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水底の聲【夏のホラー2025】

作者: 江渡由太郎

【水底の聲】



---


 八月の終わり。

 蝉の鳴き声が途絶え、湿った風に秋の気配が漂い始めた頃、大学生の智樹は郷里の村へ帰省した。村の外れには「鏡池」と呼ばれる小さなため池がある。村人は決して近寄らず、子どもの頃から「夕暮れには池に近づくな」と言い聞かされていた。


 だが、智樹は大事な事を忘れていた。


 あの池で友人を一人、失っていたことを。


 中学生の夏、親友の亮平が水面に足を踏み入れ、声も立てずにゆっくりと静かに呑み込まれるかのよう沈んでいった。


 遺体は二日後、池の底から浮かび上がった。親友の亮平の顔は爛れ、髪は泥と藻に絡まり、白濁した瞳は虚ろに半開きであった。


 それ以来、智樹の耳には、時折水音がこびりついたように残っていた。



---


 帰省したその夜、智樹は夢を見た。

 暗い漆黒の闇の底のような水の底で、静寂に包まれながら亮平が浮かんでいる。

 唇が青黒く膨らみ、白濁した目が水越しにこちらを見据える。口元が開いた。


「……代わりに……」


 飛び起きた智樹は、布団がじっとりと濡れていることに気付く。手を伸ばすと掌に藻のようなぬめりがまとわりついていた。慌てて電気を点けるが、そこには何もない。


 だが、畳には不自然に水滴が点々と続き、窓の外へと伸びていた。



---


 翌日、智樹は何かに引き寄せられるかのごとく、あの忌まわしい池へと足を運んでしまう。

 水面は濁り、風もないのに波紋が広がる。耳を澄ますと、水音の奥で誰かが囁いている。


「次は…… おまえが…… 沈む番だよ……」


 智樹は何者かに操られているかのように、自分の意志とは関係なく足がひとりでに勝手に前へ進む。


 そして膝まで水に浸かった時、智樹は金縛りのように突然動けなくなった。

 気がつくと凍えるような冷たい手が水底から伸び、脛を掴んでいた。引き剥がそうとするが、手は次々と増え続け、腕、腰、首筋へと絡みつく。耳元では無数の声が重なり合う。


「亮平を返せ……」


「代われ……」


「次は…… おまえ……」


「……嫌だ!!」


 恐怖のあまり智樹は喉が潰れるほど叫んだ。


 だが声は水に呑まれ、泡となって静寂の中へと虚しく沈んだ。



---


 気がつくと、自宅の部屋で布団に包まれていた。悪い夢かと思ったが、畳には泥が散らばり、そして足首には紫色の指の痕が残っていた。


 それから日ごとに智樹は変わっていった。

 風呂に入れば水面から手が伸び、夜道を歩けば水たまりに顔が映り、知らぬ誰かが口を開けて不快な声で笑っている。


 やがて水のない場所でも、水音が耳から離れなくなった。


「ちゃぽん…… ちゃぽん……」


 日々睡眠は奪われ、食事も喉を通らず、彼の眼窩は益々落ち窪んでいく。



 ある夜、洗面台の鏡を見ると、自分の顔の隣に、泥にまみれた亮平の顔が映っていた。鏡の中の亮平はこう囁いた。


「おまえを沈めれば…… 俺は浮かべるのに……」


 智樹は絶叫し、目の前の鏡を無我夢中で叩き割った。


 だが割れた鏡の破片の一つひとつに、不敵に笑う亮平の顔が無数に映っていた。



---


 翌朝、智樹の部屋からは大量の水が流れ出ていた。


 そして、布団の上に智樹の姿はなかった。ただ畳に濡れた足跡が残り、それは玄関を抜け、外へ……鏡池の方角へとてんてんと続いていた。




 数日後、池から智樹の遺体が浮かび上がった。

 その顔は亮平と同じように爛れていたが、不自然な表情で笑っていた。



 鏡池の水底では、今も囁き声が響いている。


「次は…… おまえだ……」





#短編ホラー小説



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