51.見習い天使と失翼の使い
ラファエルの転移魔法によって、私達はベリアルの正面へと移動させられた。一瞬暗闇に包まれた視界が、再び光を取り戻した時、眼の前にあったのは、確かにベリアルの姿。
間近で見ると、その姿の詳細がよく分かる。
悪魔や天使の血によって、赤黒く染まったその巨体。そして、常に”世界”を睨み続ける、赤色の鋭い瞳。──悪魔。その言葉が体を持ったような姿。それが、今のベリアルだ。
いや、呑気にこんなことを考えている場合ではない。
「エインさん! 来ますッ!」
ベリアルは、流石に前方に出られては逃げられなかったのか、私達の方へと突っ込んできた。見た目はただの突進だが……おそらく例の”悪魔の涙”が霧散した”霧”を身にまとっているのだろう。
巨体にまとわりつく霧の量を考えれば、体が触れただけで死に至る。
「じゃあ……頼んだわよ。二人とも。作戦どおりに、ね」
「はいっ!」
二重に聞こえた返事。声の主は飛んでいく。正面のベリアルに対して、その右と左の二方向に分かれながら。とはいえ、それでヤツの動きが止まるわけでもなし。
ベリアルはその角を構えながら、こちらへと猛突進してきている。
「……ふぅ」
だが──。そんな状況に気を取られないよう、私は深呼吸を続けて、地面に手を置いて伏せる。ベリアルの足は止まらない。その雄叫びは依然として悪魔を生み出している。
「グルアァァ!」
「……体は変わっても、騒がしさは変わらなかったようね」
目前まで悪魔が迫る。けたたましい音とともに巨大な体が迫ってくる。
「──ッ!」
──刹那。地面に置いていた腕を一気に引き上げる。その表面は、青白く発光していた。蒼白に光る右腕を振り上げ──肩を引いて拳を握る。
「”魔導盾壁”──完全結界ッ!」
肩を、腕を、拳を突き出す。連動した関節の動きがまっすぐに腕を動かし、向かってくるベリアルへと、拳を突き出す。──その瞬間。
私の前に現れたのは、”結界”だった。いや──ラファエルが生み出したような結界ではない。
上は空まで届き、横は大地を横断するかのような、超が付くほどの巨大な結界。”魔導砲”の要領で、”魔導盾壁”を増幅させた”完全結界”。ベリアルの視界にも映ったのだろう、巨大な悪魔は足を止める……が。
建造物より数倍巨大な悪魔が速い速度で動いていて、急に止まれるわけもない。そのまま慣性で滑るように前へと進むベリアルは、”完全結界”に勢いよくぶつかる。
ガキンッ、という角と”障壁”がぶつかる、鼓膜が破れそうな音が天界中に響き渡る。ベリアルの角が結界に──刺さった。周囲の生み出された悪魔も、障壁に衝突して消えていく。
「アンジュッ!」
『はいっ! アンジュ・ド・ルミエール、いきます!』
耳の通信機からは、聞き慣れた見習い天使の声がする。ビリビリと震える結界からは、白く輝く小さな点が、ベリアルの周囲を飛びながら回っているのが見えた。
『──神矢・拡散ッ!』
アンジュ・ド・ルミエールの持つ弓から、矢が放たれる。光の軌跡を描く、四本の矢。ベリアルの直上から放たれたその矢は、弧を描いて足へと着弾する。
全て命中したその”光の矢”は、ベリアルにとっても痛手だったようで。
「……グガャアァァッ!」
結界に角が刺さって動かない頭をこれでもかというぐらい悪魔は振る。その足の矢が刺さった箇所からは、大量の血しぶきが流れ出していた。
『今ですっ! ドロシーちゃんっ!』
『──ふッ! 我の力、見せてしんぜようッ!』
ベリアルが何かを感じて上空を見る。ちょうど、悪魔の頭のはるか上空に、翼を開いた天使のシルエットが見える。それは私も同様で。
「……目立ちたがりね、本当に」
『なに、目立たなければ意味がないだろう? その証拠に』
『──ベリアルがこちらを向いているではないか』
──ドロシー・フォン・ヴァルキュリアの羽根が閉じる……と同時に、眩しい光が私達の元へと降り注ぐ。ヴァルキュリアの剣。精鋭にしか持つことが許されない剣。
その刃に宿す天の力が、擬似的に光を錯覚させているのだろうか。
「──月下断罪剣ッ!」
光が消えたかと思うと──ドロシー・フォン・ヴァルキュリアの影が迫ってくる。暗黒の空に浮かぶ一つの点が、どんどん大きくなる。そうだ彼女は、落ちてきている。ベリアルの頭へと。
黙って見ている悪魔ではない。その大きな口を開いて、咆哮を上げて悪魔を生み出そうとする。
「させん!」
だが、ドロシーが頭へと到達するほうが早かった。僅かな差。しかし、決定的な差だ。再び戦乙女の翼が開き、剣がきらめく。
「くらうがいいッ! これが我の……全力だァーッ!」
ヴァルキリーが頭へと”落ちた”。衝撃波が生まれて、ベリアルの胴体がズンッと揺れた。地面へと押し付けられた足の下は、クレーターのようにえぐれている。
『エインさんっ!』
『今だ! エインッ!』
見習い天使達が同時に告げる。眼の前にあるのは、悶絶するベリアルが、私へ向けて”口を開く”姿。そしてこれこそが、私の想定した作戦。
一瞬だけ目を閉じ、力強く開く。押し付けている拳を開いて、ベリアルの口へと照準を合わせる。
「これで正真正銘終わりよ、ベリアルッ!」
体の中の魔導の力が右腕の手のひらに集まっていくのが感じ取れる。燃えるように右手が熱い。だが、泣き言を言っている場合じゃない。
再び蒼白に輝く手。その手の甲から魔法陣が生まれ、何十にも重なったそれは、私の背後へと続いていく。
「──”魔導砲”ッ!」
その瞬間。腕から魔導の奔流が放たれる。眼の前にある”魔導盾壁”という障壁すら力に変えて、ベリアルの口の中、そして体内へと到達し、その巨体を”魔導砲”が貫通した。
そして、手から”魔導砲”の残滓が消えると。
「──ッ!」
その場から走り出す。ベリアルの体からなるべく遠くまで。
「二人とも、大丈夫⁉」
『は、はいっ! ドロシーちゃんとわたしは離れました!』
私がベリアルに放ったのは、ただの魔導砲ではない。ベリアルの体の中には、未だ私の力が残っている。ベリアルが無理やり宿主になっているのだから、ヤツが消えれば私へ還る。
そうでないということは、まだベリアルの中に、天束エイン──エインフィールド。私の力が残っている、ということだ。
さっきの”魔導砲”は、それ自体が本体じゃない。あれの本質は。
”当たった天使の力を何十倍にも増幅させて爆発させる”ということ。
「くっ……!」
ベリアルの元へと、消えていた光が集まる。空の黒い雲をベリアルが吸収していく。もう時間がない。
「──グ……ガ──ッ」
閃光。ベリアルが爆発して消えるのと、私が瓦礫の下へ潜り込むのは、ほぼ同じタイミングだった。暗い空間。暗い視界。外の状況が分からない。
私は、”天使としての私”であるエインフィールドの名に、別れを告げようとしていた。




