第9話 山盛りのスライム
自分が読みたい物語を、趣味で書いてます。
オリジナル小説のみです。
わたしは、夢の中で勇者と呼ばれていた。
鏡に映る自分は、金色の長い髪で、美少女で、華奢だった。身の丈ほどある大剣を背負い、ビキニみたいな服を着て、防御力に不安を感じる露出度の高い赤い鎧を纏っていた。
日々は、大剣を振るい、モンスター退治に明け暮れていた。
人間の生活圏付近にも、危険なモンスターの生息域は多かった。毎日のように、退治を依頼する書簡が届いた。
仲間は、人間の戦士、エルフの魔法使い、人間の僧侶だ。だったと思う。
華奢な美少女が大剣を軽軽と振りまわす。それはとてもアンバランスな状況で、だから夢なのだと認識できた。
現実の自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長い髪の美少女だった。
わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。
◇
「あっ! あっちにもいます! 藪のところです!」
勇者は、木々の間の低い藪を指さした。そこに、緑色のスライムがいた。
スライムとは、ゲル状の不定形モンスターである。触るものを酸で溶かしてしまう、厄介な相手である。
「ファイアボルト!」
エルフが、火の玉を飛ばす攻撃魔法を唱えた。スライムに命中した。スライムは、ジュッ、と焦げる音を出して霧散した。
「ゲホッ、ゴホッ」
勇者が咳込む。霧散したスライムの緑色の煙を、左手で払う。
「緑色のスライムって、毒があったりするんですか?」
「緑色だから毒がある、ってわけじゃないな。スライムは、何色でも多少は毒を持ってる。体色の緑は、この山の草葉を食べたからだろう」
戦士が律儀に答えた。
勇者たちは、山の中にいる。森に覆われた山で、頂上には大きく突き出た岩が聳える。王国からの任務で、山に出現したスライムを退治に来ている。
朝に麓から山に入って、もう夕方が近い。かなりの数を退治したと思う。近隣の村の人も入らないような鬱蒼とした森のある山で、見通しが悪くて、あちこちにいて、終わりそうにない。
「あっ! 今度は、あっちです! 太い木の陰のところです!」
勇者は、太い木の根元を指さした。戦士が駆け込み、火の燃える松明で殴りつけた。スライムは、ジュッ、と焦げる音を出して霧散した。
戦士は山に入った直後から、ハンカチみたいな布を口元に巻いていて、咳込まない。煙を吸わない。
「勇者さん! 足元です! 大きな石のところです!」
慌てる僧侶に足元を示され、勇者は身の丈ほどある大剣を振る。足元近くに這いずっていたスライムを引っ掛け、斬り裂き、弾き飛ばす。
スライは飛ばされて木の幹にぶつかって、ベチャッと気持ち悪い音を出した。まだ生きていた。
勇者には三人の仲間がいる。男の屈強な戦士、高慢な女エルフの魔法使い、小柄で胸の大きい天然少女僧侶である。
戦士は青い短髪の、二十歳を過ぎたくらいの若い男である。背の高いマッチョで、被覆率の高い青黒い金属鎧を装備している。背中に大きなタワーシールドを背負い、腰に戦斧をさげる。
エルフは、エルフ特有の長く尖った耳の、床に届くほど長く柔らかい緑髪の、冷たい印象の美女である。朱色の長いローブを纏い、赤い水晶球の嵌まった魔法杖を手に持つ。人間よりも寿命がかなり長い種族で、外見的には大人の女で、女としては背の高い、高慢な御嬢様である。
僧侶は、村の教会でも見かけるような国教の僧服姿で、腰に鎖鉄球をさげた、モンスターと戦う僧兵である。天然っぽい少女である。小柄で、胸が大きくて、ピンク色の髪で、子供っぽさの残る十代半ばくらいの顔で、年齢的に勇者に近い。
「スライムに物理攻撃は効果薄だぜ。火とか熱に弱い。聖水も効果があるから、松明とか、武器に炎の魔力付与とか、聖水をかけてもらった方がいい」
戦士のアドバイスを聞いて、僧侶がフレイルに聖水をかける。濡れたフレイルを両手で握って、斬り裂かれたスライムに殴りかかる。スライムが、ジュッ、と焦げる音を出して霧散する。
「やりましたっ! 私でも倒せましたっ!」
僧侶が、大はしゃぎで、ぴょんぴょんと跳ねながら報告した。直後に、煙を吸って咳込んだ。
「次は、斜面を登ったところに見えますわね。ワタクシ、山登りは、もう、遠慮させていただきたいのですけれど」
御嬢様のエルフが、疲れ果てた表情で申告した。
確かに、今日は朝から山を登っている。山にいるスライムを退治に来て、見かけたスライムを退治しながら、もう山頂近くまで登っている。基礎体力のないエルフでなくても、疲れは否定できない。
「じゃあ、山頂まで登って、今日はそこで野宿にするか。山頂の辺りは森が途切れて岩場になってるらしいから、周囲の警戒もしやすいだろう」
戦士の提案に、勇者と僧侶は同意する。足元の視界が悪い森の中よりは安全だと思う。プロの冒険者の戦士の提案なら間違いないだろう、とも思う。
「野宿なんて、嫌ですわ! シャワーを浴びて、ふかふかのベッドで眠りたいですわ! 朝食は、柔らかいパンと紅茶を楽しみたいですわ!」
エルフが願望を絶叫した。今回の依頼主が貧しい村で、宿泊環境に満足できなかったのだろう。
「分かった分かった。ここから山頂に登って、日が落ちる前に下山して村に戻る、ならいいだろ?」
戦士が諦め顔で溜め息をついた。
「それなら、妥協してさしあげないこともありませんわ」
エルフは渋渋と同意した。
勇者と僧侶は、戦士さんは大変だな、と他人の顔で同情した。
◇
勇者たちは、山頂に辿り着いた。
森が途切れて、岩場になっている。一際高い岩が聳える。山を覆う森が一望できる。
「あっ! あそこ! 木々の隙間に、スライムが見えます」
勇者は、目の上に左手を翳して、山の中腹辺りを指さした。
「あちらにも、見えましてよ。小川沿いにいますわね」
エルフが、魔法杖で別の方向を示した。
「あっちにも! あっちにもいますよ! 草むらみたいになってるところです!」
僧侶が、背伸びしながら、別の場所を指さした。
それだけではない。あちこちに見える。色々な場所に、緑色のスライムが這いずりまくっている。
「まずいな。スライムだらけじゃねぇか」
戦士が蒼褪めた。
たぶん、山の中腹を、埋め尽くすくらいのスライムがいる。数とか量とかを考えるだけ無駄、みたいな大量のスライムがいる。山をおりる道を全て塞いで、勇者たちを取り囲んでいる。
「どこか、スライムの少ない箇所を強行突破、でいいよな? スライムに囲まれて夜を明かす、なんてオレは嫌だぜ」
戦士は所持品の確認を始めた。戦斧と盾の状態を目視点検し、大きな革袋から油の入ったビンを取り出し、数を数え、革袋に戻した。松明を何本か作り、一本に火をつけ、残りを腰のベルトに挿した。
「ワタクシ、疲れましたわ。スライム地帯を突っ切って下山する体力も魔力も、残っていませんわ」
エルフが疲れた目をして申告した。御嬢様なので、我が侭なのだ。
「じゃあ、わたしがエルフさんを背負います。戦士さんは、僧侶さんを守りつつ戦ってください」
「応。助かる。頼む」
勇者は、背負う大剣を、右手で華奢な肩越しに掴み、抜いた。代わりに、エルフを背負った。左手はエルフの太腿を支えるから、大剣を振る右手しか自由には使えない。
「ファイアウェポン!」
背負われたエルフが、勇者の大剣に炎の魔力を付与した。身の丈ほどある大剣に、赤い魔力が宿った。
「あっつっ。その剣、熱いですわ。ワタクシに近づけないでいただけますかしら?」
自分で魔力付与しておいて、エルフが文句を口にした。冷たく澄んだ声だった。
「準備はいいな? オレと僧侶が前と右、勇者とエルフが前と左、スライムを焼きながら山を下るぞ」
「はいっ!」
「いつでも行けます」
「早くシャワーが浴びたいですわ」
三人の返答を待って、戦士が出発した。三人も、続いて出発した。空は、夕焼けに赤くなり始めていた。
遭遇は、すぐだった。
地面が緑色のスライム、みたいな感じで、森の地面をスライムが覆っている。あちこちに白煙が漂い、草木を溶かす酸の音が満ちる。酸っぽい臭いがする。
「間違っても、スライムに捕まるようなドジは踏むなよ」
戦士の声が、珍しく緊張していた。いつもは余裕のある頼れる感じの喋りなのに、今は違った。
「今さらなのですが、スライムに捕まると、どうなるのでしょうか?」
勇者は、農村出の駆け出し冒険者みたいな質問をした。
「スライムに捕まると、酸で服だけ溶かされて、エッ、エッ、エエエッチなことをされちゃうと、書かれた本を読んだことがあります。キャーッ、これ以上はっ、私の口からはっ」
僧侶が真っ赤な顔で、モジモジしながら答えた。答えたと思ったら、赤い顔を両手で押さえて、さらにモジモジした。
「エ、エッ?! ……それは、危険ですね」
勇者も真っ赤な顔で、相槌を打った。そういうことに興味がないこともない年頃だ。
「ねえよ! 窒息して消化されるぞ!」
戦士がツッコミを入れた。スライムの地面の直前でとまって、松明を振りおろした。松明の火に触れたスライムが、ジュッ、と焦げる音を出して霧散した。
僧侶が続く。聖水をかけたフレイルを振りおろす。フレイルで殴ったスライムが、ジュッ、と焦げる音を出して霧散する。霧散したスライムの緑色の煙を吸って、咳込む。
勇者は、炎の魔力の付与された大剣で、スライムを斬った。ジュッ、と焦げる音を出して霧散した。霧散したスライムの緑色の煙を吸って、咳込んだ。
いくらか道が伸びた。伸びた道を進み、行きどまったら道を塞ぐスライムを倒す、と繰り返せばいい。地道ではあるが、どうにかできそうな作戦だ。
道を塞ぐスライムを倒す。傾斜を下へと進む。道を塞ぐスライムを倒し、下へと進む。
「ゲホッ、ゴホッ」
勇者が咳込む。霧散したスライムの緑色の煙から、顔を背ける。
暑い。煙い。肌がピリピリする。
肌のピリピリは、スライムの酸が原因だと思う。スライムが焼けて霧散するときに、酸が飛び散ったりしていそうな気がする。
勇者自身は、まだ動ける自信がある。美少女の華奢な肢体は、見た目に反して強い。
戦士は、まだ大丈夫そうだ。プロの冒険者だけあって、タフだ。
僧侶は、動きが怪しい。ふらふらだし、膝が震えているし、フレイルを握る腕をあげなくなっている。たぶん、腕があがらなくなっている。
となると、基礎体力のないエルフが心配になる。勇者に背負われているだけなのに、四人の中で最初に倒れそうな予感がする。
「エルフさん。大丈夫ですか?」
勇者はエルフを気遣って、チラと振り返った。
エルフが、ぐったりしている。顔を勇者の首筋に埋め、目を閉じ、汗だくで、呼吸が浅く荒い。意識があるのかないのかも分からず、返事がない。
「戦士さん、僧侶さん、すみません! エルフさんが危ないです!」
勇者は、二人の方を見て、呼んだ。
スライムの一体が、飛びかかってきた。
勇者はエルフを背負ったまま、軽いステップで避ける。避けざまに大剣で焼き斬る。スライムが、ジュッ、と焦げる音を出して霧散する。
煙を避けるために、大きく後退する。ぐったりしたエルフに煙を吸わせたくない。
戦士と僧侶の方も、活発に跳ねるスライムに襲われている。戦士が僧侶の盾になって奮闘する。エルフの状態を診てもらえる状況ではない。
危険だ。駆け出し冒険者の勇者でも、危険と分かるくらいに、危険だ。
飛びかかってきたスライムを、大剣で焼き斬る。エルフが煙を吸わないように大きく後退する。戦士と僧侶がさらに遠くなり、木々に隠れて見えなくなる。
二人との間には、いつの間にかスライムが敷き詰められた。合流する道がなくなった。エルフを背負ったままでは、突っ切れる道がなくなった。
「こっちはこっちで何とかする! オマエはエルフを連れて安全な場所を探せ!」
戦士の叫ぶ声が聞こえた。
「分かりました! 後で、合流しましょう!」
勇者は大声で応えて、その場を離脱した。鬱蒼とした森は、緑色のスライムに満たされつつあった。
◇
山が、緑色のスライムに満たされつつあった。そこらじゅうを這いまわり、触る草木をジワジワと溶かしていた。酸の白い煙があちこちから昇っていた。
「ここって、本当に安全なのでしょうか?」
勇者は小声で、隣に蹲るエルフに聞いた。
勇者とエルフは、山の中の森の中の、地面に開いた狭い穴の中に蹲っている。入り口は、勇者の大剣で蓋をしてある。蓋の大剣の上を、スライムがズルズルと這う音が聞こえる。
「スライムは、振動を感知して襲ってきますわ。静かに隠れていれば、発見される可能性は低いですわ。もし発見されても、勇者の大剣は溶かされませんわ」
エルフは、蹲って膝に顔を埋めたまま、弱弱しい声で答えた。
エルフの疲労が、暗い穴の中で、横から見て分かる。じっと蹲ったまま、ほとんど動かない。
勇者は自分の口を手で押さえて、穴を塞ぐ大剣を見あげる。
勇者も、腕で膝を抱えて小さくなる。穴は、勇者とエルフでいっぱいいっぱいになるほど狭い。肩を寄せ合って、なんとか穴に納まる。
「これから、どうしますか?」
勇者はエルフに聞いた。主体性がないのではない。農村で村長の娘として生きてきたから、どうすれば良いのか本当に分からないのだ。
「魔力が回復しましたら、焼き尽くしてやりますわ。回復するまでは、ここで休むしかありませんわ」
エルフが、喋る余力もないみたいな小声で答えた。
「じゃあ、とりあえず朝まで休憩ですね。わたしが見張るので、エルフさんはゆっくり眠ってください」
勇者は小声で、努めて明るく提案した。
「野宿は嫌ですわ。シャワーを浴びて、ふかふかのベッドで眠りたいですわ。でも、今夜は、仕方ありませんわ」
エルフは一頻り駄駄を捏ねて、諦めた口調で同意した。我が侭な御嬢様ではあっても、悪い人ではないのだ。道理を弁えてはいるのだ。
勇者は微笑して、寝息を立て始めたエルフの横顔を見つめた。蓋の大剣の上からは、スライムのズルズルと這う音が聞こえ続けていた。
◇
夜が明けた。
「こいつはまた、壮観だな」
頂上の突き出た岩の天辺で、戦士が笑った。
山の頂上は、森が途切れて、岩場になっている。一際高い岩が聳え、山を覆う森が一望できる。
その一際高い岩の天辺に、戦士と僧侶はいた。天辺で、二人で、一夜を明かした。
高い岩の根元まで、緑色のスライムに覆い尽くされている。山が一つ、覆われている。この突き出た岩だけが、急な傾斜をスライムが登ってこれずに、スライムに覆われずに済んでいる。
「これはもう絶望的です。服を溶かされて、エッ、エエッチなことをされていまいます」
下方に蠢くスライムを見おろし、僧侶は真っ赤な顔でモジモジした。
「だから、窒息して消化されるだけだって」
戦士はツッコミをいれた。
絶望との見解は正しい。山を覆うほどのスライムに、完全に囲まれた。逃げ道はない。
戦士と僧侶だけなら、籠城して餓死するか、無謀に挑んで溶かされるか、の二択だっただろう。
「おら、僧侶。オマエも手伝え」
戦士は岩の天辺に座る。大きな革袋から、いくつかの道具を取り出し、平らな箇所に並べる。呼ばれた僧侶が、戦士の隣に座る。
「はい! お手伝いします!」
元気で明るい返事だ。自信か、楽観か、天然かは分かりかねた。
戦士は布を裂く。細く丸めて芯にして、油の入ったビンの口に挿す。芯の先に火を点けて、下に投げ落とす。
投げ落としたビンが割れて、火が燃えあがった。火に触ったスライムが、ジュッ、と焦げる音を出して霧散した。
「わぁ! もしかして、それで、スライムを倒せるんですか?」
僧侶が嬉しそうに、間の抜けた質問をした。
「これっぽっちの油で、あの量のスライムを倒せるわけないだろ。せいぜい、ヤツらに敵の存在を教えて、ここに集まるように誘導するだけだ」
燃える火には、スライムが次々に飛び込む。ジュッ、と焦げる音を出して霧散する。そのうちに、火が消える。
「あああああ……。消えてしまいました……」
僧侶が、四つん這いで下方を覗き込んだまま、落胆の声を出した。
「それでいいんだよ。どうせ、オレとオマエだけで倒せる相手じゃあないからな」
戦士は、次のビンを投げ落とした。戦士の声は楽観的で、失意は感じられなかった。
◇
地面の穴から、大きな炎が噴きあがった。
「オーッホッホッホッホッ! 全快いたしましたわ! 高貴なワタクシが、下等なスライムどもを、焼き尽くしてさしあげましてよ!」
穴から、背の高い女エルフが登場した。穴の縁に片足をかけ、踏ん反り返り、高く笑い、冷たく澄んだ声で高らかに宣言した。
「エルフさん。この辺りには、もう、スライムはいないみたいですよ」
勇者も穴から出て、身の丈ほどある大剣を手に、周囲を警戒した。草木が酸で焦げた跡はあった。スライムは、姿も音も気配もなかった。
エルフが山頂の方を見あげている。地面に届くほど長く柔らかい緑色の髪が、熱い風に靡く。朱色の長いローブが土に塗れても、冷たい印象の美女は変わらない。
エルフの白く長く美しい指が、山頂を指し示す。
勇者も山頂の方を見あげる。
朝日が低く差す山頂に、スライムの大きな塊みたいなものが見える。嫌悪感と悪寒が、全力疾走で背筋を駆け抜ける。光が透けて半端にテカテカして、気持ち悪い、以外の感想がでない。
山頂に突き出た岩の上には、人影も見える。二人いる。
「あれ、戦士さんと僧侶さんですよね? 二人が危ないですよ!」
勇者は慌てた。エルフのローブの袖を摘まんで引っ張った。
「落ち着きなさい、勇者。スライムの体組織の密度では、急傾斜の岩は登れませんわ。登れませんから、岩の上に高さを届かせますために、あの場所にスライムどもが集まっていますのよ」
「えっ? それってどういう意味でしょうか?」
「つまり、戦士が、計画的に、あの場所にスライムを集めましたのでしょうね。ワタクシと勇者が必ず合流します前提で、ですわ。人間なんて短命な種族ですのに、知識と経験の豊富さには、感心せざるを得ませんことよ」
エルフは、自分だけ理解した顔で頷いた。
勇者は真似て、理解した顔で頷いた。理解はしていなかった。
「じゃあ、急いで登りましょう。ちょっとよく分かりませんけど、わたしたちが間に合わないと、まずいですよね?」
頂上を目指して走り出そうとする勇者の左手首を、エルフが掴む。
「勇者。ワタクシ、魔力を温存したいから、頂上まで背負っていただけますかしら?」
「ええ……?」
勇者は困惑顔で、エルフを振り返った。エルフは、従者が主人の頼みを聞くのは当然、みたいな澄まし顔で、快諾の返答を待っていた。
勇者は山を駆け登る。エルフを背負い、身の丈ほどある大剣を片手に、立ち並ぶ木々の間を縫い、茂みを跳び越える。
勇者の足取りは、背負うエルフの体重を感じさせない。速度は、傾斜を登っていると感じさせない。単身で障害のない平地を走るのと、何の遜色もない。
緑色のスライムを、炎の魔力の付与された大剣で、追い抜きざまに焼き斬る。後方で、ジュッと音がする。振り返りもせず、前へと走る。
森が終わる。森から岩場へと駆け出る。飛びかかってきたスライムを、通りすぎ、焼き斬る。
後方で、ジュッと焼ける音がした。頂上に辿り着いた。大きなスライムの塊が、山のように聳えていた。
「戦士さんも僧侶さんも、無事みたいですね。間に合って良かったです」
勇者は、スライムの塊の向こう、突き出た岩の天辺にいる二人を見あげた。ピンク髪の僧侶が、とても嬉しそうに跳ねながら、両手を高く掲げて、思いっきり手を振っていた。
スライムの塊に視線を戻す。緑色で、ゲル状で、ブヨンブヨンと揺れる。ジリジリと這いずり、勇者たちに迫る。
気持ち悪い。生理的に受けつけない。酸の臭いが鼻につく。
「エルフさん。ここからどうすればいいですか?」
勇者は、背負うエルフに質問した。
勇者は駆け出し冒険者だ。強くても、スライムみたいな特殊なモンスターの倒し方を知らない。こんな巨大な相手の倒し方も知らない。
目の前のスライムの塊を見あげる。高さだけで二十メートルとか三十メートルとかある。山頂の岩場いっぱいに広がっている。
エルフは、色々と知っている風な発言が多い。寿命の長い種族だけあって、経験豊富なのだろう。魔法使いだけあって、知識も豊富なのだろう。
答えはない。勇者の顔の右側に、細く美しい右手が突き出される。顔の左側に、赤い水晶球の嵌まった魔法杖を握る、細く美しい左手が突き出される。
魔法の詠唱が始まる。二種類の詠唱が同時に、頭の後ろから響く。冷たく澄んだ、美しい声である。
こういう、何の説明もなく唐突に実行に移すところは、改めた方が良いように思う。周囲の人が困惑すると思う。勇者としても、自分が何をすれば良いのか分からず、困惑している。
スライムの塊から、一切れのスライムが飛んできた。塊が大きすぎて、一切れと感じてしまうが、サイズ的には勇者と同程度だ。
勇者は横へとステップを踏みつつ、一切れのスライムを焼き斬る。酸が霧散する前に距離を開ける。エルフの詠唱の邪魔になっては大変である。
スライムの塊が、ジリジリと這いずって迫り続ける。何切れかのスライムが射出され、勇者たちに襲いかかる。
勇者は横にステップを踏みながら、スライムを次々と焼き斬る。
大事なのは、エルフに煙を吸わせないことと、スライムの塊との距離を保つことだ。
エルフは今この距離で詠唱を開始した。スライムの塊に魔法を使うのに、この距離が最適だからだ。本人が何も言わなかったから断言はしかねるが、たぶんそうだ。
スライムが次々と射出される。勇者は次々と焼き斬る。エルフを背負い、大剣を片手で振るいながらも、軽いステップで、息一つ乱さずに、斬り続ける。
「インフェルノ! ストーム!」
唐突に、詠唱が完了した。冷たく澄んだ、美しい声だった。
スライムの塊を、巨大な炎の竜巻が呑み込んだ。赤い炎が燃えあがり、渦を巻き、朝の空へと高く昇った。
壮観だった。目の前に前触れなく巨大な炎があがったから、驚いたし怖かった。それに熱い。
エルフのこういうところが苦手だ、と勇者は思った。
スライムの塊が燃える。焼ける音と、霧散する音と、霧が燃える破裂音が鳴り響く。爆竹みたいな、パンパンと軽い音である。
「オーッホッホッホッホッ! 高貴なワタクシのマーベラスな魔法の前に、スライムごときは相手にもなりませんことよ!」
エルフは、勇者に背負われたまま、踏ん反り返って高笑いした。
「ねぇ、勇者。アナタの実力も、ワタクシは認めていますのよ。ワタクシとアナタと、素敵なコンビだとは思いませんかしら?」
「えっ? えっと、あの、……わたしは、エルフさんのこと、ちょっと苦手です」
勇者は疲れた愛想笑いで、正直な気持ちを口にした。
「ンマァ!? 何ですって?! 高貴なワタクシが、下等な人間ごときを、認めてさしあげると申しあげていますのに、何たる言い草でしょう!」
エルフが顔を真っ赤にして逆上した。呼応するように、炎の渦が揺れ、膨らんだ。スライムの塊も揺れて、大爆発して、霧散した煙が山頂に広がり、覆い尽くした。
この後の惨状は、正直、思い出したくもない。
◇
わたしは、夢の中で勇者と呼ばれていた。
鏡に映る自分は、金色の長い髪で、美少女で、華奢だった。身の丈ほどある大剣を背負い、ビキニみたいな服を着て、防御力に不安を感じる露出度の高い赤い鎧を纏っていた。
華奢な美少女が大剣を軽軽と振りまわし、凶暴なモンスターを易易と両断する。それはとてもアンバランスな状況で、だから夢なのだと認識できた。
現実の自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長い髪の美少女だった。
わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。
/わたしは夢の中で勇者と呼ばれていた 第9話 山盛りのスライム END
読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでくれる人がいると、書く励みになります。