初恋の始まり
シャレル視点でのお話。
エルフィードにどうして恋をしたのかというお話です。
母が死んでから、私は大きなお城の中で、たった一人になった。
マナーの先生や、ダンスの先生。
お姉様や王妃様たち。
お父様だという王様も。
みんな、同じ仮面をつけている。
誰が誰か分からない程、私には皆が同じ仮面をつけているように見えていた。
誰もかれも、私のことなんて見ていない。
私は、いてもいなくてもどうだって良い存在なのだ。
私はそんな仮面の人たちが言う通りに行動しなくてはならなかった。
間違ったことをすると叱責を受けるから…
「ベリアル国王陛下が戦死されました…」
少しだけ雪がちらつく日だった。
薄暗い雲の空の下、お城の外の喧騒を眺めていた。
私の部屋からは外の景色が遠くの方までよく見える。
蟻のように列を成して、城へ向かってくる兵隊たち。
あれが今、戦争をしている相手国の人たちだと、旗を見ればすぐに分かった。
父だという国王が死んでも、悲しいという気持ちすら湧かなかった。
お姉様や王妃様たちは、これからどうなるんだろうと嘆いていたが…
私は、何も変わらない。
また、誰だか分からない同じ仮面をつけた人の言う通りに動くだけ。
それがどこの国の人であっても、誰であっても何も変わらない。
私が一人ぼっちなのも変わらない。
何も…変わらない。
列を成した兵隊たちが城下町から王城へ続く道に差し掛かった時。
王妃様が私の部屋へ何かを叫びながら近づいてきて、それを宰相が慌てた様子で止めていた。
王族じゃない娘なんだから、別にこの城からいなくなっても良いでしょう、王妃様が甲高い声で叫んでいた。
それよりもすぐにラベルト国王が入城されます、今はそちらを優先して下さい、落ち着いた声で宰相が答えていた。
王妃様は私のことが憎いのだ。
一番綺麗な服を着ているのが、王妃様。
その王妃様の前では、私はずっとお辞儀していなくてはならない。
顔を見せるなと言われていた。
王妃様は機嫌が悪くなると、甲高い声をあげながら私をぶったこともあった。
今のあの声、王妃様はとても機嫌が悪いのだろう。
国王が戦死したから?
何にせよ、私は悪いことをした訳じゃないはず…なのに、どうしてこうも王妃様に怒られるんだろう。
私が何をしたんだろう。
生まれてきただけで悪いと、言われたこともあった。
どうにも出来ない理由で怒られ、私はただただ耐えるだけだった。
もう、これが当たり前の生活となってしまっていた。
ベリアルの城へラベルトの国王がやって来て、今後の話し合いが行われているらしい。
ベリアルの王女たちはラベルトの貴族の元へ行くというのだ。
その話が進む中、不機嫌そうな王妃様が唐突に私を捨ててくると言った。
私もベリアルの王女として扱われていることが気に入らないらしい。
それを聞いた宰相は、慌てて私を東の使用人部屋へ隠した。
その部屋は埃っぽくて、王妃様は絶対に近寄らないから、と。
薄暗い部屋で、丸くなって、出ても良いと言われるのを待った。
この部屋に住んでいた使用人の女性は、今までの人たちよりも少しだけ、私に優しくしてくれた。
と言っても、可哀相だと言って少しだけ頭を撫でてくれただけなんだけれども。
静かにその部屋で座っていたら、突然、扉を叩く音が聞こえた。
静かな部屋にそのノックはよく響いた。
「…ラベルト王国騎士隊のエルフィード・フェイルと申します。末のシャレル王女にお会いしたく、参りました」
私の名前を呼んだその人は、全く知らない人だった。
使用人の女性とその知らない人との会話で、私がその人の家に預けられることが分かった。
どこに行ったって同じ。
みんな、同じ仮面をつけているんだから。
使用人の女性に呼ばれ、その人の前に立たされた。
ゆっくりとしゃがみ、話しかけてきたその人も、みんなと同じ仮面をつけていた。
そっぽを向いたまま、目を合わせない私に、その人は言葉を続けた。
「あなた様はこれから…」
言葉を続けるその人の顔の仮面が、少しずつ剥がれて行くのが見えた。
みんな無表情の同じ仮面で私に話しかける。
でも、この人は…その仮面が少しずつ剥がれている。
仮面が無い人なんて、見た事ない。
怖くなって、思わずぬいぐるみをその人の顔に押し当ててしまっていた。
とにかく怖かった。
いつの間にか、目から涙が零れ落ちていた。
その人の顔に押し付けていたぬいぐるみを取られ、私はその人の顔を見た。
仮面が無い、その人は少し困った顔をしていた。
仮面の無い人に出会ったのは、母以外に初めてだった。
思わず俯いた私に、彼は穏やかな口調で言葉を続けた。
一緒に来てくれる?
その言葉は、今まで薄暗かった私の心にじんわりと広がっていく明かりのようだった。
気がつけば、その人の胸に飛び込んでいた。
温かい手が私の肩をそっと抱きしめてくれた。
あの時の彼の笑顔は、忘れられない。
今でも、ずっと私の胸を締め付ける。
エルの笑顔は、暗かった私の世界を明るく照らしてくれた。
エルに抱かかえられて、王城の廊下を進んだ。
この廊下はこんなに明るかったかなあ、とちょっと不思議な気持ちで住み慣れたはずの城を眺めていた。
エルが私のことを王女と呼ぶのも、堅苦しい口調で話しかけるのも、何だか嫌だった。
嫌だという気持ちを私の思い当たる方法で表現したら、エルは困った顔をした。
どう表現すれば良いのか分からない。
それでも、エルは怒ったり、不機嫌になったりせずに、優しく話しかけてくれた。
そして、私のして欲しいようにしてくれた。
エルの名前を初めて口にした時、
何だか照れくさくて、でも凄く嬉しかったのを今でも覚えている。
エルと出会ってから、私の世界は急激に変わっていった。
環境が変わったとか、そういう話では無く。
仮面をつけていない人をよく見るようになった。
最初はびっくりしたけれど、エルが隣にいてくれると、それも安心して見ることが出来た。
今までぼんやりとしていた外の世界も、なんだかずっと明るく見えた。
世界はこんなに明るくて鮮やかだったんだ。
それは、隣に私の世界を照らしてくれる存在がいるからだ。
初めて自分の居場所を見つけた。
エルの隣という心地よいその場所を。
手を握れば、優しく握り返してくれる。
名前を呼べば、穏やかな微笑を返してくれる。
ただ隣にいるだけで、嬉しくて、温かな気持ちになる。
馬鹿みたいに優しいエルが大好き。
きっと、エル以上に好きな人なんて現れない。
そんなエルの隣がずっと、私のいる場所であって欲しい。
エルとずっと一緒にいたい。
それが、私が初めて強く願ったことだった。
多分、これからも…これ以上の願いなんて生まれないと思う。
これが、私の初恋の始まり。
きっと、最初で最後の恋。