第6話「憶測の世界」
なぜ、突然このような言動をとったんだろう。
兄さんと仲間を殺された腹いせか。それとも、権力に溺れた国長への憤りか。
「どういうことだ!!国長は、約束してくれたんだぞ!!」
「あの狸じじいの口約束を信じる、お前が馬鹿なんだ」
「…国長に、確認してくる」
部屋を飛び出していった動揺と焦燥の後ろ姿は、とてもいい気味だった。
清々して、部屋を出ようとすると、昼食の支度をしていたはずのフィリーが怪訝そうに顔を覗かせていた。
「…すまない、フィリー。うるさくしたな」
「いえ。…今日は、ラボを休んだらどうですか」
「ははっ、どうした。熱があるように感じたか?」という軽い冗談に、フィリーはコクリと頷いた。
知恵熱かな。ここのところ、考え通しだったから。
「…どうして、あのようなことを?」と聞いた彼は、口をきゅっと結んでいる。
「聞いていたのか。別に、事実を言っただけだ」
「彼をいたずらに傷つけただけじゃ…」
「それがどうした。そもそも、奴は21人を平気で殺す殺人鬼。人の心なんか期待するな」
やけに鋭い眼差しで睨まれているような気持ちがした。黒目なんか、無いはずなのに。
「僕は、彼を悪人とは思えないんです」
「…毒されたのか」
「いえ。そういうわけでは。彼を憎む気持ちは、確かにあります」
「じゃあ、どうして?」
「わかりません。僕は何も知りませんから。ただ、彼を殺人鬼とは、結びつけられなかった。何か理由があったんじゃって…」
「憶測で、物事を語るな」
彼の陳謝を聞き流し、俺は部屋を出て行き、真っ直ぐ玄関へと向かう。
「昼食は?」と問う声。食欲など微塵もわいていない。これも無視して、帰宅したばかりだったが、いてもたってもいられず、ラボへと向かう足に従った。
「午後19時から、ボイスさんの遺品整理を行う予定です。午後18時には、必ず戻って来て下さい」というフィリーの残した言葉だけを、俺の聴覚は拾っていた。
この集落最大規模のラボ。伽藍とした大広間で1人、俺は研究を再開した。
現在、俺が主導で行っている研究は、移動手段の大幅革新装置である飛行艇の開発。先行投資研究だが、既に飛行は成功。試作段階は終えており、1つ1つの改善をしている最中。
技術は、日進月歩。日々の1ミクロの改善が、大きな発展となっていく。
他にも、次世代家屋建築や陸上用移動手段、医療研究など、数多くの研究を、このラボ内で行っていた。
だが、職員がいない以上、それらは全て進展を止める他無い。差し詰め、国長の言っていることは、間違いではない。今、俺が行う研究が、この国の発展に大きく起因する。
活気のあった大広間の静寂が、そのことをゆっくりと語りかけてくるようだった。
着実に成果の見える研究と大きな可能性がある先行投資のような研究。その両立が、俺がしなければならない最大の試練なんだ。
あぁ、そうだ。このラボ内でのことだけを、俺は考えればいいじゃないか。
この国の大いなる発展のために、脳を動かし続ければいいだろう。傀儡のように働けばいいだろう。
長への抵抗とか、奴への報復とか、理想の実現とか、全部辞めにしよう。
私欲を優先できないほどの公職が、今の俺にはある。
もう、考えても、仕方ない。
午後18時、作業を終えた俺は、言いつけ通り帰宅した。
遺品整理はいずれやらなければいけないこと。いつかやるなら、今日作業を止めても、あまり関係は無い。
兄さんは不在だから、移動手段に気を遣うこともない。今日1日改良に時間を割いていた飛行艇を、実験のためにも、使用することにした。
この飛行艇は小型サイズとして設計しており、幼く背の小さなフィリーでも、十分操縦できるから、彼を操縦席に座らせた。
まぁ、それ以上に、操縦士としてフィリーほどの適役はいない。
飛行艇前部に取り付けられたプロペラがガタガタと回り始める。やがて、機体は浮かび上がり、闇夜が包む空へと発進した。
障害物や悪路の無い空の航路は、短時間の移動場には持ってこい。風も穏やかだったから、たった数10分の搭乗で、兄さんの家へと到着した。
梯子を上ると、玄関口に未だ残る着色が、忘れがたい記憶としてこびりついている。
その引きずられた血の跡の先に、兄さんが…
「…どうして、ここにいる」
日中、国長のもとへ向かったはずの奴が、あの日と同じように座っていた。
「僕が呼びました」
そう言い出したのは、隣に立っている少年だった。
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「ええと、フィリーです。どうぞ、こちらへ」
この人がボイスさんを殺した犯人。…そして、シアンスさんを救った恩人。
「あ、あの、君…目は、どうしたの?」
「あぁ、私には、いわゆる眼球というものはありません」
「えぇ、そ、そうなのか。……なぁ、目が見えないって、どんな感覚なんだ?」
「どうと言われましても」
「あっ、大丈夫。自分で確認できる」
彼は頭からポンッと、冷たい何かを抜き出した。弾丸のような形…?
「あぁ、そうか。…何にも、見えないんだなぁ。…あぁ、そうか。これじゃあ、涙も、流せないなぁ」
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「彼の話を、聞いてみましょうよ」
向けられた、あるはずの無い視線と言葉は、思わず目を逸らしたくなるほど熱があった。
「彼を、知っていますか?彼の言葉を、聞きましたか?」
知っているも何も、こいつは21人を殺した殺人鬼で…
「憶測で物事を語るなって、言っていたじゃないですか。ちゃんと、見てみましょうよ。僕は、彼を見てみたい」
微かに震えたその声は、鼓膜に深く入り込んだ。