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「お嬢様は、エルフィード様の為にずっと頑張ってこられました。夜会のドレスだって…自分で揃えれば、胸を張ってエルフィード様の隣に立てる、と仰ってましたよ」
「…シャレルがそう言っていたのか…」
「ええ。お嬢様の行動はいつだってエルフィード様を想ってのことです」
それほどエルフィードを慕っていたシャレルがどうして王太子妃になる道を選んだのか。
エルフィードやフェイル家のことを想って、シャレルが取った行動であることぐらい、コートネイにはすぐに分かった。
「…お嬢様は、この家が潰されることを恐れたのですよ。それで、王太子妃になると…」
「それでも…俺と一緒になることより、ずっと…王太子妃になった方が幸せじゃないのか。俺は何も…シャレルに与えられない」
「では、王太子妃になってお嬢様は何を得られるのですか?お嬢様は贅沢を望む方では無かったでしょう」
コートネイの言葉に、エルフィードはゆっくりと顔を上げた。
そんなエルフィードの肩にそっと手を置き、コートネイが続ける。
「エルフィード様は何も分かっておられないんですね。お嬢様はただ、エルフィード様さえ居れば良いのですよ。他に何もいらないのですよ。他の人では駄目なんです。お嬢様にはエルフィード様だけなんですよ」
コートネイの言葉に、エルフィードは別れ際のシャレルの表情を思い出した。
王太子妃になることが幸せなのだと言ったのはエルフィード自身だ。
だが、シャレルは幸せそうな表情など浮かべていなかった。
シャレルはずっと待っていたのだろう。
エルフィードからの言葉を。
自分からは聞けなかったのだろう。
フェイル家を潰すことになるかもしれないのだから。
「先代の旦那様も…よく仰ってましたね。覚えておいでですか?」
記憶を掘り返し、父が病床でよく言っていた言葉を思い出す。
あの時はただ何も考えずに聞いていた…その言葉を。
「…過去に拘って今を捨てるな」
ぽつり、とエルフィードが父の言葉を呟く。
「家の為に今ある大切なものを捨てるな…先祖代々受け継がれた家名なんて、所詮は過去のものだから…」
「そうです。過去に拘って今の選択を間違えば、未来も過去も全て失われるのだ、とも。覚えておいでですか」
若干17歳で家を継ぐことになったエルフィードに残した…それが父の言葉だった。
それはこの家に受け継がれている家訓のような言葉でもあった。
「お嬢様は、このフェイル家を潰したくないと、エルフィード様のことを想って王太子妃になると言われました」
「俺の為、か。自分の幸せを…選べと言ったのに」
「お嬢様はエルフィード様が一番なのですよ。エルフィード様はどうですか?何が一番大切ですか?」
コートネイが柔らかい口調で尋ねた。
何が一番か。
真っ先に頭に浮かんだのは、シャレルの笑顔だった。
「今からでも間に合いますよ。何かを捨ててでも、一番大切なものは守らなくてはならい。お嬢様はあなたを守る為に自分を捨てました。エルフィード様も…色々と複雑に考え過ぎて、今の選択を間違ってはなりませんよ」
あなた様が、本当に大切なもの、守りたいものは何ですか?
そうコートネイが言った時には、エルフィードの決意は固まっていた。
物事を複雑にしてしまっていたのは、エルフィード自身だ。
シャレルが王太子妃になることを幸せと思っていないのなら、
エルフィードの言葉をずっと待っていたのなら。
自分と王太子を比べて、卑屈になることなんて無い。
渡したくないのなら、それを大声で叫ぶだけだ。
簡単で単純なことだ。
それをこんなにも遠回りしたのは自分自身。
後のことはシャレルが選べばいい。
何もかも無くなるだろう。
何もかも捨てることになるだろう。
何も持たない自分でも…それでも構わないとシャレルが選んでくれるなら…
エルフィードはゆっくりとソファから立ち上がった。
「俺の選択でコートネイやセイムに迷惑をかけるかもしれない」
「いいえ。本当に迷惑なのは、あなた様が間違った選択をして、それを一生引きずられることですよ」
コートネイが目尻を下げて穏やかに微笑んだ。
「セイムには後で説明すると…」
エルフィードが部屋の扉に手をかけようとしたが…それより先に、扉が勢い良く開いた。
「いいえ、エルフィード様。説明などいりません」
両手を腰に当てて、仁王立ちのセイムが声を張り上げる。
「遅いぐらいですよ、エルフィード様!」
突然の叱咤にエルフィードは目を丸くした。
眉間に皺を寄せて目を細めていたセイムも、次の瞬間には満面の笑みでエルフィードの手をぎゅっと握り締めた。
「エルフィード様、お嬢様のことを頼みます」
そう言ってセイムは礼儀正しく頭を下げた。
コートネイとセイムに笑顔で見送られ、エルフィードは再び馬に飛び乗った。
「老体にこの仕事は堪えますから。そろそろ引退したいと思っておりました」
「あら、コートネイさんも?私も最近、腰痛が酷くって。そろそろ引退を考えていましたの」
エルフィードが馬で森を駆けていく姿を見送りながら、二人は笑いながらそんなことを言い合った。
「エルフィード様の面倒は、お嬢様にお願いしないと。何でも完璧にこなすんですよ、お嬢様」
嬉しそうにセイムが話す。
それにコートネイも目尻を下げて頷いた。
「そうですね。では、引退前の最後の仕事に取り掛かりましょうか」
「ええ、もちろん!今までに無い大掃除になりそうですわね」
セイムが服の袖を捲りながら、気合を入れた。
エルフィードが見えなくなった後、二人はいつもより楽しそうに屋敷の掃除に取り掛かった。




