"夢子ちゃん"
「はるひー!」
「おう」
「帰ろぉ〜」
甘ったるい、媚びるような声。下着を隠すために着ているのか、あえて見せるために着ているのか分からないくらい短いスカート。
男とスイーツしか入っていないであろうでかい胸をはるひと呼ばれている男にこれでもかと押付けている。それに気づいているのかいないのかはるひは、『こんなのいつもの事だ、気に留める方がおかしい』というかのようにすました顔で女を見下ろしている。
友人かカップルなのか、はたまたさらに踏み込んだ関係なのか、僕には判断がつかない。
でも今は、そんな下品なリア充達より見たいものがある。
僕は1人黒板を消す美しい黒髪を見つめる。身体が左右に動く度同じ方向へさらさらと動く手入れの行き届いた艶やかな腰の長さまである黒髪。後ろ姿に惚れ惚れしながらいつもは人でぎゅうぎゅうの教室に2人きりという幸せな時間を噛み締めていると彼女の友人であろう女がドアから顔を出した。
「あっ居た!夢子、帰ろ」
「あっうん、ちょっと待ってて」
声をかけてきた女に鈴のように澄んだ声で返事をした美しい黒髪の持ち主は"夢子ちゃん"︎︎だ。
「よしっごめんごめん。行こっか」
この幸せな時間を奪った女に苛立ちを覚え、友人に駆け寄る"夢子ちゃん"を目で追うついでに女に睨みをきかせる。そんな僕の気持ちも知らずに"夢子ちゃん"は友人とスタスタと廊下を歩いていく。僕は"夢子ちゃん"を追いかけるように急いで帰り支度をする。ガタガタと音を立て荷物を抱え、まるで何かに急かされているかのように廊下に飛び出すと少し転びそうになる。少し距離を取りながら靡く黒髪を見つめ、話し声に耳を澄ます。大した内容ではないにしろ、彼女の声を聞けるだけで十分だった。
1度だけ、彼女と喋ったことがある。友達もおらず、いつも昼休みは食事を取る以外にする事が無いため机に突っ伏して寝ているふりをしていた。しかしその日は前日の徹夜がたたり本当に寝てしまった。次の授業が移動教室だったことも忘れて。
「起きて、次の授業音楽室だよ」
美しい声で目を覚ます。世界でいちばん綺麗な目覚ましだと思った。目をひらくとそこには同じクラスの女子生徒の顔があった。"夢子ちゃん"だった。
「あっ起きた、早く来ないと遅刻しちゃうよ」
そう言い残し足早に教室を後にする"夢子ちゃん"の後ろ姿を見つめる。やけに揺れる黒髪が印象に残った。僕のことなんて放っておいても彼女にとって何も問題ないにも関わらずわざわざ声をかけてくれるという遠回しな告白に恥ずかしくなりながら、1人音楽室へと向かったことを鮮明に覚えている。
後にも先にも彼女と喋ったのはこれだけだったが、この先一生忘れることは無いだろう。あの時の眼差し、肩に触れた手の感覚、耳に残る清涼感。これを恋というのだろう。
恋愛経験のない僕でも告白は男からすべきということはきちんと分かっているつもりだ。また2人で話せる機会があれば告白をしようと決意している。
そんな素敵な思い出に浸っているうちに、彼女はとっくに校門から出ていってしまったようだ。残念に思いながらも又明日も会える事に期待し、軽い足取りで彼女が通った校門を出る。
きっと今日は少し浮かれていたんだ。この数分後、僕は信号無視の車に轢かれて死亡する。
お読み頂きありがとうございます。少しずつ更新していきます。バッドエンドです。