EX22.終章──ヴァルキリー・ディスラプション
煙が舞う。そして──剣と剣とがぶつかる金属音。
「──っ!」
俺の持つ、透明な“剣”。その青い刀身が、まるで意思を持っているように勝手に動き、アスタロトの振る剣を受け止める。
だが、あくまでも受け止めるだけなので、それに伴う衝撃やら何やらは、ダイレクトに俺の体へと届いている。正直、倒れそうだ。
「人間……がァッ!」
アスタロトは、再び剣を振り下ろす。防戦一方。俺もドロシーのヤツのように器用に動けたらいいのだが、どうにも上手くいかないもんだ。
重く鈍い音。幸いにも……その一撃によって、俺の剣が折れることは無かった。それはいいが、体の骨のほうが先に折れちまいそうだ。
「……ドロシーッ!」
「──」
俺はヴァルキリーの名を口にする。すると彼女は、この“台風の目”を囲む砂嵐の中から姿を現し──そのまま翼を広げ、目にもとまらない早さでアスタロトを斬り付けた。
一瞬だけ悪魔の手が緩む。俺も──アイツの動きを見よう見まねで剣を振った。
“それ”は悪魔の鎧に防がれたものの、勢いよく振ったせいか中にまで衝撃が伝わったらしく、悪魔はたまらず後方へと飛び退いていった。
そんな俺の横へと、ドロシーが降り立つ。
「……やはり、あと一歩……足らんな」
俺達の作戦は、単純なものだった。俺が囮になり、ドロシーが隙を突いてアスタロトを斬る。この手に握られている剣。こいつが優秀なおかげで、囮役……つまり俺は上手くアスタロトの攻撃を引きつけられている。
そう、意外なことに、今のところは上手くいっている。ただひとつ問題があるとすれば、いくらドロシーがアスタロトを斬ろうとも、そいつの鎧に傷が増えていくだけで、決定打に欠けている、というところだ。
「……はははッ! 魔将軍アスタロト、こんな所で倒れるものかッ!」
──瞬間。アスタロトが動く。その姿が影となって、俺へ向かってくる。すかさず剣を構えるが──。
「ぐっ!」
「神山ッ!」
そのまま、俺の体はアスタロトの剣に押される。重い。重すぎだ。今まで生きてきた中で、感じたことの無いような重み。それが剣を通して伝わってくる。これが……アスタロトの力なのだろう。
「なるほど、優れた武器を持っている、それは認めよう」
「そりゃ……どーも……っ!」
メチャクチャだ。コイツ、まだ口を開く余裕が残ってやがるのか。
「だが、どれほど優れた武器があろうと──貴様は戦いを知らぬ」
そう言ったアスタロトは──“脚”を使って俺の腹を蹴ってくる。
「……ぐ……あ」
声が出ない。体が押しつぶされたような感覚。息が苦しい。そんな、空気が恋しい状態はすぐに終わり、激痛が俺の体を襲う。
体に力が……入らない。体がその場に倒れる。視界に入るのは、アスタロトの脚と──。
「──ッ!」
悪魔の背中へ斬りかかろうとしている、ヴァルキリーの姿。
「……」
悪魔は無言のまま、剣を後ろへ回して、ドロシーの一撃を防いだ。視界が霞む。どうなっているのかよく分からん。
「甘いな」
「……くっ!」
戦乙女はその場に切り伏せられ──その首に、剣を向けられる。……クソッ。何か無いのか。何かできないのか。
そんな俺の思いとは裏腹に、感じる痛みは次第に大きくなり、意識を保っているのもやっとの状態だ。
「終わりだ……ヴァルキリー」
アスタロトが剣を掲げる。……ここまで来て、ここまで来て……こんな終わり方なのかよ。ここまでやって、ここで……終わるのかよ。
悪魔が腕を振り下ろし──と、ここで俺は、ようやく気がついたのだ。何にだ、と問われれば、返す答えは一つ。
伏せるドロシーの口元に……“笑み”が浮かんでいることに。
「──」
悪魔がその剣をもってして、ヴァルキリーの首を落とそうとしたその時だった。周囲に轟音が鳴り響く。まるで何かが爆発したような音。今日一日で俺の鼓膜はどうにかなっちまいそうだ。
そして俺は──すぐに気づく。その轟音の主が……ドロシーであることを。しかしその姿は──。
「お、お前……」
“悪魔”。今のドロシーの姿を形容できる言葉があるのならば、これしかない。頭から伸びる二本一対の角。そして、背中に生えるのは“真っ黒な”天使の翼。長い尻尾のおまけつき。
人型の、悪魔。アイツの姿を見て、真っ先に頭に浮かんだのがその言葉。
眼を大きく見開いて見ると、ドロシーのヤツはその剣でアスタロトの“斬首”を受け止めていた。切り伏せられて地に落ちていた剣は、いつの間にかその手に舞い戻っている。
「──ッ」
瞬時。ヴァルキリーの体が一回転する。悪魔の剣を受け流し、そのままその鎧──を砕いて、アスタロトの“肉”を断つ。
鮮血。その傷の返り血が、べっとりとドロシーの体へ付着していく。その時俺は……心の中で合点がいっていた。
アイツの悪魔の姿と、その心の中に巣くっていた悪魔の姿が、俺の思考の中でリンクする。まさか──俺は失敗していたのか? ドロシーを救うことに。
……と。そんな思考を巡らせる俺へ、ヴァルキリーが歩いてくる。……赤く光る眼は、まっすぐ俺の顔を見つめていた。
「ど、ドロシー……なんだよな?」
「……あー。部分的にはそう」
「……は?」
これは……ドロシー・フォン・ヴァルキュリアの声色じゃ無い。まさかコイツは──。
「──デゼスポワール。あるいは、デスペア。まさか忘れたとは言わないでしょうね? ……クソ人間」
忘れたと言えるわけがない。あんなものを忘れられる方がどうかしている。ドロシーを苦しめていた“悪魔の力”。俺が対峙した──その根源。
「な、なんでお前が──うお……っ!」
ドロシーもどき……もとい“デスペア”は、伏せる俺を無理矢理起こす。アスタロトは、その光景を訝しげに見ていた。罠だとでも思ってんだろうが……こっちも困惑してんだ。
「“契約”した。この性悪ヴァルキリーちゃんと、ね?」
「契約……だと?」
次にコイツの口から出てきたのは、驚くべき事実だった。
「“デスペア”……消えたくなければ力を貸せ、ってね。ほんと、最悪」
デスペアは肩をすくめて息を吐く。……おいおい、どうなってんだ。つまり、お前はドロシーの体を借りてる居候、ってことか。
「……舐めてると潰すぞ、人間」
「すまん」
この際なんでもいいが、全く同じ顔の別人を相手にしているようで感覚が狂う。
「デザゼスポワール。貴様、ベリアル様を裏切るのか?」
「あぁン? はッ。誰かと思えば地獄に引きこもった“軍師様”じゃない」
「……何だと?」
デスペアは、ヴァルキリーの剣を肩に担ぎ、退屈そうな眼でアスタロトを見る。冷めた目だ。悪寒を錯覚しそうになるほどの。
「ワタシはコイツの中で、ベリアル様が死ぬのを見た。あっけなく、羽根無し天使に殺されてな」
そう言う彼女は、冷淡ではあったが、俺はそこに、寂しさと儚さをなぜか感じていた。
「主は死んじまッた。なら、誰に仕えるかを決めるのはテメェで決める」
「……恩知らずが」
「あ? ……“恩”だと? 知らねェな」
デスペアは剣を構える。と同時に、その語気が強くなっていく。
「ワタシは強いヤツに着いていく。お前ら“魔将軍”よりは、このヴァルキリーの方がマシそうだしな」
「きさ……ま──」
ヤツの姿が消え──アスタロトの前へと動く。
「消えろ」
俺が気づいた時には──その剣を握る腕は、アスタロトへと振り下ろされていた。一閃を黒くしたような一撃。それが……“敵”を切り裂く。
「……ば、ばか……な」
アスタロトはその場で倒れる。悪魔……デスペアの一撃は、鎧を砕くほど強力なものだった。……これが、悪魔の力だというのか。
「……ベリアル様が死んだ場所に居なかった癖に、好き勝手言ってんじゃねェよ……」
……そんなデスペアの呟きが、聞こえたような気がしなくもない。なぜなら──。
「──サキュバスッ! この裏切り者を殺せッ!」
アスタロトが、それまでと同じとは思えないほど大きな声で、もう一人の魔将軍──サキュバスを呼んだためだ。
だがアイツは……メタトロンが押さえてるはず──。
「──ふふっ。逃げて来ちゃった」
横からの声。振り向くが、誰の姿もそこには無い。……と。
「……おい、クソ人間ッ!」
デスペアが俺へ呼びかける。彼女は……サキュバスの尻尾に拘束されて、今にも別の場所へ連れ去られようとしていた。
「お前がアスタロトを殺せ。なに、もう体も動くはずだろ」
「……そういえば」
ふと、自分の体へ意識を向けると、腹部に感じていた痛みは完全に治まっていた。一体何が起こったんだ。
「感謝しろよ。ワタシが治してやったんだ。このヴァルキリー“様”の頼みでな」
「そうかい。……ありがとよ」
「……ったく。柄にもねえことしちまったな──」
そこでデスペアの言葉は途切れた。翼の羽ばたく音と共に、彼女の姿はかき消える。残ったのは、最強の悪魔と、ただの人間。
「まさか、貴様と戦うことになるとはな──人間」
「はっ。こっちのセリフだ……全くよ」
「ならば──終わらせるぞ。貴様の言う人間の力とやら、見せてみろ」
アスタロトは──剣を頭上に構えた。すると──その足下に“魔法陣”が発生し、その体が赤い光で照らされる。
マズい。当たり前だが、ヤツは本気だ。俺を、殺しに来ている。
俺に……何ができる? この剣は確かに凄い。だが、それだけだ。相手は戦い慣れした悪魔。武器がどれだけ強かろうと、それは経験の差で埋められる。
……経験の差で、“埋められる”?
俺は──深く深呼吸をして剣を構える。ただの構えじゃ無い。腰の鞘……は無いので、それっぽい体勢を取ってみる。
目を閉じる。いつも以上に……感覚が研ぎ済まれるような気がする。あらゆる五感が、目の前の敵を倒すために総動員されている。
アスタロトの言っていることは正しい。俺じゃ到底、アイツには勝てない。だがそれは……正攻法ならば、だ。チャンバラじゃヤツには勝てん、というのは分かる。
なら……“埋めようのないほどの差”を作ればいい。
そしてそんな芸当ができるのは、“アレ”しかない。見よう見まねだ。だが、何度も見てきた。“アレ”が放たれる瞬間。放たれるまでの体勢。
頼む。剣よ──俺に、力を貸してくれ。魔を斬る為の、その力を──!
「──斬魔一閃ッ!」
「月光斬──ッ」
しばし流れた静寂の時を、俺とアスタロトの声が破る。体が動く。剣が放たれる。前へ、前へと、体が“進む”。
アスタロトの姿も同様に、こちらの方へと近づいてくる。刹那の勝負。すれ違い様のその一瞬。
俺はアスタロトの振った剣を横に躱そうとする。だが、これじゃ俺の剣も当たらない。──ならば。
アスタロトの横をすれ違った瞬間。俺は思いっきり地面を蹴って“反対”へ動いた。すなわち──。
「──」
回転斬り。一回転した俺の体。そこに握られていた剣は、アスタロトの背中をぶった斬った。しかし、速すぎてその傷がどうなっているのかは見えない。
そのまま、俺は、剣に引っ張られるようにして、本来の方向へ、砂埃を上げながら“滑る”。
流れる静寂。汗が頬を伝い、剣を構える腕へと落ちる。そして……背後から聞こえる、ガシャ、という鎧の音。
心臓の鼓動が止まらない。息が止まる。
「──見事だ……“人の子”」
アスタロトの、声。俺は……それと同時に後ろへと振り向く。そこには……背中から血を吹き出しながら、膝から崩れ落ちる、アスタロトの姿があった。
──勝った。アスタロトを倒した。だが……それを喜ぶ暇は、俺には無かった。目眩だ。足下がおぼつかない。俺は、その場に倒れ込んだ。
──こちらへ走ってくる、黒いゴシック衣装の少女。その姿をぼやけた視界に捉えた瞬間、俺の意識は、電源を落とした電子機器のように……バツンと消えた。




