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ラベルトの王都に近づくにつれてシャレルの表情は曇っていった。
相変わらず賑やかで活気に溢れた王都を通り抜け、王城へと向かう。
目の前に聳えるその城を見ながら、シャレルはゆっくりと息を吐いた。
エルフィードに、もうすぐ会う。
大好きなエルフィードに会えることはたまらなく嬉しい。
だが、別れを告げる為に会うのであれば…どうしても喜ぶことが出来なかった。
ほんの少し、心の中で期待してしまう。
エルフィードが、夜会の日に言ってくれたように。
「シャレルをどこかに嫁がせるなんて、ご免だな」
また、そう言ってくれたら、シャレルは喜んでエルフィードの手を取るだろう。
だが、そんな身勝手な期待をしてはいけない。
エルフィードや、彼の両親や祖父母も…代々受け継がれてきたフェイル家を思えば、そんなことは出来ないのだから。
自分一人の為に、失うものが大きすぎる。
「着いたよ、シャレル嬢。エルフィードと最後のお別れをしてこようか」
ハーヴェイの言葉に、シャレルは少しだけ口角を上げて微笑みを作り出した。
聳え立つ目の前の城に胸が押しつぶされそうになる。
エルフィードの為、エルフィードの家の為。
シャレルは心の中で何度もそう繰り返し、すっと背筋を伸ばす。
笑顔で別れを告げる。
胸の上にそっと手を置き、シャレルはその一歩を踏み出した。
未来の王太子妃になるかもしれない女性が登城するそうだ。
ハーヴェイが先に寄越してきた伝令のお陰で…城中がそんな噂で持ちきりだった。
それがどこの令嬢かを聞き、皆が目を丸くした。
代々騎士隊に勤めている、城で働く自分たちも見知った人物…フェイル男爵のご令嬢という噂だったからだ。
もちろん、その噂は当の本人…エルフィードの耳にも入っていた。
「こんなところで、こんなことしてる暇あるのか」
エルフィードと向かい合わせに立つパーシーが少し顔を顰めた。
それに構うことなく、エルフィードは持っている剣の鞘をそっと前に突き出した。
王城の入口にある広間の傍で毎日行われる恒例の行事。
勤めを終えた騎士が、次の勤めが始まる騎士と交代する、儀式のようなものだ。
カチ、と軽く互いの剣をぶつけ、一歩下がり、また一歩進む。
エルフィードが持っていた剣を地面に置くと、それを目の前にいるパーシーが拾い上げる。
拾い上げた剣の向きを反対にし、パーシーは再び地面にその剣を置いた。
その剣を拾い上げ、エルフィードは再び腰に差した。
「エルフィード。こんなところで…こんな意味の無いことやってる暇あるのか?」
「交代の儀だ。意味はあるだろう」
「こんな形だけの行動。それよりもお前の大切なお姫様が、王太子妃になるかもって…どういうことなんだ」
「どうもこうも…それが彼女の選択だ」
搾り出したかのように紡がれた言葉に、パーシーは苦笑する。
そんなに辛そうに言うぐらいなら、もっと悪あがきすれば良いものを。
あれほど大切にしていたお姫様を、横から掻っ攫われて、それを黙って見ているだけ、なんて。
「お前は真面目すぎる。彼女はそんなお前に遠慮したのかもな」
自分の意思を伝えることを、とパーシーが続けた。
そんなものは聞かなくても…噂が本当であれば、それこそ意思の表れでは無いのかとエルフィードは思っていた。
「何て言ったんだっけ、彼女には」
「一番幸せな道を選べ、と」
「絶対、他に余計なこと言ってるはずだ」
長年、共に働いているこの同僚は、エルフィード自身よりも、その性格を理解している。
パーシーにこうじゃないのか、と言われ、エルフィードは否定するが、周囲はその通りだと声を揃えたことがあった。
だから、もしかすると…余計なことを口走っていたのかもしれない。
しかし、当の本人は、どの言葉がそうなのか分からなかったし、
シャレルが本当に言いたいことを言えなかったのかどうかも、今となっては分からない。
分かっているのは、自分はシャレルに何も与えられない、ということ。
王太子には何も敵わない…そのことだけだった。
「お姫様のことはいいとして、お前もちゃんと自分の気持ちを伝えたのか?」
パーシーの問いかけに、エルフィードはただ無言で顔を背けるだけだった。
エルフィードは…色々と考えすぎて、自分の気持ちを見失っているのだろう。
エルフィードの表情を見れば、シャレルを手放したくないことぐらい、すぐに分かる。
こんなに悲痛そうな表情をしているのだから。
パーシーは溜息交じりに言葉を続けた。
「ちゃんと、もう一度考えたらどうだ。一生、そんな顔して過ごすのか?」
自分が今、どんな表情なのか、鏡も無いのでエルフィード自身は分からない。
だが、そうパーシーが口にする程、酷い顔をしているのかもしれない。
「考える、か…」
「そうだ。もっと楽に考えろよ。渡したくないなら、渡さない。あれだけ大切にしてたんだろ。単純な話だ。身分や立場はその後でいいから、とにかく自分の気持ちをちゃんと伝えろよ」
エルフィードはこの自分とは真逆の性格を持つパーシーが少し羨ましかった。
物事を複雑に捉えてしまっているのは、自分なのだろう。
パーシーが言うように、簡単に考えることが出来たら…
本当は、誰にも渡したくない。
その意思をもっと強く、自分の中で主張出来たら…
小さく溜息をつくエルフィードの耳に、城門の方からざわめきが聞こえてきた。
「エルフィード殿、ご令嬢が来られました!」
城門を警護していた騎士が、息を切らしながら告げる。
「すぐにエルフィード殿にお会いしたいとのことです」




