EX6.地獄の管理者
ゴエティアの少女。そう名乗った少女は、帰ろうとする俺にも執拗に着いてくる。ドロシー・フォン・ヴァルキュリアよりも厄介なヤツだな、こりゃ。
「そのヴァルキリーがどこかへ行ったから、きみに話しかけられたんだよ? あの娘にも感謝しないとね」
俺の後ろ……横、いや、周囲をぐるぐると回りながら歩く少女が言った。器用なもんだ。おまけにドロシーのことを知っているときた。……だが、敵意を感じるかと言われると、言葉に詰まる。
なぜか。少女はそれこそ、無邪気な子供のような振る舞いを見せている。自らを天使と名乗った彼女のことをどこまで信じていいのかは分からないものの……。
少なくとも今は──危害を加えてくる様子はない。
「なに? ぼくを悪魔か何かだと思ってる?」
「あぁ。見てくれがどう考えても怪しいしな」
真っ黒な外套を着て、おまけにフードで顔まで隠してんだ。悪魔か何かというより、そもそも不審すぎるだろ。
「ははっ。酷いなぁ、ほんと」
少女は怒る様子もなく、少しだけ笑うと、また俺の歩幅に合わせて付いてくる。もう神流川から離れ、住宅街にさしかかるところだというのに、いつまで着いてくる気なんだ、コイツ。
それを聞いても、少女は“んー”だの“えー”だの言ってごまかしやがる。なんというか、黒居よりやりづらい。
「……あ」
そうだ。と、俺は思い出した。ここに来てようやくだ。目前に迫る聖安街の住宅地。ここに入る道を横に曲がって、そのまま進むと。
「黒居の家か……」
いくら敵意がない、といっても、この状況は普通じゃない。いやまぁ、普通じゃないのは今に始まったことではないのだが、それにしたっておかしい。
こういう時に行くべき場所はひとつだ。
なぜか、天使にも悪魔にも詳しい、謎の人間。黒居の所へと。
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なんともボロ……趣のある家だろうか。前へ来たときと同じように、そう感じた。古い民家、と言えばいいのだろうか?
俺は──正確には、俺と謎の少女は──黒居の家の前へと来ていた。だが、中に明かりが点いている様子はない。出払っているのだろうか。
「オンボロだね、この建物」
「……おいおい。人が言わないようにしていたことを……」
“ゴエティアの少女”の関心は俺から黒居の家へと移ったようだ。あちこちを歩きながら見ている。壁なんて見ても何も無いと思うぞ、それ。
だが──相談しようと思っていた相手が居ないのならば、ここに留まる意味も薄い。まぁ、少しぐらいは待ってもいいけどな。
そう思い、俺は家の前にある道路の壁へともたれかかった。上に羽織った防寒具の袖を引っ張って時計を見ると、もう少しだけ余裕はありそうだ。
「……寒いなぁ」
冷たい風が吹き、思わず両手で体を押さえてしまう。この異常な寒波が悪魔の仕業ならば楽だったのに、なんて思いつつ。
自分の思考の中に、“悪魔”という言葉が既に入り込んでいることが嫌になってくるな。
「……あ、あれは」
遠くに人影が見えた。印象的な人影だ。全身スーツにシルクハットを被っている人間。そんなヤツ、ここらじゃ一人しか見たことがない。
「──おや、神山さんじゃないですか。元気にしてますかね?」
「……そう、見えるのか?」
と言って俺は、いつの間にか自分の腕にくっついている少女を指さす。少女と言うより、子供みたいだな、これ。
「おやおや、ドロシーさんだけじゃ飽き足らず、別の……べつ、の……」
「おい。俺だって好きでこんな存在と付き合ってるわけじゃ──」
黒居が何かを言い淀む。俺は──もっと早く気づくべきだった。“天使”や“悪魔”。そいつらについて、何でも知っているように見える、人間。
そいつが、言葉に詰まってしまうような存在が、俺の隣に居る。しかも最悪なことに、俺に触れているという事実を。
「──みーつけた」
俺の体を、更なる寒さが襲う。腕が痛い。冷たすぎて痛い。先ほどまで感じていた少女の手の暖かさが、まるで寒さに反転したような──。
「──神山さんッ!」
刹那。俺は黒居によって引っ張られた。ともすれば、ヴァルキリーを凌駕するんじゃないかと思えるほどの、強い力で。
そのまま俺の体は、スーツ男の背後に回される。何なんだ。何なんだ一体。
「人間を利用するとは……。汚い手を使うようになりましたね、貴方も」
「“汚い”? おもしろいね──クロイ」
ゴエティアの少女は外套を脱ぎ捨てた。黒い装束が宙を舞う。露わになったその姿は、確かに……天使に見える。
金髪の髪。そして大きな白い羽根。だが……着ているのは、真っ黒の鎧だ。
「きみからすれば、これも──“汚い手”かい?」
そう言った、ゴエティアの少女、いや天使は、笑いながら手を上空へと掲げる。まずい。何かをやるつもりだ。これは。
「ちょ、ちょっと待てっ! 天使の相手は人間だろ! 何で俺たちを狙う!」
「んー? そーだなぁ」
少女は、片方の手で顎に手を当てて首をかしげている。考えているジェスチャーか? 普通ならかわいらしく見えるが、とてもそんな目で見れる状況じゃない。
確実にまずい。少女の足下には、何か……そうだ。黒居から聞いた魔方陣が展開されている。
しかし少女は、ただ無邪気に、
「きみは関係ないでしょ? “人間”?」
おい、あんだけ人なつっこいフリしてそれかよ。演技上手なヤツめ。これも演技だったらありがたいんだがな。
「軽口はそこまでです。来ますよ──神山さん」
黒居はそう言うと、俺たちの前に“壁”を生み出した。薄い半透明の、青色の壁だ。これも魔道とかいうヤツなのだろうか──と。
少女へと……光が集まっていく。眩しい。目を閉じたくなるが……だが、それをしてしまえば、逃げられない。
集まる光。光る少女の腕。彼女は、その腕を振り下ろし──。
「──断罪」
収束した光が一気に放たれる。バチバチッ、という、“壁”と干渉する音。
「……不味いか」
目の前に居る黒居がそんなことを言い出した。何だ不味いって。ちゃんと説明してくれよ……と思った矢先。
目の前の“壁”にヒビが入り出した。壊れた箇所から、光がこちらへと漏れ出す。黒居の体に触れた光は、微量ながらもその体に傷を残していた。
待ってくれ。……これが壊れたら、俺……死ぬのか?
「──誰が死ぬと言ったのだ?」
閃光。聞き覚えのある声と共に、周囲が光に包まれる。思わず目を閉じてしまったが、再びまぶたを開いたとき、俺の前に居たのは。
「死なせんよ。お前にはまだ、恩を返し切れていないからな。──神山?」
「……ったく。ヒーローは遅れてくる者だ、ってか?」
「ふふっ。我の考えが分かるようになってきたではないか」
嬉しいような嬉しくないような、なんか複雑な気持ちになるな、それ。つまり俺が、非日常の存在を理解し始めてるってことじゃねぇか。
ドロシー・フォン・ヴァルキュリア。盾を構えて“光”を打ち消した戦乙女は、そのまま剣を少女へと向ける。
「何者かは知らぬが──我が剣、天使が相手とはいえ加減はできんぞ」
しかし少女は、全く臆することがない。いやむしろ、さっきより活発になっているような気さえする。
「……へぇ。きみも、おもしろいじゃん。ドロシー・フォン・ヴァルキュリア?」
ゴエティアの少女は、後ろへと飛び退いて──手を広げて、こちらを向く。
「ぼくは“ゴエティアの少女”。まぁ、覚えなくてもいいよ?」
少女はさらに続ける。
「どーせきみは──覚える前に死んじゃうから」
「……ふっ。ならば──試してみようではないかッ!」
二人の天使がぶつかる。夜の住宅街で──非日常で非常識で最悪な戦いが始まろうとしていた。




