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ダンスホールで流れている曲が3曲変わった。
その3曲目が終わる頃、ようやくシャレルの涙は収まった。
「…ごめんなさい。迷惑をかけてしまって…」
「いいよ。少しはすっきりした?」
泣いてる間、ずっと背中を撫でてくれていたその青年は、穏やかな表情でシャレルの顔を覗き込んだ。
こんなに迷惑をかけたのに、この青年はちっとも嫌そうな顔をしない。
「ええ…ありがとう…」
本当なら、礼儀を弁えなくてはならない相手なのだろうが…
シャレルは今、そんな風に自分を装うことが出来なかった。
それに、シャレルはこの優しい青年にはいつもの飾らない自分で心からお礼を言いたかった。
「良かった。ずっと…エル、って言ってたけど…それが君を泣かした相手?」
「…違うわ。私が勝手なことをしたから…エルは悪くないわ…」
落ち着いて話が出来るようになったシャレルは、青年の問いに答えた。
青年はバルコニーの柵に背を預け、シャレルの話を黙って聞いてくれている。
そんな青年にどこか安堵したシャレルは、ぽつりぽつり、と話を続けた。
「私…夜会なんて初めてで…何も分かっていないのに、エルの仕事の邪魔して…自分のことばっかり考えてた…それが情けなくて…」
「…それで…そのエルって男に失恋したの?」
「失恋…そうね。もう、愛想尽かされちゃったかもしれないわ」
「君みたいな女性を振るなんて、信じられない男だね。こんなに泣かせて…」
青年がそっとシャレルの頬を手の甲で撫でる。
青年にじっと見つめられていることに気づいたシャレルは、視線をそっと逸らした。
この青年は優しい人だけれど…
今日はあまりに人からじろじろと見られている気がして、青年の視線すら何だか居心地が悪く感じた。
「…僕にしておきなよ。泣かせないから」
くいっと顎を持ち上げられ、目の前の青年と視線が合う。
青年があまりに真剣な表情をしているので、何も言い返すことが出来ない。
ご冗談を、とさらっとその場をやり過ごせば良いのに、シャレルは頭が上手く回らなかった。
ゆっくりと近づいてくる青年を押しのけ、シャレルは慌てて身を引いた。
「…ごめんなさい…」
「こちらこそ、いきなりごめん。失恋したばかりの女性の心の隙に付け込もうとするなんてね、酷い話だね…」
「…それって…貴族の方って、皆そうなの?夜会では遊び相手を、一夜の相手を探すって聞いたわ」
準備をしている時に、セイムから一つだけ注意されたことがあった。
夜会には、人の悪い貴族もいて、一夜の相手を探しているから、気をつけて、と。
優しいと思っていたこの青年も、そんな貴族の一人なんだろうか。
信頼出来る人物だと思ったのに、と少しむすっとした表情でシャレルは青年を見た。
それに対して、青年は苦笑を浮かべた。
「そんなんじゃないんだけど、ね。じゃあ、一夜の相手じゃなければ…良い?」
「…どういう意味?愛人なんて…もっと嫌よ」
「手ごわいね、君」
そういう意味じゃないのにな。
そう青年は笑いながら、自分の服の左袖のボタンを外したかと思うと、それを引きちぎって見せた。
いきなりの行動にシャレルが呆気に取られていると、青年は引きちぎったボタンをシャレルの手に握り締めさせた。
「名前は?」
ぎゅっと手を握りながら、青年が少し屈んでシャレルに背をあわせて顔を覗き込んでくる。
「…シャレルよ…」
「僕はヴェスだよ。覚えておいて、シャレル嬢」
ヴェス…そう小さく呟くと、青年は満足そうに頷いた。
「今日みたいな日じゃ、君が警戒しても仕方ないかな。今日来てる貴族も、とんだ好色家ばかりだし。だから、僕の名前を覚えておいて。それとこれを持ってて欲しい」
「でも…私…」
「君をどうこうしたいって話じゃないから。また会いたいってだけだよ」
優しく微笑みかけられ、シャレルは曖昧な表情で頷くことしか出来なかった。
握られていた手が離れていった時…廊下に声が響いた。
「シャレル嬢?」
ハーヴェイの声だ。
シャレルは少し緊張した面持ちで声のする方に目を向けた。
「お迎え?」
「…ええ、多分」
「じゃあ、またね。僕がここにいたことは黙っててね。そのボタンも秘密だよ」
「ええ…色々迷惑をかけて…ごめんなさい」
色々と失礼なことをしたのに、ヴェスはちっとも嫌そうな顔をしない。
それに甘えてしまったことが今となっては、恥ずかしくも思う。
シャレルはボタンを握り締め、ゆっくりと頭を下げた。
それに対し、ヴェスはただ穏やかな笑みを浮かべ、黙ってシャレルに手を振るだけだった。
そして、コツコツと近づいてくる足音から隠れるように、ヴェスは再びバルコニーの隅へと身を潜めた。
「シャレル嬢」
バルコニーから出てきたシャレルを見つけた途端、ハーヴェイは少し駆け足で近づいてきた。
「…あれ、一人かい?」
「え?ええ…」
「さっき話し声が聞こえた気がしたんだけど…」
「…気のせいですわ」
ヴェスには黙ってて、と言われている。
シャレルはバルコニーに隠れているヴェスのことを口にするつもりは無い。
首を傾げて尋ねてくるハーヴェイに、シャレルは首を振るだけだった。
「まあ、いいか。それよりシャレル嬢、もう帰るそうだよ」
「…分かりました」
「エルフィードが馬車を用意してるらしいから」
そう言って、ハーヴェイは城門の方へと足を向けた。
それにシャレルも黙って続いた。




