52.私という存在
ベリアルの爆発から逃れた私は、瓦礫の下の真っ暗な空間で、一人思考の波に呑まれていた。あぁ、ようやくあの時の天使たちの仇を取ったのだ。そういう達成感もある。
”も”ある、と言ったのは、そうした高揚だけでなく、私の中に悲しみの感情があるからだ。
ベリアルは、ミカエルやドロシーの剣ではマトモなダメージを与えられないほどに、その体を強靭にしていた。だが──内部からの攻撃ならば、どれだけ表面が丈夫でも関係がない。
そう考えて、私は自分の力を犠牲にして、ベリアルを倒した。
「……これで、良かったの?」
頭の中に疑問が浮かぶ。私は、正しい選択をした。正しい選択をしたはずなのだ。しかし、その”正しい選択”の結末として、私は天使の力の大部分を失った。
残されたのは、人と天使の中間という、あまりに半端なこの体に残った、微かな力。
これが、終わりなのか。これで、終わりなのか。後悔はない。ないはずだ。私はベリアルを倒し、結果的に天界は救われた。そうだ。これで……良かったのだ。
「……さようなら、”エインフィールド”」
天使の自分との別れは、思っていたよりも──苦しかった。
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「あっ! え、エインさんっ! 大丈夫ですかっ!」
瞼の裏からでも分かるほどの、眩しい光が差し込む。声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。何度も聞いた声。脳内にイメージが浮かぶ。見習い天使。赤色の髪。小さな羽根。……天使。
「……アンジュ」
「よ、良かったあ……。傷もなさそうですね」
「……えぇ」
確かに、特に傷を負ってはいない。強いて言うのならば、ベリアルに突きつけた拳が少し赤くなっているぐらいだ。まぁ、時間が経てばおさまるだろうけど。
「……エインさん?」
……アンジュが心配そうな目で私を見る。思えば、ずっとこの娘は、他人の感情を悟るのが上手かったわね。そして、今の私の気持ちも察した、ということか。
「ねぇ、アンジュ」
「は、はい」
立ち上がった私は──右の手のひらを見ると、魔導を使った時にできた”魔導の紋様が焼けた痕”が少しづつ消えていく。消えていく。……消えていく。
「ベリアルを倒して……私の手の中には、一体何が……残ったのかしらね」
「……それは」
目をつむる。様々な情景が浮かんでくる。天使であった頃の記憶。天界の学院で魔導を学んでいた時の記憶。そして──人間界に堕ちてきた時の記憶。
「未練なんてない……そう思っていたはずなのに……全く不便なものね、感情というものは」
涙が流れる、という悲しみではない。悔しさ、悲しみ、私の中の感情が混ざり合い、言葉では形容し難い状態になっている。
そしてアンジュが……口を開いた。
「あの……その。わたし、エインさんに”気を落とさないで”なんて言える立場じゃないのはわかってます」
「……」
「うーん、その……。ドロシーちゃんには言わないでいて欲しいんですけど……エインさんのことも、ちゃんと大親友だと思ってますからねっ!」
神妙な顔で何を言われるかと思えば……。というか、”ちゃんと”って何よ”ちゃんと”って。まるで普段はそう思ってないみたいな言い方じゃない。
「えへへ……。エインさんはそう思ってくれてる、ってことですか?」
「……はぁ。全く」
アンジュの顔はなぜかニコニコしている。他の天使を試すような真似はやめなさいよ。……でも、否定は……できない。
地上に堕ちて、アンジュと出会った。今の私がここに居るのも、アンジュとの出会いが全てだった。
「わたしもそうです。わたし、その、あまりいい成績で学院を卒業できなくて、ひよっこ天使になっちゃって、不安でつらくて、でも──エインさんに出会って、変われた気がするんです」
「……そう」
ドロシーが戦乙女部隊に入っているのとは対象的に、彼女はいわゆる落ちこぼれだった、ということだろう。私も……アンジュのその時の気持ちが分かるわけではないが。
隣りに居る友人が実はすごい能力を持っていて、でも自分は落ちこぼれ。
「エインさんと居ると、それまでのことが嘘だったみたいに、楽しい気持ちになれたんです。知らないこととか、知らないものをいっぱい見て、エインさんと一緒に居て……」
見習い天使は、こちらへ向き直ったかと思うと。
「だからその、ありがとうございます」
……私はずっと、今に至るまで、天使の力を失った自分の存在意義を疑問に感じていた。人でもない。天使でもない。なら自分は何で、誰なのか。
だがアンジュは──そんな私を”天束エイン”という天使として慕ってくれていたのだ。
”天束エイン”の存在。その意義は、眼の前の存在にあった、ということだ。
「……な、何か変なことを言いましたか……?」
私が無言で考え込んでいたのを不安がって、あわあわして自分の発言に言及するアンジュだった。
「ま。変っちゃ変かもね」
「ひ、酷いですよぉ! ……せっかく頑張って言ってみたのに」
「ごめんって。じゃあ行きましょう。ドロシーも、一緒にね」
空を見る。黒い雲が晴れて、光が差している。とても温かな光だ。全身を包み込むような光。天界に居た頃は、当たり前のように浴びていた光のはずなのに、今ではとても特別なものに感じる。
前を向く。もう、迷いはない。私は私だ。エインフィールドも天束エインも、すべて受け入れて、私は──生きよう。




