第3話「ラボ内の攻防」
21時過ぎ、ノマードのほぼ全国民が住む集落へと、俺たちは足を踏み入れた。
集落を形成する家々には、伝統的なツリーハウスも散見されるが、半分近くがラボの職員の設計、建築した家屋が建ち並ぶ。
家屋外壁に飾られたランタンが、幻想的に光り輝いていて、まるで星空の中に入り込んだような感嘆の光景が広がる。
ただこの時間では、消灯して、寝静まっている家が多い。早朝から狩りに出掛けていたノマードの習慣が、体に染みついていて、生活リズムを変えられないのだろう。
そんな集落の中で、一際巨大で、異彩を放っている施設。
「ここが、”LAB-Rover”だ」
職員玄関は、ダイアル式の鍵がかかっている。4桁の番号を入力して合わせ、鍵をひねると、解錠する仕組みだ。番号は4397。
「…今から、鍵を開ける」
数字の書かれた円上のダイアルを1つ1つ、回していく。
6、7、1、3、っと。
鍵をひねると、びくともしなかった扉はすっかり軽くなり、ギーッと軋む音とともに、開けた空間が現れた。1階の研究用の大広間だ。
「とりあえず、客間に行こうか」
「そこに、彼女はいるのか」という問いは聞き流した。
あちこちに立ち並んだ研究品を尻目に、大広間の脇に建て付けられた階段を上がっていくと、すぐ手前に“客間”と書かれた2つの部屋がある。俺は左の部屋へ誘った。
暗い室内を灯すため、ランタンを探すが、なかなか見つからない。
…振りをする。
奴の位置と、俺の位置、正確に見極める。
「おい、まだか……う゛っ」
部屋を一気に灯す明かりとともに、俺の肘打ちが奴の顎に直撃する。
目が光を捉えるまでの、コンマ何秒。光に順応しないその刹那の不可避の一撃。
そして、地の利がある俺はすぐさま距離を取り、部屋奥に置いてある試作銃を手に取った。
装填弾数は、4発。2発分の早撃ちを仕掛けるも、奴はすんでのところで、部屋の外へと回避していた。
流石の身のこなしだが、それは悪手だ。
「…何だ、お前ら」
部屋の外へ出ると、槍や短刀を構えた白衣の男達が、奴を取り囲んでいる。
俺が呼んだ、このラボの職員たちだ。
このラボ内には、至るところに緊急事態を知らせる装置が、備えられている。
例えば、壁に備え付けられたつまみ。天井に吊された紐。これらを引っ張ったり、ひねったりすると、常駐しているラボ職員全員へ、緊急のアナウンスが入る。
職員用玄関のダイアル式の鍵も、その一種。
「俺たちは、元来、狩猟民族だ。貴様一匹、狩ることなど、造作も無い」
「騙したのか」
「…ラボ職員に告ぐ。先程、うちの職長がやられた。兄さんが、こいつに殺された。敵を取るぞ」
ラボ職員、総勢20名が一斉に襲いかかった。
奴は曲芸師のような身軽さで槍の応酬を捌ききり、1階へと逃げ惑う。
俺も狩猟用ナイフに持ち替え、他の職員とともに獲物を追う。階段を降りると、呻き声を上げた職員が、吹き飛んできた。
奴もナイフを手にしている。この職員から、奪ったのか。
広い空間で動きを更に良くしたのか、短刀を駆使した奴は、道を塞ぐ職員達を切り払い、俺を目がけて突っ込んでくる。
振りかざした奴の刃は、俺の物と鍔迫り合いを起こす。
「おい。本当の、彼女の居場所はどこだ」
「知るか」
「じゃあ、知っている奴を教えろ」
「…うるせぇ。くたばれ!!」
鍔の押し合いに勝利し、俺は奴の肩と腹部に、2撃の刺し傷を負わせた。
体勢を整う暇も与えず、他職員たちが入れ替わり立ち替わりで、猛攻を仕掛ける。深手を負わせるまではいかないものの、確実に攻撃は入っている。
飛散る血飛沫と傷跡が目立ち始めると、どことなく奴の動きも悪くなってきた。
それはそうだ。どんな生物でも、傷を受ければ、動きは鈍る。どんな生物でも、迫る死の前では、動きが硬直する。
これは、いける。
かろうじて立ち回っていた奴の一瞬の崩れを、俺は見逃さなかった。
一直線に向かう刺突は、奴の胸部に深く侵入した。
間髪入れずに、一撃、また一撃と、四方八方から刃が突き刺さる。
その痛々しい様は、何とも痛快で、無数の刃を引き抜いた時の血潮は、心が洗われていくような心地さえした。
床に転がった奴は、血液の水溜りに浮かんでいく。
「…ありがとう、皆。これで、兄さんも浮かばれる」
「職長代理。この男は、一体?」
「わからん。だが、“これ”と関係のある男だ」
「これは、例の依頼品」
「こいつの頭に付いている“これ”は、同じ物だ」
「…そんな男を、殺してしまって、よかったんですか」
「亡骸さえあればいいだろ。研究対象は、こいつじゃな……がはぁ!!」
…嘘だろ。そんなこと、あるはずがない。
心臓を刺したんだぞ?あれだけ、刺したんだぞ?
何事も起きていなかったように、奴は立ち上がった。序でと言わんばかりに、俺の腹部を切り裂きながら。
「化物か…」
職員たちの声が、1つ、また1つと消えてなくなる。鳴り止まぬ争いさえ、掠れている。
ダメだ。こんな不死の怪物に、常人が適うはずがない。皆、死んじまう。俺も、もう…
……ごめん、兄さん。
凪が俺を支配している。奴に全員葬られたのか。はたまた、俺の意識が既に無いのか。多分、その両方だろう。
手の平に何かを感じる。
何だ、何か、グリグリと…
「ああああぁぁぁ!!!!」
ぼやけた視界で確認すると、例の化物が、俺の手の平にナイフを突き刺している。
「お前の傷は、他の奴より浅くしてある。起きろ」
「はぁぁ、ぁぁ…なぜ?」
「お前が1番偉い奴っぽかったから。知っていること、全部話せ」
そう言われても、話す余力なんて無い。
今にも力付きそうな俺の甲に、奴は突き刺したナイフをにじり、無理やり目を覚ませる。
「んぐぁ!!!」
「早くしろ。拒否権は無い」
「…馬鹿が。はぁぁ、はぁ…もう、俺は死ぬぞ」
「じゃあ、医者に診せる」
…マジか。こいつ。…まぁ、もういいか。…何も、考えられねぇ。