6.暴食のアペティット
「えひんはん、みふはりまひたか?」
「まだ……っていうか、モノ食べながら喋らない」
萩目学園の近くにある大型商業施設。その中の店で買ったジャンクフードを頬張りながら、天束エインへ話しかけるアンジュ・ド・ルミエール。
彼女たちは、天束エインの提案で多くの飲食店が集まる場所へ来ていたのだが、一向に動きはない。
「人間ってこんなに美味しいものを食べてるんですねぇ」
ズズズッ、とジュースを飲む音を聞いた銀髪の天使はいよいよ堪忍袋の緒が切れたのか、呆れたといった表情を浮かべ、
「あのねぇ。悪魔を探す気があるのか無いのかハッキリしなさいよ」
「ありまふよ?」
「……」
目の前の天使の怒りのボルテージが上昇していっているのがようやくわかったのか、赤髪の天使は青ざめた顔になった。
「真面目にやりなさい!」
そう言ってアンジュのほっぺを引っ張る天束エイン。やってることは可愛らしいが、本人としてはかなりお怒りだ。
「──お二人さん、お静かに」
不意に声をかけられた天束エインが後ろを振り返ると、そこにはこの場にいる二人の天使に手を貸している、例の黒スーツの男が居た。
「あ、あんたは……」
「えーと、まぁ、分かりやすいんで──黒居とでも呼んでくれれば。名前がないと不便でしょうから」
黒いスーツを着ているから、黒居。それを聞いた天束エインは少し考える素振りを見せると、
「じゃあ……遠慮なく。黒居はなぜこんな所に?」
口調自体は平静を装っているものの、男を疑っていることは明白だ。そんな彼女を見て、黒居は明るい口調で語りだした。
「ホントに遠慮しないですねぇ。私だってほら、ジャンクフードを食べたくなる時もありますよ」
「見え透いた嘘はやめなさいっての。天使に関する知識を持っている謎の人間が、悪魔が出現している時に私達の近くへたまたま現れるなんていう偶然があり得ると思う?」
「……あらまぁ、怖い方ですね。ま、だいたいはあなたのお察しの通りですよ。私も悪魔の反応を掴んだので、こちらに」
黒居は近くの空いている席へ座る。と、同時にアンジュが用いていたような小さなデバイスを取り出して、二人の天使に見せてみせた。
「どうやら”アタリ”みたいですねぇ。ヤツは確かにここに居るようだ」
不思議そうに天束エインが覗き込むと、格子状のグリッド線が映っている液晶の中心で、赤色の点が点滅している。
「これは……レーダー?」
「まぁ、そんなものです」
黒居は立ち上がり、
「さて、こっから先はあなた達天使の方々の仕事ですよ。私はそろそろお暇しますか」
「ちょ、ちょっと。まだ聞きたいことが──っ」
「──ただの人間が居たら“お邪魔”でしょう?」
黒居は爽やかな青年顔でニタリと笑って見せた。そして前へ向き直り去っていく。
「なにがただの人間よ。全く……」
ため息をつく銀髪の天使。学生服を着ている彼女たちはただでさえ目立っているのだが──しかし。
「アンジュって……どうしたの」
「あ……あ……」
赤髪の天使。しかも学生服のせいでより幼く見えるアンジュは、震えながら天束エインの少し後ろを指さしていた。
そんな二人を、急激な寒気が襲う。季節はまだ春。いくら夕方とはいえ、体が震えるほど冷え込むことはない。つまり、今の状況は──。
「……!?」
違和感に気づいた天束エインが勢いよく立ち上がり、振り向きながらアンジュの方へ下がる。
半袖から見える彼女達の腕には鳥肌が立っているうえ、常に背後に“何か”が居るような、悪寒のような違和感を覚えていた。
「──ヒヒッ……! 二人まとめて天使を喰らおうとしたのじゃが、どうやら喰い損なったらしい」
前方から声が聞こえた。彼女達がそちらを向くと、先程までは居なかったはずの、“それ”が居た。
それは黒い鱗を持ち、その四本の足で天使たちを品定めするかのように、舌なめずりをしている。
だが。見てくれやその不可解な登場の仕方よりも、天束エインには驚くべきことがあった。
「……聞いたことがある。食欲を餌とする悪魔──二級悪魔アペティット」
彼女は“それ”──アペティットに対し、明確な敵意をもって望む。それはおそらくその悪魔が──。
「ヒヒヒ……。アペティットとは儂の名かね? 随分と良い響きの読み方じゃないか」
言葉を使うがゆえなのか──と。
「え、エインさん!」
「アンジュ、備えて」
はい! と戸惑い気味に返事したアンジュは、握った手を胸の前に掲げ、祈るポーズをしながら何かを唱えだす。
「……我、天を護り、天に生き、天に死ぬ天使なり。主神よ、我に力をっ!」
アンジュ・ド・ルミエールがそう叫び、胸の前に掲げていた手を空高く伸ばすと、手のひらに光が集まり、やがてその光が、小型の“弓”のような形を作っていく。
「ヒヒっ。そんな小さな武器で儂が殺せるとでも思っておるのか。撃ち込まれた矢すら全て喰ろうてやろう」
「十分よ」
アペティットは天束エインの方を見る。──自分を挑発しているのか? この女は。
「暴食のアペティット、お前には──聞きたいことが山ほどある。戦いが終わったら、話してもらうわよ」
それを聞いた悪魔は、
「ヒヒっ。ヒヒヒっ。ヒヒヒヒヒヒっっっ。“戦いが終わった後”じゃと? 儂も舐められたものじゃの」
不気味な笑みを浮かべながら、アペティットは自分と対峙している天使たちをまじまじと見る。
「まずはどちらから喰ろうてやろうか。そちらの少し震えている小さな天使からにしようかの。それとも……威勢のよいことを言って武器すら出さぬ貴様かの?」
暴食のアペティットは口を開き、ヒトの骨すら一撃で砕くことができそうな巨大な牙を見せつけつつ、
「どちらにせよ──お主らが死ぬ時は美味そうな悲鳴が聞けそうじゃ」
そう言うと──悪魔は目にも留まらぬ速さで天束こエインのもとへ向かっていく。どこから食うか。どのように食うか。食うた後はどうしてやろうか。そんなことを考えているアペティットであったが──。
「──ッ!? 何じゃ……これは」
飛びかかる直前に……動きが止まっていた。以前、エインが神流川で二級悪魔を退けた時とは違い、時が止まったかのように……その体は微動だにしていない。
「幻術か?」
「違うわよ」
そう言った天束エインは、以前のように地面に手を付けて魔道を唱える。
「──魔導魔法陣罠! アンジュ! 撃って!」
「はい!」
アンジュ・ド・ルミエールの持つ弓から、悪魔めがけて光の矢が放たれた。見習い天使とはいえ、浄化の矢の持つ威力は桁外れだ。
これで終わりか。意外とあっけないものだった。天束エインはそう思っていた。
だが──彼女がふと、アペティットの顔を見た時、奴の口元は笑っていた。彼女の頭の中を疑問が埋め尽くした。
今の奴の状況はどこからどうみても不利どころか、王手をかけられているような状態だ。なのになぜ、笑っているのか。ハッタリか。策があるのか。
だが、考えを巡らせる天束エインの前でアペティットが行ったことは、衝撃的なことだった。
アペティットが、矢と罠を食べた。
驚いた表情を浮かべる天束エインに、暴食のアペティットはこう告げた。
「儂の喰らう欲望は食欲じゃ。ただその欲望に従って、お主らの力を食っただけのこと。何を驚く事がある?」
そう言って、足を一歩踏み出し、
「さて、次は儂からいくぞ」
次の瞬間、アペティットは天束エインの目の前に移動していた。
「まずは、一人目、かの?」
夕方の大型商業施設。アンジュが用いた“人払いの魔法”の影響で静まり返った空間に──悲鳴と血が流れる音が、ただ響く──。