5 真面目で素直で苦労性な弟
僕は小さい頃から姉に『とても短い物語』と『人生計画』を聞かされてきた。
『溺愛は満月の夜に』
それは姉の前世の物語で、この世界のことを書いたあり得ない内容の予言書のようなものらしい。
ピンクブロンドの子爵令嬢が主人公──女性の主人公をヒロイン、そのお相手の男性をヒーローと言うらしい──の物語で、なんと彼女は第一王子と第二王子のお二人から愛され、どちらかを選んで結ばれることになるのだという。
姉はその有り得ない物語の内容をよく覚えていないらしいのだが、登場人物の名前が一致していることからそのことに確信を持っているようだった。
姉の計画は『学園で子爵令嬢を探し出して第二王子と恋仲になるように誘導し、王家から婚約破棄の慰謝料を頂いて田舎で悠々自適な生活を送る』というものなのだそうだ。
昔から僕より一つだけ上のはずなのに、まるで大人のような姉のいうことに間違いは無かった。
姉に絶対的な信頼を寄せていた僕は姉がそう言うのならそうなるのだろうと思い、姉の計画をある人に話してしまったのだ。
『関係がある話だから知っておいた方が良いだろう』
善かれと思ってのことだったのだが、子供だったとはいえ今思うと僕はとても浅はかだった。
その日僕は知ってしまった。
人は感情ひとつで部屋の温度を下げることが出来るってことを。
「教えてくれて感謝するよ、グラン・サントノーレ侯爵令息。これからもよろしく頼むね」
将来父上の持つ領地無しの伯爵位を賜ることが決まっていた僕には、その日から義兄で公爵となる予定の第二王子の側近となり、姉の言動を逐一報告するという役目が与えられたのだった。
「だからあなたは侯爵になるつもりで励みなさい」
姉にはよくそういわれていたけれど、こればかりは絶対に姉の言う通りにはならないのだろうなと思っている。
ミルクさんに正式にヒロイン役?を断られた日、私は弟のグランに計画が頓挫したことを報告した。
弟はひどく安心したように「自分の幸せは自分が決める、良い言葉だね」とミルクさんの言葉を反芻していた。
「あなた、侯爵になりたくはないの?野心の無い子ね」
と言うと
「僕は伯爵で十分ですよ。僕の幸せは心の平穏です。野心なんてはじめから持ち合わせていません」
と言って、何かを思い出したかのようにブルッと震えた。
「変な子ね」
私はどうしても侯爵になりたかったのだと言われるよりは良かったのかしらと思うことにした。
「──と、言うわけで、姉の計画は頓挫したとのことですよ。殿下、よかったですね」
姉と話した翌日、僕は学園の王族専用サロンにてフリュイ・オランジェット第二殿下にその旨を報告した。
ここには続き部屋に簡易の執務室があり殿下は王宮から持ち出しの出来る範囲の仕事をここで行っている為、常に警備兵と一、二名の文官や僕以外の側近が働いている。
フリュイ殿下は学園の三年生で金髪碧眼の美丈夫だ。
姉以外の令嬢に近寄ってこられることを厭うので常に冷気を振りまいているような人なのだが、姉と全く交流が無い為「冷淡で近寄りがたい孤高の王子様」というイメージと同時に二人の不仲説が一部の生徒の間に蔓延りつつある。
孤高──って、僕から言わせればただの拗らせ野郎だぞ。後が恐ろしいから口が裂けても言わないけど。
第一王子であるフォンダン・オランジェット王太子殿下は一昨年卒業されているのでここに入室できるのは第二王子殿下と王族の婚約者である姉とダックワーズ公爵令嬢、そして殿下に許可を得ている僕だけだ。
入学して一月も経っていないけれど、僕が思うには姉とダックワーズ公爵令嬢はここを利用したことはほとんどないと確信している。
王太子殿下在学中の様子は分からないが恐らくここに執務室があることを知っているダックワーズ公爵令嬢は、フリュイ殿下がここで執務を行っていることをご存じだろうから近寄ることはないだろう。
そして姉は──・・・、姉は殿下に誰か好きな人が出来た時、自分に気兼ねなく連れ込める?ようにとか考えていそうである。『相手がヒロインである必要はない』とか思ってそうだから、計画が潰えたとはいえ殿下が誘わない限り今後も近寄ることはないだろう。
殿下が自分に好意を持っているなんて夢にも思っていないのだろうな。例外的に幼い頃に婚約が決まってしまった弊害だ。
「そうか、でも完全に諦めてはいないかもしれないよ。最近はガレット子爵令嬢とダックワーズ公爵令嬢と読書室で勉強会をしているらしいよ。ガレット子爵令嬢は文官を目指しているそうだから一緒に勉強をしているらしい──まぁ、メインは休憩を兼ねたお茶会らしいが・・・何を話していることやら」
いや、僕より詳しいってどうなの。
「僕の報告って要りますかね?」
本当にどうやって姉の情報を入手しているんだか。
「何を言っているんだグラン。ショコラの家での様子が知れてとても助かっているよ。
ショコラは王子妃教育が終わり、学年も違う。学園でも王宮でも滅多に会えないんだよ。私を気の毒だと思うなら引き続き頼むよ」
フリュイ殿下が黒い笑顔で言った。
「情報が欲しいならそんな遠回りしないで姉を誘えば良いじゃないですか・・・」
この人は何故か頑なに姉に会おうとしない。
「何か言ったか?」
「イエ」
姉の計画は僕が殿下に口を滑らせた時点で頓挫していたと思う。
姉の件だけにはとどまらず殿下に手足のようにこき使われてきた僕には、もう姉に申し訳ないと思う気持ちなどとうの昔に無くなっていた。