第1話 常雨の森
自分が読みたい物語を、趣味で書いてます。
オリジナル小説のみです。
わたしは、夢の中で勇者と呼ばれていた。
鏡に映る自分は、金色の長い髪で、美少女で、華奢だった。身の丈ほどある大剣を背負い、ビキニみたいな服を着て、防御力に不安を感じる露出度の高い赤い鎧を纏っていた。
日々は、大剣を振るい、モンスター退治に明け暮れていた。
人間の生活圏付近にも、危険なモンスターの生息域は多かった。毎日のように、退治を依頼する書簡が届いた。
仲間は、人間の戦士、エルフの魔法使い、人間の僧侶だ。だったと思う。
華奢な美少女が大剣を軽軽と振りまわす。それはとてもアンバランスな状況で、だから夢なのだと認識できた。
現実の自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長い髪の美少女だった。
わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。
◇
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
勇者は、雨の降る森の中を、重い体を引き摺りながら歩く。
ここは、『常雨の森』と呼ばれる森である。『沼の女王』と恐れられる凶悪なモンスターが棲み、常に雨が降り続ける。
沼の女王の退治を依頼されて森に入ってから、何日が経過したのか分からない。はっきりしない。
依頼主は、王都から遠い、王国の国境付近の、小さな村の村長だった。王国軍が巡回にも来ないような、寂れた農村だった。その日の食べものにも困るような、貧しい暮らしぶりだった。
報酬も雀の涙だったが、報酬のためにモンスター退治をしているわけでもないので、依頼を受けた。何のためにこんなことをしているのかというと、分からない。どうせ夢の中だし、ゲームとかと同じで、勇者と呼ばれて、モンスターがいるから、退治しているだけだ。
「あぁ、またですか……」
勇者は気の重さに俯き、小さく呟いた。
前方、鬱蒼とした木々の間に、泉が見える。澄んだ水面に、雨粒が波紋を広げる。
重い体を引き摺り、泉の縁まで歩く。
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
もう何回、この泉に辿り着いたか覚えていない。沼の女王を探して、常雨の森の中を彷徨い、同じ泉に繰り返し繰り返し辿り着く。沼の女王には、一度たりとも遭遇できていない。
迷った。完全に迷った。
何日経過したのか分からない。王都の拠点には今頃、退治依頼の書簡が積みあがっているかも知れない。帰ったら、早く次に行ってください、と担当の女役人に急かされるに違いない。
「困りました……」
勇者は憂鬱と表情に出して、その場に両膝をつき、泉を覗き込んだ。澄んだ泉の水面に、金色の長い髪の、華奢な、憂いのある美少女が映った。
美少女だ、と自分でも思う。たまに驚く。露出の多さにドキドキすることもある。
水面に両手を差し込む。映る姿が崩れる。水を掬い、顔を洗う。
「よしっ! もうちょっと頑張りましょう!」
勇者は少し元気になって、立ちあがった。右の拳を雨天に掲げて、気合を入れなおした。
雨の降る森を鼻歌交じりに歩く。王都で流行っている恋歌である。
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
しばらく歩いて、疲れてきて、重い体を引き摺りながら歩く。
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
仲間とは、たぶん逸れた。森に入るときは、一緒にいたような気がする。今はいない。
引き摺るような音は、ずっとついてくる。いつからだったか、はっきりしない。
最初は警戒したが、ずっと聞こえるから、気にするのをやめた。気にするのをやめたのも、いつだったかはっきりしない。
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
とにかく、沼の女王を見つけるのだ。見つければ、きっと退治は難しくないだろう。
「だって、わたしは、勇者だからです!」
勇者は独り言を叫んで、自らを鼓舞した。
背負う大剣の柄を、肩越しに右手で握る。魔法式の留め具が外れる。
頭上の木の葉が騒めく。雨に打たれる音にしては大きい。大きすぎる。
片手で大剣を振りあげる。剣速を加速しつつ振りおろす。手首を捻って斬り返し、全身の捻りで剣を振りあげ、勢いのままに振りおろす。
甲高い、悲鳴のような断末魔のような、奇怪な音が森に響いた。大きな肉の塊が土の地面に落ちた。水っぽい肉を水たまりに叩きつけたような、生生しい不快な音だった。
「あー……。また、やってしまいました……」
モンスターの体液を、頭から浴びてしまった。臭い。ベチャベチャ粘って気持ち悪い。
人間の大人並のサイズにも成長する、大きなヒル型のモンスターだ。
軟体動物特有のヌルヌルとした体で、口吻には牙みたいな大きな歯が円形に並ぶ。頭上から獲物を襲い、頭部を咥え、首に歯を突き刺して外れないように固定し、全身の血を残さず吸血する。湿っぽい森の樹上に好んで生息する危険なモンスターである。
この森は、こいつが多い。頭上から落ちてくるから、ついつい真下から両断してしまう。必然的に、ぶち撒けられる体液を頭から浴びてしまう。
臭い。ベチャベチャ粘って気持ち悪い。白濁してたり、黄色ぽかったりする。
勇者は肩を落とし、俯き気味に、今来た道を引き返す。大剣の柄を握ったまま、剣先を地面に引き摺る。重い足取りで、木々の間を縫って歩く。
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
あの泉に戻って、体と服を洗いたい。水浴びしたい。
常に雨は降る。雨粒は、鬱蒼と茂る木の葉に遮られ、思ったほど降ってこない。ポツポツと断続的に、雨が肌を打つ。
しばらく歩いて、泉に辿り着いた。戻ってこられた。
「誰も、見てませんよね……?」
周囲を見まわす。常雨の森と呼ばれる、危険なモンスターの巣窟である。人目があるわけがない。
見える範囲に人はいない。モンスターもいない。森には、葉を打つ雨音だけがある。
鎧を着たまま、大剣を握ったまま、泉に入る。深いところで、腰が浸かるくらいある。水は清く、冷たい。
まずは剣を洗い、泉の縁に立てかける。鎧を一部位ずつ、脱ぎながら洗う。パーツが小さく少ない鎧は、露出が気になる反面、洗濯が楽だ。
もう一度、周囲を見まわす。注意深く、木陰の気配も探る。
「誰も、見てませんよね……?」
勇者は、人目がないことを再確認して、ビキニみたいな服を脱いだ。泉の水で、服についたモンスターの体液を洗い落とした。
洗った服は縁に置いて、水浴びに移行する。水に潜って、髪を洗う。水上に頭を出し、両手で水を掬って顔を洗う。
掌で擦るように、肌を洗う。モンスターの体液を洗い落とす。臭いも残らないように、念入りに洗う。
どうせまたすぐ汚れるし、なんて諦めてはいけない。あいつの体液は、耐え難い臭いがする。耐え難い感触がある。
肢体の全てを洗う。掌で擦って、念入りに洗う。
「そろそろ、大丈夫でしょうか……」
洗い終えて、勇者は泉からあがった。臭いが残っていないか、手首の辺りの匂いを嗅いだ。
ガサリ、と草を掻き分ける音がした。
素早く、音のした方を見る。水に包まれたみたいにブヨブヨとしたモンスターが、木の陰に二体いる。赤く細い二本の目で、こっちを見ている。
人間の大人と同じくらいの大きさで、人間の大人に似たシルエットをしている。見た目は水っぽくてブヨブヨしている。ときどき、ゼリーが揺れるみたいにプルプルと揺れる。
たまに出現する、ちょっとレアなモンスターだ。スライム系統だろうか。
勇者は反射的に、左腕で胸を隠し、右手で大剣の柄を握る。
モンスターが棒状の武器を構える。ゴポゴポとくぐもる音を発する。
このモンスターは、武器を使い、音で意思の疎通をする。知性があると推測される。勇者を見るなり攻撃してくるから、人間に敵対する凶暴な種族だとも推定できる。
モンスターに裸を見られても、困ることはないように思う。でも、乙女なので、裸を見られること自体が恥ずかしい。ついつい、胸を隠してしまう。
勇者は裸のまま、胸は隠して、大剣を振りあげ、モンスターのいる場所へと、泉から跳躍した。モンスターどもが棒状の武器を投げた。顔に向けて飛んできた鋭利な先端を頭を傾けて避け、一気に踏み込んで、モンスター目掛けて大剣を振りおろした。
木の幹の数本が、斬り折れた。バキバキと、周囲の草木が騒がしく鳴った。水滴が撒き散らされ、雨粒が降り注いだ。
胴体を斜めに両断されたモンスターが二体、勇者の目の前に倒れる。斬り口からは体液が溢れ、勇者の裸体に浴びせられる。
足元に転がるモンスターが絶命する直前に、ゴポゴポと何かを言ったような気がした。モンスターの言葉の意味なんて分かるわけがなかった。きっと、恨み言か、命乞いとかだろう。
「……まぁ、そうですよね。こうなりますよね」
勇者は、モンスターの体液に塗れた自身の肢体を確認して、溜め息をついた。裸だから洗いものが少なくて済んだ、とも思った。
◇
勇者は泉からあがる。洗った服を着て、洗った鎧を装備して、洗った大剣を背負う。魔法式の留め具が自動で大剣を固定する。
纏う赤い鎧は、露出度が高く防御力に不安を感じる。背負う大剣は身の丈ほどもある。華奢な肢体は、疾風の速さで動き、重い大剣を木の枝のように軽軽と振りまわす。
アンバランスに感じる。華奢な美少女が凶悪なモンスターを容易く退治するなんて、現実感が伴わない。だから夢なのだと認識できる。
泉で休憩するうちに、ブヨブヨしたモンスターの成れの果ては消えてしまった。体液の染みた跡だけが残っていた。きっとそういうものなのだろう。
泉の水面を覗き込む。澄んだ泉の水面に、金色の長い髪の、華奢な美少女が映る。
美少女だ、と自分でも思う。たまに驚く。裸の直視は、今でも凄くドキドキする。
水面に両手を差し込む。映る姿が崩れる。水を掬い、顔を洗う。
「よしっ! もうちょっと頑張りましょう!」
勇者は少し元気になって、立ちあがった。右の拳を雨天に掲げて、気合を入れなおした。
雨の降る森の中を、軽快な足取りで歩く。鼻歌交じりに歩く。王都で流行っている恋歌である。
ズルリ、ズルリ、と引き摺るような音がついてくる。
ここは、『常雨の森』と呼ばれる森である。『沼の女王』と恐れられる凶悪なモンスターが棲み、常に雨が降り続く。
沼の女王の退治を依頼されて森に入ってから、何日が経過したのか分からない。はっきりしない。
ついてくる音は、ずっとついてくるので、気にするのをやめた。それが何だったとして、気にすることはない。気にしなくても、問題ない。
そう、これはどうせ、夢なのだ。
現実の自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長い髪の美少女だった。
わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。
/わたしは夢の中で勇者と呼ばれていた 第1話 常雨の森 END
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