第10話「コンとシアンス」
暗がりも目視するフィリーの道案内により、何とか兄さんの家まで帰ってくることができた。
流石に腹が減ったので、道中出くわし、仕留めたフィレジカを調理することにした。部屋奥の台所で、フィリーが懸命に骨を断っている。
しまいかけていた調理用の大鍋に鹿肉と芋を投入、ワインや各種山菜を調味料代わりに、じっくりと煮込む。
あぁ、いい匂いだ。
食材棚を漁ってみると、パンが残されていたため、煮込みスープと一緒にいただくことにした。
「うん。やっぱりフィリーの料理は、美味しいな。おかわり!」
奴はそう言って、口に運ぶスプーンの手を緩めなかった。この短い間に、フィリーに胃袋を掴まれたようだ。
まぁ確かに、フィリーの腕は相当なものだ。
兄さんも、好きだったなぁ。
俺は余っている皿に少量のスープを盛り付けた。
それを玄関口まで持って行き、赤黒く染みた場所へ、注ぐ。
「食べ物を粗末にするなよ」と感受性の無い大食らいが、咀嚼しながら、俺を叱る。
「…うるせぇ、馬鹿」
俺たちは一滴も無駄にすること無く、食事を終えた。
「で、協力って、一体何をすればいいんだ」
満腹で少し眠たそうにしている奴は、大きな欠伸をしている。
「口固症という奇病がある」
「口固症?」
「あぁ、ノマード族で古くから恐れている流行病だ。原因不明で、感染すると、口に痺れるような痛みが生じ、息ができなくなっていく」
「それは、大変だな」
「俺はこの奇病の治療及び感染対策に、O-gunが有効だと考えている」
O-gunは身体機能を保存するもの。
口のO-gunだったら、口に関する全ての機能、感覚が保存、消失される。もちろん、痛みも何もかも。更に、経口感染も防ぐことができる。
この未知の物質の解明が、国民に衛生的安堵をもたらすことは疑いようがない。
「更に、お前のその治癒能力。研究すれば、口固症患者へのアプローチの一手になるかもしれない」
「じゃあ、協力は、シアンスの研究に付き合うってことね」
「そういうことだ。だが、ただでとは、言わない。彼女に会わせると誓おう」
ここまでは、国長の目論見と何等変わらない。
だが、これは方便では無い。
必ず、こいつに彼女と会わせる。方便では意味が無い。
全ては、俺を信頼させるため。ずっと、俺の手元に置いていけるように。
「マシェリだ」
「は?」
「彼女の名前は、マシェリ。フィリーが名付けてくれたんだ」
フィリーが嬉しそうに頷いている。ノマードの古い言語から名付けたのか。
「マシェリに会わせると誓おう」
「…うん、わかった。でも、どうして?俺を憎んでいると思ってた」
「憎んでいる。だが、俺には俺の目的がある」
長への抵抗、奴への報復、口固症の治癒という理想の実現。全部、成し遂げる。
「契約成立でいいか?」
「うん…あっ、じゃあ、名前をつけてくれ」
「名前?誰に?」
「俺だよ。名前という文化、俺はすごく感動したんだ。取り決めの成立を記念して、俺に名前をくれ」
…名前かぁ。
フィリーはノマードの古い言語から、名付けていたな。
あっ、そうだ。これにしよう。
「“馬鹿”。お前は今日から、コンだ」
利用するだけ、利用する。
俺を信頼し、体の隅から隅まで、研究し尽くす。
そしていつか、不死さえ攻略して、兄さんの敵をとる。
そうとは知らず、俺の手元に下るお前に、ぴったりの名前だ。
「コン…“共に”か。良いね、気に入った」
やたら嬉しそうなのは不服だったが、何はともあれ、第一段階はクリアした。
さて、次のステージへ進もう。
「じゃあ、マシェリに会うための、作戦会議に移るぞ」
飛び跳ねて喜んでいたコンは、急にふくれ面になり、その頬は大口に合わせて、広がっていく。
「えぇ、それ明日にしない?もう、眠いよ」
「確かに、もう遅いですね」
2人の圧に負けて、作戦会議は翌日することになった。
独り身だった兄さんの家には、生憎寝具が1つしか無い。1番幼いであろうフィリーをそこに寝かせ、俺は研究机の椅子、コンは寝具の隣の机の椅子に座り、眠ることにした。
寝たいと言っていた張本人たちが、会話に花を咲かせている。
「そういえば、コンさんは何であそこに来たんですか?コード国とは反対方面だったのに」
「コード国の場所聞かずに飛び出したから、迷ってて。すごい火が見えたから、誰かいるかなぁって」
「コード国の場所がわからない人なんて、いるんですね。マグヌス大陸の東北部は、全てコード国の領地ですよ」
コンはその垂れ目のように、キョトンと顔を歪ませる。
…マグヌス大陸を知らないのか?
「なぁ、俺からも1ついいか。お前、この辺の種族じゃないだろ。一体、どっから来たんだ?」
「アメリカ大陸ってところだったと思うよ。うろ覚えだけど」
何だ、その大陸の名は。
眠気も覚めてきた俺は、コンの座る机から、コード国の本を探す。
取り出した本をペラペラとめくり、大きな地図の載ったページを見せる。
「お前の言うアメリカ大陸は何処だ?西国の方にあるのか?」
「…いや、載ってないな。っていうか、俺こんな地図見たこと無い」
おい、おい。じゃあ、お前は一体、何なんだ??