第4話「ボイス=クロロホルムを偲ぶ」
あぁ、死ぬって、こんな感じなのか。
辺りが真っ白っていうか、なんか温いっていうか。布団の中で、寝ているみたいな。
…ん?布団の中で寝ている?
「あっ、起きましたか」
「んん。…フィリーか」
「喉渇いていますよね。今、何か持ってきます」
このヒノキの香りと、そば殻の枕。そして、我が家の一員であるフィリー。
そうか、俺は家に帰ってきているのか。
どうして?あそこから、何が起きたんだ?
「大変でしたね、色々」と言いながら、フィリーはコップ1杯の水を手渡す。
「…聞いたのか、兄さんのこと」
「はい、少しだけ。シアンスさんが起きたら、国葬を行うと、国会の皆さんが」
喉を潤すと、少し頭がすっきりしてきた。
…そうか。やっぱり、兄さんは。
「なぁ、その後諸々どうなったか、わかるか」
「いえ。治療棟に運ばれていたシアンスさんが、一命を取り留めて、ここに戻ってきたことしか。詳しいことは、この方に聞いて下さい」
「良かった。やっぱり生きていたな、シアンス」
赤髪に、見え隠れする5つの輪。首筋には“R”の刺青が映っている。
「…なぜ。なぜ、ここにいる」
「国長と取り決めを行った。目が覚めたら、シアンスにも話す機会を設けるとのことだ。詳しい話は、その時に聞いてくれ」
沸々と湧き上がる憤怒は、奴の胸ぐらを俺に掴ませていた。
だが、その反射とは裏腹に、理性と経験が、伸ばした腕を戻させる。
…こいつに何をやっても、無意味じゃないか。
「…とりあえず、俺の前から消えてくれ。早く」
「あぁ、わかった。でも、俺はここに居座らせてもらう。そういう取り決めなんだ」
「ふーっ。…勝手にしろ」
兄さんを殺した人間を、俺の家に居させるのが、取り決めか。
奴の犯したことを知っての狼藉なんだろうな。老害連中が、何を考えている。
「シアンスさん。今日の午後18時に、国葬を行うとの連絡が。それまで、ゆっくり休んでください」
定刻通り、集落の中心部に位置する大広場において、国葬が行われた。参列者はほぼ全国民。少数の民族だが、圧倒的な人数だった。
まず、亡くなったラボ職員への黙想が捧げられた。死因はラボ内で発生した有毒ガスによる不運な事故と伝えられた。
やっぱり、俺しか生き残ってはいなかった。
そして、兄さんの棺が運ばれる。
ボイス=クロロホルム、享年20歳。
“Rover”の立ち上げ人であり、2代目職長。数々の発明や研究で成果を上げ、この国の発展を押し上げた人物。死因は持病の悪化と伝えられた。
伏せられた事実は、貢献者の名誉を守る、国からのささやかな計らいだった。
「安らかな眠りを願い、献木を捧げます」
代表を務めたのは、ラボ唯一の生き残りであり、ボイスの弟である俺、シアンス=クロロホルム。
ノマードを愛した兄さんのため、古来に行っていたとされるノマードの葬式作法を模して、伐採した万年巨木の小枝を、桶に手向けた。
兄さん。どうか、安らかに。
国葬を無事終え、帰宅すると、例の居候が待ち構えていた。
「ボイスは、すごい人なんだな」
「…気安く兄の名を呼ぶな」
「あぁ、名前という文化が物珍しくて、ついな」
何言っているんだ、こいつは。
と思いつつ、俺はそそくさと自室のある2階へ上がろうとした。
「なぁ、謝らしてくれ」
突然の謝罪の言葉に、何もかもが硬直し、俺はその場に立ちすくんだ。
「ボイスを殺したこと、悪いとは思っている」
「…だから、気安く名を呼ぶな」
「シアンス」
「俺の名も、呼ぶな」
自室に戻り、自然と深いため息がこぼれた。
あまりに多くを無くした喪失感。やり場の無いどす黒い感情。
一晩に渡って、それらが俺を、夢の世界に行かせることは無かった。
翌朝、圧倒的に眠い目を擦り、荷支度をした。
くしゃくしゃの白衣を身に纏い、低い日差しが降り注ぐ外の世界へ向かった。
普段なら、ラボで研究を進め、昼食を取りに帰宅、午後最出勤という流れだが、今日の目的地は違う。足の進む先は、国会棟。国葬終了後に、国の幹部連中から声をかけられていて、国会へ出席することになっている。
議題はもちろん、この国始まって以来の大犯罪者について。
「やぁ、よく来てくれたね。シアンス職長」
「職長代理です。毎度毎度、間違えないで下さい、国長」
「あぁ、これは失敬。だが、もう良いのではないか。残念なことだが、代理を名乗る必要は無かろう。ほら、その眉間の寄った怖い目つきをやめてくれ」
「生まれつきですので」
第1023代村長兼、初代国長ロイ=ロワ。御年40歳で、ノマード族の大御所。
彼を中心とし、国の方針を決める重要な会議を行うのが、国会。
構成員は国長と4名の幹部。それぞれに大臣の冠がついているが、ハッキリ言って国長の腰巾着。
つまり、ここは彼の思想、判断が国の方針となる場だ。
「早速、本題に入ろうか」
「国長、それに先んじて、お伝えすることがあります」
「…何だ?」
「兄とラボ職員総勢20名を殺した男ですが、どうやら不死と思える異形の体を持っています。処刑については、やや難しいかと」
国長や幹部たちの反応は悪かった。確かに、不死などと言い出されては、飲み込めない状況に対し、呆気にとられるのも無理は無い。
「シアンス職長、何か勘違いしておるようだな」
「…と言いますと?」
「彼は処刑などしない。丁重に扱っていくつもりだ」
は?…今、何て。
「今日君を呼んだのは他でもない。国からの公職として、彼の恵体を研究する任を与える」
状況が飲み込めていないのは、俺の方だった。