EX3.決断と決意と
「……なんで俺が」
口から出たのは、困惑の言葉。誰だってそうだろ? ただでさえ悪魔だの天使だの、人の理解の範疇を軽く超えることばかりが起きた後だというのに。
ここに来て、その“天使”を手伝え、だって?
「えぇ。まぁあくまでも“お願い”なので、無視していただいても構いませんが」
「……そんな言い方をする時点で、お願いとは言えないだろうが」
はは、と黒居と呼ばれる男は笑う。いや、笑ってる場合じゃないだろ。そもそも、俺みたいな人間が首を突っ込めるような問題とも思えない。
“餅は餅屋”という便利な言葉が示すように、専門のヤツがやるべきことは、ソイツに任せた方がいい。素人が下手に手を出せば、かえってろくでもないことになる、ってもんだ。
「まぁまぁ。ほら、素人の意見が役に立つ、ということもありますから」
うさんくさい男は、帽子のつばに手をかけて頭を下げて見せた。……分かっているさ。ここに来た時点で何かを頼まれるんじゃないか、とは頭の片隅で考えてはいた。
夕暮れ時。橙色の光が部屋を染める。そう、分かっているんだ。俺はドロシー・フォン・ヴァルキュリアに命を助けられた。
本来ならば、恩を返さなければならないのは、自分だと言うことを。
それこそ、音を立てる”世界一かわいいぬいぐるみ”ではとても返しきれないような恩が、彼女にはある。
だが──率直に言って怖い。非日常に憧れたときも確かにあったさ。だがそれは、あくまでも現実ではなかったからだ。
リアルに非日常が浸食してきた今、俺はどうするべきかを決めあぐねている。
「──なるほど。少し勘違いをされているようだ」
「……は? 勘違いだって?」
勘違い? どこにだ。振り返ってみても、”天使が悪魔を狩る”のを手伝う、ということ以外の意味はくみ取れないと思うが。
「ああいや──私の言い方が悪かったですね。正確には──ドロシーさんの傍に居てあげてほしいんですよ」
「……そばにって。何でだよ、と聞いても教えてくれないんだろ?」
えぇ。と黒居は笑った。……なんだか、だんだんため息をつきたくなってきた。いくらなんでもはぐらかしすぎだろ、この人。
「ま、そうですねぇ。一つ言えるのは……それが、今のドロシーさんにとって必要である、ということです。私の予想ではね」
「……知りたいのは、その予想の中身なんだが」
“企業秘密”とか何とかいって、またはぐらかされた。なんだそれ。
「で、最終確認です。どうです? 手を貸していただけませんか」
黒居は、明るい雰囲気のまま、しかし神妙な面持ちで俺に頭を下げた。先ほどとは違い、深々と。
「俺は……」
俺は、平凡な人間だ。これといった取り柄もない、ごく一般的な普通の高校生。朝に目が覚めて、学校へ行き、そして家へ帰り飯を食って寝る。
そのルーチーンを繰り返すだけの人間。
非日常は魅力的だ。恐怖心を抱く一方で、“天使と悪魔”という概念に好奇心を抱いている自分も居るということを否定はできない。
二律背反。矛盾した自己意識。普通を受け入れる一方で、非日常を望んでいる自分。
「黒居さ──」
と、言いかけたときのことだった。
「黒居っ!」
高い叫び声と共に、俺と黒居が居た居間の扉が勢いよく開け放たれる。目を丸くして、後ろを向く俺の視界に映ったのは。
「──貴様、我の助けた人間に変なことをしてはいないだろうな?」
純白のフリルが施された、黒い装束。頭につけられた、同じ色のヘッドドレス。手に持っているのは、ゴシックな傘。
ドロシー・フォン・ヴァルキュリア。彼女がそこには居た。
「おや、ドロシーさん。帰られたのでは?」
「ふん。あの遊戯にも飽きてきたところでな。そういえば、と思ってここへ寄ったわけだ」
ゲーセンのゲームに飽きた……って、まさか俺や黒居と別れたあと、ずっとアレで遊んでたのか?
「あぁ。あれは反射能力を鍛えるのにちょうど良いのでな」
「……そうかい」
と、戦乙女はそう言って、俺の近くまで来たかと思うと。
「──行くぞ」
「は? お、おい」
俺の手を握って部屋の外へと……って痛い。見た目は華奢そのものなのに、何だこの力の強さは。なんつーか、皮膚を絞られてるような感じだ。雑巾みたいに。
これがヴァルキリーの強さか……いや、くだらないことを言っている場合じゃなくてだな。
「い、行くってどこへだよ」
ガラガラ、と家の戸が開かれる。後ろを見ると、黒居が手を振っていた。アンタもそれで良いのかよ。
早足のドロシーに、引っ張られるようにして外へと出る。
「我のおすすめの場所だ」
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公園。何の変哲もない公園。ブランコと、シーソーと、汚い水飲み場のある、典型的な地域の公園ってやつ。
ドロシーに俺が連れてこられたのは、ここだった。聖安街にある住宅地の中。その中にぽつんとたたずむ公園。
すでに日は暮れ、外は真っ暗だ。街灯のみが明かりの役割を果たして、その蛍光色が地面を照らす。
そんな場所で、俺とドロシーは。
「ブランコなんて、ほんと何時ぶりだろうな、これ」
ブランコを漕いでいた。子供の頃には好きだったが、成長するにつれ乗る機会も減る。まぁ、子供の頃好きだったこと、どれに対しても言えるけどな。
隣からは、キィコ、キィコ、というさびた金属が擦れる、独特な音が奏でられている。
「なぁ、天使もブランコに乗るもんなのか?」
立ち漕ぎをしているドロシーは、ん? と言って口を開く。危ないからやめとけよ、それ。
「こっちの方が緊張感があっていいだろう? 天界には無いものだしな」
「そういうもんかね」
彼女は体も軽そうだし、漕いでも問題ないとは思うが、いち男子高校生がドロシーと同じことをやったら、遊具がぶっ壊れるかもしれない。
座る分には問題なさそうだが、動かすとなると勇気がいるな、これは。
「……はぁ」
椅子の部分から上へと伸びる鎖をつかんで、体を後ろへ倒す。空には、小さな星々が浮かんでいた。
「何というか、疲れた」
「見ればわかる。お前、意外と顔に出るのだな」
ドロシーは、ハイペースで漕ぎながらそう言う。
「“お前”じゃねぇよ。俺は……神山だ」
「神山か。いい名前ではないか」
天使に、人間の名前の善し悪しが分かるのかはともかくとして。
「なぁ、ドロシー」
「何だ?」
空を見る。美しい空だ。黒色の一面に、輝く星々が点々と見える。雄大なものだ。自分という存在を、ちっぽけに感じてしまうほどに。
「もし、今までと全てが変わるような選択を迫られた時、戦乙女はどうするんだ?」
「ふっ。ヴァルキュリアに悩み相談か。いいだろう。我は何でもこなせるからな」
……一応、この少女にも関わりのあることなんだが。言うのもアレなので伏せておく。ヴァルキリーは、ブランコを漕ぐ足を止め、その上で立ったまま話し続けた。
「……我から言えることは、陳腐なことかもしれない。だが、伝えたいから神山に言っておく」
ドロシーを見ると、彼女も首をあげて空を見ていた。天使であるもの、空には何か感じるものがあるのだろうか?
「──翼を失おうと、剣が折れようと、何があっても、我の“心”だけは変わることはない。それを、大切な友人に教わった」
彼女は続ける。
「神山、お前が何に悩んでいるのかは知らん。だが──」
「──何が変わろうと、己を信じるがいい。お前はお前だ。何があっても、それは変わらない」
ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、こちらへ向き直り、笑った。
「ふっ。ヴァルキリーからのありがたい言葉だ。肝に銘じておけよ?」
あぁ。最初から、悩む必要なんてなかった。俺は、俺。日常だろうが非日常だろうが、どあろうと、それは変わらない。
「全く。自分で“ありがたい”なんて言うもんじゃねえだろうに」
思わず口元が緩む。少しだけ、けれど確実に、肩の荷が軽くなったような気がした。
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「おや、戻ってくると思っていましたよ……神山さん」
「……すみません」
俺は頭を下げる。さっきとは逆だな、これじゃ。
「いいんですってば。ドロシーさんらしいですしねぇ」
……“らしい”というのがどういうことか分からないが。だが彼女のおかげで、決意は固まった。自分が何をすべきかも、これで分かった。
「黒居さん──やります、俺」
頭を上げて、彼の顔をまっすぐ見て言った。
「……顔つきが変わりましたねぇ。いやはや、面白いヒトだ。あなたも、ドロシーさんもね」
「──さぁ、どうぞ。そうと決まれば、いろいろ決めないとダメですしね」
黒居は、質素な家の中へと消えていく。そして自分も、彼に続いて家に入る。俺は思った。あぁそうだ。この瞬間に。
黒居の誘いに乗って、この家に入った瞬間に、非日常が始まったのだな、と。




