41
「エルフィード、別れの挨拶は済んだかな」
広間から、城門へと向かう途中の廊下で、エルフィードはハーヴェイに声を掛けられた。
今、一番顔を合せたく無い人物だ。
「これでいいんだ。お前だって、父上たちが残した家を潰すなんて出来ないだろう?」
何も返して来ないエルフィードに近づき、ハーヴェイは柔らかな口調で話を続けた。
「…俺のことはいい。シャレルが…」
「シャレル嬢は、一番幸せな道だと言っていたよ。王太子殿下も素晴らしい人だから、何もそんな心配することは無い」
「分かってる」
普通はこれが正しい選択なのだろう。
分かっているつもりだった。
それでも、後悔ばかりが大きくなっていく。
これで良い、これが最善。
自分にそう言い聞かせていても、悲しみが増すばかりだった。
「帰ってゆっくり休むといい」
ハーヴェイはエルフィードの肩を軽く叩いた。
帰っても、迎えてくれる愛しい存在はいない。
「おかえりなさい!」そう言って抱きついてくることは二度と無いのだろう。
エルフィードは苦しい胸のうちを誤魔化すかのように足早にその場を去った。
馬を駆けて屋敷へと帰る間も、どれだけ馬を早く走らせても…
胸は苦しくなるばかりだった。
自分が何を手放したのか。
そのものの大きさにようやく気がついた。
遅すぎるのかもしれない。
それがまたエルフィードの苦しさを増幅させた。
いつもならお茶を楽しむような時間に、エルフィードは屋敷へと戻ってきた。
昼食も食べていなかったが…今はそんなことも忘れてしまうほどに、胸が苦しい。
ゆっくりと門をくぐり、屋敷へと足を向ける。
それだけの間にも、シャレルとの思い出が目に付いて呼吸が浅くなる。
庭の花々は、シャレルが大切に育ててきたものだ。
紫の花が好きだと言っていたシャレルを思い出し、エルフィードは深い溜息をついた。
もう、その存在はここには戻ってこない。
それが悲しくて、熱くなる目頭を押さえながら、エルフィードは唇を噛み締めた。
「おかえりなさいませ」
屋敷に入ると、真っ先にコートネイが出迎えてくれた。
着ていたコートを手渡すと、エルフィードは何も言わず、書斎へと入っていった。
今はコートネイとも話す気分にはなれない。
シャレルのことを聞かされると、たまらない気持ちになるから。
エルフィードは書斎に入り、窓際のソファに腰を下ろした。
感じたことが無い程に体が重たい。
背中をソファに沈め、ゆっくりと息を吐く。
その時…ソファの隣の小さなサイドテーブルに、シャレルが好きだと言っていた紫の花の栞が幾つか並べられているのが目に入った。
「…シャレルの…」
シャレルが毎年のように咲くのを楽しみにしていた花だ。
それを手に取り、裏を見ると、年号が書かれていた。
各年の花を栞にして取っておいたのだろう。
この花を、シャレルは特別大切に育てていた。
華やかさも無い、小さな野花の一種だ。
どうして、この花がそんなに好きだったのか。
7年一緒に暮らしていて、聞くことも無かった。
これから知ることも…出来ないのだろう。
思い出を閉じ込めるかのように、エルフィードは栞をサイドテーブルの上に戻した。
その時、控えめなノックが聞こえてきた。
誰とも顔を合せたくないエルフィードは何も答えなかった。
いつもは主の返事が無ければ、扉は開かれることは無い。
だが、今日は違った。
「失礼します。エルフィード様に申したいことがありまして」
エルフィードの返答を聞かず、コートネイが扉を開けた。
失礼は承知しております、と続けながらコートネイが書斎へと入ってくる。
「エルフィード様、そちらのサイドテーブルに置かれている栞は見ましたか?」
「…ああ。シャレルが育てていた花だろう」
「お嬢様がそのお花を好きな理由はご存知ですか?」
「…知らないな」
今まで聞くことは無かった。
これから知ることも出来ないだろう。
そう思っていたところだった。
コートネイは知っているのだろうか。
エルフィードの前に立ったコートネイは穏やかな笑みを浮かべた。
「お嬢様は、エルフィード様の目と同じだから、そのお花を特別大切に育てたのですよ」
ゆっくりとコートネイはサイドテーブルの上の栞を手に取った。
「7年間、ずっと育てた花を栞にして大切に取っておいたんです。お嬢様は7年間、ずっとエルフィード様を思われてきたんです」
先ほど別れを告げたシャレルのことを聞かされ、エルフィードは深い溜息と共に頭を抱え込んだ。
何を言われても、もう遅い。
どんなに後悔しても、もう遅い。
そんな後悔ばかりのエルフィードの隣に、コートネイは静かに腰を降ろした。




