EX18.地獄突入
「──は」
メタトロンのせいで、目眩に襲われていた俺──神山。ようやく自分の体の感覚を取り戻したと思ったのも束の間、痛みさえ感じる冷たい“風”が強く吹き付けてきた。
例えるなら全身を氷で小突かれてるような感じだ。“雹の雨”とでも言うべきだろうか? 雪の季節はそれなりに経験してはいるが、こんなものは見たことがない。
「……夢でも見てんのか、俺は」
「ざんねーん。これは現実。キミの見ているその景色が──“地獄”だよ」
俺は、風の中でなんとか瞼を開ける。そこに飛び込んできたのは、これまた幻想的な──しかしおどろおどろしく、恐ろしい光景だった。
この世の終わりを表すかのような、真っ赤な空。それに、どこまでも続いている荒野。ずっと見ていると気がおかしくなりそうだ。
ドロシーの心の中で見た“アレ”に近いと言えばそうだが、これほどまでに恐怖を感じる風景ではなかった。
なんというか、人間の持つ根源的な“ナニか”を強く刺激してくる。そんな世界。
そんな独り言を呟く俺へ、フォルネウスが話しかけてきた。
「えぇ。ここに長居するのはあまりよろしくない。急いでアスモデウス様の元へ向かいましょう」
「……それはいいが、“どこ”に居るんだ? その、アスモデウスとかいうヤツは」
フォルネウスは腕をまっすぐに伸ばし、正面を指で指し示す。その先には、殺風景な風景の中で、ひときわ異彩を放っている建物があった。
……神殿、か? なんだか神聖なものに見えてくる。周囲が暗い色なのに、それだけが白い建材で建てられているからだろうか。
「……何の建物なんだ、あれは」
「──監獄、です。本来ならば、危険な悪魔を閉じ込めておく場所なのですが」
俺たち──神山、メタトロン、フォルネウスの三人は、目を覚ました場所である高台からその光景を臨んでいた。
そんな中で、フォルネウスの発言を聞いたメタトロンが会話に入ってくる。
「そ。ま、簡単に言えば、あそこに囚われてる姫様を助ければ、ぼくたちの勝ちってわけ」
「……勝ち……か」
まぁ、アスモデウスを助け出さなければならない、というのは分かった。未だに腑に落ちないのは、その理由だ。
フォルネウスの話によれば、ベリアルとかいう、地獄を治めていた悪魔が死んだ。それで悪魔達は混乱し、今のメチャクチャな状態になったという。
だが、不自然ではないだろうか? “姫”と呼ばれるほど位の高い悪魔が幽閉されているにも関わらず、俺たち以外誰も助けに来ちゃいない。
「だから、だよ」
メタトロンが言う。
「アスタロトにサキュバス。あの“将軍”どもを黙らせるには、ベリアルの閉じ込めたアスモデウスの力が必要なのさ。本来の“統治者”の血がね」
……おいおい。まさかとは思うが、“将軍”を名乗るあの悪魔どもは、ここの覇権の為だけに戦っているってのか?
「そーだよ。意外だった?」
何の気なしにそう言ってのける天使。……悪魔も天使も、なんというか、俗っぽいな。案外。
「──あらら。人間の方がよっぽど“俗”だと思うけれど?」
意識外からの声。その場に居た全員が、声のした方へと振り向く。──背後だ。そして俺は、その声を知っている。
できれば、二度と聞きたくなかったもんだがな。
「酷いわねぇ。この私──サキュバスの美声を聞けるだけでも光栄なことだというのに」
光栄、ね。どの口が言ってるんだかな。殺しかけた相手に言う言葉がそれかよ。俺の脳裏には、“あの夜”の光景が軽くフラッシュバックしていた。
倒れるドロシーに、迫ってくるサキュバス。あの時のコイツの威圧感は、姿を見るだけで立てなくなるほどのものだった。
しかし、今はどうだ。俺はコイツを視界に入れても──普通の状態で会話ができている。余計な口を挟む余裕も持ちながら。
どうやら……俺の体も、異常な経験の中で成長しているってことか。……嬉しいか否かは置いておいて、だ。
少なくともこの場においては──役に立つ。
「あらら。面白い人間には構ってあげたいのだけれど……」
そう言ったサキュバスは──翼を広げて宙に浮かんだ状態のまま、手を大きく広げた。すると、悪魔の背後から次々と──赤色の光の柱が立ち上っていく。
何十何百という禍々しい色の柱。それを見たメタトロンが口を開く。
「あーあ。めんどくさいことしてくれたなぁ」
「……どういうことだ?」
いまいち要領を得ない人間へと、天使は続けた。
「今に分かるよ。ほら──」
彼女が“柱”を指さした瞬間だった。けたたましい轟音と共に、赤色の光柱は“爆発”した。そして……ここからが問題だった。
爆発した“柱”から、黒い粒のような何かが大量に出てきている。例えるならそうだな、蟻の巣を突っついたみたいな感じだ。
黒い点々がぶわっ、と辺り一面へ拡散していく。その“黒”は、悪魔の背後の風景を全て埋め尽くしていた。
「……まさか、とは思うが」
「そのまさかだよ。あれ、全部悪魔」
メタトロンは額に手を当てて“やれやれ”とでも言いたげなそぶりを見せた。おいおい、あんだけ大量の悪魔に来られちゃ、いくらなんでも──。
「いくらなんでも──何?」
天使の顔つきが変わった。何を考えているかも分からないような表情が、一気に獲物を見つけた捕食者のように鋭くなる。
続けて、ぱちんっ、というメタトロンが指を鳴らす音。空高く掲げられた手が音を鳴らしたかと思うと──。
「──」
何かが破裂したような音と共に、サキュバスの背後に居た無数の悪魔が一瞬にして消え去った。……何が起こったんだ。
「ぼくが、全部消した」
……簡単に言うなぁ、おい。そんな態度の天使とは対照的に、サキュバスは肩を震わせて眉をつり上げている。
「……冗談でしょう? 一体私が……何千の悪魔を召喚したと思って──」
メタトロンは、俺とフォルネウスの前に素早く飛び出した。サキュバスに対峙する形となって。
「何千の悪魔を消せる力があるから──ぼくはここに居る。分かったかい? ……“将軍”?」
「──ッ!」
──刹那、サキュバスが俺たちの方へ“黒い塊”を飛ばしてくる。魔道とかいうやつだろう。しかし、その塊は、メタトロンによって生み出された障壁に阻まれて霧散した。
「二人とも、行きなよ。ここはぼくがやる」
「だ、だが──」
天使は少しだけ──その鋭い目つきの顔をこちらへ向けた。その口が開く。
「──ぼくはぼくの仕事を。人間──キミは自分のやるべき事をしなよ」
「──神山さんッ!」
フォルネウスの声が耳に響く。……分かってる。これは、メタトロンが作ってくれた隙だ。無駄には……できない。
「──ッ!」
俺は──“監獄”へと駆け出す。フォルネウスの背中を見ながら。
自分にできること──アスモデウスを助ける、ただそれだけの為に。




