49.全ての悪を司りしモノ
「なんて……巨大なの」
私と同じように、周囲にいる見習い天使であるアンジュやドロシー、そして大天使ウリエルまでもが、絶句して上を見上げている。視線の先にあるのは、天使長棟の屋上に爆発と共に現れた、巨大な黒い獣。
こんなことができるのは、そしてこんなことをするのは、アイツしか居ない。悪魔ベリアル。かりそめの姿を脱ぎ捨て、ついに悪魔としての姿を現した悪魔たちを統べる者。
「どうやら、こちらを見ているようだ。まぁ、当然だが」
「ど、ドロシーちゃんっ! そんな事を言っている場合じゃないですって!」
慌てふためく見習い天使と、対象的に冷静な戦乙女。確かに、ベリアルの赤色の光を放つ瞳がいっそう輝きを増している。こちらを観察している、ということなのだろう──と。
悪魔が、口を開け、空へ向かって雄叫びを上げる。その額に生える鋭く大きな角へと、可視化された”力”が収束していく。
「まずっ──」
今の私達には逃げ場がない。逃げられたとしても、その次の攻撃を躱すほどの体力は残っていない。そんな事を考えているうちに──。
悪魔の角から、まるで”魔導砲”のような、円柱状の奔流が放たれた。
いや、”ような”と言うには語弊がある。ヒトの手から放たれるそれとは、奔流の大きさも全く異なる。当たればおそらく……消し炭だ。
「……我の盾でなんとか防ごう。アンジュ、ウリエル、エイン。後ろに隠れていろ」
「む、無理だよ! あんな攻撃、いくらドロシーちゃんでも……」
「……いえ、その必要は無さそうです」
”無さそう”だって? 弾着の寸前に呑気なものね。──と。
『……ほら、降りてきなよ。みんな』
通信機からの声。それと同時に、私達の前には、ベリアルの攻撃を防ぐかのように、”半透明の板”のようなものが現れた。板と言っても、見習い天使達と私、ウリエルが全員分カバーされているほどの、巨大な透明の板だ。
「感謝しますよ──ラファエル」
『別に……ってか、これも、キミの”想定内”だったわけ?』
「……さて、どうでしょう?」
通信機越しにため息が聞こえてくる。十中八九ラファエルのものだろう。
「では、行きますよ」
「い、いきなりすぎ──っ」
いや、一刻の猶予もないことは分かっている。ラファエルの生み出した”板”がベリアルの攻撃を防げるのも、そこまで長い間じゃないだろう。
だからといって……少しぐらい、心の準備をさせなさいっての。私は、一瞬で移動したウリエルに抱えられ、地面へと真っ逆さまに”落ちて”いった。
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「はン。てっきり死んだと思ってたが」
「……ご挨拶ね、ミカエル」
胸に手を当てて深呼吸をする。すぅ、はぁ、と数回繰り返してようやく呼吸が元に戻ってきた。まだ急降下で体に受けた”圧”の感覚が残っている。
「……で、どーすんだよ、アレは」
腕を組んだ緋色の大天使が、顎で上を指す。ラファエルが何重にも展開した”板”と、ガブリエルが設置した魔導による障壁のおかげで、なんとか持ちこたえている。
そうしていると、空から二人の天使が降りてきた。片方は赤色の髪、もう片方は黒色の髪。
「早すぎますよぉ!」
「はぁっ……はぁっ……我を殺す気か……全く」
「文句ならそこに浮いてる大天使に言ってあげたら?」
誰のことを言っているのか。もちろんウリエルだ。あやうく皆の前で嘔吐するところだった。別に気にしてないけどね。いや全く。気にしてないけど。
透き通るような白色の大きな羽根を持つウリエルは、宙に浮いて何か魔導を唱えていた。目に見える形で現れた”魔法陣”が、彼女の周囲をくるくると旋回している。
「ふふっ。でも、生きることができた。良かったではないですか」
「──やっぱ性格悪いな、キミ」
再び、空から二人の天使……それも、アンジュ達とは桁外れの大きさの羽根をもつ大天使達が降りてきた。ウリエルに口を挟んだ声の主は、ひときわ背が小さい大天使、ラファエル。
そして、水色の髪を持つ、ガブリエルだった。彼女はこの状況を見かねたようで。
「ちょっと! 今はそんなことしてる場合じゃないでしょーがっ!」
「はッ。賑やかだねぇ。脳天気なこったよ」
「あなたもよ、ミカエル!」
ガブリエルに勢いで押されそうになるミカエルは”あァ?”とか何とか言っていたが、すぐに引き下がったようで、また腕を組む姿勢に戻った。
ミカエルは直情的に見えて、冷静な目を持っている。だからこそ、理解しているのだろう。ガブリエルの発言にも一理ある、と。
皆が静まり返った。が、黙っているのは性に合わない。
「……それで、見習い天使と戦乙女と大天使が集まったけど。……どうするつもり?」
「あァ? ンなもん決まってんだろ」
「取り戻すんだよ。天界をな。他ならねぇ──俺達の手で、な」
ミカエルが背中に背負った剣を構え、肩に置く。ガブリエルも魔法陣を展開し、ラファエルとウリエルはまぁ、いつも通りだ。
アンジュは魔導で小型の弓を生み出し、光りに包まれたドロシーの傘は、剣と盾に分かれ、持ち主によって構えられる。私も──拳を握る力が強くなる。
「ベリアル。あんたの思い通りにはならない。あの時のように、あの地獄のようには──いかないわよ」
私は、障壁が消え、地面へと飛びかかろうとしていた仇敵の影を視界に入れながら、そんなことを考えていた。




