第28話:赤い本の終着 ― 奪い合いの果てに残ったもの
【今回の話は楔視点の回です】
「さぁ、もういいでしょ。私もこれから、爆上がりイベントの仕込みをしなきゃいけないから」
「この本は……渡せません。
そんな話を聞いた後で渡したら、歴史が変わるかもしれない」
「ふふふっ。あっそ。
なら――実力行使させてもらうわ」
浅見さんは、頭上でパン、と手を叩いた。
その一瞬の隙。
視界が、ずれた。
気づいた時には、背後に回り込まれていた。
赤い本が、俺の手から弾き飛ばされる。
「……っ!」
「ふっ。
PCの前で株とにらめっこしてた楔君には、私の速さにはついてこられないわよ」
軽やかに、楽しそうに、浅見さんは笑う。
「ごめんね。私、昔から身軽なんだよね。
じゃあ――赤い本は、もらっていくね」
床に落ちた赤い本へ、浅見さんが手を伸ばした、その瞬間――
タタタタタッ。
風を切る音とともに、
俺が驚くほどのスピードで、影が飛び込んできた。
赤い本が、掴み取られる。
その影は、流れるように前転し、
バク転ひとつで着地した。
「ちょっと!
楔に、何してんのよ」
美玲だった。
美玲は一瞬で俺の腕を引き、距離を取る。
「……ちょっと楔君。
この子、彼女? 聞いてないんだけど」
「あ、あなたこそ誰なのよ?
確か……初めましてよね」
「楔君の“未来のパートナー”になる予定だった、浅見雪菜よ」
「未来のパートナー!?」
「話ややこしくなるから、
そういうこと言わないでください、浅見さん」
「あなた、なかなか反応いいじゃない。
でも私だって、ひ弱なパソコン男子とはちょっと違うんだから」
「いったん逃げろ、美玲。
浅見先輩は身のこなしが軽い。捕まったら……すぐ獲られる」
肩越しにそう言った瞬間、
背後で、空気が裂けた。
「解説してるなんて、余裕あるじゃない」
次の瞬間、腕を取られた。
背後に回られ、右腕をねじり上げられる。
「っ!! いたたたっ!」
「……動かないで。
これ以上抵抗するなら、楔君――しばらく株どころじゃなくなるよ?」
「いくらなんでも……そんな腕力……っ。
美玲、渡すな。本気じゃない」
「この本があれば、
どれだけ人生が変わると思ってるのよ」
「いや……それはダメですって……。
大事になりますから……。
というか浅見さん、ほんとは寂しいんじゃないですか?」
「寂しい? 私が?」
「神流トレーディングクラブ、
個人プレーばっかりで……あまり人と深く関わってないんじゃないかって」
「……ほんと、余計なとこばっか見てるよね、君は」
ギリッ。
関節が締め上げられ、
視界が歪む。
「……待って!
この本を渡すから、楔に乱暴しないで!」
「分かればいいのよ」
――その瞬間だった。
「やぁぁぁぁっ!!」
バシッッッ。
鋭い音とともに、
浅見さんの背中に手刀が叩き込まれた。
「ゲホッ……っ。
今度は、誰よ……」
「いたたた……」
「大丈夫、楔君?」
「舞華さん……。
株の説明コーナーは、もう終わったんですか?」
「ええ。
ついさっきね」
────────────────────────
その瞬間だった。
「みんな……本が!」
赤い本は、空中で一瞬、静止した。
落ちるでもなく、
誰かの手に渡るでもなく。
ただ、ふわりと、宙を漂う。
俺も。
美玲も。
舞華さんも。
浅見さんも。
全員が、同時に手を伸ばした。
ごぉぉぉ――
バサバサバサッ。
パチ、パチ、パチ。
乾いた音を立てながら、
赤い本は、焼却炉の中へ吸い込まれていく。
誰の意思でもなかった。
誰の勝ちでも、誰の負けでもなかった。
答えだけが――
静かに、
燃えていった。
──────────────────────
エピローグ
「聞いてよ。智也君が楽しみにしてた株式優待。
利益が出てるからって、売っちゃったのよ」
「だって、利益六万出てたら売らなきゃもったいないだろ」
「一言言ってよ。楽しみにしてたんだから」
「……先輩、優待売っちゃったか」
「……気持ちは分かるけどね。一言ほしいよね」
「利益をとるか、優待をとるか。難しいとこだよなぁ」
松神先輩が、苦笑しながらそう言った。
───
「なんか、美玲と一緒に帰るの久しぶりだな」
「楔が最近、余裕なかったからでしょ」
「そうだったっけ。まったく覚えてない……」
「え!? それはそれで問題じゃない?」
少し歩いてから、俺はふと思い出したように言った。
「ところで、七不思議って、まだ一個足りないんだよな」
「あと一個あるのか、それとも最初から六個だったのか、分かんないよね」
「……人によって、七不思議の中身って違うのかもな」
───
家に戻り、アパートの部屋でノートパソコンを開いた。
決算後だからか、株価が上がった銘柄と下がった銘柄が、はっきり分かれている。
画面に並んでいるのは、株主優待目的で持っている株ばかりだった。
――松神先輩と、似たような状況だな。
「今日はもういいや」
もらうのが楽しみな優待ばかりだ。
俺は、そっとノートパソコンの電源を落とした。
───
赤い本がなくなった時、
これからどうやって考えていけばいいのか、少しだけ不安になった。
でも、日常は何事もなかったかのように続いていた。
俺は、これからもきっと、
答えを急がず、この日常と一緒に歩いていく。




