EX11.汝、何者か
天束エイン。こんな場に突然現れたと思ったらドロシー・フォン・ヴァルキュリアの関係者だったようだ。もう驚く気にもならん。
……なぜか。それは──それ以上に驚くべき事が俺の目の前で起こっているからだ。いや、目の前という表現は間違っているかもしれない。
“空”を目の前と言うのならば、正しいだろうが。
「何よ、コレ……」
俺の手を引っ張って起こしてくれた天束エインも、この光景に驚きを隠せないようだった。夜の空が──赤く染まっていく。
空に生まれた“血の海”。あぁ、分かってる。こんな俺でも学習能力だけはあるんでな。
ここで終わりのはずがない。おまけにこんな禍々しい色だ。つまり。この後起こることは大体想像が付く。どうせろくでもないことだろう。
「おや、私もアナタと同じ感想ですよ」
……いつの間にか、俺と銀髪の学生の近くに来ていた悪魔──フォルネウスが言う。おいおい、まるで他人事みたいだな──と。
「──」
グググッ……と空が割れるような音。何か、重く巨大な金属を引きずったような音が、聴覚から不快感をダイレクトに与えてくる。
上を見る。ちょうど俺たちの上。正確には──血を垂れ流してピクリともしないサキュバスの上。
そこに──“扉”が現れていた。
「……来るッ!」
そう思った束の間。叫んだエインが俺たちの前に出た。彼女はスカートのポケットから……黒いグローブを取り出して手にはめる。
たかがグローブひとつで、なんて考える暇はなかった。
──青白く発光する天束エインの腕に目を奪われたからだ。普通の学生と寸分変わらない見た目のはずなのにメチャクチャなことをしやがる。脳みそがおかしくなりそうだ。
「二人とも! 地面にッ!」
彼女の声と共に、俺とフォルネウスは伏せる。手で頭を押さえながら。かろうじて視界から見えるのは、エインが腕を前に突き出す姿。そして──。
「魔道盾壁ッ!」
また謎の学生は叫んだ。すると、俺たちの前に“円”の形をした盾のようなモノが現れた。メタトロンが生み出した壁のようなものに近い。
その“盾”に守られる俺たちを、煙と衝撃が襲う。盾の範囲からはみ出してる所は地面がゴリゴリと削られているようだ。あんなものを俺が食らえば間違いなく死ぬだろう。
「な、何が起こってるんだ!」
俺は思わず叫ぶ。衝撃は防いでいるものの、吹っ飛びそうなほど強い突風に襲われているからだ。
「“扉”が開いた衝撃ですよ。全く、少しはこちらのことも考えてほしいものです」
「なんでんなもんが開いたぐらいでこんなことになるんだよ!」
風の音。思わず声が大きくなる。もはや叫びに近いな、これは。……と。突然その音が消えた。辺りが一瞬にして静寂に包まれる。
「敵のお出ましね」
エインは腕を元の姿勢に戻した。フォルネウスが立つ。俺も立って大丈夫なのか? とはいえ、立たないという選択肢はないか。
そうして体を起こした俺。目の前の女学生の肩越しから──悪魔の姿が見える。
その姿は……漆黒。まるで影のように真っ暗だ。明かりがなければ何も居ないようにすら見えるだろう。
そしてすぐに──月の明かりを表面が反射していることから、それが鎧であることが分かる。
それなりに遠くに居るはずなのに、ガシャガシャという鎧の擦れる音が聞こえる。鎧と、腰に携える剣とが擦れる音。
「……おいおい。また凄いヤツが来たな」
「あれは──」
フォルネウスが口を開こうとした瞬間だった。漆黒の鎧を纏う悪魔が俺たちを見る。その頭は兜に包まれていて──真っ赤な球体のような装飾が施されていた。
それがまるで、一つの目のように見える。
「──将軍アスタロト……。サキュバスを回収しに来たようです」
将軍だって? また新しいヤツか。だがその単語を聞くに、少なくとも雑兵ではないらしい。現に──悪魔に見られている俺は、言いしれない威圧感を感じていた。
全身に鳥肌が立つような、この感覚。サキュバスの瞳に覗かれた時と同じ感覚だ。
だが、俺たちを一瞥したかと思うと、アスタロトとかいう悪魔はサキュバスの元へ歩いて行った。そして、未だ傷口から血が流れているその悪魔を片手で担ぐ。
「アスタロトね。聞いたことないヤツだわ」
「……今の地獄を取り仕切る方です。めったに姿を現さないはずなのですが……」
天束エインはそう言ったフォルネウスの方へ振り向く。俺からも見える彼女の顔は──。
「で──ベリアルより強いわけ? アイツは」
こんな状況の中に居るにもかかわらず、どこか自信に満ちたような表情をしていた。
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「じゃ。作戦通りにね。フォルネウス。……神山くん」
「あ、あぁ……。だが──」
俺が続く言葉を出そうとしていると、天束エインは自身の口に人差し指を当てる。
「別にいいわ。あなた達が逃げる為には囮が要るでしょう? それに──」
彼女は前へ向き直り、手を構える。先ほど“障壁”を生み出したときのように。
「人に仇なす悪魔を倒すのは──私たちの仕事だもの」
“私たち”って──どういうことだ、と俺が言う間もなく、彼女は悪魔の元へと突っ込んでいく。
「フォルネウス!」
「……もう少しです」
……天束エインの考えた作戦は、単純なモノだった。それは、俺たちを逃がすために彼女が囮になるというもの。
幸いにもフォルネウスが“転移”と呼ばれる何かを使えるらしく、それで逃げることができるらしい。
最初は……彼女の作戦には反対だった。“もっと良い案があるはずだ”とか何とか言いながら。けれど、彼女の方が一枚上手だったのだ。
エインは、俺が“ドロシーの友人を見捨てられない”と密かに考えていることを見抜いていた。その上で俺に告げたのだ。
“私だって……君を傷つけさせたらドロシーに殴られる”──と。
「──ッ!」
エインと悪魔がぶつかる。彼女の光る腕からは、槍やら何やらが大量に生み出されている。あれが……黒居の言っていた魔道というものなのだろうか。
対して悪魔は──まるでドロシーのように──剣でそれをいなしている。片手が塞がっているというのに、軽やかな動きをこなしつつ。
圧倒される。本当にこれは……現実なのか。だが頬に当たる風や耳に入る音が、それを証明している。
俺はもう……この非日常に、後戻りできないほど深入りしてしまった。
「──“転移”準備完了っ!」
背後からの声。フォルネウスが俺を呼ぶ。考えるより先に──足が動く。悔しいが、ここから一刻も早く去るのが天束エインにとってやりやすくなる。
だというのに、だ。
体は動いた。考えるよりも早く。だが、振り返った俺の前には──既に悪魔が居た。先ほどまで天束エインの近く──後方に居たはずの存在が。
「……っ」
その威容にたじろぐ。足が止まる。フォルネウスの姿も見えているし、コイツの背後に行けばいいだけだ。なのに、体が動かない。
兜の“目”。漆黒の中にある赤い球体。それが俺を見下ろしている──と。
「──神山くんッ! フォルネウスッ! 伏せなさいッ!」
あの女学生の声。俺は言われるがままその場にしゃがみ込む。なるべく地面に近づくように。
「魔道砲──ッ!」
──瞬間。俺の視界に閃光がほとばしる。青色の光。そして遅れて聞こえた、“ガキンッ”という音。
それと同時に俺の体は後ろから引っ張られて──。
光で真っ白になった視界は……すぐに暗闇に閉ざされてしまった。




