27話 師匠の独白
「いくよ! 凜ちゃん!」
「う、うん。どこからでもかかってきて!」
刀を構える凜ちゃんに向かって、私は駆けていく。
「はあ!」
私は凜ちゃんに気合の叫びと共に刀を振り下ろす。
雫さんとの決戦の日の前日。
私と凜ちゃんは朝早くから訓練所に赴き、鍛錬をしていた。
凜ちゃんは昨日が初任務で、疲労も蓄積しているだろうに、私の特訓に付き合ってくれてる。
本当は私一人で鍛錬をするつもりだったのだが、凜ちゃんが鍛錬に付き合うとのこと。
初任務もあったし、私としては英気を養ってほしいなと思い、断ろうとしたけど、凜ちゃんのやる気満々に溢れた輝かしい瞳に、私は何も言えず、ありがたく凜ちゃんのご厚意に甘えることにした。
今は、私は凜ちゃんから提案された鍛錬を行っている。
どういう内容なのか簡潔に答えると、
私が攻めて攻めて攻めまくって、凜ちゃんの防御を崩すという内容。
その提案に私は最初、素直に頷くことは出来なかった。
先も言った通り、凜ちゃんは昨日が初任務。ちょっと寝ただけで、早々に疲労が回復するわけじゃない。
だと言うのに、凜ちゃんはきつい方であろう、防御する側に回りたいと、強く願い出た。
攻める方は、自分のタイミングで攻撃を仕掛けることもできるし、攻撃を止め休憩も出来る。何なら、どうやって攻めようか思考の猶予もある。
だが、反対に防御する側は、相手の猛攻を防御し続けないといけないし、相手の攻撃を防御するため、相手の一挙手一投足に集中しなければならず、気が抜いてる暇はない。
他にも多々あるけど、絶対に防御する側は、攻める側に比べて、全ての負担が大きい。
ただ、凜ちゃん曰く、私に刃を向けるのは嫌、とのこと。なので、半ば強制的に、私が攻撃側に回ることに。
一応は凜ちゃんに少しでも身体に支障がきたしたら、我慢せず言うように伝え、凜ちゃんはそれに了承すると、私たちは鍛錬に打ち込んだ。
「はあ、はあ」
凜ちゃんに打ち込むこと、三時間ほど。
結果として、全く歯が立たず、一度として凜ちゃんの防御を崩すことは出来なかった。
どんな策を施しても、凜ちゃんは私の攻撃を予測しているかの如く、次々と私の刃を捌いていった。
その上、凜ちゃんは開始前とほぼ変わらぬ立ち位置で、疲労の顔色も見せず、何なら汗すらも掻いてない。
対する、私は疲労困憊でみっともなく、グラウンドの土に大の字で転がり、息も絶え絶えだし、疲労一色の顔色で、全身汗まみれ。
傍から見たら、この二人がほぼ同じ運動量をこなしたとは、とても信じがたい光景だろう。
「は、はい。ひ、光ちゃん。タオルと水筒」
凜ちゃんは大の字に寝転がる私の顔の傍でちょこんと膝を折り、水筒とタオルを差し出してくれた。
「あ、ありがとう、凜ちゃん……」
私は鉛のように重い身体を動かし、上体を起こして、凜ちゃんからタオルと水筒を受け取る。
ぱぱぱっと顔に付着した汗を拭くと、水筒の中身を全部飲み干す勢いで、水分補給を行う。
「ぷはっ! はあ~生き返る~」
訓練所に来てから、休憩なしで鍛錬を行っていたため、ただの水のはずなのに、至高の一品を味わったような幸福感が脳を支配する。
「よし! まだまだ頑張るぞ!」
「え!? ひ、光ちゃん。もうお昼だよ? ご、ご飯食べなくて、いいの?」
お昼を周っているのにもかかわらず、まだ鍛錬を行う私に、凜ちゃんは目が引ん剝くほどに驚く。
お腹は空いているが、明日の雫さんとの決戦に向けて、少しでも鍛錬をしておきたい。
私の予感だが、明日の戦いは私の今後を左右する大きな戦いな気がする。雫さんは私の憧れを徹底的に潰そうとするだろう。
今度は私の憧れの源である、輝きを失わせるほどの、圧倒的な”絶望”を以て。
そうなれば、今度こそ、私は終わりだ。人生の終わりと言っても過言ではない。
そして、雫さんも、臼井先輩も反町先輩も、誰一人として、救われない、それ以上に、更なる罪の重荷を課してしまうことになる。
救えるのは私だ。私一人だけだ。
だから、私が終止符を打つ。
そのためには、明日の戦いで、私は、私の憧れを以て、雫さんを打ち破り、全員が救われる未来を掴み取る。
憧れの人が、私の憧れた人が、あんな
苦しみを、
悲しみを、
痛みを、
恨みを、
憎しみを、
瞳に宿しているのは、嫌だ。
嫌なんだ!
だから私は
一秒でも長く。
一振りでも多く。
明日の私が、未来を勝ち取るために、強くならなければならないのだ。
お昼ご飯を食べてる暇なんてない。
「うん。凜ちゃんは私のことは気にせず、お昼ご飯を食べに行ってきて」
「だ、ダメだよ! ちゃんとお昼ご飯を食べないと」
「大丈夫だよ。お昼ご飯を抜いたところで、どうってことないって。私のことは構わず、凜ちゃんはお昼ご飯を食べに行っておいでよ」
「で、でも……」
「神崎さん。ちゃんと、お昼ご飯は食べたほうがいいと思いますよ」
「っ!?」
静かな声色に導かれるように、私は首を捻ると、今にでもため息を零しそうなほどに呆れ顔の師匠が佇んでいた。
「し、師匠。えっと、師匠も鍛錬ですか?」
「ええ、そうです。そんなことより」
師匠はぎろっとした眼差しを宿しながら、私の顔に息がかかる距離まで、ずんっと自身の顔を近づける。
私はあまりの距離の近さに、腰を反り、そして、師匠の鋭い眼差しから逃れようと、視線を明後日方向へと移動させる。
「神崎さん。あなた、いつから鍛錬をしてました?」
「え、ええっと。あ、朝、七頃から、です」
「その間、ちゃんとしっかり、休憩は取りました?」
「え、ええっと、そ、それは、そのお。と、取りました……」
「ふ~ん」
師匠は、納得してなさそうに鼻を鳴らすと、私の左手をそっと持ち上げる。
持ち上げられた私の左手は、ぴくぴくと痙攣しており、明らかに、疲弊しきっていた。
「ちゃんと、しっかりと休憩を取ったなら、こんなにも痙攣はしないと思いますが?」
師匠の声色は酷く低く、私を見つめる視線は、雨が上がった後の湿気よりも、じめっとしていた。
まるで、警察から取り調べを受けているような、肩身の狭さがある。
「そ、それは……ええっと、ええっと……は、肌に沁みついた、あ、汗が、か、風に当たって、そ、それで、えっと、寒くて、だ、だからだと思います……」
私はなんとか嘘の言い訳を吐く。咄嗟に考えたにしては、まあまあの出来ではないだろうか。
「ふ~ん。知ってますか、神崎さん。人って嘘をつくとき、不自然に視線が彷徨うんですよ」
「え!?」
その言葉に私は酷く動揺したような驚いた声を上げてしまう。
そ、そう言えば、私、どこに視線を向けながら、話してたっけ?
視線について全然意識の外だったため、思い出そうにも、思い出せない。
「って、言うのは、実のところ、科学的根拠が乏しいそうです」
と、私の反応を見た後に、意地悪く師匠は科学的な根拠がないことを、私に伝えてきた。
そう言われた瞬間、嵌められた! と脳が理解した。それと同時に、背中が急速に冷える感覚を覚えた。
「神崎さん。いつになったら、四季の言うことを聞いてくれるんですか? 四季、口酸っぱく言ってますよね? 身体は資本です、と。酷使すると、いつか壊れるって。ねえ、いつ聞いてくれるんですか?」
師匠は、私にキスする勢いで、ぐぐぐっと、先程よりも顔を近づけながら、言いつけを守らない子供にお仕置きをするように、私の右頬を、思いっきり横に引っ張った。
「い、痛い! 痛いです! 師匠! 言いつけを守りますから、引っ張らないでください~」
私は痛みに耐えかね、目尻に涙を浮かべながら、私の右頬をおもちのように引っ張る師匠に、悲痛に訴える。
「じゃあ、今から、ちゃんと昼食を摂ってきてください。いいですね?」
「は、はい……」
師匠の促しに、気の抜けた返事をすると、師匠は私の頬から手を離した。
私はひりひりする右頬を労わるように摩る。痛みで浮かんだ涙が、私の視界にゆがみをもたらしていた。
「まったく、神崎さんは、まったくもう」
師匠は言いつけを守らない私に悪態を吐きながら、師匠は右わきに抱える刀を手に持ち、刃を柄に閉ざしたまま、地面の土を、ぐさぐさと何度も突き刺す。
その地面の穴ぼこの数で、師匠がどれだけうっ憤が溜まっているのか、見て取れた。
「え、えっと、し、師匠。お、怒ってます……?」
そんなことを聞かずとも、師匠が怒り心頭なのは見るに明らか。
にもかかわらず、私は、どうにかして、怒りを静めたいがあまり、頭が空回り、何故か、更なる怒りの火を焚きつけるような、失言をかましてしまった。
師匠は、私の言葉にぴたっと動きを止めると、首を捻る。
「み、て……分かりませんか? それとも、四季を煽っているんですか?」
師匠の言葉の節々に伝わる怒りに、私はあわわと、頬の痛みも忘れて、口元を押さえる。
「いいから、さっさと、昼食を摂ってきなさい!」
「は、はいいいい!!! り、凜ちゃん。昼食に行こ!」
「あ、う、うん!」
私は師匠の怒りに急かされるように、てきぱきと、訓練所から出る支度し、私と凜ちゃんは足早に訓練所から退散したのであった。
*
その日の夜八時ごろ。
バシン!
「いっ!?」
「しゃきっと背筋を伸ばしてください!」
「し、師匠! 叩かないで――」
「口を動かす暇があるなら、四季の言うことを意識してください」
「は、はいいいい!」
私は師匠に尻を敷かれる形で、鍛錬を行っていた。今日まで師匠に鍛錬を施してもらっていたが、一度だって叩くなどの暴力行使はしてこなかった。
師匠に鍛錬を施してもらう時間は、いつもこの時間帯。
お昼の時の怒りは消化しきれなかったらしく、ずっとご機嫌斜めだ。
寮で出会った瞬間から、圧力と言うものが全身に漂っていた。普段なら訓練所までの道中で他愛のないおしゃべりをするのが常なのだった。
しかし今日は口を開いた瞬間に、何か言われるのではないかと思い、びくびくしていたため、喉がつっかえて、言葉が出てこなかった。
結局、互いに一言も発することなく、張り詰めた空気のまま訓練所まで歩いた。
あの居心地の悪さは、今思い出しても胃が痛くなる。生きた心地がしなかった、と言ったほうが正しいだろう。
そして今もまた、いつ師匠の叱責が飛んでくるのかと戦々恐々としている。鍛錬どころではなく、居心地は最悪だった。
「……今日はここまでにします」
「え? し、師匠? ま、まだ、三十分ほどしか経ってませんよ」
二時間は少なくともみっちりと鍛錬を施す。それは初めて鍛錬をする日に、師匠が豪語していたことだ。
「……」
師匠は私の問答に答えることなく、何も言わずに、踵を返す。
やっぱり、お昼の件を根に持っているのだろうか。けれど、どうして師匠はそこまで怒って……いや、今はそんなことどうでもいい。このままでは、ずっと気まずいままだ。
謝るなら今しかない。
「し、師匠!」
ぴたりと足が止まる。
振り返らないその背中を見つめながら、私はぎゅっと拳を握り締めた。
「そ、その……お昼のことですけど……」
途端に喉が張りついたように乾く。
言わなければならない。そう思っているのに、肝心の言葉がなかなか出てこない。
でも、ここで逃げたら駄目だ。
今日を逃せば、また明日、明日を逃せば、その次の日と、だんだん先延ばしにいって、後回しにすればするほど言い出せなくなって、結局タイミングを逃してしまうのがオチだ。
小さく息を吸い込み、意を決する。
「ご、ごめんなさい!」
ようやく絞り出した謝罪の言葉は、自分でも驚くほど小さかった。
静寂が落ちる。
師匠はしばらく何も答えなかった。
その沈黙が、ひどく長く感じられた。
「四季は……神崎さんとのこの時間が楽しいん、ですよ……」
師匠は叱るのではなく、悲しそうな声でそう言う。振り返る師匠の澄んだ青い瞳は、不安に揺れていた。
「四季、昨日、たまたま神崎さんと白雪先輩の会話を聞いちゃったんですよ。神崎さん、明日、白雪先輩に同じ条件でもう一度、戦うんですよね?」
まさか師匠にあの場面を見られていたなんて思わなんだ。ただ。そんな会話を聞いたとて、師匠には全然関係ない話。
どうして、師匠が悲しそうにするのか、私にはさっぱり分からなかった。
「そうですが、どうして、師匠がそんなこと気にするんですか?」
「だって……神崎さんがその条件を達成したら、神崎さんは白雪先輩とパートナーになる。そしたら……!」
師匠は言葉を零すうちに、感情がどんどん溢れていき、悲しみの煌めきを灯した涙が、つーっと頬を伝った。
「神崎さんは四季から乗り換え、白雪先輩に教えを乞うことになる。そしたら、この楽しい時間は終わってしまう」
「師匠……」
「実を言うと、四季、選抜パートナーの試合、観戦してたんですよ。神崎さんが白雪先輩に、憧れを壊される瞬間を目の当たりにして……四季、安心しちゃったんです。これからも、ずっとこの時間が続くことに。は、はは……四季、最低ですよね。神崎さんの不幸を喜ぶんですから」
師匠は、自分の醜い心を自嘲するように力なく笑う。
「神崎さんとの、この時間が失ってほしくなくて、四季は神崎さんに酷いことをしました。選抜パートナーの前日に、鍛錬をさせないように、身体を労わるように諭ししたり、その効果が薄かったために強引に遊びに連れていったり」
師匠は今までの行いを一つ一つ白状していく。
「今だってそう。お昼の時の怒りを利用して、鍛錬を中途半端に区切ろうとしている。本当は今日、神崎さんを鍛錬から遠ざけるために、寮のラウンジで待ち伏せして、半ば強引にでも遊びへ連れ出そうと考えていました。でも、もう一人の四季が言うんです。『こんなことはやめよう』って。もやもやした感情は四季の判断を迷わせ、にっちもさっちもいかなくなった四季は、一度、心をスッキリさせようと思って、お昼ごろに訓練所に向かいました」
師匠は抱える刀を労わるように、優しく、優しく、撫でていく。
「向かうと神崎さんと水無月さんがいて、二人で鍛錬をしていました。その時、どうしてか、水無月さんに嫉妬心が宿って、そして、神崎さんが白雪先輩に鍛錬を施しているところを想像して、ダメな方向に行きそうだったので、それらの激情を吐き出すために、お昼は無意識に神崎さんに強く当たってしまいました」
師匠は労わるために撫でていた手をふいに止める。止めた手は何かに怯えているようにぷるぷると震えていた。
「ただ、全てを吐き出せず、お二方が去った後に、その残り香を全て追い出そうと、ひたすら鍛錬に打ち込みました。でも、それは頑固な汚れみたいに心にこびりついていて、いくら振り払おうとしても消えてくれなかった。結局、四季は自分の欲望を優先して、自身の怒りを言い訳にして、こうして、鍛錬を勝手に終わらそうとしている。本当に最低ですよね。こんなのが師匠なんて、最低、ですよね……」
師匠は目を伏せた。そして、その口元には、自嘲するような弱々しい笑みが浮かんでいた。
「師匠」
私は一歩踏み出し、師匠との距離を縮めた。
「たとえ私が白雪先輩とパートナーになったとしても、師匠に教えを乞うつもりです」
確かに雫さんとパートナーになれば、雫さんからの直接指導が施される可能性もある。だけど、それは決して師匠から学ぶことをやめる理由にはならない。
「し、信じられません。こんなに酷いことをしたのに、それでも、四季に教えを乞うなんて……」
師匠はそう呟くと、私が踏み出した一歩を拒むように、一歩後ろへ下がった。
「む、無理して慰めの言葉を掛けているなら、そんな情け要りません」
「私は無理をして慰めているつもりでも、情けで言っているつもりもなくて、本心で言ってるんです」
「……う、そです」
「師匠。私が嘘を吐いてないって分かりますよね? そうじゃなければ、動揺して、歯切れの悪いことは言わないはずです」
「!?」
師匠は私の言葉に肩をピクリと震わせた。
「少なくとも、その反応をするってことは、私の言葉を信じている証拠です。私、自分で言うのも変ですけど、嘘を吐くのは下手、ですから。それはもう、悲しいくらいに」
私は苦笑しながら、自分の嘘の下手さ加減を茶化す。
これまで、私は幾度となく嘘を見破られてきた。師匠然り、反町先輩や臼井先輩にも。
二度も、私の嘘を見破った師匠だ。そんな人が、今さら私の本心を見誤るはずがない。
「し、信じられ、ません……」
師匠は、私でもわかるほどの態度を晒しにも関わらず、なおも、食い下がる。どうすれば、信じてもらえるのか、しばし考え。
「じゃあ、こうしましょう。もし、私が一度でも、師匠との鍛錬を放棄したら、私は師匠の言うことを何でも聞きます。どうです?」
師匠は私の提案に今日一の驚きを露にした。だけど、それも一瞬のこと。身を縮こませながら、目を伏せる。
「そ、そんな、く、口約束、信じられ、ません」
師匠は弱弱しく、そう反論する。
「では、録音しますか? そうすれば、言い逃れ出来ません」
「どう、して、そこまでして……」
「師匠がそうだったように、私もこの時間が好きですから。それに……」
「それに……?」
「私は師匠から、刀の振るい方について、合格を貰えてません!」
師匠との鍛錬が始まってから、私はずっと師匠から刀の振るい方を学んでいる。やってる内容としては、素振りだけで、何の代わり映えもしない。
たったそれだけ。
でも、私はそこからというもの、飛躍的に強くなっていた。自分でも自覚できる程に。
授業の訓練の成果もあるかもしれない。だけど、強くなったと思えた瞬間は、師匠から教わった『刀を正しく振るう』と言う基礎の心得を身に着けたところからだった。
理由は分からない。
ただ、それだけで見える景色が変わった。それだけは確かだった。
そして、鍛錬を重ねるうちに、私は一つの目標を持つようになった。
いつか師匠を納得させたい、と。『合格です』と言わせたいと、そんな景色を見たいと思ってしまった。
それは、及第点でも、お情けでもない。師匠が心から認める、本物の合格を。
正直、その日が来るまでに、私の三年間は終了している可能性はあるが、いや、そっちの方が高いと思うけど、それでも、私はその合格の印を師匠から押してもらえるまでは、師匠から教えを乞うつもりでいた。
「ぷっ……!」
私の内なる野望を聞いた師匠は、耐えきれず笑いを吹き零した。
「くふふ、くふふふふ。やっぱり、神崎さんは面白い人です。あ~あ。四季のやってきたのはとんだ杞憂だったんですね」
師匠は口元を抑えて吹き出す笑いを必死にこらえながら、吹っ切れたような、清々しい声音で言葉を紡ぐ。
「神崎さん、すみませんでした。色々と酷いことを……」
「いえいえ。気にしないでください! そ、それで、その、師匠もおしゃっていたように、明日の白雪先輩との戦いに備えて、少しでも強くなりたいので、鍛錬を……」
「むむっ!」
師匠はピクリと眉を動かすと、先ほどまでの遠慮がちな後退とは正反対に、ずんずんと勢いよくこちらへ歩み寄ってくる。
表情に不機嫌を宿しながら。
――あ、あれ? な、なんで、師匠、そんな不機嫌になってるの? わ、私、何か変な事言った?
「四季の謝罪を軽く流すだけじゃなくて、別の女性のことを考えるなんて……神崎さんは本当に、四季との鍛錬の時間が好きなんですかあ?」
師匠はお昼の時のように、身を乗り出し、私の鼻が自身の鼻が軽く触れ合うくらいに、ずずずと近づけてくる。
「し、師匠。お、おお、落ち着いてください」
師匠は不満そうに頬を膨らませる。
「……やっぱり信じられないので、神崎さんにはちゃんと宣言してもらいます」
「え、ええ!?」
私の失言により、師匠の私への信頼度は急降下してしまったようだった。
師匠は、驚く私を横目に、ジャージのポケットから、自身のスマホを取り出して、私の方へと向ける。
「ほら、驚いてる暇があるならちゃんと行ってください。神崎さんも言いましたよね? 信じられないなら、録音しても構わないって」
先程の言葉を師匠は掘り起こしながら、催促してくる。
「た、確かに言いましたけど、それは……」
「……もしかして」
師匠の瞳がすっと細くなる。
「嘘だったんですか?」
「え」
「信じてもらうための建前で、本心ではなかった、と」
「い、いや」
「だったら今までの言葉も全部――」
みるみるうちに師匠の表情から光が失われていく。その様子にまずい! と思って私は慌てて首を振った。
「いや、嘘じゃないです! 嘘じゃないですから! わ、わわ、分かりました! 録音してそれで、師匠が私の言葉を信じてもらえるなら、それでいいです!」
「本当ですか?」
「本当です!」
「嘘じゃないですか?」
「嘘じゃないです!」
「逃げませんか?」
「逃げません!」
「そうですか。では、お願いします」
師匠は満足げに口元を緩めた。完全に獲物を追い詰めた捕食者の顔だった。私はそんな師匠を見ながら、自分で蒔いた種の大きさを今さら実感する。
それでももう後には引けなくなってしまい、私の宣言は師匠のスマホに収められたのであった。




