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小さき竜と大きな竜

 突然現れた幼い子どもが竜族――《(かぜ)》族の子どもで、名を小さき竜というのはわかった。

 たしかに見た目からして充分に幼く、何にでも興味を持って、舌足らずの言葉で話をするのが何より可愛らしい。

 でも、その小さき竜は自分のことを《(ふう)(じん)だと言った。

 白の皇帝が知るかぎり、《風》神はすでに成竜した猛禽のような風貌の青年で、上背だって白の皇帝よりはるかに高い。


 ――何より、竜族が「(りゅう)五神(ごしん)」に座するのは、五匹の竜。


 白の皇帝が知る《風》神以外にもう一匹、《風》神がいる話など聞いたことがない。

 けど、小さき竜は自信満々に自らを《風》神だと言っている。

 これはいったい、どういうことなのだろうか。

 いよいよ白の皇帝の理解が「?」だらけになってしまうと、そのようすに気がついたのか、先ほどからずっと白の皇帝を見守っていた女官たちがくすくすと笑いながら近づき、白の皇帝というよりは、そのそばに浮かぶ小さき竜に向けて膝をつき、恭しく頭を下げてくる。


「――まぁ、()()()()()()。お久しゅうございます」


 ――族長代理……こころ……?


 聞いたこともない言葉を発する女官たちに、この子の名前は小さき竜ではないのだろうかと白の皇帝は首をかしげる。


「くちゅくちゅ、()()()()()()? おれ、おひさちゅうなの?」

「ええ、お久しゅうございます」

「うふふ、おれ、おひさちゅうなんだ」


 女官たちは態度こそ最敬礼をしているが、小さき竜とはすでに馴染みがあるのか、その会話はどこか距離が近い。

 小さき竜は口もとに両手を当てて、くすぐったげに笑う。

 それを見て女官たちも心底微笑ましい表情を見せるので、ではこの子はほんとうに《風》族の子どもなのがうかがえる。

 これはどの部族にも当てはまるのだが、女官たちは本来、仕える自身の部族族長以外に膝をつくことはない。

 それを《風》族で例えるのなら、彼女たちは族長である《風》神以外に最敬礼を取る必要がないのだ。なのに、族長以外の相手に膝をつくということは、小さき竜は《風》族のなかでも族長に近しい高位に当たるのだろう。


 ――ということは?


 この子どもはほんとうに、もうひとりの《風》神にあたるのだろうか。


「えぇ……と、女官のお姉さんたち。この子はいったい?」


 堪りかねて真実を聞こうと尋ねると、女官たちは顔を見合わせながらくすくすと笑い、


「ええ、こちらは族長代理心得でございます」

「ぞ……?」


 それがあの子の本来の名前なのだろうか。

 目を丸くしてまばたいてしまうと、


「恩名は先ほど族長代理心得がおっしゃったとおり。けれども、私たちの身分でそちらを口にするのは不敬にあたりますので、差し障りのないようお呼びしている次第にございます」

「それが、えっと、族長代理こ……」

「族長代理心得。――白の皇帝ははじめてお目にかかるのでしょうか?」


 問われて、白の皇帝はうなずく。


「でしたら……」


 もうすこし詳しく説明したほうがいいかしら、と女官たちは顔を見合わせるが、どうやらその必要はないみたいだった。

 天空宮の庭先――草原で遊んでいた白の皇帝を迎えに、この宮の主であり、《風》族族長である《風》神がふわりと姿を現した。女官たちはその姿にあらためて最敬礼する。


「――白の皇帝。さっきは悪かった。あとで送るから、せめて夕餉は一緒に食べよう……」


 と言いかけた瞬間、小さき竜と名乗った幼い子どもが喜びの表情を全開にして《風》神に抱きついてきた。


「大きな竜!」

「――っと、小さき竜。何でお前がここにいるんだ?」


 突然顔面めがけて抱きつかれ、視界を奪われた《風》神だったが、このようなご愛敬には慣れているのか、特段引き剥がそうともせず、


「お前……白の皇帝に何か失礼なことはしていないだろうな?」


 温かく、幼い胸もとに顔を圧し潰されながら問うと、小さき竜は「くちゅくちゅ」と笑い、


「おれね、ちろのこうていとあそんでいたのよ? ()()()もできたのよ」

「――()()()?」

「そうよ、()()()。おちりをね、ぢめんにちゅけゆのよ? えいって」

「何だ、そりゃ」


《風》神は大雑把に「遊んだ」というところだけを理解して、あとは切り捨てる。

 そのまま小さき竜は抱きついていた顔から離れると、《風》神の片腕に抱き収まるようにして腰を下ろす。

 そのふたりのようすを見て、白の皇帝はあまりにも雰囲気が似ているなと思い、


「ねぇ、その子はどこの子?」

「――どこの子どもだと思う?」

「《風》族の子どもだと思う。だって、《風》神にすごく似ているんだもん」



 竜族にもハイエルフ族にも共通するのは、「親」を持たず、「自然」と生まれる環境。

 なので「親」を知っていれば「《風》神の子ども?」などと揶揄することもできたが、その発想は本能にはないので、ただどのような子どもなのかを知りたくて問う。

 すると、《風》神も心得たようにうなずき、


「そっか。白の皇帝は小さき竜とははじめてか。――この子は、小さき竜。言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()ってやつかな?」

「――?」


 さらに頭が混乱するようなことを《風》神が言ってきた。

 幻影?

 小さかったころ?

 これにはもう理解が追いつかない。

 まばたいた目も表情も固まってしまうと、《風》神が「ふむ」と言って、小さき竜を片腕抱きしているとは反対の手で白の皇帝の頭を撫でてくる。


「まぁ、ほんとうにそうなんだ。この子の姿は、小さかったときの俺の姿。性格もまぁ……こんな感じだったのかな、俺? でもまぁ、俺個人はちゃんと成竜まで成長したから、この子は俺であって、もう俺ではない」

「……??」

「うん――。こいつは小さかったころの俺の姿をしている幻影だ。実体はない」

「……」

「わかった?」

「う~~~……」


 わかったようで、まったく理解が追いつかないというか。

 白の皇帝はうなずけるようで、うなずけない。

 それを見て《風》神はわずかに片眼の目もとを和ませる。


「深く考えなくていい。ようは、実体ではない子どもの姿をした俺だと思えばいい」

「実体がないって、でも……」


 先ほど抱きしめたときは、ちゃんと重みも感触もあって、何より幼子特有の心くすぐられるいい匂いがした。とても温かくて、愛しかった。

 本物でも実体がないとも言われても、とてもそのようには思えない。

 いまも《風》神は、生身の幼子を抱いているようなしぐさをしているではないか。


「いつからだったかなぁ? ものは試しで幻影ってものを創ってみたくなって。それでやってみたら、こんなにも高性能に仕上がったんだ」

「創る……? 《風》神、そんなことができるの?」

「まぁ、俺は《風》だからな。風を起こして創ってみた……って感じかな?」


 ただし、そのような芸当ができるのは「竜の五神」のなかでも《風》神だけだという。

 とりあえず白の皇帝は、その幼い子ども――小さき竜が《風》神によって創られた、実体があるようで、その姿はあくまでも幻影。そこまではどうにか理解できた。


「だから、その子も《風》神なの?」


 先ほど小さき竜はそのように自分を称していた。


「ま、俺だからなぁ」

「……」


 そう名乗ることを許しているというよりは、子どものときの自分なのだからまちがった名乗り方をしているわけでもないと、そんなふうに《風》神は笑う。

 その笑みには何とも言えない複雑めいた感情が刹那に見えたが、《風》神はこの子が大好きなのだろうというのは伝わった。

 なぁ、と《風》神が小さき竜に向かって言うと、うん、と小さき竜もうなずき、こつん、とお互いの額を当ててみせる。


「じゃあ、さっき小さき竜が《風》神に向かって大きな竜って言ったけど、それはどういう意味?」


 問うと、この答えは単純明快だった。


「こいつは小さいけれど、俺は大きいだろ? いわば、見た目の区分ってやつ?」

「――なるほど」


 竜族たちが持つ自然エネルギーの力は強大だが、彼らもこの世界創世期で最初に誕生した一族なので、そういった意味ではまだ文化や言語は制定されていない。

 とくに物事に対する固有名詞は大雑把すぎて、個体に名前はほとんどつけていない。

 たとえば、白の皇帝にしたらトマトも、きゅりも、レタスも全部固有名詞があって区別もつくのに、竜族にとってそれらはすべて区別がなく「野菜」のひと言ですませてしまう。まちがってはいないのだが、何かがちがう。


 ――だから、小さき竜、大きな竜、か。


 この名前の付け方にも大雑把だなぁと白の皇帝は思うが、彼らのもうひとつの名前だと思うと、何だか温かく感じられてくすぐったい。

 ようやく合点がいった気分になった。

 なぜかほっとしてしまうと、そんな白の皇帝を見て小さき竜が「くちゅくちゅ」と笑ってくる。


「あのね、大きな竜。ちろのこうていの()()()ね、ちろかったのよ」

「――へッ?」

「ちろのこうていのおちりはね、すぐにみえちゃうのよ。うふふ」


 なぜ、それをいま《風》神に伝える必要があるのだろうか。

 幼子特有の唐突の発言の恐ろしさを、白の皇帝はまだ知らない。


 ――よりにもよって、そんな……ッ!


 白の皇帝はそれを聞いた真っ赤になる。

 真っ赤になって、普段は気にしたこともない丈の短いチュニックの裾を気にして何となく尻もとに手を当てて隠す。その些細なしぐさを目ざとい《風》神が見逃すはずがなかった。


「へぇ? 白の皇帝のお尻は白いのか? 小さき竜――お前、どこで見たんだ?」

「うふふ、さっきね、おれが()()()するとき」

「――うん、状況はわからないが、そっかぁ」


 などと嬉しそうに《風》神が言って、白の皇帝を見やり、顔を覗きこんでくる。


「なぁ、白の皇帝」

「……何?」


 何だか嫌な予感がする。

 わずかに警戒をしながら《風》神を見やると、《風》神は予想どおりににんまりと笑い、言ってきた。


「俺も白の皇帝のお尻、ほんとうに白いのかどうか見てみたいなぁ」

「!」


 上背のある《風》神が白の皇帝の顔を覗きこむように顔を近づけたのが仇となり、白の皇帝は思わず「ぺちん」とその頬を叩いてしまう。


「もう! 《風》神の馬鹿ッ!」


 白の皇帝は真っ赤になって怒ったが、これは頬を叩かれるまで計算し尽くした、いわば《風》神の冷やかしであった。

 言いたくはないが、白の皇帝はもう、尻どころではない身体の隅から隅まで《風》神に見られ、好きなようにされている。そうと知っているはずなのに、あえて相手を刺激するように尋ねてくるのが《風》神という青年だった――。

 そのやりとりを見て、きょとんとしていた小さき竜が首をかしげる。


「大きな竜、どうしてほっぺをぺちんされたの? 大きな竜はわるいこなの?」

「どうだろう? 俺はとってもいい子な竜だと思うんだけどなぁ」

「じゃあ、ぽっぺをぺちんした、ちろのこうていがわるいこなの?」

「いいや――」


 悪いのは全部俺だ、と《風》神が言うと、小さき竜が急に勇んだように《風》神の頬を「ぺちん」と叩いてくる。そして、白の皇帝に向き直る。


「ちろのこうてい、だいじょうぶなのよ! おれがね、わるいこをぺちんしたのよ!」


 などと、まるで敵討ちのように言ってくるので、白の皇帝も《風》神も笑わずにはいられなかった。

 そのようすを離れたところから見守る女官たちも微笑んでしまう。


「小さき竜。お前はほんとうに、いい子だ――」


《風》神は、そんなあどけないころの自分をどこか切なげに抱きしめる。

 この小さい竜はほんとうにどうしたらいいのかわからないほど、愛しくて、切なくて、たまらなかった――。



□ □



 そのあと、白の皇帝が無事に地上の大地にある《火》神の居宮に戻れたのかというと、そのようなことはなかった。

《風》神としては、夕餉を食べたらしぶしぶとはいえ帰してやるつもりでいたのだが、何せいまは小さき竜がいる。

 小さき竜はすっかり白の皇帝を気に入ってしまい、とにかく「あそぼう、あそぼう」と飛び回りながらせがみ、白の皇帝が何かをするたびに真似をして、いっかな離れようとしないのだ。

 しまいには、


「どうちてかえゆの? ちろのこうていのおうちは、ここでもいいのよ?」

「ああ……うう……」

「おれはね、ここでねんねちたり、おっきちたりちてゆのよ」

「そ、そうなの? えらいね」

「でちょ? じゃあ、きょうはどこでねんねちゅゆ?」


 などと言って、白の皇帝の膝の上に座ってくるものだから、この愛らしい温もりから逃れる術がない。

 家具を持たない《風》族での夕餉は、いくつもの大皿が絨毯の上に並べられて、白の皇帝は座しながら小皿に食べたいものを取り、食べる。

 最初、この様式を見たとき白の皇帝はおどろいたが、慣れてしまえば椅子にきちんと座り、机の上に並べられた料理を丁寧に食べる作法よりも何となく気安い感じもして、これはこれで楽しく食事することができた。

《風》神の小皿にはそばに侍る女官たちが心得たように取るが、白の皇帝の小皿には《風》神が手ずから取る。

 いつもであればそのようにして食べていたのだが、


「だめよ、大きな竜。おれもね、おてちゅだいできゆのよ? ちろのこうていのおりょうりは、おれがとゆの」


 と言って、まだ上手く掴めない取り箸をにぎり、


「ちろのこうてい、あ~んちて? おれがね、もぐもぐさせてあげゆのよ」


 と言って、白の皇帝の膝の上に座ったまま、小皿に盛り付けた料理を懸命に口まで運んでくれる。


「どう? おいちい?」


 そんなふうに尋ねられてしまえば、多少衣服にぽろぽろとこぼされても、


「うん。小さき竜が食べさせてくれるから、とってもおいしいよ」

「うふふ、そうでちょ?」


 そうとしか返答ができない。

 そうやって食べさせてもらってばかりいるかと思えば、


「こんどはおれのばんよ? おれね、あ~んちゅるから、ちろのこうていがもぐもぐさせて」

「う、うん……」


 楽しそうに口をあげて、美味しそうにもぐもぐと口を動かして、


「ごはん、おいちいね」


 と言ってくるものだから、もうたまらない。

 白の皇帝も、今夜はとりあえず陥落だな、と思い、複雑めいたため息を落とす。

《風》神としては、まるで小さき竜を出汁に使って白の皇帝を引き止めていると勘ちがいされるのもこまるところだが、内心としてはこのまま出汁を使ってごねるのもありだな、と幾分計算をしはじめている節もあった。

 だが、これでは白の皇帝が落ち着いて食事を取ることができない。

 見かねた《風》神が白の皇帝の膝から小さき竜をどかそうとしたが、


「だめなのよ、大きな竜。たべるときはおひざのう~え、――()()()がいってたでちょ?」


 などと言って白の皇帝にしがみついて離れなかったし、


()()()もね、おれにもぐもぐさせてくれゆのよ?」


 そう言って小さい身体ながら食欲旺盛に食べるものだから、それをやめさせるわけにもいかない。


 ――この子、こんなにも普通に食べているのに……。


 これで実体ではなく幻影だというのだから、《風》神の力がすごいのか、それとも幻影であっても《風》神である小さき竜がすごいのか、白の皇帝にはいよいよわからなくなってしまう。


 ――でも……。


 ずいぶんと会話が進んでいくうちに、小さき竜が何か特定的なことを指すときに「にぃに」という言葉を使うことがあるな、と白の皇帝は気づくようになった。


 ――()()()


 それが何を指し、何を意味するのかわからないが、小さき竜はずいぶんと親しみを込めて「にぃに」と言っているし、《風》神もその言葉には充分理解を示しているようにうなずき、そうだな、と相槌を打っているのがうかがえる。

 とくに《風》神はその言葉を聞くと、心底愛しそうに、心底切なそうな表情を刹那に浮かべるので、よほど大切な言葉なんだなということだけは理解できた。

 ただ……。

 白の皇帝は、世界創世期の時代の竜族よりはるかに固有名詞に対して複雑に事細かに定められた「久遠の明日」の時代にいたので、大体の物事に対してはすぐに反応できるのだが、「にぃに」という言葉には聞き覚えがない。

 そもそも、竜族の言葉とハイエルフ族の言葉は異なる部分が大きい。

 なので、竜族の言葉って難しいなぁ、と、このときはそのていどに思い留まることにした。

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