50.ザ・ヴィクトリアス
「──グルルルガァッ!」
雄叫び。空へ向かって、天が裂けそうなほどの咆哮を発した、巨大な黒い獣。もはや元の姿……ベリアルの面影はそこにはない。羽根は消え、地を這う獣へと”堕ちた”それは、今か今かと、私達の方へと伺う隙を伺っていた──が。
その雄叫びを皮切りにして、黒の巨体が空中を翔ける。
「……んじゃ。始めんぞ。……ウリエル」
「えぇ。参りましょうか」
ベリアルが居た場所、天使長棟の最上階は、悪魔が飛んだ衝撃で粉々に砕けている。いや、それまでもボロボロではあったのだが、もはや”棟”の形も成していないような状態。……と。
「……ねぇ、エイン。最後に聞くけど」
隣に居た、最年少の大天使、ガブリエルが問いかけてきた。神妙な面持ちをした彼女は、手に小さな魔法陣を展開している。いつでも始められる、ということなのだろう。
私だってそれは──変わらない。
「本当に……これでいいわけ?」
「らしくないわね。世界を守るのが大天使の使命、でしょう?」
「……だけど」
あぁ、そうだ。分かっている。この作戦を終えたらきっと私は──。でも、後悔はしない。するはずもない。むしろ、この作戦に参加して、ベリアルに一矢報いれるのならば、それで良い。
「どんな結果になっても私は──ベリアルを、倒す。何を犠牲にしてでもね」
「でも、それじゃあ!」
食い下がらないガブリエルだったが、話にミカエルが割り込んでくる。背後から見えるその赤色の髪が風になびき、ガブリエルの水色の髪と相まって、コントラストを作り出している。
「しつけぇぞ。ガブ。大天使であろうが、他の野郎の決断にちゃちゃを入れる権限はねェ」
緋色の大天使が、剣を構える。その腕にはまだ傷の処置の跡が残っているが、まるでそれを気にしていないかのように、豪快に剣を構えた。
「──炎流ッ!」
とても自分と同じ大きさの剣を降ったとは思えない速さで、赤色の剣は振られた。刃から斬撃の形を模した”炎の塊”がベリアルに向かって放たれる。
発生した”風”で上手く見えない。次に聞こえたのは──ドガン、という衝撃音。
「……ちッ。再生能力は相変わらずか。傷一つついてやしねぇ。滅茶苦茶な野郎だ」
「──そうだね。でも」
ミカエルの隣には、いつの間にかラファエルが居た。先程までは確かに誰も居なかったはず、なのだが。珍しく電子機器を弄っていないラファエルだが、その目はまっすぐとベリアル……が”落ちた”場所を見つめていた。
ミカエルの攻撃を受け流すためか、ベリアルの落下の軌道はそれて、私達の前方に着弾していた。
「……お。みぃつけ……たぁ」
白髪の小さな大天使は、ゆっくりと装束のポケットに突っ込んでいた手を片方だけ出し、空へ向けて突き出す。
「──っと」
パチン。掲げた手から音がした。指を鳴らした大天使だったが……すると。私達の周囲に結界が生まれた。周囲と入っても、この街すべてを覆うほどの、巨大な結果だ。
「はンやるじゃねぇか。じゃあ──行くぞ、お前ら」
「ま、待ちなさいってば、ミカエル!」
先陣を切るミカエルに、急いでガブリエルがついて行く。ベリアルの周囲、いや天使長棟や大天使棟が密集する、天界の中心。そこに、まるで結界のように、”透明な板が四方を囲い、空に蓋をする。
ベリアルを閉じ込めるためではない。これは、ベリアルを──逃さないためのものだ。
「エインさん! いつでも行けます!」
「あぁ、我もだ」
見習い天使達が来る。アンジュ・ド・ルミエールは小型の弓を持って、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、既に傘を剣と盾に分離させていた。
二人がこちらを見る。私も──拳に力を込めて、手に”魔導の力”を与える。青い紋様が腕に浮き上がっていく。
「それじゃあ、行きましょう。今度こそ、すべてを……終わらせる」
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閃光。炎。血。戦場と化した天界を翔ける、四枚二対の羽根”達”と、一つの足。周囲の景色が常に移り変わる。襲いかかってくる悪魔が死に、またその背後から襲いかかってくる悪魔が死ぬ。
私──天束エインは、ただひたすらに、ベリアルの下へと走り続けていた。
「っ! すばしっこいヤツね……ッ!」
ベリアルは……逃げている。いや、正確に言えば、”悪魔を生み出し続けながら”逃げている。無尽蔵な悪魔の波。一体一体は脅威ではない。ならば百体ならば──というのがベリアルの作戦らしい。
癪なことにそれは……当たっている。
「エインさんっ! こっちも塞がってます!」
「……ちッ! ”魔導砲”ッ!」
足を動かしながら、腕に魔力を集中させ、魔導砲を撃つ。泣き言を言っていられる状況ではないが、魔導砲はこんな忙しない状況で使うことを想定したものじゃない。
疲労も激しく、腕も痛む。ベリアルまで持たなければ……本末転倒だ。
「──! 上だッ!」
ドロシー・フォン・ヴァルキュリアが、突然なにかに気づいたかのように上を見上げる。そこにあったのは、大量の悪魔が織りなす塊。
考え事をしていたせいだ。その声を聞いて体が動いたのは、既に”塊”が目前に迫っていた時だった。
「しま──っ」
次に私が感じたのは、痛みではなく──熱。
「……ったく。何やってんだか」
ミカエルの剣に救われた。……でも、大天使達は、とっくの先にベリアルを追いかけていったはず。それを証明するかのように、眼の前の大天使の鎧や剣には損傷があるようにみえる。
そんなことを思っていると、ミカエルは剣を構えたまま、私に背を向けて動かない。
「み、ミカエ……ル?」
緋色の大天使は、一言だけ口を開いて言った。
「──行け。お前がやってこい」
「で、でも」
ミカエルは、首をこちらに少しだけ回し、背後──私の居る方を見る。その瞳は、まっすぐに自分を見つめていて。
「他人の獲物を横取りするほど、オレもワルじゃねェんだよ。だが、譲った獲物でも獲物だ。だから必ず……殺してこい」
そのままミカエルは、剣を構えて悪魔の中へと消えていく。振り回したそれが生み出す”炎の軌跡”が、彼女がそこに居ることを示していた。
ベリアルの雄叫びによって、大量の悪魔が生まれる。だが、それをもろともせずに、緋色の大天使はただ悪魔を斬り続ける。
「──行くわよ、アンジュ、ドロシー!」
「は、はい!」
「承知だ」
分かっている。ミカエルは、隙を作ってくれたのだ。私がベリアルとの対峙を望んでいるのを、彼女は知っている。大天使なりに気を使ってくれたのだろう。
無駄には出来ない。決して。
「──エインさん! あれ!」
横を低空飛行するアンジュが指を指した先には、影の巨体、ベリアルの姿があった。
「……問題は追いつけるかどうか、だな」
確かにドロシーの言う通りだ。ベリアルは、その巨体に似合わぬ素早さで、悪魔を生み出しながら逃げている。大天使の力全てには、流石に敵わないと考えたのかは知る由もないが、少なくとも分断しようとしているのには間違いない。
「──追いつけないじゃなくて、追いつくんでしょ」
「き、貴公は……ラファエル」
突然の声に足を止める。またも、私達の近くまで大天使が来ていた。……クセか何かは知らないけど、もう少し音を出してから近づいてきてほしいのだけれど。
「嫌だね。ボクはこっちのほうが好きだし。天束エイン。キミの予想は当たってる」
予想、というとベリアルが大天使達を分断している、というアレだろうか? と言うと、ラファエルは首を縦に振って同意し、やれやれと肩をすくめてみせた。
「困ったものでさ。あんなにデカい体で動き回られちゃ、こっちも追いつけなくてね」
「ど、どうすればいいんでしょうか」
「これ」
ラファエルが差し出したのは、いつか見た小型の電子機器。彼女が常に手元で弄っていた機械だ。だが……それが今の状況で役に立つとは思えないが。
「それは残念。コレでキミたちを、ベリアルの真ん前へ送ってあげようかと思ったのにな」
「なっ」
ついつい声が出る。だが、追いかけても追いかけても逃げていく敵の、よりによって正面に転移するなんていうことが、できるのだろうか。
いくら大天使の力で”移動”したとはいえ、流石にそれは……。
「ま、普通ならそうだよ。普通なら」
「……含みのある言い方ね」
ラファエルは、ベリアルが高速で移動する姿を指で指し示しながら続けた。
「ベリアルは、ただぐるぐるとこの街を回ってるだけだ。ただ、街が広いから動き回っているように見えるだけ」
「つまり、その広大な場所に、移動先を予測して罠を仕掛けた……ということか?」
子供の大天使は、ドロシーの方へ向き直った。
「そうだよ。だってボク達、腐っても天界を守る”大天使”、だしね。……で、どうするの?」
当然だ、と言いたげにドロシーへ言うラファエル。そして、問われた私は、彼女へと言葉を返す。
「……決まってるでしょ? どうするかなんて」
私は、見習い天使たちを見る。人間界でガブリエルが来た時、私はアンジュやドロシーのことを未熟者扱いしていた。だからこそ、なるべく戦わずに居てほしいとも思っていた。
だけど、違った。私は、二人を頼っていた。頼るほどの力を、見習い天使達は持っていたのだ。
視線を交わして、力強くうなづく二人を見ていると、そう思う。私達ならば──やれるのだと。
「……へぇ。決まったみたいだね」
「えぇ」
大天使ラファエルは、私達3人の周囲を何週か回ったと思うと──。
「じゃ、頑張ってね」
「えっ──」
突然、転移させるであろうボタンを押し、私達の視界は暗闇に包まれた。




