天空宮で聞く、竜の神さまのお話し
わぁああああああん!
《空》神!
いじわるちないでよぉ!
――おれをおそらからだちてよ!
にぃにのところにいきたい!
にぃにとあそびたい!
「なんで、だめなの?」
にぃにはこわくないのよ?
にぃにはわるくないのよ?
おれ、ちゃんと竜のかみさまのおちごとする!
《空》神のいうこときく!
だから、にぃにのところにいきたい!
おそらからだちて!
空はどこまでも広くて果てがなく、蒼穹の色だけが世界のすべてだった。
その眼下にあるのは雲。
さらにその下にあるのが、海洋。
海洋は紺碧だけが果てしなく広がっていたが、よくよく見ると空にはない揺れで白い波が立ち、紺碧も見る場所によっては多彩な青で表現されて、空よりもはるかに表情があった。
それを間近で眺めてみたかったが、雲より下に下りることを何より《空》神が嫌がり、幼いころはこの果てしない広さの空が牢獄のように感じられてならなかった――。
――世界創世期の初期。
その世には天上に空、天下に海だけしかなく、ちょうど中間に雲だけが存在する、ただそれだけの何もないところだった。
空を領域とするのは、竜族で最初に自然元素を得た《空》神。
海――海洋を司るのは、同時に自然元素を得たが天下へと落下していった《水》神。
そして、その中間。
何もない空間に雲だけが浮かぶ不思議な空域に風を司る《風》神が自身の力の領域として誕生して、三匹の竜は大地を誕生させる力を持つ《火》神と《地》神が生まれるまで、永く三匹だけで暮らしていた。
□ □
世界は最初、一匹の竜のまばたきからはじまった。
眼を開いては世界が誕生し、閉じては世界が終焉し、一匹の竜がそれをくり返すたびに世界はそうやって形定まる前に何度も、何度も誕生と終焉をくり返していたが、「このままでは何も創れない!」と、もがき苦しみ、自分という殻から自分を脱却させようと決意して、ついにひとつの空間を激しく振動させる咆哮を放った。
咆哮は何もかもを吹き飛ばしたが、何物にも揺るがない空間を最後に誕生させた。一匹の竜はそれを両の手で優しく包みこむ。
同時に、一匹の竜は自身が持つ自然を生み出す力があまりにも強大で、自分だけではコントロールできないと悟り、さらに大きく咆哮する。
その咆哮で世界には《空》、《水》、《風》、《火》、《地》の五つの元素に分かれた自然エネルギーが誕生し、これを最初に司った「竜」を「神」として立たせた。
一匹の竜から放たれた自然元素を最初に得た五匹の竜は「竜の五神」と呼ばれるようになり、永く世界に君臨する。
――そして……。
世界を最初に創世した一匹の竜は、世界の《祖》、世界最初の一族である竜族の《祖》として、《原始》と呼ばれるようになった。
□ □
その日、《風》神はめずらしく白の皇帝に手を出さずに傍らに侍らせて、少年がもっとも興味を抱いていた「竜の五神」――竜の神さまのはじまりを伝えていた。
「世界ってそうやって誕生したんだぁ……」
てっきり「竜の五神」は最初からポンと生まれて、彼らが司る自然から生まれた一族や、「竜の五神」を族長と呼ぶ雌の女官、雄の竜騎士や竜騎兵たちとすでに楽しく暮らしていると思っていただけに、白の皇帝は「はぁあ……」と感嘆する。
「俺、全然知らなかったよ。大陸も草や木も、ほんとうに後になってからできたんだ」
「――そ。それを誕生させることができる《地》神がずいぶんと最後に生まれたから、それまで世界には何にもなくて、ものすごぉ~くつまらなかったんだ」
「へぇ~。空と海しかない世界って、何だかとっても不思議」
言って白の皇帝は立ち上がり、たたた、と身軽に小走りして部屋の端までいき、そうしてそこから見える風景を眺める。
白の皇帝の目の前にあるのは、蒼穹――空の青だけだった。
辛うじて下のほうを見やると、どれだけ距離があるのかはわからないが、遥かほどではないにしろ眼下には白い雲があるだけ。
それは長く広がる雲の海のように見えたり、あるいは筋骨隆々のように逞しく見えたり。あるいはいくつもの柱のようにそびえ立つ雲もあって、とにかくおなじかたちがないのが不思議でおもしろい。
――そして、その光景は地上から見ることはぜったいにかなわない。
空はこのように青と雲の白しかないというのに、この目の先には大小さまざまな島のような浮遊大陸がいくつもあって、白の皇帝は興味本位にはいくらでも表情を変え、瞳をかがやかせるそれを全開にする。
さらに、外見は十三かそこらの少年である白の皇帝の最大の特徴である、長く尖った耳をぴくぴくと動かしながら、
「じゃあ、この浮遊大陸は? 誰が創ったの? 《地》神?」
問うと、《風》神が笑いながら「否」の手振りをし、
「《地》神――あいつが創成できるのは、海洋の上に成る大陸だけだ。この天空に《地》神や《火》神の大地神たちが何かを成すことはできない」
「じゃあ、誰が創ったの?」
さらに問うと、《風》神はわずかに考えるように、かたちのいい顎をかたちのいい指で撫でながら、
「たぶん《原始》じゃないのかな? 俺や《空》神の天空神は何かを生み出すことはできないし」
「そうなの?」
「正直なところ覚えていない。俺がうんと小さなガキのころは何もなかったし、でも気がついたら天空には浮遊大陸が群島のように浮かんでいて、気がついたら《空》神がねぐらを創っていて、俺もしばらくそこで暮らしていたんだ」
「それって、《空》神の蒼穹宮のこと?」
「そ。でもあいつはそういうところにあまり興味がないっていうか、無頓着っていうか、寝る場所さえあればいいって感じで、いまある宮よりもずっと質素で、何もなかった」
「へぇえ~」
知らなかった話を聞くのはおもしろい。
どれだけ聞いても興味は尽きないし、《風》神もわかる範囲であれば、包み隠さず際限なく話してくれる。
彼にとってはどうでもいいことも、白の皇帝が些細でも興味を持てばとにかくおもしろおかしく話してくれる。
「俺が大きくなって、《風》族が本格的に誕生しはじめたころに《空》神が浮遊大陸をいくつかくれたんだ。好きなところに居宮を創り、《風》族を率いる立派な族長になりなさいって」
「へぇ~。竜の五神の部族って、最初からいたんじゃないんだ」
「そ。俺たち竜の五神のように、完全に人化している雌を女官と言って、そいつらは俺たち族長の世話をするためだけに存在している。一方で半人半竜の雄は竜騎兵や竜騎士と呼んで、ま――俺たち族長の護衛のようなものかな」
「そっかぁ。でも俺、最初は竜騎兵や竜騎士さんたちが怖くて、泣いちゃったんだ」
「まあ、あいつらは見た目がいかついからな」
そんなふうに、くすくす、と笑える話は楽しかったし、陽気で楽しいことが大好きな《風》神が「あはは」と笑うと、それだけでもっと楽しかった。
――竜の神さま……「竜の五神」が実在したこの世界。
世界創世期――。
白の皇帝は天空に浮かぶ浮遊大陸のひとつ、《風》神が居宮としている天空宮のなかから見やる空と雲の世界にうっとりとする。
つい視界に目に映るものばかりに関心がいってしまうが、空にはもうひとつ、たいせつなものがある。
《風》神が領域とする空間すべてになくてはならないもの、――風。
そう。風が吹いている。
風は空や海洋のように目に見えるものではなかったが、吹けばかならず身体に伝わり、熱さや寒さを教えてくれて、ときには香しい花や果実、自然界におけるあらゆる匂いを運び、感性を楽しませてくれて、心を和ませてくれる。
何より、白の皇帝のまばらに長い空の色とも水の色ともとれる水色の髪を風雅に揺らしてくれる。
白の皇帝は何気なく振り返り、《風》神に向かって「えへへ」と笑ってみせた。
その容姿は神秘的に美しく、瞳の色は髪と同様の水色。年ごろの少年らしく大きい。
しなやかな肢体は細く、言ってしまえばひょろっこい。
何かを身につけるのが苦手……嫌いなので、纏う服は空の色に近い青と縁が金の丈の短いチュニック型で、腰帯で簡単に結わえているだけ。肩は出しているが、腕の脇本から手首までおなじ素材のアームカバーをつけているので、上半身に露出は感じられないが、動けばすぐに股間が見えてしまいそうなほどチュニックの丈が短いため、細い脚は惜しみなく目に入る。
肌は、雌――女性が羨むような白さとは次元が異なる白。
乳白色が近いかもしれないが、幻想的な存在のように感じさせる白は例えるのが難しい。
――白の皇帝の本性は、ハイエルフ族。
美しい顔立ちや身体、肌の白さや耳の長さが特徴的で、竜族――「竜の五神」が実在する世界創世期にはまだ誕生していない一族だ。
白の皇帝はまだ少年でありながらハイエルフ族の長であり、世界創世期から遥か後方の世界、「久遠の明日」と呼ばれる時代を統治する世界最高峰の存在でもあったが、彼の時代にはすでに伝説の彼方となった「竜の五神」に興味を持ち、
――ひょっとすると、広い世界のどこかで眠っているだけなのかもしれない。
そう思ってひとりこっそり旅をはじめたところ、何が作用したのか、白の皇帝にとっては遥か前方の世界、「久遠の昨日」に迷い込んでしまい、行き倒れていたところを「竜の五神」たちに保護してもらった。
身体は弱り切って、おまけに言葉も通じず、最初のころ白の皇帝は散々に苦労したが、それももう過ぎたこと。
ようやく落ち着いたころ、帰る術のない身となってからは、彼らの寵愛を受けながらのんびりと暮らしている。
いまもそうだ。
「竜の五神」のひとりである《風》神の居宮である天空宮に招かれて、様々な話を聞きながらこの時代のことを学んでいる。
「天空宮って、すっごく大きいよね。広いし、天井は高いし」
問うと、《風》神はやっぱり楽しそうに笑い、
「だろ? 俺、狭いのは嫌いだもん。自分の住処ぐらい、自由にのびのびとくつろぎたいし」
言って、白の皇帝が首を廻らせるのに合わせながら《風》神も周囲を見やる。
天空に領域を持つ《空》神と《風》神はそれが気質なのか、居宮内を壁や扉で区切ることを嫌い、建物は高さのある特徴的な柱が天井や独特なかたちの屋根を支えるだけで、他を目にすることはほとんどない。
当然、部屋、という区切られた空間……個室も存在はせず、何か仕切りが必要ならば天幕やカーテンを垂らすていど。部屋という概念がないので家具もなく、かわりに床には幾か所にも絨毯が敷かれて、いつでも寝ころべるように、大小のクッションがいくつも置かれている。
その絨毯のある場所を部屋のように使っていて、天空神のふたりは意外にも居宮では「座」の生活をしている。
そのひとりである《風》神は、どこか民族的な長衣を基準とした装いをして、簡単な羽織も身につけているが、その細かな模様や刺繍は豪華でよく似合っている。
それまで《風》神は絨毯の上で座していたが、ふと立ち上がる。
足は素足かと思えば、意外にも鮮やかな刺繍が施された靴を履き、性格とは異なり身なりはきちんとしている。ときには煌びやかな装飾品を身につけたりするので、とにかく地味や控えめといった印象がまったくないのだ。
「白の皇帝――」
名を呼んで歩く姿は美丈夫で、容姿や眉目は鋭く整っていて、猛禽のような目つきの眼差しは金色。短髪のくせっ毛の黒。
眼差しひとつで冷血にも陽気にも見える表情は「竜の五神」のなかでもっとも豊かだが、《風》神の眉目は右のそこしかない。
対となる左側は幼いころ……幼竜のころに眼球を失って、以降は黒く長い帯を眼帯のように見立てて巻き、装飾を含めた赤珊瑚で作られた数珠、あるいはブレスネットのようなそれを竜族の特徴である尖った耳――長さはヒトとそれほど変わりがない。大きさは若干あるかもしれないが――にかけて、眼帯止めとして使っている。
――何より。
《風》神はとにかく上背がある。
もともとハイエルフ族はそれほど背丈もなく、年ごろの白の皇帝も一五〇センチに届くかどうか。
一方で、竜族は雌の女官たちの平均が一八〇センチ、雄の竜騎兵や竜騎士たちも二〇〇センチと一族そのものの上背が高く、さらに「竜の五神」となるとほとんどが二二〇センチを超えて、《風》神は二番目に高い二二六センチを有している。
なので《風》神がとなりに立つと、白の皇帝はほとんど見上げるかたちになってしまい、種族の差というものが顕著に表れてしまう。
もっとも、「神」である竜族――その「竜の五神」を種族と呼ぶのはいささか不敬かもしれない。
だが、彼ら「竜の五神」たちが寵愛する白の皇帝が仮にそれを口にしたところで腹を立てる者はいない。誰もが白の皇帝のことが愛しくてたまらないのだ。
「さ、今日のお話はこれくらいにするか。――このあとは何して遊ぶ?」
寡黙で他人にあまり興味がないのがハイエルフ族の性質のひとつだが、年ごろのせいか、白の皇帝は何にでもすぐに興味を持ち、ひとつ箇所でじっとしていることがほとんどない。
《風》神もどちらかというとじっとしているのが苦手な、落ち着きのない面もあるので、ひとつが終わればすぐに新たなひとつに向かってしまう。
その点でいうと、「竜の五神」のなかでもっとも気安く、白の皇帝のうってつけの遊び相手でもあった。
遊びを問われて、白の皇帝は腕を組んで考える。
「えっとぉ……、お庭の草原で花冠を作って遊ぶのもいいし、俺、歌でも歌おうかな? 歌は大好きなの」
伴奏となるハープを奏でるのも得意だが、ハイエルフ族の性か、白の皇帝は歌うことが好きで、歌を知らなかった「竜の五神」たちはその神秘的な歌声にうっとりとしてしまう。
「じゃあ、まずは花が咲いているところまで適当に飛ぶか」
「わッ」
言って、《風》神は遥かに背の低い白の皇帝をひょいと抱き上げた。
手をつないでともに並んで歩くのもいいが、《風》の自然元素を司る性か、《風》神はすぐ身体を宙に浮かべてしまう。思えば、彼が長く歩いているところを見たことがない。
そのため、白の皇帝を抱き上げたほうが自在に動けるので、《風》神はすぐに白の皇帝を抱き上げるのが癖になってしまっている。
無論、空を飛ぶことができない白の皇帝にとってもうってつけの遊びのような感覚になるので、このまま空を散歩するように飛んでもらいたいなぁ、とも思えてしまう。
最初はとても怖かったが、慣れてしまえば心底楽しいのだ。
では、何をしようかと悩むように考えていると、ふと、《風》神の顔が白の皇帝の顔に近づく気配があった。
何だろう、と思って首をかしげて見やると、
「白の皇帝、す・き❤」
と言って、にかりと笑った《風》神が唇を近づけ、そのまま白の皇帝の唇に重ねてきた。白の皇帝はびっくりして、頬を染めて硬直してしまう。
――白の皇帝が受けている寵愛とは……。
このように唇に触れる行為も、それ以上の行為も含まれていた――。