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「うん……うん」
唸っているのは灸である。
灸の目の前には大きな黒い鳥居。注連縄も真っ黒。鴉橋、と言うくらいだから、もしかすると鳥居ではなく鴉居なのかも知れないが。
「うーん……ん」
とりあえず困ったのは何となく嫌な予感が鳥居もとい鴉居の中から漂っていること。
くぐりたくない。でもくぐらなけばならない。
灸はもう三十分以上も鴉居の前で悩んでいた。
自分に身の危険が及びそうなときには悩むのだ。心ゆくまで。
ギャアギャア、ギギギャア!
その時、その嫌な予感を体現したかのような不気味な鳴き声が鴉居の中から。
「ん、良し。帰ろう」
くるりと踵を返す。
嫌いなのは高い所と怖いもの。
こういうところは普通の女の子な灸だった。
しかしこういう時に逃げるとか隠れるとかが上手くいったことが無い灸。それは生来の体質なのかも知れない。
嫌な体質だ、と思いつつ灸は走る。
今回こそは上手くいくかも知れない。何十度目かの正直だ。三度目どころではない。三度で済んでたら今頃こんなことしてない。
にゅるり、と。ぬちゃっ、と。
つらつらと頭の中で現実逃避しながらとたとたと橋を逆方向に走っている灸の右足に、嫌な感覚。
正確に言えば足首。紛うことなき右足首。
何かに足を取られてかくんと無様にすっ転んだ灸。
その何かは更に灸の足首を引きずって鴉居の方へずるずるり。
「やめっ、止めっ……誰かああぁぁぁ!!」
叫ぶ灸。
しかし誰もいない鴉橋。
「くっそ、このっ、このっ!」
自分の足を焦がさないようにその何かを燃やそうと炎を放つ灸だが、それは燃えもしなければ溶けもしない。それどころか傷一つ付く様子を見せないそれに、灸は本能的な恐怖を感じる。
即ち、
「喰われる!おいしく頂かれてしまうっ!!」
的を外して何千里。
それが灸の可愛いところ。なのかどうかは分からないが、とりあえずその叫びに反応したのかその何かの引っ張る速度が増したのは言うまでもない。
「ぜえ、はあっ……」
ひたすら抵抗をしてみたものの全て無駄に終わった灸は、冒頭の鴉居の中に引きずり込まれていた。
と言うところで灸の足を引っ張っていた何かが消え、灸は一人鴉居の中に取り残されたのである。それが幸か不幸かは知らない。
先程まで辛うじて見えていた鴉居も鴉居の中になぜか生い茂っていた植物により見えなくなり、まあ要するに灸は現在絶賛迷子中。
「……で、私はどっちに行けばいいんだ」
ぽつねんと、一人。
その頃毛糸に囲まれた家では。
「ひーくーん、縁ちゃん、用意はいい?」
「うん!ばっちりだよっ」
「はい。……でも、本当に私にも教えて頂けるのですか?」
「もちろん!でも縁ちゃんもひーくんの手袋、手伝ってあげてよ?」
「はい!私が出来ることなら何なりと!」
「ってことだから、ひーくん、とびっきり可愛い手袋をやっちゃんにプレゼントするわよ!」
「「おーっ!!」」