EX5.ゴエティアの少女
フォルネウス──俺たちの前に現れた悪魔は、自らのことをそう名乗った。“アスモデウス”。そう呼ばれる悪魔達の姫を助けてほしいと、懇願しながら。
……正直なところ、何が起きているのかさっぱりだ。黒居からは、天使と悪魔はずっと敵対関係にある、って教えられたんだが。
「我だってそうだ。……全く。おかしな状況だな」
「はは。まぁ、僕も含めて、悪魔も一枚岩では無い……ということですよ」
その悪魔──フォルネウスは笑って見せた。見た目だけはほんと、大人の男性みたいだな。遠くから見れば人間にしか見えないかもしれん。肌も人の色に近いし。
頭から生える短い角、そして尻尾。それさえ除けば、の話だが。
「……で、貴様の言ったことは本当なのだろうな? もし嘘であれば……」
神流川の河川敷に俺たちは集まっている。──と。悪魔から少し離れた所で、ドロシーは肩においた傘を軽く振った。だが目前に居る悪魔は、特に臆してはいないようで。
「えぇ。何より、私自身が下級の悪魔に襲われていた、それが証拠です」
フォルネウスの発言は、戦乙女にとって驚くべきことだったようで、彼女からは、先ほどのような殺気は消えている。
まぁ、それは、俺も同じなのだが。
「……ベリアルとかいうヤツが消えた地獄が、大変なことになっている……だったか?」
「はい。その通りです」
そう言った悪魔を見ると──さっきまでは気づかなかったが、体の至る所に傷がある。その身にまとう装束には、所々破れてボロボロだった。
「ふん。要は、頭領を失って仲間同士で殺し合っているのだろう?」
おいおい。少なくとも今は、このフォルネウスとかいう悪魔とは協力関係にあるんだ。そんなに敵視することも──。
「──人間には分からぬだろうな。我らと悪魔の関係など」
「……それは」
否定できない。否定できる材料がない。悪魔も天使も、昨日知ったばっかりだ。それらが対立していると言うことも、同様に。
俺はまだ、何も知らない。
「──まぁいい。コイツは我が預かろう。地獄のことを相談するならば、他に会わせたい者も居るのでな」
ヴァルキリーは“ほら”と言って、俺に何かを投げた。ちゃんと取らなかったら顔に当たってたぞ、今の。
「取れたのなら良いではないか。……何かあったら“それ”で我を呼べ。少し席を外す」
俺の手の中にあったのは……何だこれ。手のひらサイズの、長方形の何か。不思議に思って側面やら背面やらを触っていると、ピコン、となった。
見ると、正面にはデフォルメされた剣と盾のイラストが表示されている。小型の電子機器のようなものか。
「それが鳴れば、我の通信機器にすぐに繋がる。では行くぞ、フォルネウス」
「……えぇ。分かりました」
ヴァルキリーがそう言ったかと思うと──背中から翼を生やして空へ飛んでいった。フォルネウスという悪魔もそれに続いて飛ぶ。
いやはや、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアが天使と言うことは分かっているが、それはそれとして、羽根だの剣だのを見ると、やっぱり驚く。
少なくとも、慣れそうにはない。
というか、ドロシーの傍に居ろと黒居に言われていたな。まぁでも、これがあるから大丈夫だろう。飛べるならすぐ来れそうだし。
「……ったく。行くところもないし、帰るかな……」
放課後。すでに夕暮れは地平線の彼方に沈みかけている。町の街灯に、明かりが少しづつ灯っていく。
いつの間にか、夜に近づいていたらしい。
肩にかけている鞄を直して、歩き出そうとしたその時。
「──みーつっけた」
声がした。だが、聞き覚えのない声だ。幼い少女のような声だったが、あいにく俺にそんな知り合いは居ないし、今後できることもないだろう。
と、なればだ。俺の背後から声をかけてきたヤツは、見ず知らずの男子高校生に話しかける異常な少女か、あるいは──。
「きみ、面白いね。独り言をそんなに言う人間、初めて見た」
「……悪かったな」
初対面の人間の痛いところを突くのはやめろ。
「あはは。ごめんって」
「はぁ……全く」
ため息をついた俺は、後ろへと振り返った。まぁ、何だ。悪魔とかそういうヤツではないらしい。
振り返った俺の前に居たのは、確かに少女だった。小さい背丈。だが、身にまとっている服がおかしい。
「や。ニンゲンさん」
全身を隠すような──外套、だろうか? 頭もフードを被っていて、その顔はよく見えない。
「……ニンゲンさんて。また変なヤツが来たよ」
「失礼なヒトだなぁ。ぼくが変な存在に見える?」
あぁ、見えるね。それもかなり変だ。変と言うより怪しいぞ。時間帯を考えれば、何か良からぬことをしようとしているヤツに見えなくもない。
「へーんだ。そんなこと言うならぼく知らないもんね」
俺だって知らん。そもそもお前が誰かも知らないんだぞ。急に声をかけてきて勝手なヤツだ。……どこかの誰かに似て。
「あぁ──あの戦乙女のことでしょ?」
あぁ、ヤバいぞ、これは。俺の五感が危機を告げている。コイツも──“あっち側”の存在だ。悪魔だの天使だの、そういった類いのもの。
何なんだ本当。何でこんなイカれた存在にばかり絡まれるんだよ。
「まったく。まぁいいよ。ぼくは心の広い“天使”だから」
天使だって? あいにく天使の知り合いは一人で十分なんだ。お引き取りいただけるとありがたいのだが。
「やーだね。ぼく、きみのこと気に入ったし」
そう言って少女は、俺の元へと走って来て──その小さな手で俺の腕を掴んだ。寒い肌にぬくもりが伝わる。
「ぼくは……そうだな。──“ゴエティアの少女”だよ」
「よろしくね? ニンゲンさん」
あぁ、これをどうドロシー・フォン・ヴァルキュリアや、黒居に説明すればいいのか。無理矢理付いてくる“ゴエティアの少女”をかわす俺の頭の中は、そんなことでいっぱいだった。




