45.生命廻転
「え、エインさんっ! どうなってるんですか! これ!」
前方を走る黒髪の天使と赤髪の天使。その片割れであるアンジュ・ド・ルミエールが、走りながら私──天束エインへ質問をしてくる。
天使長棟の内部で合流した私達は、その場でベリアルに反旗を翻した……わけではない。
横方向、さらに言えば壁の向こうの外から、悪魔の涙が”降って”きているのだ。質量を持った小型の弾らしきものが集中的に放たれ、私達の通ってきた廊下の壁は粉々に砕けて、闇に包まれた真っ暗な天界が見えている。
「あとで話すから! 今は前だけ見なさい!」
ドガン、と後方から大きな音がしているため、自然と出す声の音量も大きくなる。ドロシーが盾と剣を使って上手く道を塞ぐ悪魔を退け、そこから漏れたヤツは、アンジュの弓で射る。
流石に”友人”と呼び合う仲だけあって連携が取れているなぁ、なんて思いつつ。
『……あー。回線不調、回線不調』
「ちょっと……ミカエル?」
耳の通信機に手を当てると……ミカエルの回線と繋がった。他の大天使の声は聞こえてこないので、どうやら彼女とだけ通信ができているらしい。
『……ンだよ。今忙しいンだが』
「……助けてほしいんだけど」
『あァ?』
どうやら、ミカエルは疑問に感じているらしい。無理もない。”影”に取り込まれてから通信が切れていたのだから。私は緋色の大天使に──空を見るように促した。
『空だァ?……何なンだよ、全く……は?』
その後、大天使の声が少しの間途切れた。どうやら視界に入ったらしい。天使長棟にボコボコと”悪魔涙”を放ち続ける、黒色の羽を持つ”悪魔”の姿が。
「……ベリアルに追われてるの。ヤツと対決できるのなら、あなたにとっても……悪い話じゃないでしょう?」
『悪い話もクソも……っつーか、まさかあのクソ野郎に追われてるの……お前か?』
「察しが良いわね」
『……わーッたよ』
またも通信が途切れた──と思った瞬間。急激に背後に熱を感じた。ドロシーとアンジュもそうだったようで、二人は私と同じように後方を振り返る。
そこにあったのは──翼。だが、戦乙女や見習い天使の数倍大きい、赤色の羽根だ。そして、こんな羽根を持つ天使は一人しか居ない。
「……言っとくが、オレでも勝てるかどうか分からねぇ。だが、やるだけやってやる。お前は──やるべきことをやれ」
炎の翼が、崩壊した壁から外へと一瞬で消えていく、その前。ほんの一瞬だけ、そんな事が確かに耳に聞こえた。
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それは、まさに猛攻と言うべきものだった。ベリアルは疲弊することもなく、ただ天束エインが居るであろう場所へと向けて、”悪魔涙”を放ち続ける。
確かに、攻撃は躱されている。だが、人間の身となった元天使が、それほど長く走れるはずもない。どこかで体力が切れるだろう。
持久戦となれば、利は自分にある。そう信じたベリアルだったが──。
「……チッ。面倒な大天使サマが来やがッた」
羽を生やした悪魔の攻撃は、空中に生まれた”炎の壁”によって防がれた。ちょうどベリアルと天使長棟との間に発生したそれは、”涙”を防ぐと徐々に消えていく。
そうして、消えた炎の中から出てきたのは。
「はン、とんだ傑作じゃねえか。悪魔が天使の真似事か? オイ──クソ野郎がよッ!」
緋色の大天使ミカエルは、問答無用で悪魔へと斬りかかる。身の丈ほどもありそうな刃を持った大剣を両手で持って。斬りかかる瞬間に、先程消えた”炎の壁”の残滓が、剣へと集まり刃に炎をまとわせた。
「……ははッ! 面白ェじゃねェか! ──クソ天使ッ!」
ミカエルが振り下ろした剣は──悪魔の纏う装束を切り裂き、焦がした。肉体も無事ではすまず、天束エインが”魔導武具”で斬り付けた時とは異なり、肩から体にかけて”裂けて”いた……が。
ベリアルは笑ったかと思うと、その肩を手で引き寄せた。すると──体が元通りになる。
「……クソ……再生しやがった。生半可なモンじゃ”斬”れねぇな」
ミカエルは──再び間合いをとって大きな剣を構える。戦いに望むその目は鋭くなっており、その紅色の髪は、上空の風によって舞っている。
「悪ぃが……オレはエインフィールドほど──ヌルくはねぇぞ」
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ものすごい音が聞こえる。爆発のような衝撃。そして鍔迫り合いの音。本来ならば聞こえてこないはずの音が、ミカエルの通信機越しに聞こえてくる。
私達は──屋上へと到達していた。天へと至る”塔”。そう例えられるほどの天使長棟の最上階は、案外あっさりとしていた。これといった装飾が施されているわけでもない。
「……で、どうするのだ、エインよ。作戦と言っても、ああも無茶苦茶な相手では、どうにもできないぞ」
「……はあっ……はあっ……そうね……」
息の上がって床にへたり込む私と対象的に、見習い天使と戦乙女は平気な顔で立っている。なるほど確かに、私の体は人間のそれと同じようだ……ってそうではなく。
「……厄介なのは、あの爆弾のようなものだ。我の盾で防げるのは防げるだろうが、長くは持たないぞ」
「えぇ。それに、飛んでる状態じゃ、向こうが有利よ。とはいえ、落とすのも簡単じゃない──」
その時。
「──ふ、ふたりとも、危ないッ!」
アンジュの声で、私とドロシーは思考の迷路から現実へと戻された。視界の中に悪魔は居ない。ならば、と背後を見る。私達を襲おうと隠れて奇襲をしかけてきた悪魔の頭には、既にアンジュの放った”神矢”が刺さっていた。
純粋な天使の力である”矢”を撃ち込まれた悪魔は、光に包まれて塵と化す。
「……すまない、アンジュ。助けられた」
「き、気にしなくていいよっ、ドロシーちゃん」
二人の天使の会話が聞こえる。矢。天使。力。悪魔。バラバラの言葉が頭の中で接続されて一つになっていく。純粋な天使の力を撃ち込まれた悪魔は、塵となって死ぬ。
もちろん、強い力を持った悪魔はそうでないし、現に私の力を食らったベリアルは、何らかの要因で生きている。
だがそれは、”体内に天使の力が存在している”ということ。致死性の毒を体内にどうにかして溜め込んでいるようなものだ。ならば──。
「……アンジュ、ドロシー。話があるの」
「ベリアルを倒す──秘策についてよ」




