第2話「咎人との邂逅」
最近の兄さんの生活リズムを、俺は完璧に把握している。
午前中は家を離れ、正午頃にお昼休憩を挟み、午後はゆっくりと帰宅し、17時を過ぎた辺りで今の住まいに到着する。
俺は午後14時から17時は仕事で抜けられない。二人とも時間の合う夜に、ゆっくりと説得してもいいが、昨日ふっかけに行っていることもあり、門前払いされたら適わない。
だから、先に“これ”とメモを届けることにした。兄さんの興味をひくためだ。それを兄さんが確認した状態で、19時頃話をしに向かう。
メモの内容は、どうしようか。あまり、悪い方向に刺激したくはないな。
“これで、国の皆を救える。兄さんに使いこなしてほしい。19時頃、詳しい話をしに行く”
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ノマードの集落から、兄さんの家まで、およそ2時間かかる。これは徒歩の場合の時間。他の交通手段を使えば、あっという間に着くが、兄さんをとにかく刺激したくないし、誠意というか何というか、この足で向かうことにした。
時間も時間だから、明かり用のランタンだけは持っていくことにした。
有言実行、19時ぴったりに、兄さんのツリーハウスへ到着した。
…あれ?おかしいな。
いつもなら、ロンクイノシシの肉を干した籠が吊されているはずなんだけど。
それに、これ。兄さんの鞄。中身が飛び出ている。…上から、落ちてきたのか?
俺は兄さんの名を叫びながら、梯子を駆け上がった。
玄関口を見ると、木目に染みた黒々とした赤が、明かりの無い室内へと続いている。
恐怖など、微塵も感じなかった。
ただただ、兄さんの身を案じていた。
狩りで怪我を負ったのか。それとも、獣の血が流れていただけか。まさか…兄さんも、病魔に犯されていたのか。
ダメだ。兄さんは生きなきゃ。O-gunとか、何だかを使いこなしてくれなきゃ。
とりあえず、明かりを…
「は?」
照らされた室内には、横になった兄さんと、それを踏みつける赤髪の男が1人。
「…おい。何、やってんだよ」
こいつは、確か、兄さんが助けたって言ってた…。
こいつが、…兄さんを?こいつが、兄さんを?!
「お前が、弟か?」
「てめぇ!!何やってんだよ!!」
咄嗟に出した拳を、嘲笑うかのようにひらりと避けたこいつは、あっという間に俺の背後を取り、喉元にナイフを突きつけてきた。
「お前に、聞きたいことが山程ある。死にたくなければ、答えろ」
死にたくなければ?
あぁ、そうか。やっぱり、そうなんだ。こいつが、兄さんを。
兄さんは、…死んだのか。
俺は声に鳴らない音を漏らした。
噛みしめた唇の痛みを感じない程、事実が頭を駆け巡る。
剣先が気にならない程、止めどない涙が頬を伝う。
「おい。泣いているお前を、待っている暇は無い」
あぁ、そうか。…うん、わかった。
こいつを、殺そう。
でも、今は無理だ。こいつの動きは、並のレベルでは無かった。
武器と仲間がいる。こいつを葬るために、ラボへ戻ることが至上命題。
「目的は何だ。なぜ、こんなことを…」
呼吸を整え、意を決し、発した質問は、腹に入れられた強打によってかき消された。
うずくまっている俺に、こいつは無愛想な声色で述べる。
「質問するな。俺の質問に、答えろ」
「…はぁ、はぁ、答える。何だ」
「“これ”を、どうして持っている」
眼前に突き出されたのは、輪のついた弾薬のような物体。
俺たちのラボに解明を依頼された未知の物体だ。確か、名前は“O-gun”。
なぜ、こいつがこれの存在を知っている?御上からの依頼だから、重要物のはずだろ。
こいつは誰なんだ?…そういえば、頭に付いていた輪って。
「…これは、お前の物なのか?」
「しらばっくれるな!…これは、俺の大切な人の物だ。彼女は、どこだ。無事なんだろうな!?」
荒げた声と胸ぐらを掴んだ形相が、大体の事情を浮かび上がらせた。
なるほど…こいつの目的は、わかった。じゃあ、こうしよう。
「…その人は、俺の住んでいる集落の施設にいる。“Rover”という名のラボだ」
「今すぐ、そこに案内しろ」
「あぁ」
もちろんさ。そこでお前に、天誅を下す。
すぐに道案内を始めた。その間、俺が逃げ出したり、暴れ出したりしないように、奴は背後でナイフを突き立てていた。徒歩2時間の道のりは、落ちたら即死の綱渡りをしているような感覚だった。
俺は必死に脳を働かせた。
ひたすら考え事をした。血が上る頭を冷やそうとした。
でないと、俺はここでこいつを殺そうとしてしまう。
まだだ。まだ、その時じゃない。
ええと、どこまで考えていたっけ。…あっ、こいつは一体何者なのか、だ。
頭に輪を付けた人間なんて、見たこと無いから、俺たちの知らない民族なんだろう。俺たちの師匠みたいに、西国から来たのか?はたまた、この大陸にいた民族なのか。
そもそも、どうして兄さんの家にいたんだ?
そういえば、こいつのこと、兄さんははぐらかしていたような…
兄さんは、こいつが何者かを知っていたのか?まさか、匿っていたとか?
こいつが兄さんを殺したのは、口封じの線もあるか?
「なぁ、なぜ、兄さんを殺した」
「…」
「それくらい、教えてくれよ。たった1人の家族なんだ」
「カッとなって、殺してしまった」
「…は?」
「それ以上の意味は無い。お前がいてくれたのは、ラッキーだった」
あぁ。…絶対殺す。こいつは、許さない。
俺は湧き出る激昂を、自分を抓る痛みで抑えつけた。