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彗星・ストレンジ・スパイラル

カサンドラの憂鬱

作者: 百賀ゆずは

本編に詰まったので番外編をアップ。

2009年に、やっぱり本編書いてたときに、煮詰まってと言うか煮えたぎってと言うか、発作的に書いたもの。


ショウコの設定整理と能力描写の練習のつもりでした。

が、本編上がる前に書いたから、辻褄の合わないところもちらほらあったりします。一応直しましたけれども。


お楽しみいただけたら幸いです。

挿絵(By みてみん)




「……仕事多すぎ……」

 さすがに頭痛がしてきた。

 眉頭の上をくるくると揉む指の隙間から、ショウコは時計を透かし見る。

 午後三時から始めて、ちょうど一時間。

 机の上には、二グループに分けた証拠品が並んでいる。終わったのと、終わってないの。まだまだ半分、いったかどうか。

「十件か。限界かな」

 六分で一件の計算だが、最初と最後では明らかにペースが違う。

 それに、『メモリ』もそろそろ溢れそうだ。『現像』を頼む頃合だろう。

 独り言が多くなっているのもよくない。

 電話機を引き寄せ、内線を押す。

 呼ぶ音はしているが、出ない。

「……たく、もう」

 立ち上がる。

 首を回すと、ぱきぱきぽきっ、と恐ろしいくらいに響いた。乾いたような湿ったような、なんともいえない音。

 (うう、やってしまった。)

 こうやって無理に鳴らすのは首の関節に悪いのだと、この前雑誌で読んだのに、つい癖で勢いよく動かしてしまうのだ。

 今更ながらに首を押さえ、隣の部屋――特殊捜査課二係の詰め所へ戻る。


 

 係長――リーダー、大将などとも呼ばれているが、まあとにかく氷川トウゴは自席にいた。

 今までショウコがいたのは、「集中室」。

 通称「お篭り部屋」。

 要するに仕事で集中して能力を使うための場所だ。

 防音も空調も整っていて、確かにはかどる。

 が、その分妙な圧迫感があって、一度集中が途切れてしまうと、気分転換なしではとてもとてもそのまま仕事を続けることは出来ない。

 詰め所は二十坪ほど――小学校の教室ほどの広さで、それもそのはず元々この建物は小学校だったのだ。統廃合されて空いた施設を利用している。

 ということになっている。

 実際には色々からくりもあるのだが、それについては今は深くは語らない。

 部屋の中央に寄せて、やはり小学生の班活動よろしくデスクが並んでいる。三列かける二列の向かい合わせで、計六つ。

 その島から少し離れて、トウゴの席はある。

 お誕生日席のポジションだが、人が通るに十分な隙間を空けた結果、可哀想に主役の子供は村八分、なのである。

 一応管理職なので、順当な配置だろう。



 お篭り室のドアはトウゴの左斜め後ろにあり、今ショウコから見えるのは彼の後姿だけだった。

 他のメンツはみな出払っている。

 トウゴの大きな背中は、丸められていた。

 また昼寝でもしているのかと思ったが、何かの資料を熱心に読んでいるようだ。

 だからといって内線に出ないのもどうかと思うが、気づかなかったのかもしれない。そういう人だ。

 邪魔をしても悪いので、横を通り過ぎて給湯スペースへ向かう。

 うん、まずお茶を入れて、一服して、それからにしよう。『現像』を頼むのは。

 電気ポットのお湯の残りは半分程度。再沸騰のボタンを押す。本当はガスで沸かしたてがよいのだが、まあ気持ちだけでも。

 すぐにしゅんしゅんと音がしてくるのを耳で確かめながら、食器棚に伏せてある自分のマグカップを取り出した。

 ウェッジウッドのワイルドストロベリー。定番柄だが、全体的にパステルピンクなのが珍しくて、気に入って買い求めた品だ。

 トウゴの湯飲みも探したが、棚の中にも洗いかごにも、流しにも無い。

 さては、と首をめぐらせると、案の定デスクの上にある。多分朝から置きっぱなし。

 やれやれ。こんなことなら横を通るついでに取ってくればよかった。

 引き返した。

 横からそっと、手を伸ばす。

 資料に集中しているから気がつかない――かと思ったら。

「おれも紅茶でいい」

 珍しい。いつも緑茶オンリーなのに。あ、いや、玄米茶もほうじ茶も梅昆布茶も召し上がりますけれどね。

「レモンね」

「ん」

 資料に目を落としたまま、答える。低い声がお腹に響く。

 葉っぱでちゃんと入れるかティーバックを使うか、迷っていたのだけれど、これで決まった。

 ティーバックでいいや。

 それでもわざわざティーポットを使うのは、一つを使って同じ濃さで入れるため。

 沸騰したお湯を注いで、砂時計をひっくり返す。

 百均の品だが、それなりに役に立っている。

 キッチンタイマーもあるけれど、ぴぴぴっとけたたましいあれは、お茶の時間にはそぐわない。

 その間にトウゴの湯飲みを洗い、カップを温め、電気ポットに保水した。

 冷蔵庫から、市販のレモン汁とコーヒーフレッシュを出す。

 本当は温めた牛乳派だけれど、さすがに職場でそこまでの贅沢は言えない。

 砂時計が落ちきったところで、等分に紅茶を注ぐ。

 等分といっても、片方がごつい湯のみなので、わかりづらい。

 故に自分のカップの水位を優先して入れていく。

 最後の一滴、ゴールデンドロップだけは、一応上司を立てて。

 レモンとミルクをそれぞれ適宜滴下。

 トウゴのほうへは、角砂糖を三つ、放り込む。

 ぐるぐるぐる。スプーンでかき混ぜて、出来上がり。

 

「はい」

「サンキュ」

 デスクへ置くと、大きな手が伸びた。

 ずずーっ、とすする。

 ……二歳しか違わないはずなのに、何でこうもオッサンくさいのでしょう、この人は。

 はふ、と軽く息をついて、さて私も自席で飲もうかな、ときびすを返した、その背中に。

「旨いよ」

「……ティーバックですけどね」

 ついつい余計な一言で対応してしまった。しかもそのくせ「ですます」調。

 にっこり笑って「ありがとう」でいいものを。

 皆に対しては出来るのに、皆の前では出来るのに、二人きりだとどうも、何と言っていいのか、つまり。

 距離感を掴みかねる。


 席について飲んでみた自分のお茶は、なるほど確かに及第点をクリアしていた。




「――『現像』?」

 不意にトウゴが尋ねたので、慌ててしまう。

 尋ねた、というよりは淡々と確認したというか――この辺が、やりづらい。

「あ、うん。お願い――します」

「何件?」

「十件」

 じゃあ三十六枚撮り一本で足りるか、と、袖机の引き出しを開けている。

 取り出したのはカメラ、とフィルム。今時絶滅危惧種の銀塩フィルムだ。

 裏蓋を開けて、セットする。ジー、と巻き取る音。

 いつもながら、この間が苦手だ。 

 などと思いつつ腰を上げ、トウゴの傍らへ向かう。

 五十センチの空間をあけて立ち止まると、相手はようやく顔を上げた。

 そのまま瞬時、目が合う。

「……立ってよ」

 そのままじゃ手が届かないでしょ。それとも私に頭下げさせる気?

 内心苛立ちを覚えながら見下ろすショウコの目線を受け止めて、トウゴの瞳は真っ直ぐ透明だ。

「篭り部屋行くか?」

「いいわよ、ここで。すぐ済むでしょ」

 んじゃ、とトウゴは立ち上がる。

 ぬ、という感じだ。

 百八十センチ近い長身に、がっしりした体躯。それでも鈍重そうではないのは、筋肉よりも骨格の頑健さが目立つせいだろうか。

 側に立たれると、圧迫感がある。

 ひょい、と肩に手がかけられた。そのままどこがどうなったのか、くるりと位置が入れ替わって、気がつくとショウコはトウゴの椅子に座らされている。

「座って」

 セリフとアクションの順番が逆です。

 抗議する前に、額を押さえられた。

「――っ!!」

 冷たい、という悲鳴を、ぎりぎりこらえる。

 それは言っちゃ駄目、言っちゃ駄目。

 トウゴの手は、もちろん氷ほどに冷たいわけではないが、冷え性のショウコが冬の日に水で雑巾をすすいだ後程度には冷たい。

 大きくてがっしりした手、特に青白くもなく血色もよさそうな見た目とのギャップが余計にそう思わせる。

 ぎゅっとつぶった目まで隠すように、トウゴの手が覆う。

「撮るよ」

 だから、先に、言えと。いくら言ってもこの人は理解しない。

 しかしぶつくさ考えてしまうと、ノイズが発生してしまうので、ショウコは無理やり頭の中身を切り替える。

 先ほど「見た」証拠品。その映像。脳内で再生を開始。

 そうして、数十秒か数分か。

 わずかでもショウコの体温が移ったんじゃないかな、と思える頃、トウゴの手は取り払われた。

 そろそろと目を開けたら、視線がかち合った。

「……」

 少し、もの言いたげな沈黙。

「何?」

「いや。じゃあ篭る。あと頼む」

「――三十分?」

「一時間」

「四十五分」

 ん、と了承なのか不満が残るのかわからない音を残して、トウゴは「お篭り室」へ入っていった。

 ドアがみちっと閉められて、取り残されるはショウコ一人。

「……ふう」

 ため息も出ようというもの。

 出会いからもうすぐ三年。いまだつかめない。

 トウゴの椅子に腰掛けたまま天井を仰いで、再びそっと目を閉じた。



◆ ◆ ◆



 ショウコ――祥子が覚醒したのは、十九歳のときだった。

 遅い目覚めだ。二十歳過ぎの覚醒率がゼロという報告を信じるなら、まさにギリギリ。

 ――ぎりぎり、セーフなんだかアウトなんだかはわからないけれど。

 それにしても、祖父母のうちの最初のひとり、母の母が亡くなったのは、まだ中学生のときだったので、随分と間が空いたものである。

 もしかして、あんなきっかけでなければ目覚めなかったのかもしれない。



 大学の一年生だった。

 推薦で入ったので、高三の終わりからずっとバイトに明け暮れていた。

 バイト先の店長と恋仲になった。

 穏やかで優しく、誠実そうな人だと思っていた。

 しかし彼には奥さんがいて、小学生の子供までいた。

 そこまではよくあることだ。

 祥子には妹がいた。二つ違いで、まだ高校生になったばかりだった。

 店長、は妹にも、手を出した。

 妹に言わせれば、ずっと前から好きだったのに、祥子のほうが後から出てきて彼を寝取ったのだそうだが。

 泥沼の多角関係。

 ぼろぼろになった挙句、祥子は彼に階段から突き落とされた。



 ――という未来が、突然目の前に広がった。

 予知の【力】だった。

 バイト先で、わざと遅くまで残って、二人で睦みあっていた、そのときだった。

 初めてのことで、現実と予知の区別がつかず、混乱した祥子は、見たままのそれを彼に喋った。

 喋ってしまった。

 もちろん彼は驚いて――誤魔化した。妻子がいることについて。

 しかし、妹とのことは誤魔化す必要は無かった。何故ならその時点では、二人の間に一切そのような関係はなかったからだ。



 だが、祥子の予言は、結果的に当たった。

 そんな話をしたのにもかかわらず、店長は祥子の妹と関係を持つことを止められなかった。

 そんな話をしたのにもかかわらず、祥子は泥沼に踏み込む前にあきらめることが出来なかった。

 一度見た未来をすべてなぞっていくのがわかりながら、そこからはずれられなかった。



 そして祥子は階段から突き落とされ――完全に覚醒した。

 【キャリア】の条件、第二段階の【引き金トリガー】。

 『その能力を以て、二親等内の肉親を死に至らしめること』。


 祥子のお腹には、小さな命が宿っていたのだ。

 けれどその子供は、生まれることなく亡くなってしまった。


 搬送先の病院で処置をされ、麻酔の効いた状態で、祥子は「見た」。

 この病院に駆けつけようとした妹が、交通事故に巻き込まれること。

 助けようと思った。恐らくそれは本当に、そう思っていた。

 だが、霞のかかったような思考と回らない口で、付き添いの母に妹の危機を伝えたその時、ちょうどその時刻の数分後に、予言は実現した。

 いくら携帯を鳴らし続けても答えはなかった。その絶望は今もクリアに記憶している。


 【キャリア】の存在は一般に知られていない。

 だから祥子には、自分が何者になってしまったのか、わからなかった。考えも及ばなかった。

 ただ、変わったのだ、ということだけがわかった。

 偶然などではなく、これは自分が引き起こしている事象なのだと。

 頭ではなく遺伝子のレベルで「知っていた」。



 怯える夜に、不眠が続いた。

 眠れないのではなく、眠りたくないのだ。また夢を見そうで。

 しかし我慢も限界に来て、一瞬落ちたそのときに、また明確なビジョンを見た。

 彼――妹の事故以来連絡もしていない元恋人もまた、とある事件に巻き込まれると。



 言うべきか、言わないべきか、悩んだ。

 言っても変えられなかった前例が二つもある。

 だが、言わなかったせいで、悲惨な未来を変える機会を逃すのだとしたら、それも耐え難いことだ。

 救いを求めて伸ばした指先に、偶然――あるいは必然だったのかもしれないが――触れたのが、トウゴだった。

 彼はその頃すでに【キャリア】であり、とある事件を追っていた。

 その事件というのがまさに、祥子が予知したものであったのだ。


 ――助けてください。

 泣きながら、すがった。

 自分の身の上にこれまでに起こったこと、事件について見た《ビジョン》、すべてを話した。

 ――助けてください。このままだと『彼』が……命を落としてしまう。


 だが。

 トウゴと、その仲間が全力を尽くして事に当たっても、被害は防げなかった。

 『彼』は死んだ。祥子の言ったとおりに。


 そこで祥子ははっきりと悟った。


 私が、『彼』を殺したのだ、と。


 祥子の見た《ビジョン》の中で、彼の生死については不明瞭だったのだ。

 確かに怪我をしていたが、致命傷であるかどうかはわからなかった。

 もう少し事実を言うと、致命傷になるとは思えなかった。


 だが、祥子は「命を落とす」と言った。


 大げさに言ったほうが、助けてもらえる。そう思ったから?

 違う、と思う。

 恐らくその時、予感はあった。

 自分の言葉が、単なる「予知」を「確定事項」に変えてしまうのではないか、という予感。


 後で事件の詳細をトウゴに尋ねた。

 思った通りだった。

 《ビジョン》に出てきたけれど、話さなかった事項がいくつかあったが、それは現実にならなかった。危うい場面もあったが、防がれたのだ。


 祥子が目覚めた【力】――それは「予知」というよりも「予言」。

 災厄を防ぎたいと思っても、語った瞬間に実現が確定してしまうジレンマ。


 特殊すぎる事例ゆえに、研究所で何度も何度も実験をした。

 良い方向へ変える実験もしてみた。

 たとえば「飛行機の○○便が墜落するが、死傷者はいなかった」と予言する。

 祥子の脳裏に映った情景では、新聞記事の死傷者の数まで確かであったけれど、そこを変える。言い換える。

 はたして予言どおり、事故は起こり――そして死傷者はいなかった。

 その時は本当に嬉しかった。これで自分も罪を償うことが出来る、と思った。

 だが、数日後。

 別の飛行機が落ちた。

 最初に予知したよりも規模が大きく――最初に予知したよりも、沢山の人が傷つき、死んだ。

 もちろん因果関係が証明されたわけではない。

 だが、祥子にはわかった。

 これが代償なのだ、と。

 あまりにも無理に恣意的に未来を変えることは、不可能なのだ、と。



◆ ◆ ◆



 予知能力を封印し、選んだ「転換方法」は「過去を見ること」だった。

 それも、むやみやたらに見てしまうのではなく、触媒を必要とする能力――サイコメトリーと限定する。

 対象は無機物、無生物のみ。

 転換のルートを確定することには成功した。だが。

 思わぬ不具合が発生した。


 読み取った情報を、言語化することがどうしてもできなかったのだ。


 話すことが出来ない。

 書くことも出来ない。

 たとえば事件の現場に行って、そのルートを歩きたどって見せることは出来るが、「ここです」の一言は口から出てこない。

 自分が読んだ情報をもとに、捜査の方向を誘導することは出来るが、かなりの遠まわしな表現になってしまう。

 絵による表現は影響を受けなかったが、残念なことにショウコには絵心が皆無だった。説明無しでは犬とポストの区別も出来ない。

 無理に言語化しようとすると、読んだ情報が脳内から消去され、同じ証拠品からは二度と読み取ることが出来なくなってしまう。


 意外に、というか実に、やっかいな【枷】だった。

 お手上げだった。


 そこへ助け舟を出してくれたのが、他ならぬトウゴであった。

 それでは自分の能力――念写で写し取ってみたらどうだろう、と。

 ショウコが読んだ風景――事件現場や犯人のイメージその他を、フィルムに焼き付ける。

 実験は大成功だった。

 犯人の人相風体などは、むしろ言葉で伝えるよりも鮮やかでわかりやすい。

 また不思議なことに、一度写真になったものに対してならば、ショウコはわずかながら言葉での補足を加えることが出来たのだ。


 おかげでこの能力は重宝がられた。

 「【キャリア】の能力使用は対超能力犯罪のみ」という絶対条件があったはずだが、上野署から回ってくる証拠品鑑定の仕事は、一般の事件も多い。

 というか、あっちは一般事件、こっちが超能力事件と部署が分かれているのだから、回ってくるものはまず一般の事件の証拠品と決まっているようなものだが、「もしかして超能力が絡んでいるかもしれないから」という理由がくっついて、毎日段ボール箱いっぱいの依頼が来る。

 突っ返すことも出来るが、良好な関係を保つため、また、超能力者の地位向上のためには、やらないよりはやっておいたほうがいいだろう。

 そう考えて、ここのところ本業で大きな事件がないのを幸い、毎日お篭りをしている次第だ。



◆ ◆ ◆



 ――あれ。


 はっと気がつく。

 しまった。寝ていた。口元によだれ。

 ありえない。仕事中に。

 しかもここ、トウゴの席ではないか。うわ、うわ、資料に突っ伏していた。よだれ垂れてないよね?

 袖で辺りをこすってみてから、周囲を確認する。

 まだ誰も帰っていない。よかった。

 時計を確認する。五時半。お茶を飲み終わったのが四時半になるやならずだったから……約束の四十五分はとっくに過ぎてる。

 顔から血の気が引いた。

 慌てて立ち上がる。立ちくらみをこらえて、お篭り室へ。

 ノックと同時にドアを開ける。

 トウゴは、ソファに寝そべって、目を閉じていた。

 胸元に抱えたカメラ。


 大分お気楽な姿だが、これが彼のスタイルだ。

 睡眠中でないと、念写能力が働かない。

 故に彼は、お篭り室にいる間はほぼ寝ているといってもいい。

 大体一人では起きてこないので、ショウコが専用目覚まし係となっている。

 それなのに、自分が寝てしまっては話にならない。

「ちょ、トウゴ、起きて、ごめん、寝過ごした」

 わたわたと近寄る。

 慌てるのにはわけがある。あんまり能力モードの睡眠が連続すると、消耗が激しくなるのだ。彼自身の消耗も激しくなるし、また封印も消耗して弱まってくる。

 彼の念写もまた転換方法であり、封印された【力】は別にある。

 【力】は一様にやばいものばかりだが、彼のそれもまた希有であり――兇悪だった。

 もしも封印が外れでもしたら……。

 ショウコは身震いした。

「起きて、朝だよ、遅刻するよ」

 自分でもよく分からないことを口走りながら、ソファの横にひざまずき、がっしりした肩を揺する。

 ――冷たかった。

 別にそれはいつものことで、トウゴの【力】というか本性と繋がっている事象で、だからそんな風に感じる必要はないのだが――。

 何だか、泣きたくなった。


「起きてよ、起きなさい、ぶつわよ、ちょっとぉ」

「……ん、あと、五分」

「――言ってる場合かあああ!!」

 反応があったのにほっとして、それを誤魔化すように更に声を張り上げる。

 防音設備が整っているのは幸いだ。

「う……ふわあああ」

 あくびだか伸びだかをして、トウゴが薄目を開く。

 とろんとした黒い瞳に、ショウコの顔が映っている。

「……ショウちゃんさあ、熱ない? 手ぇ熱いんだけど」

 言いながら身を起こした。

 と思ったら、そのまますっと顔が寄ってくる。


 こつん。

 

 前髪をかきあげられ、額に額がつけられた。

 冷たい。

 ぞくぞく、と背筋を走る、何か。


「……熱いよね、やっぱり。さっき額触ったときも思った」


 あんたが冷たいんでしょ!!

 ――は、禁句。

 人としての命を失いつつあるが故に、体が冷えていくこの人への、絶対的禁句。


「最近、無理してない? 鑑定しごと多すぎるって、言っておこうか?」

 額と額の接触が、目じりと目じり、頬と頬へと移っていく。

 多分トウゴは寝ぼけていて、ショウコの――他人の熱が恋しいのだ。

 冷たい指が、頬をなぞり、耳たぶを掠めるように頭の後ろへ回される。

 唇の端に、唇の端がつく。

 伸びかけたひげがちくりと痛い。


「……ばか」

 微かに漏れた声が、自分でも驚くくらいに甘かった。

 だから続けて、言ってみた。

「こんな風にされたら、火照っちゃうの当たり前じゃない……」



「え……?」

 トウゴの動きが止まる。

 すかさず耳を引っ張って、顔を引き離す。

「あいだだだだ」

「なんて、言うと思ったか、この万年寝坊助野郎!! セクハラまがいなことしてないでさっさと起きなさい!」

「まがいじゃないな。セクハラだ」

 またすっとぼけて。

 ぎり、と奥歯をかみ締める。

 本当にもう、距離感のつかめない人だ。

「いや、ごめんって言ってるんだよ。ほんとに。寝ぼけた」

「顔洗ってきなさい。……多分、ついてる、ファンデ」

 すっと立ち上がる。これ以上目線の高さを合わせていられない。

 ――もうちょっとで、紅がついちゃうところだった。

 鼓動は今更早くなっている。それとも今更気がついたのやもしれないが。

「おれ思うんだけど」

 顔をこすりながら、トウゴは話を続けた。こちらの心を知ってか知らずか、いつも通りの鷹揚な声で。

「仕事量は確かに多いな。向こうへ言っとくから、ショウコも受けないように」

「……まあ、『現像』も多くなるものね」

「あ、うん、そうそう。これ以上続くとおれが『キレる』かもって」

 薄く笑う。

 ショウコが返答に困っているところへ、更に話は続く。

「あと、起こし方悪い」

「……なに?」

 思わぬクレームに、片眉がぴくりと上がってしまう。

 文句があるなら自分で起きてこい、と怒鳴りたいのを飲み込んで、腕組みして見下ろした。

「……それじゃあどういう起こし方がいいっての? 言っておきますけど、今日はかなり優しく起こしたつもりだけど」

「……いや、だからそれがね、ほら……まあ……いいや」

「だから何」

「顔洗ってきます」

 のっそりと立ち上がる。目線の高さ、逆転。

「わかったわ。次からはいきなり鳩尾へニードロップにしておく」

「ああそれ、いいね」

 はははと笑いながら、トウゴは部屋を出て行った。



 ああ、もう、やれやれ。


 ここ数日、微熱が続いてるのは本当。

 うっかり居眠りしちゃうくらい疲れているのは本当。


 あの冷たい指で触られると、頬が火照ってしまうのも、本当。



 わかってる。距離感がつかめないのは、何も彼の性格のためだけではない。

 私の中で彼の位置づけがいまいち決まりきっていないからだ。

 単なる上司というには、色んな顔を見られすぎているし、こちらだってそれなりのことを知っている。

 【キャリア】の寿命についての説も、二係では二人しか知らない。

 秘密の共有、というほどじゃないけど、時折投げてくる彼の目線や、何かにつけて盾になろうとする行動に、心の裏を思ってしまうのは多分自分ひとり。


 ――ちがうのよ。そうじゃないのよ。


 何ともつかない言い訳をして、ため息を一つ。

 いけないいけない。そろそろみんなが帰ってくる。仕事モードに入らなくては。

「切り替え!」

 頬を軽く叩いて気合を入れ、とりあえず机に山積みのままだった証拠品を片付け出す。

 これが終わったら、湯飲みとカップを洗って、トウゴがデスクの上に広げっぱなしの資料も整理して……。

 やることを列挙するうちに、だんだんと落ち着きが戻ってくる。

 やがて仕事の段取りを突き抜けて夕飯の献立まで考え出した頃、アキラたちが帰ってきて――

 ショウコはいつものようにめいめいの好みを考えて、お茶をいれて回るのだった。 

お読みいただきましてありがとうございます。

これを読んで面白かったという方は、是非本編の「きみの手をとる物語」もどうぞ。


カサンドラ、というのはギリシャ神話に出てきます。

トロイの末娘王女です。

美人だったもんでアポロンに言い寄られて、

アポロンは「僕と付き合ってくれたら予知能力をあげるよ」って言って、

カサンドラは一度は了承してその力を得るのですが、

おかげで将来アポロンが浮気して自分を捨てることもわかってしまって、

お付き合いをお断りする。

アポロンは、だからといって上げた力を取り消すことは出来ないので、

「じゃあ誰一人としてお前の予言を信じないようにしてやるよ」

って言って実行してしまう。

ひどい男です。

おかげで彼女は、母国トロイが滅亡することがわかっていながら、

ただ指をくわえて見ているしかなかったという。


というところから、ショウコさんというキャラは出来ています。

美人が、器官や機能に原因があるわけではないのに

言葉を封じられている、というシチュが好きです。

「白鳥の王子」のお姫様とか、ぞくぞくします。

アンデルセンて「またお前それか!」っていうくらい

美少女を悲惨な目に遭わせて喜んでる気がしますが、

白鳥の王子はグッジョブ! とか思ってしまう。


あと、上司と部下(秘書)ってのも好きです。

ハーレクインとかに多いですよね。

図書館で借りて五冊くらい一気に読んだら、

処女率の高さが意外でした。

アメリカでも処女信仰あるのかしら。


「ある事件」については、いつかちゃんと書きたいなあと

思っています。

そのときはタイトルを「嘆きのカサンドラ」にするつもり。


ではでは。

本当にありがとうございました。

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