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結局のところ要は灸と聖の食べる分をしっかり把握していたらしく、聖が自分の食べる分を取っても灸の分はまだ袋の中に十分残されていた。
「……悔しい程旨い」
もぐもぐと微妙な顔で口を動かしている灸を傍目に、その首にかかっているマフラーを恨みを込めるかのように凝視している聖の顔がやけに怖い。
「僕……僕、要さんに編み物教えてきてもらう!」
「精々三日以内で諦めないようにな」
「そんなことしないもんっ!!」
すくっと立ち上がった聖は、いーっ、と綺麗な白い歯を灸に見せ付けてから勢い良く扉を開けて外へ飛び出して行く。
「まるで子供だな。穢とは比べ物にもならない」
その後ろ姿を開いたままの扉から眺めながら、灸は独り言ちた。
「たまには単独行動も悪くは無いだろう」
と、いう理論で灸は適当に町中をぶらぶらすることにした。何にせ灸の後ろにはいつも聖が付いているのだ。プライベートも個人情報も何もあったものではない。
それならば聖がいない今日ぐらいは。
そう思いながら灸は玄関を出た。扉は閉めるが、鍵は掛けない。そんなもの端から付いてなどいない。そもそも家とは即ち寝床。寝床に鍵を掛けるぐらいなら襲いに来た奴を返り討ちにしてくれる。妖怪町の妖怪たちは皆そう考えている。
「あっ!……久し振りだな、灸じゃねぇか」
つらつらと思索に耽りながら通りを歩いていた灸の耳に、久方ぶりに聞く声が飛び込んでくる。
「ん……黒金魚か」
それは黒い金魚の化身、掬である。いかにも眠そうにあくびなど噛み殺しながら灸の方へと歩いてきた。
「そろそろ普通に掬って呼んでくれねぇかなぁ?」
「じゃあ掬、そういえば結はどうした」
「そう簡単に変えられてもなぁ……結なら何か用事があるとかで夜早くから出かけちまった」
「そうか。……で、お前は一体どう呼んで欲しいんだ」
「どうとでも」
軽く冗談を言い合いながらそのまま通りをすたすたと歩いていく二人は、傍目からはいいコンビに見えた。
「ところで掬」
「あぁ、結局そっちにしたのか」
「この頃鴉がやけに多くないか?」
自分の台詞を無視して続けられた灸の話に多少むっとしながら、それでも掬は空を見上げる。
そこにはガアガア、ギャアギャアと玉の群れになった鴉が何十羽も舞っていた。
「確かに多いなぁ。誰か何かしたのか?」
「さあな。ただの鴉の気まぐれかも知れんし、お前の言うとおり誰かが何かをしているのやも知れぬ」
「夜迷鳥の所に行ってみるかぁ?」
ふ、とそろそろ白くなりそうな吐息を零しながら両者は対峙する。
「酔いどれ掬にしては良い案が出たな」
「あん?別に俺はいつも酔っちゃあいねぇよ。それに今は結の奴から禁酒令が出てよぅ……あー酒が飲みてぇ」
言いながらその無造作な髪の毛をわしゃわしゃと掻き回す掬に、ため息を吐きつつ目を眇めて灸は言った。
「道理で掬がこんな所をうろうろしていたわけだ。お前、誰かに酒を無理やり飲ませてもらおうとでも考えていたな?」
「ぅぐ、何でその事を……!」
「態度を見ていたら解る。大方無理やり誘われたから断れなかったとか結には言い訳するつもりだろう」
「そこまで……。あぁ降参降参。やっぱ灸には敵わねぇかー。さすが頭のいい奴は違う」
「おだてても酒は出ないぞ」
「分かってるって」
「禁酒ならいくらでも付き合うがな」
「あぁはいはい。……ってぇ何で俺の周りにはこんな奴ばっかり集まるんだよ」
「何か言ったか?」
「いいや。それよりも夜迷鳥の所に行くんだろう?早く行こう、なっ?」
わざとらしく言い繕う掬にもう一度ため息を吐きながら、灸は夜迷鳥の住んでいる森へと足を進めた。