EX21.救世の剣
「──うおっ」
遂に始まった、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアとアスタロトの戦闘。どっちも得物は剣ときた。周囲に響くつばぜり合いの音が、それが本当だと裏付けている。
……俺には、何がどうなっているかも見えないんだがな。
人間の動作を倍速で再生すると、その動きに影が残る。更に倍速にすれば、人の動きは影で表されるようになる。
俺が今見ている光景は、そんな感じだ。ドロシーの姿もアスタロトの姿も見えないが……その“影”は分かる。
以前とは違う。少なくとも、誰が何をしているのかを目で追うことができる。目が慣れてきたのか、体が慣れてきたのか、はたまた心が慣れてきたのかは知らんが。
まぁ、問題があるとすれば……見えたところで何もできないという所だ。
手には見慣れない剣と、もう片方には地獄の姫らしき少女。こんな状態じゃ何もできやしない。ただの足手まといもいいところだ。
「──一閃ッ!」
……なんてことを考えている俺の耳に、ドロシーの声が入ってきた。
それと同時に、四方八方に動き回っていた“残像”がピタッと止まり、そこから武者悪魔へ向けて“斬撃”が放たれる。
それは直線上にある全てのものをなぎ倒し、全てのものを両断していく……が。
その剣閃はアスタロトの手前で停止した。ここからじゃよく見えないが、悪魔の手には剣が握られている。……それだけ。
それだけで、ドロシーの技を止めた。ただ、剣を構える動作だけで。
「くそッ──!」
「……こんなものか? ヴァルキリーの名前が泣くな」
「……っ! 抜かせっ!」
戦乙女は一歩も退くことなく、アスタロトへと向かっていく。しかし──その刃が、悪魔の体まで届いているようには見えない。まるで遊ばれているように。
逃げるアスタロトを追うドロシー。その背中に“生まれた”羽根が、いっそう力強く羽ばたく。いや──違う。
「──ドロシーっ! 避けろっ!」
アスタロトは逃げていたわけじゃなかった。ただ、逃げているフリをしていただけだ。それを証明するかのように、地面が規則的に赤色へ光り出す。
魔道。だが、それは──俺が今まで見てきたどの魔道よりもデカい模様が浮き出ていた。“今まで見てきた”といえる程度なのか、というのはさておき。
少し離れた場所に居る俺の足下にすら、光が浮かんできていた。禍々しい色だ。見ているだけで言葉にできない恐ろしさを感じる。
……いや、待てよ。こんな事を言っている場合なのかか? つまり俺も魔道の範囲に入って──。
「神山さんッ! その剣を地面に突き立てるんですッ!」
──突如聴覚を刺激するフォルネウスの声。一体何時から……なんていう言葉が頭を巡る前に、俺の剣を持つ手が、地面へそれを刺す。と同時に、全身が吹き飛びそうになるほどの衝撃が俺を襲った。
視界の端に居るフォルネウスがこちらへ瞬時に移動し、俺の体を支える。それでも、だ。衝撃に堪える前に骨が何本か折れるんじゃないか、これ。
「アスタロトはここら一帯を吹き飛ばす気です! ドロシーさんが危ないっ!」
「ふ、吹き飛ばすたって、こっちには姫様が居るんじゃねぇのかよっ!」
「かの者にとっては、もはや生死などどうでもよい、ということです!」
轟音に風。自然と声のボリュームも大きくなっていく。この嵐のような魔道の中心に居るのは、アスタロトと……ドロシーだ。
「フォルネウス! アスモデウスを頼む!」
「……は」
困惑するフォルネウスに、俺は腕の中の小柄な少女を押しつけた。……行かなければ。この暴風の中心へ。
「何を考えてるんです! 人の身ひとつでは自殺に等しい!」
何を考えてる? ……さぁな、俺にすら分からん。こんな状況、逃げ出したくて仕方がないさ。腕も足も、体全体が軋むように痛む。
でも、この“剣”を握る力が衰えることは……ない。
「悪いな、それでも俺は……行かなきゃならないんだ」
「な、なぜ」
アスモデウスを抱え、展開された障壁の中にうずくまるフォルネウス。なぜ……か。友情。あるいは恩返し。もしくは……。いや、違う。
俺は、アスタロトの生み出した嵐の中へと踏み出した。剣一本、それを手に。
「もう、逃げないって決めたからな」
──走り出す。俺は、ドロシーのように空中を翔ることはできない。アスタロトのように、地面を蹴って一瞬で移動することも、俺にはできない。
俺にできるのは──泥臭く、確実に……歩みを進めることだけだ。
「……待ってろ……ドロシーッ!」
天使だ? 悪魔だ? ……もう知らん。もううんざりだ。俺は──人間の神山。
見てろよ、アスタロト。人間、死ぬ気になりゃあなんでもできる、ってことを。
・
・
・
「どこだ……っ!」
俺は不思議と──この嵐の中で走れるほどに力に溢れていた。よく分からんが、この剣に力を込めると、力が沸いてくる……ような気がする。
この際、理屈はどうだっていい。重要なのは、ドロシーとアスタロトの姿を見つけること……なのだが。
いかんせん、荒れた大地に吹いた風。ぶっちゃけ、汚い。それが煙幕のような役割を果たし、見事に俺から視界を奪っている。
正直なところ、どこに進んでいるのかも分からない。こんな中でアスタロトに鉢合わせちゃ最悪だ。俺はより強い力で剣を握る。
「──ヴァルキリー、貴様もこれまでだ」
前。前方からの、聞き覚えのある声。俺は全速力で走る。……走る。……走る。──風と一体になっているような錯覚。速い。視界が歪む。
「……我は、ここで終わる気はない」
「なんだ、往生際が悪いな」
「……はっ。当たり前……だろう?」
──どこだ。どこにいる。
「ではどうだ? 我らが軍門へと下るというのは。良い“座”を用意してやるぞ」
「あまり笑わせてくれるな。そもそも……貴様を信じるぐらいならば──」
──ッ!
「我は……友を信じる」
「残念だ──ヴァルキリーッ!」
──キンッ。金属音と共に、体の感覚が戻ってくる。この手に感じる、確かなモノ。上からの“力”に押しつぶされそうになるが、ぐっと堪える。
「貴様は──馬鹿な」
アスタロトの驚く声。俺はそのまま、剣を勢いよく弾いた。悪魔は後ろへ飛び退く。
弾いた……と言っても、俺が何かをしているわけではない。動いているのは俺の手ではなく、俺の手が握っている“剣”だ。
剣が──俺の体を動かしている。
「……へっ。これが人間様の底力ってヤツだ──なぁ、ドロシー?」
俺の背後で物音がする。服の埃を払う音と、重々しい金属音。何度か聞いた、あの“傘”の音。
「全く。相変わらず、ムチャクチャなヤツだな、お前は」
「……そっくり返すぞ、その言葉」
ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、剣を構えて俺の隣へと来る。彼女の顔には傷が付いており、痛々しさを見る者に与える……が、当の本人は……笑っていた。
「でも──ふふっ……ありがとう、神山」
「……あぁ」
アスタロトは、俺の登場に未だに驚いているようだった。今がチャンスだ。今しかない。あの野郎を倒せるなら、今が好機だ。
隣に居るヴァルキリーもそう思ったのか、俺へ視線を飛ばす。
──仕切り直しだ。アスタロトもこちらへ鋒を向ける。
「──ッ!」
土煙が舞う、嵐の中。その中心の静かな空間。そんな場所で再び、戦いの火蓋が切られようとしていた。




