46.復仇
”敵討ちは合理的でない”、というのは、天使ならばみな学生の際に学ぶことだ。我々は常に、合理的な判断を求められており、そこに自己の意識が介在する余地はない。
まあ、一理ないといえば嘘になる。敵を討ったところで、奪われたものや失われたものが戻ってくるわけでもない。
そういう意味合いでは、正しい考えだろう。まさに”模範的な天使”の考え方だとも思う。かつての私も、そのように思っていた。だがしかし。
「──はははッ! 散々逃げ回ったと思えば丸腰で立っているとはなァ!」
仲間を殺し、自らの力を奪っていったその”悪魔”の姿を見て、こうも思うようになった。天使とはいえ、ときに自らの為に戦うことも許されるのではないか、と。
「……あとでミカエルに……礼を言わないとね」
飛行しながら佇むベリアルの姿には、離れた場所からも分かるほどの傷跡がついていた。緋色の大天使との戦闘の苛烈さを物語っている、とも言えるだろう。
「ヒヒ……ッ。ようやく、ようやくだ。これで俺は天使の力を手に入れる。天束エイン──テメェを殺すことでなァ!」
ベリアルが翔ける。空中の大気が衝撃波となって輪を作る。悪魔は、指を一点に集中させ、槍の穂先のような鋭い形状の”手刀”を構えて突っ込んできた。
「そう、わざわざ目的を教えてくれて感謝するわ。でも、悪いけど」
右手を上空へ向けて突き出す。既に”装填”は完了済みだ。腕に青色の紋様が表れ、それを左の腕で支える。
「そう簡単に、やられる気はないからね」
と、同時に”魔導砲”を放つ。青い色をした円柱状の魔導の奔流は、空気を震わせてベリアルへと到達した。甲高い爆発音と共に煙を生み出す。
目を凝らしてみるが、まだ状況は分からない。いや、分かっている。こんな攻撃で死ぬ相手ではない。だからこそ──作戦を練ったのだ。
「──アンジュ! 出番よッ!」
私が赤髪の天使を力強く呼ぶと、私とベリアルが退治している遥か後方から、一本の矢が放たれる。一筋の光の軌跡を描いたそれは、轟音を上げて煙の中の”何か”に当たった。
その衝撃で周囲が晴れていく。矢はベリアルを貫くこともなく、その手によって防がれていた。
「……あァ? はン。俺は”悪魔を統べる者”だぞ? この程度のもンに殺されるわけャねェだろうが」
ベリアルは、退屈そうに傷一つついていない手を広げて、アンジュが放った”神矢”を捨てようとする……が。
「……あ?」
「──アンジュッ!」
『は、はいっ! アンジュ・ド・ルミエール、行きますッ!』
ベリアルが、まるでくっついたかのように離れない矢を疑問に感じて、手に視線を移そうとした瞬間。私は、通信機越しにアンジュへ呼びかけた。
「──なッ」
ベリアルは、強い力で引っ張られた。上を見ると、消えたたはずの”矢の軌跡”が、実体を持って復活している。矢にかけられていたのは、単純な魔導だ。本来なら低級の悪魔や危険な天使を捕縛するための”縄”。矢から伸びている軌跡の正体は、それだ。
用途からして、簡単にちぎれるものでもない。
『……くぅ!』
通信機からは、アンジュが力を振り絞っている声が聞こえる。彼女は、ただ下に向けて”飛んでいる”。落下の速度を羽根によって増幅している。では……それに繋がっているベリアルは、どうなっているのか?
「クソがッ──」
そう発したあと、ベリアルは地面へと叩きつけられる。構造物が崩れ、瓦礫が周囲に舞う。しかし、アンジュの”落下”は止まらない。
ゴゴゴッ、と屋上の床へとめり込んだ悪魔は、更に引っ張られていく。
『──エインさんっ! 地面までつきました!』
「そう。お疲れ様。戻ってきて」
アンジュが地面、すなわち天使長棟の屋上から地上まで到達したとき、引き寄せられたベリアルは”棟”に垂直の巨大な穴をあけて沈黙していた。さすがに姿は見えない。……これで死んだとは、思えないけど。……なんて言った矢先。
「クソがッ……クソがクソがクソがクソがッ!」
「……しぶとい奴ね、全く」
”穴”からベリアルが一瞬にして上がってきた。だが、私の眼の前に姿を表したそれは、確実にダメージを負っている。前身には打撲痕と擦り傷だらけで、羽根は瓦礫にまみれたのかボロボロだ。
「──テメェら全員、ブッ殺すッ!」
──その瞬間。ベリアルの背後から、急に”黒い霧”が表れ、周囲を覆っていく。前方からは、強風のように霧が吹き付けている。顔を覆う腕がヒリヒリと痛む。てっきりヒトの体になっていたと思っていたけど、どうやらまだ、天使の特性は残っていたようだ。
「エイン! 無事か!」
私の前へ、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアが颯爽と現れて”盾”を展開した。空色で半透明のそれによってなんとか霧は防がれている。
そうこうしている間に、アンジュが戻ってきた。
「あっ! ドロシーちゃん! ……って、なんですかコレ!」
なびく赤髪を持つ天使は、左手に小さな弓を持っていた。何ですか……と聞かれても、何だろう、としか返しようがない。なにせ、こんな悪魔の技は初めて見る。
だが、いずれにせよ、だ。
「……これで作戦はふりだしに戻ったわけね。……全く」
ベリアルが意図したかは分からないが、この後の手負いのベリアルをドロシーが一刀両断する……といった作戦は潰れた。なにせ。
晴れてきた霧の中には、変わりはてたベリアルの姿があったから、だ。
「……人型、ね。まさか、ここまでとは」
そのベリアルの姿は、それまでの”天使のような姿”とは異なっていた。皮膚には赤色の血管が浮きだっていて、背中に生える翼も、天使のそれというよりかは、刺々しいものに変容していた。
”悪魔”の額から生える二本一対の角が、赤黒く発光した。閉じられた瞼が開き、黄色の瞳があらわになる。
「──全員、皆殺しだ」
”黒い影”が動き出す。その寸前。ベリアルの顔にもはや以前のような醜悪な笑みはなく、そこにあったのは、獲物をまっすぐに捉える、”捕食者”の顔だった。




