06
フェイル男爵家は、王都から少し離れたのどかな街に位置していた。
エルフィードの母は、4年前に病でこの世を去り、父はその後を追うようにして昨年、同じように病で帰らぬ人となった。
まだ若干17歳だったエルフィードが男爵家を継ぐにあたり、母方の従兄弟であったハーヴェイが様々な面で協力してくれた。
ハーヴェイは執事や侍女を数人派遣してくれたりもした。
だが…仕える相手は大概のことを自分でしてしまうエルフィード一人であった為、皆が口を揃えて仕事らしい仕事が無いとぼやいていた。
そんな中、唐突に養子として迎え入れられた愛らしい少女の存在に、周りは喜び、物凄い勢いでちやほやした。
「お嬢様、コックがケーキを焼くと言ってます。お嬢様はどんなケーキがお好きでしょうか?」
「お嬢様、この色のドレスはお嬢様にとても似合いますわ。本当に可愛らしい」
毎日、屋敷のあちこちでシャレルを呼ぶ声が聞こえる。
コックはシャレルが来てから、盛り付けや飾りつけにまで気を配るようになったし、シャレルが好むものを優先して作るようになった。
侍女たちは、新しい人形が来たかのように、シャレルを着飾っては喜んでいる。
最初は戸惑っていたシャレルも、次第に慣れてきたらしく、毎日楽しそうに過ごしている。
エルフィードは、自分の家が明るくなったような…少し騒がしくなったような、何とも言えない気持ちでその様子を見ていた。
「エルフィード様、お嬢様が庭師と植えた花が蕾をつけたそうですよ」
長年フェイル男爵家に仕えているコートネイも、ここ最近はシャレルの話題ばかりだった。
仕事から帰ってきて、留守中に何かあったかと問うと、必ずシャレルが何をした、どうしたという報告を受けた。
「…そうか。皆、シャレルに夢中だな」
「ええ、本当に。とても愛らしいので」
にこにことコートネイが答える横で、エルフィードは一枚の紙を手に、小さく溜息をついた。
シャレルという存在をエルフィードに押し付けてきた従兄弟・ハーヴェイからの手紙だった。
シャレルを養子として迎え入れて一ヶ月。
ようやく、シャレルもエルフィードも、今の生活に慣れてきた頃だった。
「ハーヴェイ様からは何と?」
難しい顔で黙り込んでしまった主人に、コートネイは尋ねた。
エルフィードはまた溜息をついて、手紙をコートネイに差し出した。
「…お見合いですか」
「…俺はまだ早いと思うんだが…ハーヴェイはシャレルの為にも早く結婚しろと進めてくる」
「お嬢様の為に?」
「俺が王城勤務で留守の間、寂しく無いように…との理由らしいが」
騎士隊に勤めるエルフィードは週に数日、王城へ泊り込みの勤務に出ている。
それ以外でも国王に付き添って地方へ赴くこともあり、屋敷を空けることも多い。
この屋敷に仕える者は皆、シャレルをとても可愛がってくれている。
自分が留守の間でも、シャレルが寂しいと思う暇も無いほどに。
エルフィードは、ハーヴェイが自分の為に色々と気を遣ってくれていることを知っている。
シャレルを養子に迎えろと言われたのも、何か目的があってのことだろうとエルフィードは分かっていた。
エルフィードが思うには、ベリアルの王女を養子にしたという一種のステータスをフェイル男爵家につけたかったのだろうと。
ベリアルの王女たちが、ラベルトの上流貴族に嫁いだ事実に肩を並べるステータスとして。
シャレルを引き取ってから…心なしか、周りの態度が変わった気もするが…そんなことはエルフィードにとってどうでも良いことだった。
「今から、クラーク邸に向かう」
ベリアル王国の滅亡から、その後の処理に忙しかった日々がようやく落ち着いたのに…
エルフィードは不機嫌そうな顔で、重い腰をゆっくりと上げた。
週に数日だけやって来る庭師の訪問を待ちわびているシャレルは、その庭師が来た途端、駆け足で寄っていった。
そんなシャレルの姿に、老年の庭師は目じりを下げる。
「いつ、お花は咲きますか?」
「そうですね、あと2日あれば」
「綺麗な紫の蕾だから…お花も綺麗な紫なんでしょうね」
「ええ、そうですね。お嬢様」
花壇の前に座り込み、シャレルは何度も自分が植えた花々を見た。
日に数回は、こうしてこの花壇の様子を見に来る。
少しでも、花に悪い虫がつこうものなら、すぐに取り除くし、寒さが厳しい日には、霜よけの藁を被せたり。
寒さに強い品種だと庭師から聞いていたが、ちゃんと蕾をつけるか不安だった。
その不安も杞憂に終わり、大切に育てた花が、もうすぐ咲こうとしている。
シャレルはそれが楽しみで仕方なかった。
そして、いつものように花壇の前で花を眺めていると、屋敷の扉が開くのに気づいた。
コートネイを伴って、エルフォードが上着を片手に出てきたのが見えた。
シャレルはすぐにエルフォードの元へと駆け足で向かった。
「今、厩番に馬を用意させています。もう少しお待ち下さい」
「ああ。別に俺一人で行くんだが…」
「いいえ、私もお供致します」
「すまない」
エルフィードは、自分の唐突な行動に付き合わされるコートネイに申し訳無く思ったが…
それでも、ぐだぐだと思い悩むより、ずっと気持ちが晴れるだろうと、出かけることに決めたのだ。
「おや、お嬢様ですよ。エルフィード様」
上着を羽織り、手袋をはめていたエルフィードに、コートネイが声をかけた。
コートネイの視線の方を見ると、駆け寄ってくるシャレルの姿が目に入った。
「シャレル、そんな薄着で風邪でも引いたら…」
勢い良く飛びついてきたシャレルを両手で受け止め、エルフィードはその冷たくなった肩を抱きしめた。
「ベリアルの方がずっと寒かったわ。これぐらい、平気よ」
「そんなこと言って…体が冷たくなってる」
「平気だって。ねえ、それより、どこか行くの?お買い物?」
シャレルはエルフィードと、コートネイの二人の顔を見ながら、どこかわくわくした目で尋ねた。
今日、エルフィードは仕事が休みだと言っていたから、どこかへ連れてってくれないかと期待したのだ。
「ハーヴェイの家に行くんだよ。ちょっと問題があってね」
「問題…?何?」
「シャレルには関係無いから大丈夫だ。ちょっと留守番しててくれ」
エルフィードは冷え切ったシャレルの体を抱かかえ、屋敷の扉に手をかけた。
「…何があったの?教えてくれないの?」
抱かかえられながら、シャレルは軽くエルフォードの胸を叩いた。
自分だけ除け者にされているような気がして、それが不満でもあり、不安でもあった。
「何も無いよ。ハーヴェイが手紙をくれたから、ちょっとその返事をしに」
「…早く帰って来て。待ってるから」
「分かったよ。シャレルは、冷えた体をちょっと温めておいで」
エルフォードは屋敷の中にシャレルを降ろし、頭を撫でた。
屋敷の中から侍女たちがすぐにやって来て、シャレルの冷えた手を引いていく。
その後姿を見送ってから、エルフィードは再び屋敷の外へと出た。
「エルフィード様、馬の用意が出来ました」
コートネイの言葉に、エルフィードは門へと向かう。
もし、さっき…シャレルにお見合いの話が出ているんだと伝えたら、どういう反応をしただろう。
また不機嫌になって叩いてきただろうか。
そんなことを思いながら、エルフィードは馬に乗った。