いします」
周囲から好意の視線を浴びる中で綾里は一人、森村に対し冷たい視線を送る。
その行為に恐れを抱いてしまったのか、森村の背中からどっと冷や汗が流れ始める。
日頃から司令でさえ手玉に取る森村に天敵が生まれた瞬間であった。
「キレイな夕日......」
「ああ、キレイだな」
森村が士官室で冷や汗をかいていた同時刻、広澤はフィリアと共に格納庫の上に座り、沈み行く夕日を眺めていた。
「今日も一日が終わってしまう」
「帰る日が近づいてきたな」
横須賀に戻った途端、森村は乗員達に対し代休を許可したため艦内には僅かな乗員しかおらず、暇を持て余した広澤は仲良くなったフィリアに少しずつ日本語を教えるようになり、彼女自身の素養が高かったためか今ではお互い片言ながらも簡単な日本語の会話が出来るようになっている。
「このまま離れるのは嫌」
「仕方が無いさ、住む世界が違うんだし」
「一緒に来てほしい」
「それはダメだ」
「......」
広澤の言葉に対し、フィリアは何も言えなくなってしまう。 正直言ってここまで親しくして貰ったのもフィリアの我が侭を彼が受け入れてくれたお陰であり、これ以上のお願いを聞き入れる余地はない。
優しさを見せる反面、彼はある一定の線引きを保って必要以上の行為を嫌うところがあり、その距離感が今のフィリアにとってもどかしい代物であった。
彼女は広澤から渡されたコーヒーの缶を両手で握り締め、今後の展開に不安を抱いてしまう。
「俺はもう帰るからな」
「待ってくれ!!」
フィリアが止めるのもお構いなしに立ち上がった広澤であったが、物陰に置いていた紙袋を手にして彼女に渡す。
袋を開けると中には彼女のために用意されたであろうスーツ一式が収められており、レジーナやジルと違って日本政府に服が用意されず、女性乗員から分けて貰った衣類を身につけていた彼女にとって魅力的な代物であった。
「知り合いから譲って貰った手前、サイズが合うか分からんが受け取ってくれ」
「......嬉しい!!」
自分を心配してくれた広澤の行為に対し、嬉しさの余りフィリアは彼の体に抱きついて唇を奪ってしまう。
共に過ごせる時間は残り少なかったものの、二人の距離は確実に縮まり始めていた。




