05
屋敷の中に入ると、一列にならんだ侍女たちが目を輝かせながら、シャレルに視線をやった。
フェイル男爵家の使用人の数は少ない。
屋敷で住み込みで働いているのは、コートネイと侍女のセイムぐらいだった。
他の者たちは週に数日手伝いに来るという程度であった。
今日は、そういった者たちも全員がシャレルを出迎える為に屋敷に集まっていた。
扉を開けた途端、知らない人たちから一斉に見られたことがシャレルは少し恐かった。
エルフィードの手を強く握り、そっとその影に隠れ、中の様子を覗う。
「みんな、シャレルを歓迎してくれてるよ」
シャレルの肩に手を置き、エルフィードが優しく言った。
見上げると、エルフィードの穏やかな紫の瞳と目が合う。
それに安堵したシャレルはコートネイにしたように、スカートの裾を摘み、皆の前で一つ礼をした。
一列に並んだ使用人たちも、一斉に頭を下げ「おかえりなさいませ」と声を揃えた。
「ここが今日からシャレルの家だよ」
エルフィードが笑顔で言ってくれた言葉に、シャレルは嬉しいのに涙が出てきそうになった。
今まで、どこにも居場所が無かったシャレルにとって、初めて出来た帰る場所だった。
「…うん」
嬉しいのに、どう表現すれば良いか分からない。
ただ、エルフィードの手を強く握り返すことしか出来なかった。
エルフィードと一緒に食事を取った後、シャレルは侍女たちから湯浴みをして貰った。
その後、侍女のセイムに連れられ、二階の東の部屋へと案内された。
「お嬢様のお部屋ですよ」
セイムにそう言われて通されたが、他人の部屋にしか思えない。
見慣れぬ部屋で、シャレルはどうすれば良いか分からなかった。
勝手に色々触るのも憚られ、シャレルはベッドの隅に座るぐらいしか出来なかった。
セイムが出て行った後、静かな部屋をベッドの隅から眺めた。
窓の傍には机と椅子が置かれ、壁には花をモチーフにした大きなレースが額に入れられて飾られている。
大きな鏡台やローブも部屋の隅に置かれている。
きっと、誰かが以前、使っていた部屋なんだろう。
どれもこれも、シャレルは他人のものにしか思えず、落ち着かなかった。
「シャレル」
コンコン、とノックの音が部屋に響いてきて、落ち着かなかったシャレルの心が一気に明るくなった。
「エル」
ドアの元まで走っていき、部屋の扉を開け、エルフィードに抱きついた。
「シャレル、この部屋はどう?気に入らない?」
走って抱きついてきたシャレルを片手で受け止め、エルフィードはその顔を覗き込みながら尋ねる。
「…ううん。でも、なんだか落ち着かなくて」
「そうか。ここは昔、俺の母が使ってた部屋なんだ。だから、この部屋のものは自由に使って構わないから」
「…うん」
複雑そうな表情でシャレルが頷いた。
エルフィードの家族のことはよく知らない。
コートネイが「奥様がご存命の時は…」と言っていたのを聞いて、…亡くなったんだろうと思っていた。
「はい。これ、シャレルのオルゴール」
俯いたまま顔を上げないシャレルの頭を撫で、エルフィードは小さな箱を差し出した。
シャレルが唯一、持って行きたいと言ったオルゴールだ。
「あ、私のオルゴール…」
ぼそぼそと呟きながら、シャレルはオルゴールを受け取った。
「…慣れない?」
複雑そうな表情のシャレルの顔を覗き込み、エルフィードが尋ねる。
シャレルは暫く間をおいて、小さく頷いた。
慣れない部屋…でも、エルフィードが傍にいると、それだけで徐々にここが自分の居場所だと思えてきた。
「エル、今日は…一緒に寝て」
「もちろん。湯冷めしないように、早くベッドに入って」
「…うん!」
ようやくシャレルの笑顔が見れたことに、エルフィードも安堵した。
二人で寝転がっても、まだ十分な広さがあるベッドに横になる。
そっと擦り寄ってくるシャレルの肩を抱き、エルフィードはランプの火を消した。
向き合うように横になった二人は、暫く色々な話をした。
屋敷のこと、この地方のこと、エルフィードの仕事のこと。
エルフィードの父と祖父も騎士だったという話を聞いて、シャレルはずっと気になっていたエルフィードの家族のことを聞いてみた。
「…エルのお母さんとお父さんは…?」
「二人とももういないよ」
返ってきた答えに、シャレルの胸は少し痛んだ。
エルフィードも自分と同じように、家族がいないのだろうかと。
「いないの…?」
「二人とも、数年前に亡くなったんだ」
「そうなの…寂しい?」
「どうかな…色々と忙しくて。寂しいなんて考える暇無かったけど…やっぱり…寂しかったんだろうな…」
忙しい日々に追われ、寂しいという感情には無理矢理蓋をしてきた。
それでも、心の中に穴が空いたような空しさをずっと感じていた。
改めて思うと、寂しかったのだろう。
エルフィードは今更ながらその空しさが何なのかに気がついた。
「でも、新しい家族が出来たから…寂しく無くなったかな」
エルフィードはシャレルの頬をそっと撫でた。
シャレルの笑顔を初めて見た時、ずっと心の中にあった何とも言えない空しさが薄れた気がした。
厄介なんて思っていたのが、今では嘘のようだ。
結局、この少女の存在に救われているのかもしれない。
エルフィードは隣で丸くなるシャレルの背中をそっと抱き寄せた。
「私も、初めて…お母さん以外で初めて…」
「うん。ここがシャレルの家だよ」
「エル…ありがと…」
隣にある温もりの心地良さに、シャレルに眠気が襲ってくる。
慣れなくて落ち着かなかったはずの部屋が、今では凄く居心地が良い。
優しく背中を撫でてくれるエルフィードの手の心地よさに、シャレルは重たくなってきた瞼を閉じた。