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「……すまないが、名を教えてくれないか。聞いていなかったような気がしてな」
白狐と黒狐の家の中。応接間にある木で出来たテーブルを挟んで同じく木で出来た椅子に座り、幼女と黒狐は対峙していた。
幼女の横にはやつれたような顔の灸と聖が幼女を挟むように立ち、静かに黒狐へ助けを求めている。
「コスモよ。身分はさっきも言った通り昔大陸から渡ってきた一介の精霊で、今は那舞の森の統治者」
鈴のような声音でコスモと名乗った幼女はそう言いながら薄く笑い、鳶色の長い髪の毛を揺らす。細められた目は透けるような緑色だが、左目と右目で色が違う。左は萌葱色、右は翡翠色だ。
確かに、コスモの目に浮かんでいる表情は幼女に出せるものでは無い。それなりの年季を経ていないと、今コスモが出しているような曖昧でつかみ所の無い表情を出せる者は少ないだろう。
「那舞の森、か」
「そう。そしてやっちゃんとひーくんのこの服を作ったのも、あたし」
コスモはそう言いながら、傍らの灸の神主服の裾を軽く引っ張る。灸は少しよろめいた。
「今回妖怪町を訪れた目的は?」
「無粋なことを聞くのね。目的が無かったらこの町には立ち寄ってもいけないの?」
「…………」
黙りこくってしまった黒狐を見てけらけらと笑うコスモ。
「今のは冗談。ここの神木の様子を確かめに来ただけ。あと、やっちゃんとひーくんの成長具合もね」
見た目に似合わぬ口調で話すコスモの言葉は、上から目線なれど耳に心地良い。黒狐はそんなコスモに嘆息し、口を開いた。
「神木と言えば……今の異変について詳しく聞きたいのだが」
「あ、それ?ちょっと前にも言ったと思うけど、あれはただの自然現象みたいなもの。……神木現象とでも言えば良いのかな?」
コスモはそこで少し考え込むように言葉を切った。
「まあ、気にすることは無いよ。時期が来れば鴉は消えるでしょう。……ただ――」
「ただ?」
灸が耳聡くその言葉に反応する。
「ただ……ね。少しおかしなことが起こると思うけど、貴方達の予言者の言葉は間違ってはいないわ」
「なぜ夜迷鳥の事を知っている?」
「秘密」
いたずらっ子のように口に人差し指を軽く当てるその仕草は、まるで見た目年齢相応のよう。
「教えてはくれないのか」
「ええ。貴方に話す事では無いもの」
呆れたように額に手を当てる黒狐の姿を見て、灸は目を見開いた。
その仕草は黒狐の降参のポーズ。灸は黒狐が口喧嘩で誰かに負けた所を見た事が無いのだ。口が達者なあの白狐でさえも、黒狐の口車には敵わない。
「分かった、歓迎しよう。コスモ殿、この町に滞在中は灸と聖の家を使うと良い」
「ちょ……黒狐様?!」
「コスモ、で良い。泊まる所は元からそのつもりよ」
慌てふためく灸と聖を尻目に、二人はさっさと話を進めてしまう。
「灸と聖だけでは緊急事態の時に不安だろう。一人護衛をつけるが、希望はあるか?」
「そうね、女の子がいいわ。灸より年下の」
「そういえば灸、お前の年はいくつだったかな」
「……十七です」
「そうか。……大丈夫か?疲れているようだが」
「いえ……」
それは黒狐様のおかげです、と灸は心の中で静かに呟いた。
「便と申します。コスモ様、灸様、聖様、これからしばらくの間お世話になります」
コスモに半ば引きずられるように家へと向かうと、家の前には既に十二、三歳程の女の子がいた。便と名乗るその少女に、灸と聖はなぜか見覚えがある。
「失礼だが、どこかで会った事があるだろうか」
短く濃い黒の髪に下着が見えそうな丈の着物に高い下駄という出で立ちのこの少女をどこかで見たなら、これだけ衝撃の強い見た目の少女、記憶には残っているものだろうが、そこまではっきりと残っている訳でも無い。
そう言って首を傾げる灸と聖を見て、便は軽く微笑み、口を開く。
「忘れてしまったのですか?つい先日お会いしたばかりですが……ああそっか、あの時はこの姿だったから」
灸が瞬きした次の瞬間には少女の姿は無く……
……代わりに、そこにいたのは何万羽もの鴉だった。
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