第9話 同盟案
深夜、実習員サロンとして名前をつけられているこの室内において日本政府との同盟案締結に向けた書類を作成しているレジーナ達の姿があった。
「第7案についてですが同盟締結に当たって留学生の受け入れを要請するってことで宜しいですか?」
「ええ、この国には大学という教育機関が数多く存在しているらしいから学費は我が国で持つのと受け入れ人数に応じた寄付金を渡すことで同意させましょう」
「わかりました」
レジーナの指示を受け、ジルは紙とボールペンを駆使して同盟条件を書き記していく。
室内のテーブルや床の上には多くのコピー紙が散らばっており、守から聞き出した情報を元にレジーナの手によって幾つかの同盟案が用意されていることが覗える光景であった。
「姫様、この戦力の提供要請案は少々問題があるかもしれません」
赤い上下のジャージ姿で広澤からもらった飴を頬張りつつも問題点を指摘するフィリア。
軍事の専門家でもある彼女の手元には第3案の内容を記した紙が握られている。
「戦力として旧型航空機の提供を受けたとしても我が国には飛行場となり得る土地の確保が困難です」
「どういうこと?」
「守殿の話ですと最低でも2キロ近い直線の滑走路が必要らしいですが、キロという距離単位を我が国の単位に直して計算したところ適当な土地が見当たりません」
「ククリの森を伐採すれば良いんじゃない?」
「ダメです、あの森は貴重な船舶用木材がとれる保護区となっております」
「く、じゃあ軍船のみでいくしかないわね」
レジーナはそう言いながらフィリアから渡された書類に訂正を入れる。
「ゆきかぜ」の力に魅せられ、王女として帝国の脅威から祖国を守るための同盟案に奮闘しているものの、圧倒的な国力を持つ日本政府を前にして対等な同盟関係を結ぶのは困難なことであると思い知らされている。
「元々100年近く続いた戦争によって我が国の財政は逼迫している手前、これ以上の報酬は難しいですね」
「我が国の領土の割譲を提案するしか無いかしら」
「それは本国との同意を得なければ無理です」
「帰る方法のない現状では無理な話ね」
「日本の皇族方と我が国の王族との婚姻も難しいでしょう、この国は立憲君主制となっているために皇族の意向で政治が動くわけでは無いそうですし」
次々と持ち上がる問題点にレジーナは思わず頭を抱えてしまう。
勝手の違う世界で交渉するに辺り、これまで通じていた交渉材料のほとんどが意味をなさないことを守から知らされてしまい自身の発言が無謀な行為に等しいことに気付いてしまったのだ。
「ちょっと、守、寝るんじゃ無いわよ!!」
苛立つレジーナの隣では翻訳作業で精根尽き果てた守の姿があり、ペンを握ったままうつらうつらと夢の世界に入り始めていた。
「もうダメ、寝かせてくれ......」
「私の国の明暗がかかってるのよ!!」
「せめてコーヒーをくれ......」
守にとってレジーナの行為は迷惑千万であり、どうでもいいことであった。
深夜まで翻訳作業を続けさせられた彼は既に疲労の限界にさしかかっている。
「仕方が無い。 フィリア、広澤を呼んできなさい」
「な、何で私が彼を呼ぶのですか!?」
レジーナから突然の言葉を受け、フィリアは思わず顔を赤くしてしまう。
「命令通り懐柔したんでしょ? 彼なら良い案を持ってるかもしれないわ」
「言葉が通じません」
「あなた達なら問題ないでしょう?」
強引なこじつけにフィリアは困惑してしまう。
あの時、広澤の体に身を預けたものの、体の関係に至らずお互いの意思疎通が図れたわけではない。 広澤自身がそれ以上の関係を拒んでしまったのである。
「いいからここに彼を連れてきなさい」
「......分かりました」
黙って部屋から出て行くフィリア。 しかし、彼女自身広澤の居場所に心当たりが無く、無作為に艦内をうろつき始めてしまう。
手当たり次第、乗員の居住区を覗いてみるとドラゴン撃退の祝勝会から帰った影響からか酒の臭いを漂わせながら眠る乗員達の姿があり、加納や大西に至ってはベッドに入らないでソファーや床で寝転がっている有様であった。
「ここにはいないか......」
居住区のラッタルを上がって部屋に戻ろうとすると、不意に正面から懐中電灯の明かりを照らされてしまう。
「ん? フィリアじゃないか、どうしたんだこんな時間に?」
彼女の目の前には作業服を着て艦内巡視をしていた広澤の姿があった。
「何か知らんが遅くまで大変だな」
広澤は食堂にある自動販売機からコーヒーを買うと封を開けてフィリアに渡す。
「ありがとう」
「レジーナちゃんは人使いが荒いんだな」
深夜までレジーナの提案に付き合わされるフィリアに同情の言葉を贈りつつ広澤はコーヒーを口に運ぶ。 フィリアの方はチラチラと視線をそらしながらも彼の顔色を伺っている。
「実は頼みがあるんだが......」
一向に口を開こうとしないフィリアに対し、今度は広澤の方から口を開く。
その言葉に対し、フィリアもまた決心がついたのか揃えるように口を開く。
「悪いけど海野をそろそろ解放してくれるよう頼んで貰えないかな?」
「お前も協力して貰えないか?」
お互いの言葉は理解できないものの、広澤はフィリアが自分を頼ってきたことから何かしら頼み事があることを感じ取っていた。 しかも彼の脳裏には既にレジーナ達が何をやっているかにも予想がついていた。
「残念だが協力は出来ない」
「姫様のためにも頼む!!」
手を横に振って断りの仕草をするも、諦めのつかないフィリアはしつこく食い下がってくる。
「言いたいことは分かっている、日本政府との同盟案作成に協力してくれってことだろ。 残念ながら俺達自衛官は政治的活動に関与してはならないからな」
「だから頼む!!」
一方的に手を掴んで広澤の体を引っ張ろうとするフィリアであったが、彼は動こうとはしない。
苛立ちを感じ、主人であるレジーナの命令を実行するためにフィリアは席を立ち上がると同時に、広澤の前で土下座をしてしまう。
「仕えるべき主をこの手で奪った手前、今の私には姫様の存在が心の支えだ。 頼む、私のためにも願いを聞き入れてくれ!!」
頭を地面に向けて涙を流すフィリアであったが、広澤はそんな彼女の傍でしゃがみ込み、肩に手を置いて口を開く。
「君が彼女に対し並々ならぬ忠誠心があるのは分かったけどこればかりは出来ない相談だ、だけど君を励ますことなら出来る」
彼はそう言いながらポケットの中から小さなネックレスを取り出す。
「沖縄で買わされた琉球ガラスのネックレスだよ」
「綺麗......」
銀製の鎖の先には黄色いガラスのはめ込まれた飾りがあり、それは光に反射すると波のような輝きを放っている。
「これを私に......」
「仕事運が上がるっていうから持っていなよ」
「ありがとう」
協力こそ得られなかったものの、思わぬプレゼントを得たことに彼女は胸を膨らませてしまう。 あの一件以降、自分のことを一途に想ってくれていると感じた彼女は広澤と別れた後、満面の笑みでレジーナの待つ部屋へと戻ることにする。
「やれやれ、無理をしないで下さい」
部屋に入ると守の太ももに頭を預ける形で眠るレジーナの姿があり、ジル達に至っては机に突っ伏して寝息を立てている。
フィリアは貰ったアクセサリーを首にかけた後、レジーナ達の体に毛布をかぶせる。
「お父様......」
悲しそうに寝言を呟くレジーナ。 その言葉を受けてフィリアの心は不意に罪悪感に襲われてしまう。
「姫様......」
いくら命令であったとしても自分の行いによってこの小さな少女の心に大きな傷を負わせてしまった。 彼女に一生を捧げると誓った際、それを真っ先に受け入れてくれたのはレジーナでは無くマードレというメイド長であった。 彼女はかつて自分が殺した国王の恋人であり、最後は身分の違いから別れることになったが愛する人の娘であるレジーナのために自身の身を犠牲にして守ってくれた。
「メイド長、なぜあなたは私にあとを託されたのですか?」
最後の瞬間、フィリアの耳元でレジーナの父親との関係を告白し、あとのことを全て自分に託すと言ってくれたマードレ。 彼女もまたレジーナと同じく愛する人を失ったというのにレジーナを説得して自分を受け入れさせてくれた。
天井を仰いで彼女の真意を問いかけるフィリアであったが、それに応える者は誰もいなかった。
翌日、6時になった瞬間に「総員起こし」が下令され、飛行甲板には多くの乗員達が集まり海士の号令に合わせて恒例の「海上自衛隊第一体操」を実施している。
体操が終わると「配食用意」を合図に彼らは朝食を取るために慌ただしく移動を始め、食堂内は混雑し始める。 その一方でレジーナ達は目の下にクマを浮かべながらも細々と実習員サロンでフィリアの手によって運ばれた朝食を取っている。
「取りあえずこの案で取り纏めましょう」
たくあんをチビチビと囓りながらもレジーナは出来上がったばかりの同盟案の話を続ける。
「この同盟の大きなメリットとしては大規模な公共事業に日本の企業を参入させることよ。 我が国の土木技術は帝国に大きく後れを取っているけどこの国の技術は明らかに帝国を超える代物だし、我が国の国土には未開の国土が山ほどあるわ」
「確かに、外で建設中の建物を見てもあのような技術は帝国でも存在しませんしね」
「その代償として物資輸送に関わる船舶の護衛として海上自衛隊の船舶に協力して貰うのよ」
「帝国との関係はどうされますか?」
「和平案は反故にするわ」
「姫様、何てことを!!」
レジーナの言葉に対し、味噌汁を飲んでいたフィリアが思わず吹き出してしまう。
「このまま帝国に下ったところで奴隷扱いされるのが目に見えてるじゃない」
「しかし、それではお父上の犠牲が無駄になってしまいますぞ!!」
「......元々父はこのような和平案には反対だったはずよ。 古来から信じられてきた神々の信仰を捨てて人間至上主義の宗教に改宗するなんてね」
「この国が我らの信仰を認めるとは限りませんよ」
その言葉に対し、レジーナは微笑みを浮かべながらも口を開く。
「雪風の話だとこの国は多神教国家であり、どのような宗教も信仰を認められているわ」
「だとしても帝国に敗れ去った我が国を救ってくれるとは思えませんが」
「この国は民主主義国家と言われているわ」
「言っている言葉の意味が分かりませんが?」
「テレビをつけてご覧なさい」
レジーナに言われるがままフィリアはテレビの電源を入れると、昨晩のドラゴンの映像が映し出され、多くのコメンテーター達が意見を出し合う光景が写っていた。
「この国では全ての人々が情報を共有し合って政治に介入できるシステムだそうよ」
「まさか......」
「ええ、この人達の前に私が姿を見せて訴えるのよ。 我が国を救って下さいってね」
「何と......」
守と雪風から得られた僅かな情報を駆使し、レジーナはたった一晩で日本政府説得のための作戦を練り上げていたのである。 これにはさすがのフィリアも言葉を失ってしまい、感銘を漏らしてしまう。
「あとは日本政府がどうでるか楽しみね」
未だにぐったりと眠る守を尻目に、レジーナはほくそ笑む。 民主主義というシステムに馴染みが無かったものの、大衆を扇動するという行為は帝国や連合王国でも実施されていることであり、王族として幼い頃から帝王学を学ばされてきた彼女にとって慣れた行為でもあった。
「首相が来るのか!?」
朝食が終わり、コーヒーを飲んでいた森村の元に司令部からの連絡を受けた当直士官が駆けつけてくる。 森村の言葉を聞いた瞬間、何人かの幹部は驚きのあまりお茶を吹きこぼしてしまう。
「昨日のドラゴン討伐の件で午後の予定を全てキャンセルしてこちらに来たいとのことです」
「こうしちゃおれん!!」
その言葉に対し、甲板士官を兼務している掌砲術士である望月3尉が立ち上がる。 曹長上がりの叩き上げの幹部である彼は森村の断りを得た後、すぐさま作業員確保のためにCPOへと足を運ぶ。
補給長である北上もまた慌てて歓迎準備のために士官室を出て行き、調理室へと向かう。
「釣った魚は大きかったって訳か」
マグロを釣り上げるつもりが鯨を釣り上げてしまったことを実感し、森村は言葉を漏らしてしまう。 首相の狙いは間違いなく王女であるレジーナとコンタクトを取ることであり、彼女との間に何らかの取り引きを提案するつもりであろう。
「公室の用意をするよう甲板士官に伝えてくれ」
戦闘時には医療所として使われる士官室と違い、「ゆきかぜ」にはかつて練習艦として使われることを想定して設計された公室と呼ばれる部屋がある。
現在は護衛艦隊の幕僚達が集う場所とされているこの部屋を会談場所に決めることにし、森村はあとのことを高見沢に託して艦長室へと戻ることにする。