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パーシーに「頑張れよ」と見送られたエルフィードが案内されたのは、広間からすぐの場所にある小さな控え室だった。
王城にやってきた貴族たちがまず通されるのがこの控え室だ。
控え室なんて呼ばれているが、その広さはかなりのもので、皿や絵なども国宝級のものばかりが飾られている。
貴族たちは、この部屋で暫くの時間を過ごし、謁見や次の部屋の準備が出来ると、そこへ通される。
シャレルも準備が整うまでの間、ここで過ごすだけで、すぐに次の場所へ案内されるのだろう。
つまり、時間をあまり掛けることが出来ないということだ。
エルフィードを先導していた騎士が、扉をノックすると、知らない女性の声が聞こえてきた。
聞いたことの無い声を少し訝しく思いながら、通された部屋に入ると…ソファに腰掛けるシャレルと、そのすぐ隣に別の女性がいた。
「フェイル男爵をお連れ致しました」
騎士の言葉に、シャレルよりも先にその女性が返事をする。
「ありがとうございます」
エルフィードを睨むかのように見てくる女性は…この城に仕えている侍女のマリーだ。
噂でしか知らない相手だが…あまりいい噂が聞こえてこない相手でもある。
気が強いことで有名な彼女によって、侍女を辞めた女性は数多くいるという噂だった。
「では、私は退室致しますね。すぐに迎えに参りますので」
不服だという感情を露にしながら、マリーは先導してくれた騎士と共に部屋から出て行った。
やはり、じっくりと話し合う時間は無いらしい。
エルフィードはゆっくりとソファに座るシャレルに近づいた。
エルフィードがあと数歩でシャレルの所まで辿り着く…
シャレルは手元に落としていた視線を上げ、意を決したかのようにソファから立ち上がった。
言うべきことは決まっている。
それでも、目の前のエルフィードの姿に心が痛いくらいに跳ねる。
まだ騎士服のまま、腰にも剣を差したままのエルフィードの姿に、何とも言えない気持ちになる。
やっぱり、誰よりも素敵だな、なんてことを思いながらも、これから告げる別れを考えると陰鬱だ。
それでも…最後は笑顔で別れを告げなければ。
「エル…今までありがとう…」
シャレルは出来る限りの笑顔で、エルフィードと向かい合う。
それを聞いたエルフィードは、物悲しい表情になった。
別れを告げられるのだと、悟っているかのように。
エルフィードの表情にシャレルも胸が一層苦しくなる。
だが、最後は笑顔で…自分にそう言い聞かせ、シャレルは精一杯の笑顔を見せようと頑張った。
「…シャレル」
静かな部屋に木霊する声は、悲しみを含んでいる。
エルフィードの声にシャレルも、押さえつけていた感情があふれ出しそうだった。
駄目だ。一番幸せな道を選ぶのだ。
一番幸せな道、それはシャレル一人でなく、皆が幸せになれる道だ。
シャレルは微笑を崩さないまま、心の中で何度もそのことを呟いた。
そして、決めていた言葉を口にし始めた。
「エル、あのね…私、この国の王太子妃になることに決めたの。ヴェスも優しい人だし…何も不安は無いわ」
不安は無い。
もっと深くて暗い、虚無感だけがある。
それでも、シャレルは自分は大丈夫だ、という気持ちを伝えなければならない。
ここで少しでも泣いてしまえば、エルフィードが心配するだろうから。
そんな姿を見せれば…優しいエルフィードは、それはもう一生、自分のことを心配するだろう。
いつまでも足枷のような存在にはなりたくなかった。
エルフィードにも自分のことなど忘れて、幸せになって欲しいと思っていた。
自分たちの子孫の代まで幸せに満ちた暮らしが続いていけば良い。
いつか、これで良かったんだね、と笑い会える日が来れば良いと。
たとえ、一生自分の中にこの深くて暗い虚無感が残っても、
世界がどれほど暗くて色が無くても。
シャレルは、幸せだと笑って言わなくてはならないのだ。
「…それが…シャレルの選んだ、幸せなのか」
「…ええ。そう…」
「それなら良い。シャレルが幸せなら…」
エルフィードは少しぎこちない笑顔を浮かべる。
渡したくないなら、渡さない。簡単なことだ、と同僚は言っていた。
渡したくは無い。
だが、自分は、ヴェスアード王太子と同じだけシャレルを幸せに出来るだろうか。
シャレルの頬に触れていたヴェスアードの姿が脳裏に浮かび、エルフィードは小さく溜息をついた。
「シャレルの選ぶ一番幸せな道が、それならいい」
本当は渡したくない。
だが、微笑を浮かべながら王太子妃になる道を選ぶ、と語ったシャレルに、エルフィードはそれ以上何も言えなかった。
ほんの暫くの沈黙の後、扉をノックする音が聞こえた。
侍女のマリーは本当にすぐに部屋へと戻ってきたらしく、扉の外から声を掛けてきた。
「もう時間は十分でございましょう」
それに対し、シャレルは小さく「はい」と返事をした。
ゆっくりと扉が開かれ、マリーはエルフィードに退室するように促す。
後ろ髪を引かれる思いで、エルフィードはシャレルに背を向けた。
一歩ずつ、扉に近づくたびに心の中の後悔が大きくなっていく。
それでも、シャレルが選んだ道ならば…その幸せを祈るしか無い。
小さく息を吸い込み、エルフィードは扉に手を掛けた。
部屋を出て行く前に、もう一度だけ振り返る。
静かに佇むシャレルの姿、その距離が別れを物語っているかのようだった。
「…幸せに」
エルフィードの言葉を聞いたシャレルは、ぎゅっと唇を噛み締めて今にも泣きそうな笑顔を見せた。
どうしてそんなに無理に微笑もうとするのだろう。
シャレルは不満があれば「エル!」と怒って胸を叩きに来るような子だった筈なのに。
ずっとこの先、シャレルはこんな風に泣きそうな顔で笑うのだろうか。
シャレル、もう一度その名を呼ぼうと口を開いた瞬間。
扉は閉められた。




