EX13.自分という存在
俺は“お悩み相談部”の部室に居た。窓からは太陽の光が差していて、部屋の明かりらしい明かりと言えばこれぐらいしかない。
天井にある蛍光灯は、切れているのか光っていない。日が沈めば本を読むのに苦労しそうだな。
そんな部室だが、今は静寂に包まれている。鳥の声や窓に風が当たる音ぐらいしか、耳に入ってくる音はない。
それもそのはず。この空間が気まずい雰囲気に満たされているからだ。
「……」
窓際、向かい側に座る彼女──天束エインに俺は見られている。銀髪の学生の目にはどこか鋭さを感じ、その視線がグサグサと俺に刺さっているような状態。
もう一人の赤色の髪の学生は、机に目を伏せてお茶を飲んでいる。
正直なところ、逃げ出したい。彼女達からすれば俺は──友人に怪我を負わせた原因そのもの。そりゃ気まずい空気も流れるってモノだ。
「……ねぇ」
「あ、あぁ」
天束エインに不意に呼びかけられた俺は、とりあえず言葉を返す。彼女の方を見ると、机に肘を突いて、先ほどと変わらずこちらを見ていた。
「ドロシー、面白い娘でしょ」
「……え? ま、まぁ……退屈は、しなかったと思うが」
彼女の口から発せられたのは、俺を非難する言葉でもなければ、怒りの言葉でもなかった。
「そう。あの娘も似たようなことを言ってたわ。“神山のおかげで退屈していない”ってね」
意外だな。てっきり“つまらない奴”と思われているものかと……と。そう言った俺に、彼女は口を開いて続ける。
「──あー、もう。やっぱりやめる。回りくどいのは苦手なの」
突如、天束エインが席を立って──机を挟んで反対側の俺の席へスタスタと歩いてくる。……あぁ、ついに来たか。殴られる覚悟はできてる。
「……ちょっと。私がそんなに暴力的に見えるわけ?」
「い、いや、そういうわけじゃ」
そう言った俺の目と鼻の先へ、天束は顔を近づけてきた。おい、何なんだ一体。
「私が君に言いたいことは一つだけ。──あの娘の手を、絶対に離さないでよ」
「……」
彼女の剣幕に押されて声が喉を通らない。……察しのいい人だな、と思う。俺がドロシーという存在に手を引かれてここまで来た、ということまで分かっているのだろう。
ドロシーは俺の手を掴んだ。だから今、俺はここに居る。
「……あぁ。分かった」
「良い返事ね。神山くん?」
天束が笑う。あぁ、そうだ。今俺がやらなければならないこと。それがようやく分かった。
「ありがとう、二人とも」
俺は礼をして早足で部室を出て行く。──不思議と足が軽い。今日一日、ずっと重かった体から何かが降りたような気がした。
急いで階段を降りる。踊り場ですれ違う学生に変な目で見られたって関係ねぇ。
俺が“やらなければならないこと”。それは、俺がずっと恐れていたことでもあり、避けていたことだ。
ドロシー・フォン・ヴァルキュリア──彼女という存在と向き合う……ということを。
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夕焼けのなか、俺は思考を整理している。例の公園──ドロシーと以前言葉を交わした場所。そこで息を整えて、考えをまとめていた。
勢いよく飛び出してきたものの、まだ心構えができていない。何度も深呼吸をして心を落ち着けようとする。
胸に手を当てるだけで分かるほど、俺の心臓は震えていた。
「……あ。あの」
ふと、そんな俺へ誰かが声をかけてきた。まぁ、子供を遠目から眺めている不審者に見えなくもないので不思議ではないが。
「え、えぇ? わ、わたしですってば」
「……?」
まるで知り合いであるかのような物言いをする人物を見る。彼女は……さっき“お悩み相談部”の部室に居た学生だ。
天束エインとは別の。
「……っ! ど、ドロシーちゃんから名前とか聞いてないんですか!?」
「すまん」
前屈みになって俺を問い詰める赤色の髪の学生。申し訳ないと感じ、つい目を伏せてしまった俺。
こんな状況は傍から見れば異常でしかないようで、周りをざっと見ただけで、俺たちの方を見てひそひそと話をするヤツらが結構居た。気持ちは分かる。
「だが、アイツの友人ってのはさすがに分かるぞ」
「……当たり前ですよ、もう」
呆れてしまったのか、小さく息を吐いた彼女は、ベンチへ腰掛ける俺の隣へ座ってきた。いや、さっきも思ったことだが、天使は距離が近いんだよ。
「そうですか?」
「……自覚がないのが恐ろしいな」
赤色の髪の学生はベンチへもたれてそう言う。
「で、わざわざ俺に声をかけたんだ。ってことは、ただの用事じゃないんだろ?」
「はい」
彼女は足をくっつけて、その上に手を置いた。もたれていた背中は前屈みになり、その視線は自然と下向きになる。
「……ど、ドロシーちゃんをどう思ってるのかなぁ……って、それを聞きたくて」
その発言の後、俺たちの間では少しだけ沈黙が流れた。ただ周りの環境音しか聞こえてこない。
純粋に俺は……呆気にとられていた。さっきの天束エインだってそうだし、俺の目の前に居る赤色の髪の彼女もそうだ。
なぜ、なんで俺を……非難しない。
「……? それは決まってるじゃないですか」
何が決まっているのかは分からんが、彼女はそのまま続ける。姿勢を戻して、俺の顔を見ながら。
「ドロシーちゃんの友達が、ドロシーちゃんを傷つけるわけない」
「……は」
理解できない。だって俺は、彼女たちと顔を合わせたこともないんだぞ。なんでそんなヤツを無条件に信じられるんだよ。なんでそんなに純粋に信じることができるんだよ。
「ふふっ。だって、ドロシーちゃんが信じた人ですから」
「……っ」
何だ。何なんだ。何なんだよ。俺は思わず……顔を手で覆う。コイツもそうだ。天束もそうだ。……ドロシーもそうだ。
「……?」
首をかしげた赤色の髪の学生が、俺の顔をのぞき込んできた。向こうからは見えないだろうが、俺からは見える。ドロシーと同じ……まっすぐな目。
何でそんなに……優しいんだよ。
言葉にならない声が喉を通過した瞬間、俺の頬を水滴が伝っていった。
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「だ、大丈夫ですか?」
「……あぁ。すまん」
顔を上げた俺の目が赤くなっていたからだろう、心配そうな顔をして赤色の髪の学生は俺を──。
「あの」
そう続けようとした俺を彼女が遮った。
「私は──アンジュ。アンジュ・ド・ルミエールっていいます。言うの忘れてました」
赤色の髪の学生──アンジュは自分の頭を拳で軽く小突いた。……にしてもまぁ、凄い名前というか何というか……ここらじゃまず見かけない名前だな。いやドロシーにだって言えることだが。
「あの……わたし、ドロシーちゃんのこと、好きじゃなかったんです」
「なんだよ、急に」
まさに唐突だ。脈略もなくそんなことを言われたらビビるぞ。というか、ドロシーの物言いだと“仲良しコンビ”って感じだったのだが。
アンジュは橙色の空を見上げて続ける。いつの間にか子供も消え、俺たちだけになった公園で。
「ドロシーちゃんは、ヴァルキュリア家のお嬢様で、文武両道で、成績も良くて、カッコよくて、いつも助けてくれて……」
「……」
褒めてるだけじゃないのか、なんて思いつつも、俺は口を挟まずに黙って聞く。
「でも……わたしはいつも……ドロシーちゃんと一緒に歩きたかったんです」
「……そうか」
友人関係の悩み、か。言ってしまえばそうだが、だからこそ深い悩みになる。あいにく俺は優等生になるのを諦めたクチなんで分からんが、気持ちとしては共感できるな。
「だから私なりに頑張って……人間界にようやく“見習い天使”として来て、嬉しかったんです。でも……ドロシーちゃんが、来た」
「……」
俺はアンジュの顔を見る。その潤んだ目から、零れる涙が頬を伝って足へと落ちていく。
「お前も……何だ。その、苦労してんだな」
「……いえ。確かにわたしは、ドロシーちゃんと会うのが嫌でした。……でも」
しかし、少女は続ける。
「ドロシーちゃんが傷ついたとき、それを助けられて……“良かった”と思ったんです」
そう言ったアンジュの顔は、どこか儚く、どこか悲しげで……笑っていた。
「やっぱりわたし、ドロシーちゃんのこと、好きだったんです」
「……あぁ」
ここまで聞いたんだ。彼女なりに何かを伝えようとしていたのは分かる。俺に声をかけた真意もな。
アンジュ・ド・ルミエールにとって、嫌いになろうとしてもなれない友人のドロシー。彼女にはきっと……重ねて見えたのだろう。過去の自分と、今の俺──神山が。
目を閉じる。頭の中に浮かぶのは、ドロシーの姿だ。
俺はもう──逃げない。
「ありがとな、アンジュ」
「っ! は、はいっ!」
俺は飛び上がるようにしてその場から立ち上がり、走り出す。我ながら情けないヤツだ。ここまでしないと動けないとは。
だが──天束エインやアンジュのおかげで、ようやく決心が付いた。
“自分という存在”がやるべきこと。ドロシー・フォン・ヴァルキュリアと向き合うために俺は──黒居の家へと全速力で向かっていた。




