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いつか、きっと……

「――ちろのこうてい、どうちてかえゆの?」


(ふう)(じん)の顔に張りついたまま、小さき竜が不思議そうに問うてくる。

《風》神は何度か小さき竜を引き剥がそうとしたが、ふたりが出かけるというのに自分だけが置いて行かれるのは不満と不安でしかなく、大きな声で泣き出した小さき竜に白の皇帝が負けて、《風》神に同行をお願いした。

《風》神は小さき竜を顔に張りつかせたままだったので、このときどのような表情をしていたのかは判然つかなかったが、《風》神はそれに応じてくれた。

 その間も《風》神はほとんど黙したまま。

 かわりに小さき竜がとにかく口を開き、白の皇帝の口をうまい具合に封じていた。


「ちろのこうていは、おれとねんねすゆのきらいなの?」

「え……ッ、そ、そういうわけじゃないけれど……」

「おれはね、ちろのこうていとねんねすゆのよ?」

「ああ……うう……」


 まだどこか寝ぼけているようすはあったが、それでも《風》神の居宮――天空宮ではなく、べつの場所に行こうとしている白の皇帝に首をかしげながら小さき竜が問うてくるので、白の皇帝は上手く答えることができない。

 まさか《風》神より《()(がみ)のほうが好ましいので、それで彼の居宮がある大地に戻っているのだとは口が裂けても言えない。

 無論、《風》神が嫌いなのではない。

《風》神といるのはとても楽しいし、心底大切にしてもらっている。


 ――でも……。


「ちろのこうていは、どうちて大きな竜にだっこされてゆの? おさんぽ?」

「え……っとぉ」

「おれもね、おそらはとべゆのよ? おれがおさんぽしてあげゆのよ」

「へ?」


 と言って白の皇帝の手を引っぱろうとしてくるので、白の皇帝はあわてる。

 まさか、今度は《風》神の真似をして自分と空を飛ぼうとしているのだろうか。

 空を飛ぶのは嫌いではない。むしろ、ずっと憧れていた。

 けれどもこうして月を背に夜空を飛ぶことが怖くないのは、《風》神がしっかりと白の皇帝を腕に抱いていてくれるからだ。水色のまばらに長い髪は風で揺れるが、身体にかかるだろう本来の風圧はすこしも感じられない。《風》神がそのように護ってくれているからだ。


「おれもね、《風》神なのよ? だからおれもね、はやいのよ」

「え、えっと、俺、早いのは……」

「おれ、まけないのよ! ちろのこうてい、きょうちょうすゆのよ!」

「ええッ?」


 どう考えても、小さき竜に白の皇帝を抱き上げるような力はない。

 加えていま、何と言った?


 ――競争しようって……。


 ひょっとすると小さき竜は、白の皇帝も空を飛べるものだと思い、それで奇妙な競争心を出してきたのだろうか。

 ハイエルフ族は身のこなしの軽い者が多く、跳躍力も多少はあるものの、飛空飛行には無縁。そのような能力は持ち合わせてはいないし、ハイエルフ族の頂点に立つ存在ではあるが、白の皇帝にもそのような能力は備わってはいない。


「お、俺ね、空は飛べないの」

「そうなの? どうちてとべないの?」

「どうと言われても……」

「ふちぎね、ちろのこうていはおそらをとべないの」


 昼間に見せたあの笑顔で、小さき竜が口もとに手を当てて笑い、


「でも、だいじょうぶなのよ、おれととぶのよ!」


 と、じつのところよくわかっていなかった小さき竜が白の皇帝の手を引っぱってくるので、白の皇帝は本格的に焦ってしまう。

 えッ、とおどろいてしまったが、《風》神がさりげなく小さき竜の手を取って押さえ、もう片方の腕で白の皇帝を抱き上げたまま器用に夜の天空から大地に向けて風を起こしながら降下しつづけていたので、小さき竜の遊び心で夜空に放り出されることはなかった。

 その間も、やはり《風》神は黙したまま。


 ――ひょっとすると……。


 先ほど答える気がなかったところに自分がしつこく「にぃに」について聞いて、それで《風》神は機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 そこに都合よく白の皇帝が《火》神のいる居宮に帰りたがっていたので、まさかとは思うが厄介払いのように自分をさっさと《火》神のもとに帰そうとしているのだろうか。

 そんなふうに思ってしまうと、黙したままの《風》神のそばにいるのは何だか居づらい。


「あ、あの……《風》神……」


 自分を抱いている《風》神は、すでに雲の下まで降下している。

 先ほどまで視線と並行するように見えていた星の瞬きも、もう仰がないと見えない。

 背には月明かりがあるものの、天下の大地はどこにあるのか白の皇帝にはわからず、かわりに海洋の波が月明かりを浮かべているので、それをきれいだなと思いながら見やり、もう一度ちらりと《風》神を見やる。


「さっきは……ごめんなさい」


 先ほどは興味のまま尋ねようとしていたが、《風》神が態度を露骨に出すほど話を逸らそうとしたのにはきっと訳がある。それがどのような事柄なのかはわからないが、無理に何かを聞くのはきっと悪いことなのだ。

 いまは世界創世期。

 竜族――「(りゅう)五神(ごしん)」たちを中心に世界は定まりつつもあるが、彼ら一族もまだ誕生したばかりなので、様々な事柄がまだ秩序として成り立たず、それらが落ち着くまではひょっとすると話すことができないのかもしれない。

「竜の五神」たちがそうと決めたのなら、《風》神が口を開けるはずはないし、ましてやはるか後方の時代「久遠の明日」から迷い込んできてしまった白の皇帝が知っていい事柄ではないのかもしれない。

 白の皇帝はそう思い、しゅんとうなだれるように謝罪を口にする。


「俺、さっきは悪い態度だった。――あんなふうに言うつもりはなかったの」


 ただ、白の皇帝の周囲にいる「竜の五神」たちは誰もが優しい。

 だから会ってみたい、どのようなお方なのだろう、そう純粋に思ってみただけなのだ。会えない誰かがいる、それは想像したこともなかったので、ついむきになってしまったのだ。

 だが《風》神はまだ口を開く素振りがない。

 顔に小さき竜を張りつかせたまま。それを都合よく使い、表情も隠している。


「《風》神……怒っている? 俺のこと嫌いになった?」


 ここまで黙している《風》神の態度ははじめてだった。

 なので、ひょっとすると嫌われて、大地にいる《火》神のもとに帰されたらもう会ってもらえないかもしれない。そんなふうにまで考えてしまうと切なくなる。

 すこしだけ目元に涙が浮かんだ。それでも尋ねると、


「――どうして俺が、きみのことをそんなふうに思うんだ?」


 ようやくのことで《風》神が返答してくれた。

 声音はいつものようすだった。冷たくもなければ、感情を抑制しているふうもない。無論、演技をしているようすもない。

 天空宮から出る前に黙したきり。この空の位置までずいぶん降下したが、それでも時間にしてわずか。そのわずかでも白の皇帝にはずいぶんと長い時間にも感じられたので、ほんのすこしほっとする。だが、


「だって俺、さっきは《風》神を困らせた。そんなつもりはなかったのに……」


 反省しながら《風》神の気配を気にしていると、


「お兄さんは何も困ってなんかいない。だって――俺は何も聞いていない」

「……」


 それは……。

 あくまで白の皇帝が尋ねようとした「にぃに」のことについて、一切黙秘を決め込んだ、そうと言いたいのだろうか。

 それとも逆手にとって、最初から白の皇帝が興味を持つ事柄などなかった、そんなふうに先ほどのやりとりの存在そのものを処断したのか。

 これはどちらに当てはまるのか。白の皇帝には判然できなかったが、


「俺は何も困ってなんかいないし、いつだってきみには会いたい。――だからきみは、何もしていない」

「……」


 言外に「いまは忘れてくれ」と、そんなふうに伝わるものがあったので、白の皇帝は素直に従うことにした。

 これ以上しつこく尋ねて、ほんとうに嫌われでもしたら……と思うと不安に負けて、何も言わずにこくりとうなずく。


「あと……」

「ん?」

「――小さき竜とは、また遊んでもいい?」


 問うと、《風》神は顔に小さき竜を張りつかせたままうなずき、


「もちろん。白の皇帝には無茶させないように言い含めるから、相手をしてくれるときっと喜ぶ」


 言って、先ほどから急に静かになった小さき竜にわずかに怪訝がる。


「小さき竜……、急に大人しくなったな?」

「あ、寝ている」

「……まったく」


 言われて顔を覗きこむと、小さき竜は先ほど白の皇帝の膝の上でうつらうつらと頭を揺らしはじめたときとおなじで、大きな瞳を閉じて「すぅ……すぅ……」と寝息を立てている。

 やはり、先ほどは急に《風》神の気配が遠ざかろうとしたのを察して起きてしまったが、こうして《風》神と離れることなくくっついていることに安堵したのか、眠気が戻ったらしい。


「《風》神の顔にくっついて寝るなんて、小さき竜はほんとうに《風》神のことが好きなんだね」


 にぃに、にぃにと恋しがるように探したかと思えば、こうして《風》神のそばで安堵して寝てしまう。小さき竜とはほんとうに不思議で、そして愛らしい。

 一方の《風》神はため息をついてしまう。


「くっついて寝るのは顔が温かくていいけど、……お兄さんの鼻が潰れたとしても、白の皇帝はお兄さんのこと好きでいてくれる?」


 などと問うてくるので、白の皇帝もいつものようすでくすくすと笑う。


「俺、《風》神のこと好きだよ。もし、お鼻を怪我したら言ってね。俺、だいぶ治癒を使えるようになったんだ」

「へぇ、そりゃ楽しみだ」

「あ、でも!」


 白の皇帝は、ぴっ、と人差し指を伸ばす。


「わざと痛いことはしないでね。俺、血を見たり、怪我をしているところを見るのは怖くて嫌なんだから……」


 言って、白の皇帝は《風》神の首もとに頭を寄せた。

 刹那、《風》神が小さく笑ったような気配があった――。



□ □



 わぁああああああん!

(くう)(じん)

 いじわるちないでよぉ!


 ――おれを()()()()()()()()()


 ()()()のところにいきたい!

 にぃにとあそびたい!


「なんで、だめなの?」


 にぃにはこわくないのよ?

 にぃにはわるくないのよ?


 おれ、ちゃんと竜のかみさまのおちごとする!

《空》神のいうこときく!

 だから、にぃにのところにいきたい!

 おそらからだちて!



 空はどこまでも広くて果てがなく、蒼穹の色だけが世界のすべてだった。

 その眼下にあるのは雲。

 さらにその下にあるのが、海洋。

 あとはまだ、この世界創世期の初期には何もなかった。

 だから幼いころの遊び場はすべて、この蒼穹の色だけに包まれた世界だけだった。

《空》神は好きなように遊びなさいと言って、優しい。


 ――けれども。


 雲より下に下りることを何よりも嫌がり、それだけはけっして許さなかった。

 だからこの果てしない広さの空は、幼いころは牢獄のように感じられてならなかった。


 ――でも、ほんとうはこの雲の下に行きたい。


 ほんとうに楽しく遊べる場所は、この雲の下にあるのだ。

 行って、探して、会って。

 そしてぎゅっと抱きしめてもらいたい。遊んでもらいたい。

 この雲の下にいるのだ、「あの方」が――。

 いると知ってしまったらもう、会いに行きたくてたまらなくなる。

 でも、それだけはけっして許してもらうことはできなかった。


 ――いまよりももっと幼かったころ。


 まだ言葉もうまく話すことができず、歩けばあまりにもよちよちすぎて、さすがの《空》神も手を伸ばさすにはいられなかったほどの、幼すぎた幼竜のころ。

 一度だけ、何かの弾みで「そこ」に迷い込んでしまい、「あの方」に保護されたことがある。

「あの方」は最初、招かざる客に相当困惑したようだったが、初めて見る幼竜に、物怖じしない愛らしさに根負けして、ほんのわずか抱きしめてくれて一緒に笑ってくれた。

 そして、この幼竜に自分たちだけの呼び名を与えてくれたのだ。


 ――小さき竜、と。


 最初に残った記憶はそれだけ。

 あとはふと思い出したころ、もう一度だけ運よく「そこ」に迷い込むことができて、「あの方」をたいそう驚愕させてしまったが、持ち合わせていた菓子を一緒に食べることができた。


 ――そのとき座った場所が「あの方」のお膝の上だった。


 でも、それさえもわずかな時間でしかなかった。

 天空から急に消えてしまった自分を探しに方々を訪ね、ようやくのことで居場所を探り当てた《空》神が「あの方」が自分をかどわかしたのだと勘ちがいして、「あの方」の領域すべてに激甚の雷光雷鳴を放ったのだ。

 この世界で天上を統べる《空》神の雷撃に耐えられる者などいやしない。

 その凄まじさは世界を一度白の無に変えてしまうのではないかと思われるくらい、激烈な閃光ですべての色を視界から奪ったと、のちに心境複雑に憐れんでくれた《(すい)(じん)が教えてくれた。


 ――小さき竜が……。

 ――《風》神が残せた記憶はここで終わる。


 あとは空の牢獄は恐ろしいくらいに堅牢となり、どれほど泣いて反省しても天上と天下を隔てる雲の海はけっして小さき竜……《風》神の足もとからは晴れず、永い年月を過ごすことになる。



□ □



 雲――。

 それは浮遊大陸以外何もない天空に唯一ある「物」で、ただの一度もおなじ形容を保って空に浮かんでいたことがない、不思議な自然のひとつだ。

 はじめてそれを《風》神の居宮である天空宮から見やったとき、白の皇帝はあまりにも荘厳で雄大なさまに、


「一日中見ていても飽きないよ!」


 と、たいそう感嘆したが、どれほど長い年月を経ても《風》神にとって雲はあまり好きにはなれない「物」だった。

 いまでこそ、この世界のどこにでも行けるようにはなったが、それでもやっぱり空から見下ろす雲の海――雲海は嫌いだった。

 夕暮れの陽光を浴びて、黄昏色と茜色、そして藍色が複雑に混ざる雲海の波色を、白の皇帝はそれこそ奇跡の光景を見ているように恍惚としていたが、雲海を見て、途端にあのころの記憶に苛立ちが募ると、《風》神は暴風を起こしてその雲海をひと霞みも残さず消し飛ばしてやりたい衝動に駆られてたまらなくなる。

 でも、それだけはしてはならない。


 ――この世界の自然は何もかも、あるがまま。


 たとえ竜族……「竜の五神」であろうと、その自然を自分の個の意思で好きなように扱ってはならないのだと、秩序として定められている。

 それは理性ではなく本能に組み込まれたものなので、《風》神の苛立ちはいつも感情だけでどうにか止まる。

 白の皇帝と見やった雲海に、波は立たない。

 ただ静かな風にゆっくりと流れるだけで、それを美しいというのであればそれでよかった。

 そして、思う。


 ――気質ゆえ、自由に生きているつもりはある。

 ――でも、好き勝手に生きているつもりはない。


《風》神は自分をよく知っている。

 それだけに、何が引き金となって《空》神の逆鱗に触れるかわからない、その境界線も充分に学んだので、それなりにわきまえているつもりではある。


 ――その最たる境界線が、今日、だ。


 自分が幼かったころの姿をしている幼竜を幻影として創った以上、いつかは小さき竜と白の皇帝が出会うのも想定の範囲内だった。

 それはべつにかまわない。

 小さい竜はその時代、空の牢獄から出ることが適わず、ずいぶんと寂しい思いをしてきた。当時を思い出すとあまりにも不憫すぎたので、それで成竜となったいま、《風》神が幼竜だったころの自分を楽しませようと思い、それで創ったのだ。

 だから、白の皇帝と遊べるようになったのであれば、小さき竜も楽しいだろうし、白の皇帝も「幻影」をいまひとつ理解していないようすもあったが、それでも会って遊びたいと言ってくれたので、ここに問題は何もない。

 しばらくは幼い興味本位の塊に振り回されるだろう白の皇帝の苦労には同情するが、小さき竜が楽しく笑っているのを見ると、《風》神はそれだけで当時の愛情が満たされていく感じがして、嬉しかった。

 愛しくて、胸がくすぐられる。


 ――だが……。


 小さき竜にはいくらでも「あの方」を好きに呼ばせることはできるが、白の皇帝にはけっして興味を持たせてはならない。

 それをしてしまったら、白の皇帝を大切に想っている《空》神がきっと激昂するだろう。

 その雷撃が白の皇帝に向かうことはないだろうが、万が一のことを考えると恐ろしくてたまらない。

 かわりに《風》神が裁きを受けるのであれば素直に従うが、だが――もとを正せば……と何かが捻じれ、「あの方」に激昂の矛先が向かうのだけは、断じて避けなければならない。


 ――だから《風》神は、白の皇帝の興味を封殺した。


 幸いにして白の皇帝はそれを察してくれた。

 白の皇帝と「あの方」を護るためには、これしか方策がなかった。




「白の皇帝にはかわいそうなことしたよなぁ……」


《風》神は、ぽつりとつぶやく。

 視界には夜空だけが果てしなく広がっていて、月と星だけがよく見える。

《風》神はあれだけ毛嫌いをしていた雲海に、まるで大地の草原で寝そべるような格好をしながら寝転がり、そうやって夜空を見上げていた。

 腹の上には、すっかり深い寝息を立てている小さき竜がいる。

 この幻影はまったく不思議なくらいに高性能で、ほんとうに生身の幼竜ではないかと自分でも錯覚を起こすくらいに温かくて柔らかく、幼子特有のどんな癒しよりも満たされる心音までひびいているので、愛しくてたまらない。

 そう。

 自分はこの小さき竜を幸せにするために創った。

 けれども、やはり「あの方」に会うことができない以上、この幼竜が真に欲する望みを叶えることはできない。

 創ったところで結局、悲しませるだけだ。

 現にそうだ。

 小さき竜は起きたら、また寝ぼけた最初に「にぃににあいたい」と言って、探して泣くだろう。

 会いたい、会いたい、と言って泣く姿を見ると、こちらまで切なくなる。

 だがそれにうなずくことはできない。


 ――でも、それでも、と思う。


 会うことさえしなければ、《空》神は目を閉じたままでいてくれる。

 それが「あの方」を護るための境界線だと学んだので、どれほど小さき竜に懇願されても《風》神はそれ以上動くことはできないが、ときおり口にしなければ「あの方」の存在を自分までもが消しそうになってしまうので、《風》神も口にしてしまうのだ。


 ――にぃに、と。


 寝そべったまま夜空を見ていると、いくつか星が流れるのが目についた。

 あれは流星だと、幼いころ《空》神に教えてもらったことがある。

 ある夜、見つけた瞬間に《風》神は追いかけようと全速で飛んでみたものの、まったく追いつけずに悔しがって泣いたことがある。

「竜の五神」、そのなかで最速を誇る《風》神でさえも敵わない速さがこの世にあるなんて……。

 それをふと思い出し、《風》神は苦笑する。


「にぃに……いま、星が流れたよ。あ、ほら、いまも流れた」


《風》神は片腕だけを枕にして、もう片方の腕を伸ばしながら、すぅ……と夜空を流れる星を指差す。


「あいつら、ほんとうに速いよな。じつを言うと俺、この間こっそり競ってみたんだけど、――だめだった。てんで追いつけやしない」


 くっくっ、と笑いながら《風》神は片眼を切なげに細める。


「にぃに……」


 ――会いたいよ……。


 心中で思いの丈をこめてつぶやき、《風》神も目を閉じて、腹の上に小さき竜を乗せたまま眠りにつくのだった。


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