第6話 呪われた剣
自分が読みたい物語を、趣味で書いてます。
オリジナル小説のみです。
わたしは、夢の中で勇者と呼ばれていた。
鏡に映る自分は、金色の長い髪で、美少女で、華奢だった。身の丈ほどある大剣を背負い、ビキニみたいな服を着て、防御力に不安を感じる露出度の高い赤い鎧を纏っていた。
日々は、大剣を振るい、モンスター退治に明け暮れていた。
人間の生活圏付近にも、危険なモンスターの生息域は多かった。毎日のように、退治を依頼する書簡が届いた。
仲間は、人間の戦士、エルフの魔法使い、人間の僧侶だ。だったと思う。
華奢な美少女が大剣を軽軽と振りまわす。それはとてもアンバランスな状況で、だから夢なのだと認識できた。
現実の自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長い髪の美少女だった。
わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。
◇
「おい、勇者。起きろ。目的地に着いたぜ」
戦士の声で、勇者は目を覚ました。ガタガタと揺れる、狭い軍用馬車の中だ。
勇者の肩に頭を乗せて寝ていた僧侶も起きて、寝ぼけ眼で涎を拭う。戦士は微笑して、窓の外を見る。エルフは背筋を伸ばして、汚いものを見る目で、窓の外を眺めている。
勇者には三人の仲間がいる。男の屈強な戦士、高慢な女エルフの魔法使い、小柄で胸の大きい天然少女僧侶である。
戦士は青い短髪の、二十歳を過ぎたくらいの若い男である。背の高いマッチョで、被覆率の高い青黒い金属鎧を装備している。背中に大きなタワーシールドを背負い、腰に戦斧をさげる。
エルフは、エルフ特有の長く尖った耳の、床に届くほど長く柔らかい緑髪の、冷たい印象の美女である。朱色の長いローブを纏い、赤い水晶球の嵌まった魔法杖を手に持つ。人間よりも寿命がかなり長い種族で、外見的には大人の女で、女としては背の高い、高慢な御嬢様である。
僧侶は、村の教会でも見かけるような国教の僧服姿で、腰に鎖鉄球をさげた、モンスターと戦う僧兵である。天然っぽい少女である。小柄で、胸が大きくて、ピンク色の髪で、子供っぽさの残る十代半ばくらいの顔で、年齢的に勇者に近い。
勇者も窓の外を見る。空気が埃っぽい。硬い椅子に座って、道の悪さに馬車が揺れたから、お尻が痛い。
「貧しいところみたいですね。ここも貧しいから、国にモンスター退治を依頼したのでしょうか?」
辺境の地方領だと聞いている。土地は枯れ、田畑は荒れ、灰色の景色が広がる。領主の屋敷らしき石造りの小城だけが、立派に聳える。
「管理がなっていませんわ。領土を見れば、領主の力不足が明白でしてよ」
エルフが、レースのハンカチで口元を押さえ、見くだす目で評した。
「おい、エルフ。そういうことを、領主の前で言うなよ」
戦士が釘を刺した。
「下等な人間ごときが、高貴なワタクシに説教ですかしら?」
エルフが戦士を睨みつけた。冷たく澄んだ青い瞳だ。
戦士の注意は当たり前すぎて、火花を散らす意味が分からない。
「まぁまぁ。背中を預けて戦う仲間なんですから、みんな、仲良くしましょう」
勇者は恐る恐る仲裁した。
「そうですよ! 勇者さんのおっしゃる通りです!」
僧侶が明るく元気いっぱいに賛同した。
馬車が停まった。小城の前に到着した。年老いた執事らしき男一人だけが、勇者たちを出迎えた。
◇
勇者たち四人は、領主の前に跪く。
領主は、長い黒髪も長い髭も伸ばしっ放しの、陰鬱な雰囲気の中年男である。革張りの椅子に座し、頭を抱え、前屈みに、ブツブツと何かを呟き続けている。
勇者たちは、最大の難問に直面していた。予想だにしていなかったし、解決手段も思いつかず、何もできずにいた。なんと、この四人の中には、偉い人とまともに会話できるものがいないのだ。
女役人は王都待機なので、いない。農村出の勇者と、冒険者の戦士と、天然少女の僧侶にできるわけがない。エルフは御嬢様だが、相手の機嫌を損ねる発言のリスクが高すぎるので、喋らせたくない。
結果的に、領主の前に跪き、黙っている。領主はブツブツと独り言を繰り返すだけで、会話が成立しない。話が進まない。
「それでは、領主様に代わりまして、私めから説明させていただきます」
勇者たちを出迎えた老執事が、領主の傍らへと進み出た。短い白髪で皺の深い、穏やかな目の男だ。
助かった。こんな状況でなければ、抱き締めて感謝を伝えたかった。この『偉い人と会話できない問題』は次までに絶対に解決しよう、と心に決めた勇者だった。
老執事が話し始める。
「発端は、数か月前、領地内の山中に洞窟が発見されたことでした」
「呪いだ! 反逆の王の呪いだ!」
領主が突然立ちあがり、叫んで、部屋から走り去った。伸びっ放しの髪を振り乱し、頭を抱えて、不安定な足の運びで、半狂乱にも見えた。
勇者たちは呆然と見送った。何がどうしてどうなったのか、全く分からなかった。
「客間に御案内いたします。お茶を用意させましょう。少し長い話となりますので、寛いで、お茶を楽しみながら、ゆっくり聞いていただければ、と思います」
老執事は驚いた様子もなく、穏やかな笑みで、勇者たちに頭をさげた。
◇
「これが、その洞窟でしょうか?」
勇者は、山の中の斜面に開いた穴を指さした。
「地図を見る限りだと、ここだな。斜面が崩れた跡も新しいから、間違いないだろ」
戦士が地図を見ながら答えた。
老執事の説明によると、数か月前にこの辺りの斜面が崩れ、洞窟らしき穴が現れたそうだ。入り口付近で武器や装飾品が発見されて、何かの遺跡かも知れないと、調査隊を派遣した。学者や護衛の兵士で構成された調査隊は、遺跡の奥を目指して進入を開始したが、誰一人として帰ってこなかった。
老執事が領主に提言した。危険な遺跡の可能性が高く、当領地の兵力だけでの調査は不安だから、国に報告して協力を仰ぐべき、と当たり前の提言だ。
「天然の洞窟ではなさそうですね。壁が整えられた感じだし、通路の太さも一定です」
勇者は、入り口から中に数歩だけ入って、壁や床を触ってみた。土を固めたみたいにカチカチだった。
「おっ。広いな。オレでも問題なく通れる」
戦士も中を確認した。
中は、広い一本道のトンネルが、奥へと伸びる。外は、林の一部が崩れて地面が剥き出しで、丸い入り口がポッカリと開く。
「呪いの剣の伝説って、本当なのでしょうか? 怖いですー」
僧侶が怖がりながら、エルフの朱色のローブの袖を握り締めた。
エルフは暑苦しそうに僧侶を押しやる。
老執事の当たり前の提言を、しかし領主は聞き入れなかったらしい。理由は、呪いの剣と不死の反逆王の伝説にあったそうだ。
数百年前、この領地の領主が、絶大な力を宿す魔剣を手に入れた。剣の魔力に魅入られた領主は、我こそが世界を統べるに相応しい、と王国に反旗を翻した。
領主は圧倒的な力と不死の兵で、王都へ攻め入った。領主軍は王国軍を苦しめたが、数の差の前に敗北し、敗走し、追撃され、ついには山中の地下砦へと追い詰められた。不死となった領主と兵を殺せなかった王国軍は、地下砦の入り口を封印し、彼らを地中深く閉じ込めたのだった。
これが、呪いの剣と不死の反逆王の伝説だ。
今の領主が伝説を信じたのかは分からない。数百年前の、証拠の一つも残っていないような伝説だから、むしろ信じていなかったと予想する。伝説と洞窟の出現を重ね合わせ、とんでもない魔法品が出てくるかも知れない、と欲をかいたのだろうとは想像できる。
そのせいで、調査隊が何度も派遣され、多くの人が行方不明となった。領主本人が半狂乱になったのは、自業自得だ。
「じゃあ、オレが先頭で入るぞ。内部の地図なんてないから、逸れるなよ」
「はいっ!」
戦士が右手に、火をつけた松明を持つ。左手にタワーシールドを構え、洞窟に入る。
数歩遅れてエルフが続く。魔法杖は懐になおし、レースのハンカチを取り出し、口元を押さえる。
数歩遅れて勇者が続く。戦士が前方の警戒、エルフが左右の警戒、勇者が後方を警戒する布陣である。
元気に返事をした僧侶は、勇者の左腕にしがみつく。
「怖いですー。離れないで欲しいですー」
「はい。なるべくそうします」
涙目でお願いしてくる僧侶に、勇者は優しく微笑した。
松明の明かりの届く範囲は、通路が一本だけ伸びる。床は平らで、壁と天井は湾曲して、トンネル構造になっている。戦士が戦斧を振りまわせるくらいに広い。
土を固めたカチカチの床と壁である。土の面から、石もあちこちに混じって突き出る。
「自然の洞窟と、人工のトンネルの、中間の構造に見えますわね。自然の洞窟に手を加えましたのかしら」
エルフが興味深げに考察した。
「罠があるかも知れないから、迂闊に触るなよ」
戦士が前方を警戒しながら釘を刺した。
「ワタクシ、そのような間抜けではございませんことよ」
エルフが不快と反論した。
勇者は、そっと壁から手を放した。
「分かれ道だ」
数分歩いた辺りで、戦士が足をとめた。
通路が二本に分かれている。右上方向に一本、左下方向に一本ある。
「地図も指針もないことだし、アイツに聞いてみるか」
左下に向かう通路に、人がいる。人間の男が一人だけ、である。古そうな長剣を抜き身で持ち、節足動物っぽいデザインの甲冑を装備している。
「ギャァーッ!」
悲鳴のような雄叫びをあげて、男が斬りかかってきた。
戦士が盾で受けとめ、押し返した。右手に松明を持っていたので、戦斧で反撃とはいかなかった。今この状況で松明を落として火が消えたら、暗闇に何も見えず、僧侶がきっとパニックになって、危険だ。
「ギャッ! ギャッ!」
その男が発するのは、言葉は通じないと確信できる音である。男は四人に背を向け、左下方向の通路に逃げる。
「追うぞ。他に手掛かりがない」
戦士の決断で、勇者たちは逃げた男を追うことに決めた。
勇者たちは、広い空洞に辿り着いた。
途中にたくさんの分岐があった。逃げる男を追ったお陰で、迷わずに済んだ。
罠だと、誘導されていると、途中から気づいてはいた。地下を迷い彷徨うよりはマシだろう、という判断だ。それに、このメンバーなら大抵の罠は破れる自信が、戦士にはあった。
「ギャギャギャッ!」
断末魔のような声が、広い空洞に響く。
「ギャーッ!」
空洞の最奥の、石の玉座に、一回り大きい男が座っている。深く座り、肘掛けに腕を乗せ、見おろすように俯く。古ぼけた赤いマントを羽織り、節足動物っぽいデザインの金色の甲冑を纏う。
「まさか、誘き出されていたなんて、罠だったなんて、迂闊でした」
勇者は、農村出の駆け出し冒険者っぽい発言をした。深刻そうな口調だった。
勇者たちは、武装した人間たちに囲まれている。全員が節足動物っぽいデザインの甲冑を装備している。手にするのは、新しかったり古かったり、剣、ハンマー、メイス、槍、盾と多種多様である。
「キャーッ! 怖いです! キャーッ!」
僧侶が、勇者の左腕にしがみついて、泣き喚いた。完全にパニックだ。
「ギャァーッ!」
悲鳴のような雄叫びをあげて、近くの男が襲いかかってきた。
勇者は右手で大剣を抜き、男のメイスを受けとめ、押し返した。
男の重い体が宙に浮いた。男は軽い身のこなしでバク宙し、しゃがむ姿勢で着地した。
敵の数は、三十人ほどいる。ほぼ男で、女が数人交じる。前も後ろも塞いで、武器の届かない距離でチャンスを窺っている。
「呪いの剣と、不死の反逆王に、不死の兵か……」
戦士が、考えごとをする小声で呟いた。
「数百年前の伝説が真実だとしましたら、大発見ですわね」
耳聡いエルフが、嬉しげに相槌を打った。
「ギャーッ!」
女が、新品の長剣で斬りかかってきた。
戦士が盾で受け、肩で押して、女を突き飛ばす。女は軽い身のこなしで、地面に手をつき、片手で宙に跳ね、しゃがむ姿勢で着地する。
「コイツら、甲冑は重いのに、身のこなしが軽すぎるぜ」
戦士が、驚いたような呆れたような感想を口にした。
言われてみれば、と勇者も同感する。対峙する敵は、普通の人間とは思えない腕力で武器を振りまわす。押し返すときは甲冑の重量で重く、重い甲冑を着込んでいるのに身軽に立ちまわる。
「ギャギャギャッ!」
三人同時に斬り込んできた。槍と、ピッケルと、斧だ。
勇者の大剣が槍を弾く。斬り返しでピッケルを受け、絡め、敵の体ごと放り投げる。斧は、戦士の盾が受け流し、肩で突き飛ばす。
三人とも、ほぼ体勢を崩すことなく、軽い身のこなしで囲みに戻った。甲冑は、間違いなく重かった。
「呪いの剣の魔力、ってことでしょうか」
勇者は冷静だ。左腕にしがみつく僧侶がパニクって悲鳴をあげても、勇者は冷静だ。
敵は、節足動物っぽいデザインの甲冑を装備している。被覆率は高い。狙うなら、露出している顔か、関節部分か、継ぎ目の隙間とかになる。
勇者には迷いがある。人間を斬ったことが、殺したことがない。できるだけ、人間を殺したくない。
今目の前にいる敵は、人間に見える。武装した人間に見える。何も考えずに斬り殺すなんてできない。
「おかしいですわね。生気を感じませんわ。あれでは、不死の兵というより、死兵でしてよ」
何もしていないエルフが、羽扇で敵の一人を示した。
羽扇の示す先を見る。古い小剣と小盾を構えた若い男である。甲冑の中にある顔は死人みたいに白く、口は半開き、目は別々の方を向いて焦点が合っていない。
死体と認識した一瞬、吐き気が込みあがった。口を覆う手の空きはなかった。我慢して呑み込んだ。
「おいおいおい。あいつらが死兵ってことなら、勝ったも同然じゃねぇか!」
「オーホッホッホッホ! こちらには、僧侶がいらっしゃいましてよ!」
「やりましたね! 僧侶さん、出番ですよ!」
喜ぶ三人に注目され、僧侶が呆気に取られる。円らな瞳をパチクリと瞬き、首を傾げて考える。数秒後、全てを理解した顔で、神の象徴たる括れのある円柱を手に握り掲げる。
「お任せください! われにかごぉを!」
僧侶が神に祈った。円柱が光り輝いた。死霊を滅する神の奇跡だ。
円柱の光が消え、松明の明かりが空洞を照らす。壁も天井も土を削って固めた感じの、広々とした空洞である。
敵は、変わらず勇者たちを取り囲む。各各が武器を構え、襲いかかるチャンスを窺う。祈りが効いた様子はない。
「おいおい。死兵じゃないってことか?」
「僧侶の祈りの力が足りませんでした可能性もありますわね」
「私も、そんな気がしてます。修行不足で、ごめんなさい」
勇者は、ピンク髪の頭をさげて謝る僧侶を見る。僧侶が放してフリーになった、自身の左腕を見る。取り囲む敵を、ぐるりと見まわす。
「ギャッ、ギャッ、ギャッ、ギャッ!」
一際大きな、悲鳴のような雄叫びのような、甲高い声が響いた。
勇者たちを囲む敵たちが左右に分かれて、前方の道を開けた。前方は玉座の方向で、空洞の出口のある後方は塞がれたままだ。
玉座の男が立ちあがる。三メートルはある巨躯に、節足動物っぽいデザインの金色の甲冑を纏う。甲冑に包まれた太い腕で、古ぼけた赤いマントを払いあげ、靡かせる。
男の手には、古い大剣が握られる。巨躯に負けない、三メートルはある大剣である。勇者の大剣の二倍はある。
「干乾びたミイラ、ですわね」
エルフが興味深げに呟いた。
巨躯の男の顔は、干乾びている。完全にミイラで、眼球はない。鼻の肉も唇もなく、二つと一つの穴が見える。
玉座の前の段差を、男がおりる。勇者たちに近づいてくる。周囲の敵は、勇者たちの逃げ道を塞ぐだけで、襲ってこない。
「反逆王は、わたしが相手をします。周囲の警戒だけ、お願いします」
勇者は戦士に告げて、前へと進み出る。右手に大剣の柄を握る。剣先を地面に引き摺り、ゆっくりと歩く。
反逆王は巨躯の大股で、勇者との距離を詰める。大剣を振りあげる。空ろの目で、勇者の華奢な肢体を見おろす。
「いやぁっ!」
勇者は跳躍した。反逆王の懐に飛び込み、大剣で横薙ぎした。
反逆王は大剣をおろして受けた。金属同士が打ち合い、甲高く響いた。
すぐさま、反逆王の大剣が勇者へと振りおろされる。勇者は空中で大剣を構え、受けとめる。重量と勢いに地面へと落とされ、両足を踏ん張って衝撃に耐える。
太い腕が勇者を潰そうと押しつける剣圧を、華奢な腕で押し返す。反逆王の大剣を弾き、反逆王の体勢を崩す。後方へと倒れそうになる巨躯の、太い脚を狙って大剣を振りおろす。
金属同士が打ち合い、甲高く響いた。また、古い大剣で受けられた。こぼれた刃の金属片が、薄暗い空洞にキラキラと舞った。
反逆王は体勢を崩しながらも、古い大剣を、下から掬うように勇者へと叩きつける。勇者は片手で軽軽と、自身の大剣を戻して受ける。勇者の華奢な肢体が浮き、弾き飛ばされ、数メートルを後退する。
勇者の着地に、反逆王が巨躯らしからぬ素早さで踏み込んだ。かなりの高さから、古い大剣を振りおろした。
勇者は自身の大剣を両手で握り、受けとめた。耳を劈くような金属音が鳴って、勇者の華奢な背中が仰け反り、細い足が擦りさがった。
止めた。止めることはできた。止めるのに精いっぱいで、反撃する余裕はなかった。
反逆王の剣圧が勇者に圧しかかる。華奢な腕が、華奢な脚が、抗おうと震える。金色の髪の美少女の、端正な顔が苦痛に歪む。
「しっかりなさい、勇者! そのようなミイラが、生きた人間のはずがございませんでしょう!」
エルフが、勇者の心を見透かしたように、後方から声をかけた。厳しいような優しいような、心を奮わせる不思議な声だった。
勇者の大剣が、反逆王の巨躯を弾き返した。
「そ、それもそうですよね。ありがとうございます」
勇者の間の抜けた感謝に、エルフは呆れた溜め息をつく。
勇者には迷いがあった。人を斬ることへの迷いが、勇者の力を鈍らせていた。迷いが消えれば、勇者が実力を出せば、あの程度の相手には負けない。
勇者は大剣の柄を両手で握り、高く頭上に構える。ここまでとは迫力が違う。ゴブリン退治のときに見せた圧倒的な迫力が、今の勇者の背中にはある。
「たぁっ!」
勇者が反逆王に向けて跳躍した。反逆王が古い大剣で剣筋を塞いだ。構わず、勇者は大剣を斜めに振りおろした。
甲高い金属音が鳴った。古い大剣が折れて、地に落ちた。反逆王の干乾びた頭部が、粉粉に粉砕された。
「ギャーッッッッッ!!!!!」
反逆王の悲鳴が、広い空洞に鳴り響いた。雄叫びとか声とかではなく、悲鳴だ。
しかし、反逆王は倒れない。まだ生きている。頭を押さえ、苦しんでいる。
勇者は、苦しむ反逆王を見あげ、自身の大剣を背中に背負う。魔法式の留め具が自動で大剣を固定する。
足元に落ちた古い大剣を見おろす。刀身が真ん中で折れている。刃も柄もボロボロの、本当に古い大剣である。
前に屈む。古い大剣の柄を握り、拾いあげる。背筋を伸ばし、顔の前に掲げる。
「ゆ、勇者さん!? あっ、危ないですよ! 呪われちゃいますよ!」
慌てて駆け寄ろうとした僧侶を、エルフが背後から羽交い絞めにした。
勇者は手を放す。古い大剣が地に落ちる。ガランガランと、重い鉄の音がする。
「中身は、ただのミイラみたいでした。剣も、ただの古い剣です。大きいだけの、普通の剣です」
振り返った勇者を、ビックリした表情の僧侶が見つめる。戦士は周囲の敵を警戒する。答えが分かったドヤ顔のエルフが、頷き、反逆王の方を指さす。
勇者は指さされた方を見る。実は、答えまでは分かっていない。
反逆王が苦しんでいる。頭を押さえ、呻きをあげる。
いや、頭は粉砕したから残っていない。口もない。
額から後頭部を覆うタイプの兜を両手で押さえる。兜の縁が大きく割れて、液体が流れ出る。兜の先端が開いて、牙みたいな模様が見えて、そこから音を発している。
「人間に寄生する昆虫型のモンスターなんて、珍しくもありませんことよ。ああでも、朽ちた死体に寄生し続けますタイプは、珍しいかも知れませんわね」
エルフが、冷たく澄んだ声で、冷酷な解答を告げた。楽しむような口調が、声をいっそう冷たく感じさせた。
「それが分かれば、大丈夫です」
勇者は両手を合わせ、死者を悼む。細い腕で、華奢な肩越しに背中の大剣を握り、振りあげ、跳躍する。反逆王の頭上から、大剣を振りおろす。
苦しむ反逆王の巨躯が、巨躯に纏う甲冑が、斜めに両断された。
「ギャーッッッッッ!!!!!」
甲冑が、断末魔の悲鳴をあげた。真っ二つにされた甲冑がそれぞれ暴れて、斬り口から大量の体液を撒き散らした。
節足動物っぽいデザインの甲冑ではなく、昆虫型のモンスターだったのだ。人間に寄生し、甲冑に擬態していたのだ。
そのモンスターの外殻は、並の金属甲冑を大きく上まわる硬さではあるが、勇者の大剣の敵ではなかった。三メートルの甲冑に擬態する大きさと重量も、勇者の強さには及ばなかった。
「まあ、伝説なんて、そんなもんだよな。お宝も期待できそうにないし、周りのやつらを退治して帰ろうぜ」
戦士が落胆に肩を竦める。
僧侶は、まだ状況を呑み込めない表情で、頭上に?を浮かべて狼狽える。
勇者は、残りを退治するために振り向く。後方では、死に行くだけの反逆王が、のたうちまわる。両断されたのに、残った命で、足掻き苦しんでいる。
のたうつ理由は分からない。苦しむ意味が分からない。モンスターの考えることなんて、分かるわけがない。
反逆王がのたうち、地面が揺れる。壁が揺れる。天井が揺れる。
パラパラと、上から土が降る。壁にヒビが入り、土が崩れ流れ始める。
「……まずい! 洞窟が崩れるぞ! 急いで脱出しろ!」
戦士が蒼褪めて、叫んだ。松明を手に、空洞の出口へ向けて駆け出した。
エルフが戦士に続いて駆け出す。勇者は僧侶の手を引いて走る。
逃げる勇者たちを、残りのモンスターが襲ってくる様子はなかった。追ってくる気配もなかった。勇者たちが洞窟から脱出した直後には、洞窟は山中の入り口まで完全に崩れて、再び埋まってしまったのだった。
◇
「皆様。本当に、ありがとうございました」
老執事が、深深と頭をさげた。
「いやいや。洞窟が埋まっちまっただけだぜ。あの甲冑みたいなモンスターどもは、穴の中でまだ生きてるかも知れねえ」
戦士が、申し訳ないと表情に出した。
勇者は紅茶を飲む。ふかふかのソファに僧侶と並んで座って、甘いお菓子を食べながら、白磁のティーカップで美味しい紅茶を楽しむ。
モンスター退治関連の交渉は、戦士に任せることにした。適任だ。
「それだけでも、とても感謝しております。埋まった洞窟は、この領地の責任で厳重に封印させていただきます。心の患いの原因が消えたとお伝えすれば、領主様もご安心なさいますことでしょう」
領主の姿を思い出す。長い黒髪も長い髭も伸ばしっ放しの、陰鬱な雰囲気の中年男で、呪いだ、とか叫んで半狂乱だった、と記憶している。
「まあ、それでいいなら、こっちは問題ないけどな」
戦士は安堵して、ティーカップを口へと運んだ。
「あらあらまぁまぁ、美味しい紅茶ですのね。取り寄せ先を紹介していただいてもよろしいかしら?」
何もしなかったエルフが、横から口を挿んだ。
「このお菓子も、甘くてとっても美味しいですぅー。教会へのお土産にしたいのですけど、包んでいただいても良いですか?」
僧侶も、今だ、とばかりに便乗した。
「いや、本当に、申し訳ないっす……」
戦士が、申し訳なさを表情に出して、苦笑いした。
勇者は、無事に終わったみたいだと、満面の笑みを浮かべる。達成感と、満足感と、誇らしさが心を満たす。
「お易いご用ですとも。皆様には、本当に、心より感謝しております」
老執事が、深深と頭をさげた。皺の深い顔には、屈託のない笑顔だけがあった。
◇
わたしは、夢の中で勇者と呼ばれていた。
鏡に映る自分は、金色の長い髪で、美少女で、華奢だった。身の丈ほどある大剣を背負い、ビキニみたいな服を着て、防御力に不安を感じる露出度の高い赤い鎧を纏っていた。
華奢な美少女が大剣を軽軽と振りまわし、凶暴なモンスターを易易と両断する。それはとてもアンバランスな状況で、だから夢なのだと認識できた。
現実の自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長い髪の美少女だった。
わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。
/わたしは夢の中で勇者と呼ばれていた 第6話 呪われた剣 END
読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでくれる人がいると、書く励みになります。